(読み)せき

精選版 日本国語大辞典 「関」の意味・読み・例文・類語

せき【関】

[1] 〘名〙 (「せき(堰)」と同語源)
① 物事をささえとめること。また、そのもの。へだて。
※伊勢物語(10C前)九五「彦星に恋はまさりぬ天の河へだつるせきをいまはやめてよ」
③ 国境や要所などにあって、通行者を検問する所。
(イ) 関所。
※書紀(720)天武八年一一月(北野本訓)「是の月 初めて関(セキ)を龍田の山・大坂の山に置く」
※太平記(14C後)九「谷合の関(セキ)逆木(さかもぎ)も引除(のけ)て通る人無ければ」
(ロ) 特に、逢坂(おうさか)の関をいう。
※蜻蛉(974頃)中「いはんや、せきにいたりて、しばし車とどめて」
④ 「せきせん(関銭)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕
⑤ 獣を入れておくおり。かこい。
※新撰字鏡(898‐901頃)「圏 獣闌 世支」
相撲取り最上位の者。最上位で相撲を取る者。関取。大関。→関(ぜき)
※室町殿日記(1602頃)一〇「よひより一番もとらざりければ、人々いでて関をとれとぞすすめける」
⑦ (「関の山」の形で用いて) 物事の限度。
⑧ 射芸で、最後の射手の称。転じて、弓矢に巧みな人。関の後(うしろ)
※御伽草子・鴉鷺合戦物語(室町中)「其せきは、大略、敵つらをまもり具足をまぼる」
⑨ (「持」「塞」の字をあてることもある) 囲碁で、攻合いの形になっている双方の一連の石が、互いに相手を取りに行くと自分のダメが詰まって逆に打ち上げられてしまう状態。せきの石で囲んだ点は地には数えないが、その中で取る石はハマとして地に換算される。せきはせきくずれまたはコウダテに使われない限り、生き石である。
※俳諧・大坂独吟集(1675)下「味噌こし碁又まいらふか峰の坊 おせきもつ共遅き月影〈由平〉」
⑩ 「せきぶね(関船)」の略。〔和漢船用集(1766)〕
[2]
[一] (鎌倉時代に東山道の関所が置かれたところからの呼称) 岐阜県南部の地名。長良川に沿う。鎌倉時代から刀鍛冶で知られ、明治中期からポケットナイフの生産が始まり、刃物・洋食器製造を主とする。新長谷寺・彌勒寺跡などがある。昭和二五年(一九五〇)市制。
[二] 三重県亀山市の地名。鈴鹿峠東側のふもとにあり、江戸時代は東海道の宿場町として発展。古代、鈴鹿関が置かれていた。

かん クヮン【関】

〘名〙
① (門戸をさしかためる横木、貫木(かんのき)の意から) 出入りを取りしまるための門。関所。せき。
※唱歌・箱根八里(1901)〈鳥居忱〉「一夫関(クヮン)に当るや万夫も開くなし」 〔易経‐復卦〕
漢方医学でいう人体の一部。手首の下の動脈が搏(う)つ箇所の一つ。
史記抄(1477)一四「三部を以て云へば、寸を為上焦ぞ。関を為中焦ぞ。尺を為下焦ぞ」
③ へそのまわり三寸ほどの部分。呼吸する気息が腹中におさまるところとされた。

かん‐・する クヮン‥【関】

〘自サ変〙 くゎん・す 〘自サ変〙 かかわる。たずさわる。関係する。
花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉一九「美人に媚従するも人曾て関せざる者とす」

ぜき【関】

〘接尾〙 (「関取(せきとり)」の略) 相撲で十両以上の力士名にそえる敬称。「双葉山関」

かん‐・す クヮン‥【関】

〘自サ変〙 ⇒かんする(関)

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デジタル大辞泉 「関」の意味・読み・例文・類語

かん【関〔關〕】[漢字項目]

[音]カン(クヮン)(漢) [訓]せき かかわる かんぬき あずかる
学習漢字]4年
〈カン〉
門や扉を閉じる横木。かんぬき。「関鍵かんけん
国境などに設けて通行人を調べる所。せき。「関西関税税関通関
入り口。「関門玄関難関
有機的につながっている仕組みや仕掛け。「関節機関
つながりを持つ。かかわる。「関係関心関知関与関連相関連関
「関白」の略。「摂関
〈せき(ぜき)〉「関所せきしょ関守大関
[名のり]とおる・み・もり
[難読]機関からくり

