出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
古代の集落の総称。邑の字は,土地,区画を示す口と,ひざまずいた人を示す巴との会意文字で,人間の居住地,集落を表す。都,郷などの字の旁(つくり)としてつく阝(おおざと)は邑の変形である。太古から春秋時代中期までの集落は,すべて邑と考えることができる。邑は,多くの場合囲壁をめぐらし,その外側に耕地を所有した。人びとは,宗廟と社とを中心に,この邑で共同体的生活を営んでいたと考えられる。それは社会構造の基礎をなしており,当時の国はすべてこのような一種の都市国家(邑制国家)であった,と考える説が有力である。都市国家が領土国家へと発展するにつれて,邑という語は都市,集落一般を意味するようになっていった。秦・漢時代の県,郷,聚,亭は,すべて邑が発展し,規模や性格によって分化したものということができる。後世には県を指して邑と呼ぶことが多く,特にその雅名としてよく使われる。
執筆者:浅見 直一郎
朝鮮では郡の中心集落をさす。広義には州・府・郡・県などと呼ばれる行政区画を総称し,李朝時代(1392-1910)を通じて330前後が存在した。地方官(守令)の支配拠点である郡衙,郷吏の執務所である作庁(人吏庁),両班(ヤンバン)組織の事務所である郷庁などが集中し,地方政治の中心であった。邑底と呼ばれる集落内には定期市が立ち,一郡の物資集散地として地方経済の中心でもあった。現在でも多くが郡庁所在地として一地方の中心地となっている。通常,〈邑〉は城壁(邑城)で囲まれ,外部からの出入りは数ヵ所の城門に限られていた。邑城の規模は数百m四方が多く,居住人口は開城や平壌などを除けば1000~3000人程度である。邑内図などがほとんど伝存せず,〈邑〉の集落構造や景観の研究は今後の課題である。なお日本植民地下の1931年,邑面制を施行し,〈面〉の中で人口が多く商工業が発達したものを〈邑〉と称するようになった。これは日本の市町村制における〈町〉にあたる。
執筆者:吉田 光男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
邑の字形は,城壁などの一定の領域と,ひざまずいた人の姿をあわせたものである。大きな都市から小さな集落まで広くさす。中国古代の都市を邑に代表させて,都市国家を邑制国家ともいう。この場合の邑の内部は地縁ではなく,血縁によって結びついていた。殷(いん)周の国家は,王室の大邑を中心として大小の邑が累層的に結びついた構造としてとらえられている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…員(ウオン)ともいう。道の長官である観察使の監督下で,邑(府,大都護府,牧,都護府,郡,県等,道内の行政区画の総称)内の統治にあたった。その任務は守令七事と呼ばれ,農業を盛んにすること,戸口数を増やすこと,学校を興すこと,軍政を修めること,賦役を均等に課すこと,裁判を迅速に行うこと,奸悪な人物をなくすことであり,この七事を基準にして観察使が各守令の勤務評定を行い,善・殿・悪・最の4等級の評価を中央に報告する仕組みであった。…
…第2次大戦後の中国史研究の進展,なかでも中国における考古学の成果の増大と,他方ヨーロッパ近代の意味づけの変化とが相まって,中国の都市に対して異なった見方が提出されるようになってくる。
[邑から都市へ]
中国文明が発祥した黄河中流域では,自然環境を反映して邑(ゆう)と総称される都市的集落が叢生した。邑を都市(城市)国家と理解する学者も多いが,墻壁で囲繞した市域のまわりは田土で,そこに居住する人民の大部分は農民で占められていた。…
※「邑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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