せき【関】

《「」と同語源》
関所」に同じ。「箱根の
物事をさえぎりとどめるもの。へだて。しきり。
「人目の―を離れし場所にて」〈魯庵社会百面相
相撲取りの最上位の者。関取。→ぜき(関)
射芸で、最終の射手。
囲碁で攻め合いになった場合、先に石を打ったほうが打ち上げられる局面。ともに「」だが「」にはならない。

ぜき【関】

[接尾]《「関取せきとり」の略》相撲で十両以上の力士のしこ名に付ける敬称。「若乃花
[類語]力士お相撲さん関取取的ふんどし担ぎ相撲取り

せき【関】[地名]

岐阜県中部の市。鎌倉時代から始まる刀鍛冶かたなかじで知られ、関の孫六などの名匠が出た。刃物や洋食器を生産。平成17年(2005)2月に洞戸ほらど村、板取村武芸川むげがわ町、武儀むぎ町、上之保かみのほ村を編入し、V字型の市域となった。人口9.1万(2010)。
東海道五十三次の宿場の一。現在の三重県亀山市の地名。

せき【関】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「関」姓の人物
関寛斎せきかんさい
関孝和せきたかかず
関一せきはじめ

かん〔クワン〕【関】

出入りを取り締まる所。関所せきしょ。せき。
経穴けいけつの一。へその近くにある。関元かんげん

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改訂新版 世界大百科事典 「関」の意味・わかりやすい解説

関[市] (せき)

岐阜県南部の市。2005年2月旧関市が武儀(むぎ),武芸川(むげがわ)の2町と板取(いたどり),上之保(かみのほ),洞戸(ほらど)の3村を編入して成立した。人口9万1418(2010)。

関市北西端の旧村。旧武儀郡所属。人口1921(2000)。長良川支流の板取川最上流域の山村。福井県に接し,北部の平家岳(1442m)を主峰とする山脈が日本海と太平洋の分水界をなす。板取川が村の中央を深い浸食谷を刻んで南流し,集落と耕地は河川両岸のわずかな低地に点在する。村域の大部分が山林,原野で占められ,林業を主産業とする。人口減少が著しく過疎化が進むが,板取川の最上流は紫八丁(板取峡)の秘境で,自然休養村の指定を受け,観光開発が進められた。

関市北東端の旧村。旧武儀郡所属。人口2483(2000)。長良川支流の津保川上流域に位置する山村。河川流域に低地があるほかは,村域の大部分は山地で,過疎化が著しい。農業は米作中心から畑作栽培に転換され,茶,シイタケの特産物生産が盛ん。特に茶は津保茶として出荷される。また,村域の大半を占める山林では良質のヒノキ材を産出し,製材所や木工所が多い。村内の社寺には多数の円空仏がある。
執筆者:

関市南部の旧市。1950年市制。人口7万4438(2000)。長良川に津保川,武儀川が合流する関盆地に中心部が展開する。長良川の舟運に恵まれ,飛驒路(金山街道)と奥美濃路(郡上街道)の交わるところで,物資の集散地であった。中世以来関の孫六(関物)で知られた刃物の町で,室町時代を最盛期に多くの名工を生み,織田信長らの保護もあって,〈関は千軒鍛冶屋が名所〉といわれるほど繁栄した。江戸中期に刀鍛冶は衰え,包丁,はさみなどの打刃物や農具の生産に主力が移り,明治以降,洋食器,カミソリ替刃,ポケットナイフなどを生産する金属工業に発展した。輸出額も多いが,多くは農村の下請加工業者で作られる。自動車部品製造工場も進出している。新長谷寺(しんちようこくじ)(吉田(きつた)観音)には重要文化財の堂宇や仏像があり,古代に当地を支配した身毛君一族の氏寺といわれる弥勒寺跡(史),刀工が崇敬した春日神社もある。春日神社所蔵の能装束類は重要文化財。小瀬では中世以来の鵜飼いが行われる。長良川鉄道,名鉄美濃町線(2005年廃止),東海北陸自動車道が通り,丘陵地には県置百年記念公園,県立博物館がある。
執筆者:

関市北西部の旧村。旧武儀郡所属。人口2316(2000)。中央部を長良川の支流板取川が南流し,川沿いに沖積低地があるほかは,高賀山(1224m)を主峰とする美濃越前山地が大部分を占める。かつては木炭と和紙の生産が盛んであった。農林業は零細でキウィフルーツの栽培,加工が行われるが,西隣の山県市の旧美山町のバルブ工場への通勤者も多い。ほかに家具製造業,縫製業が行われる。人口の減少が著しく,過疎地域の指定を受けている。高賀渓谷一帯は奥長良川県立自然公園に含まれる。高賀山麓の高賀神社は平安中期の創建といわれ,山岳信仰の一拠点であった。同社は円空作の仏像なども蔵する。

関市北東部の旧町。旧武儀郡所属。1971年町制。人口4220(2000)。長良川の支流津保川上・中流域に位置し,町域の大部分は標高500m前後の丘陵地からなる。美濃と飛驒を結ぶ飛驒街道が通り,江戸時代は尾張藩に属した。津保川沿いにわずかな低地が開け,米作を中心にシイタケや茶の栽培,養鶏などが行われる。南接する旧関市への交通の便もよいため,刃物を中心とする金属製品,家具などの製造工場の進出もみられる。南西境の高沢山一帯は奥長良県立自然公園に含まれる。山腹には高沢観音とも呼ばれる古刹日竜峰(にちりゆうぶ)寺があり,北条政子発願と伝える鎌倉時代建立の多宝塔(重要文化財)が有名。

関市北西部の旧町。旧武儀郡所属。人口6683(2000)。長良川の支流武儀川が町内を南東流し,川に沿って低地が開けるが,町域の大半は山地である。武儀川流域は古くから武芸谷と呼ばれ,板取川流域の牧谷とともに美濃紙の主産地で,かつては農家の副業として手すき和紙製造が盛んであったが,現在は機械製紙が中心となっている。農林業を主とするが,美濃市,旧関市,岐阜市に隣接するため,これらの地域の発展に伴って機械,金属研磨,木工業などの工場の進出がみられる。北部は寺尾ヶ原千本桜などの名所があり,奥長良川県立自然公園に属する。
執筆者:

関[温泉] (せき)

新潟県南西部,妙高市の旧妙高村にある温泉。泉質は含食塩炭酸鉄泉,泉温46℃。妙高山東麓の標高900mに位置し,南西方は黒姫山,戸隠山,北は高田平野から日本海までを望む。空海発見という伝説があり,享保年間(1716-36)に岡山の人宝蔵院一泰が道を拓いて浴舎を設けたという記録もある。1913年国設スキー場が開設され温泉街も近代化された。JR信越本線関山駅からバスの便がある。
執筆者:

関(三重) (せき)

関 (せき)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「関」の意味・わかりやすい解説


せき

三重県中北部、鈴鹿郡(すずかぐん)にあった町(関町(ちょう))。現在は亀山市西部を占める地域。旧関町は、1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)加太(かぶと)、坂下(さかした)の2村を編入。鈴鹿郡に残された唯一の町であったが、2005年(平成17)亀山市に合併、この合併により鈴鹿郡は消滅した。旧町名は古代の三関の一つ鈴鹿関に由来する。地域の中心部は鈴鹿川と加太川の合流点の下流左岸の河岸段丘上にあり、JR関西本線と国道1号が通る。古来、東海道、大和(やまと)街道、伊勢(いせ)別街道の分岐点で、現在も国道1号、25号、名阪国道、東名阪自動車道、伊勢自動車道が分岐する交通の要衝である。米作と茶栽培が盛ん。また、名阪亀山・関工業団地も造成されている。町内には近世の東海道の関宿と坂下宿があり、関宿は1800年(寛政12)の絵図では本陣2、脇本陣2、旅籠(はたご)87を数え、県内では亀山に次ぐ規模であった。当時のおもかげを残す家屋が多く、1984年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。関宿旅籠玉屋歴史資料館、関まちなみ資料館、鈴鹿馬子唄会館などがある。「関の地蔵さん」として親しまれる地蔵院は奈良時代の行基(ぎょうき)の開基と伝え、愛染堂は県下最古(室町期とも江戸初期とも)の木造建築物で、本堂、鐘楼とともに国の重要文化財。北部の山岳地帯は鈴鹿国定公園に含まれている。

[伊藤達雄]

『『鈴鹿関町史』全2巻(1977、1984・関町)』


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「関」の解説


せき

通行人や物資などの移動を留めたり,検閲を行う施設。(1)古代には軍事・交通上の要衝に設置された。関市令(げんしりょう)に規定される。関の通過には京職や諸国などから発給される過所(かしょ)が必要だった。鈴鹿・不破・愛発(あらち)関が三関(さんげん)として重視され,三関を管轄する伊勢・美濃・越前3国は関国として特別にあつかわれた。平安時代には鈴鹿・不破・逢坂(おうさか)が三関とされた。三関は謀叛や天皇の死去などに際し急使が派遣され,三関を閉ざす固関(こげん)が行われた。そのほか相模国の足柄,上野国の碓氷,陸奥国への勿来(なこそ)・白河,出羽国への念珠(ねず),山陽道の須磨・長門などの関が知られる。(2)中世では,幕府・朝廷・大寺社などが関銭を徴収する目的で設けた。室町中期に伊勢街道の桑名・日永間15kmに60余の関所があって,人別1銭ずつ徴収したことが記録されている。このため戦国大名には関所を廃止する動きがあり,織田信長や豊臣秀吉はその政策を全国に及ぼそうとした。(3)近世では,江戸幕府が江戸防衛のために主として天険の地におき,関所といった。主要街道や裏道まで全国五十数カ所に配備。関所では「入鉄砲に出女」をきびしく検閲し,それに付随して犯罪者・不審者なども取り締まった。諸藩が関所をおくことは禁止されていたが,口留(くちどめ)番所と称して関所的な施設をおいた例は多い。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「関」の意味・わかりやすい解説


せき

三重県北部,亀山市西部の旧町域。鈴鹿山脈南東麓にある。 1889年町制,1955年関町と坂下村,加太村が合体。 2005年亀山市と合体。地名は鈴鹿関に由来。古代からの交通の要地で中心地区の関は東海道と伊勢別街道 (現国道 25号線) の分岐点にあたり,関宿と呼ばれて宿駅が発達し,江戸時代は県下で亀山宿に次ぐ規模であった。鈴鹿川流域の米作,古くからの林産業も行なわれるが,近年観光業が重要になっている。宿の面影を残す建物が多く,1984年に伝統的建造物群保存地区に指定。また行基が開いた名刹関の地蔵院 (九関山宝蔵寺) は国の重要文化財に,正法寺山荘跡は国の史跡にそれぞれ指定されている。北部坂下も東海道の旧宿場町。滋賀県との県境の山岳地帯は鈴鹿国定公園に属する。

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百科事典マイペディア 「関」の意味・わかりやすい解説

関【せき】

関所

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事典・日本の観光資源 「関」の解説

(三重県亀山市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【関所】より

…道路上の要衝に設け,通行者,貨物を検査し,あるいは通行税(関銭)を徴収し,事あるときは交通を遮断し防備にあたった施設。古くは関といった。…

【漂泊民】より

…そしてこうした対立した立場のいずれが社会の中で支配的な比重を持つかによって,一方による他方の抑圧,賤視が生じうるが,それは時代により,また民族,地域等によってさまざまであり,固定的にとらえることはできない。 日本の社会の場合,漂泊民と定住民との分化が多少とも現れてくるのは,農業の開始以後であるが,14世紀ごろまでは,その区別は必ずしも明確でなく,両者の関係は流動的であった。漁労民―海民,狩猟・採集民―山民,さらに芸能民,呪術者,宗教者,商工民等が,山野河海で活動し,道を通り,市で交易活動を展開する限りにおいて,彼らは漂泊民,遍歴民として姿を現すが,その根拠地においては若干の農業に携わる場合が多かった。…

【旅券】より

…そのほか,指揮者のいる団体旅行者に一括して与えられる団体旅券,無国籍者や本国の旅券を取得できない外国人に所在国が与える外国人旅券の制度をもつ国もある。権限ある国際機関や所在国が難民に発給する旅券や難民旅行証明書(例えば,国際連盟時代に難民高等弁務官ナンセンの発案で難民所在国が発給した身分証明書はナンセン旅券と呼ばれた),さらに領事の発行した渡航証明書などが,広義の旅券として日本で認められている。 日本の〈出入国管理及び難民認定法〉(出入国管理)は,乗員手帳を持つ船員などを除き〈外国人は,有効な旅券を所持しなければ本邦に入ってはならない〉(3条1項)と規定する。…

【妙高温泉郷】より

…新潟県南西部,妙高山(2446m)東麓の妙高高原に開けた温泉郷。標高の高い順に,約1100mの燕(つばめ)温泉(含土類セッコウ泉,45℃),約900mの関温泉(含鉄食塩泉,46℃),700~800mの赤倉温泉(重炭酸土類泉,60℃),池ノ平温泉(単純泉,60℃),500~600mの妙高温泉,新赤倉温泉(いずれも赤倉温泉からの引湯)と並ぶ六つの温泉からなる。享保年間(1716‐36)開湯の関温泉が最も古く,大正末期開湯の池ノ平温泉,新赤倉温泉が最も新しい。…

※「関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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