(読み)かみなり(英語表記)thunderstorm

翻訳|thunderstorm

精選版 日本国語大辞典 「雷」の意味・読み・例文・類語

かみ‐なり【雷】

[1] 〘名〙 (「神鳴り」の意)
① 電気を帯びた雲と雲との間、あるいは、雲と地表との間に起こる放電現象。また、それに伴ってごろごろととどろく大音響。雷鳴。強い上昇気流のある所などに発生する。いかずち。《季・夏》
※狭衣物語(1069‐77頃か)三「げに、にはかに風あらあらしく吹て、空の気色も、『いかなるぞ』と見えわたるに、神なりの、二度(ふたたび)ばかり、いと高く鳴りて」
② 雷神。かみなりさま。雲の上におり、虎の皮のふんどしをしめ、連鼓を背負ってこれを打ち鳴らす神で、人間のへそを好み、へそを出していると取りに来ると言い伝えられている。なるかみ。
※虎明本狂言・神鳴(室町末‐近世初)「私も随分いがくを仕たれ共、今までかみなり殿のれうじのいたしやうをならはなんで御ざる」
③ (雷鳴がやかましいところから) がみがみと頭ごなしにどなりつけ、叱り責めること。また、そのような口やかましい人。
※浄瑠璃・薩摩歌(1711頃)中「ことに比丘尼(びくに)の事といひ、かみなりめがもどっても大事(じ)ないこと」
[2] 狂言。各流。足を踏みはずして広野に落ち腰骨を打った雷は、ちょうど通りかかった医者に治療を頼み、医者は針療治をする。雷はお礼に五穀成就となるように適度の雨を降らせることを約束して天上する、という筋。針立雷(はりたていかずち)
[語誌]古く、恐ろしい神を意味する「いかづち」が(一)①を表わす一般的な語であったが、歌の中では「雷鳴」の意の「なるかみ」が多く用いられた。この「雷鳴」の側面を「神、鳴る」とも表わし、その連用形から「かみなり」が生じたと考えられる。「二十巻本和名抄‐一〇」の「神鳴の壺」の例以外にはあまり古い用例は見えないが、「いかづち」が衰える中世末ごろから、広く一般化するようになる。

いかずち いかづち【雷】

〘名〙 (「いか(厳)つ(=の)ち(霊)」の意)
① 魔物。たけだけしく恐ろしいもの。
※書紀(720)神代上(水戸本訓)「上に八色(やくさ)の雷公(イカツチ)有り」
② かみなり。かみ。なるかみ。かむとけ。
※仏足石歌(753頃)「伊加豆知(イカヅチ)の 光の如き これの身は」
※万葉(8C後)三・二三五「大君は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上にいほりせるかも 右或本云〈略〉伊加土(イカづち)山に宮しきいます」
※枕(10C終)一五三「いかづちは名のみにもあらず、いみじうおそろし」
[語誌](1)本来、恐ろしい神の意で、①の記紀の神話に見える例は、鬼や蛇のようなものと考えられていたことを示す。また、②の仏足石歌の例は「是身無常、念々不住如電光」など仏典によるもので、生命の短いことのたとえに用いられている。一方、「いかづち」を名とする「建御雷(タケミカヅチ)」「賀茂別雷(カモノワケイカヅチ)」などは雷神か。
(2)雷に関する語には、音の側面を強調するナルカミ・ハタタガミや光の側面のイナヅマ・イナビカリ、あるいは落雷を表わすカムトケなどがあり、イカヅチは神格化された雷の総称として、音や光の区別なく用いられた。やがてナルカミ、さらにはカミナリが雷の総称として用いられるようになる。

かん‐なり【雷】

〘名〙 (「かむなり」とも表記)
① 「かみなり(雷)」の変化した語。
※元和本下学集(1617)「孔雀因(カンナリ)孕」
※亀田本下学集(室町中‐末)「襲芳舎 雷鳴 カムナリ」

らい【雷】

〘名〙 電光や雷鳴を伴う雷雲によって大気中に生ずる放電現象。ふつう雷雨をいう。かみなり。いかずち。《季・夏》
続日本紀‐天平勝宝八年(756)一二月庚辰「自去月雷六日」 〔易経‐随卦〕

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デジタル大辞泉 「雷」の意味・読み・例文・類語

かみ‐なり【雷】

《「神鳴り」の意》
電気を帯びた雲と雲との間、あるいは雲と地表との間に起こる放電現象。電光が見え、雷鳴が聞こえる。一般に強い風と雨を伴う。いかずち。なるかみ。「が鳴る」「に打たれる」 夏》「―に小屋は焼かれて瓜の花/蕪村
雲の上にいて、雷を起こすという神。鬼の姿をしていて、虎の皮のふんどしを締め、太鼓を背負って、これを打ち鳴らし、また、人間のへそを好むとされる。雷神。はたた神。かみなりさま。
頭ごなしにどなりつけること。腹を立ててがみがみと𠮟責しっせきすること。「を落とす」
[補説]狂言の曲名別項。→神鳴
[類語](1いかずち鳴る神らい雷鳴雷電天雷急雷疾雷しつらい迅雷じんらい霹靂へきれき雷公遠雷春雷界雷熱雷落雷稲妻いなずま稲光いなびかり電光紫電しでん百雷万雷

いかずち〔いかづち〕【雷】

《「いか」の意。「」は助詞》かみなり。なるかみ。 夏》「―に松籟しょうらいどっと乱れ落つ/茅舎
[類語]鳴る神らい雷鳴雷電天雷急雷疾雷しつらい迅雷じんらい霹靂へきれき雷公遠雷春雷界雷熱雷落雷稲妻いなずま稲光いなびかり電光紫電しでん

らい【雷】[漢字項目]

常用漢字] [音]ライ(呉)(漢) [訓]かみなり いかずち
かみなり。「雷雨雷雲雷光雷電雷同雷鳴遠雷春雷迅雷落雷避雷針
うるさく響くもの。「蚊雷ぶんらい
世に知れ渡るもの。「雷名
爆発力の大きい兵器。「雷管雷撃機雷魚雷地雷爆雷
[名のり]あずま

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雷」の意味・わかりやすい解説


かみなり
thunderstorm

電光が見え、雷鳴が聞こえる天気状態。遠方の雷は、電光が見えても雷鳴は聞こえない。そこで気象庁では、観測地点の天気状態を表現するにあたって冒頭のように規定している。

[三崎方郎]

雷の成因

雷は強い上昇気流によって発生した積乱雲に伴っておこる。積乱雲の中では上昇気流と降水粒子(雨滴、氷晶、あられなど)の相互作用の結果、初めは電気的に中性であった雲の中で正負の電気の分離がおこり、雲の下層から中層にかけて負電荷が、上層に正電荷が蓄積される。正電荷、負電荷の蓄積量がそれぞれ20クーロンほどに達すると、電光放電がおこる。積乱雲が初めて電光放電を生じた時点を発雷という。発雷後も電気の蓄積と電光放電による中和の繰り返しがおこるが、最盛期にはその頻度は1分間に数回にも達する。

 雷は積雲程度の弱い対流では発生しない。強い上昇気流が必要である。それをおこす原因の違いによって熱雷、界雷(または前線雷)、渦雷(低気圧雷)などの呼び名があるが、実際にはこれらの原因が複合する場合も多い。熱雷がおこるのは、日射によって地面が強く熱せられると同時に、上空に寒冷な空気が流入した場合である。これによって下層の多湿な空気が強い浮力を与えられて上昇し、雲頂が対流圏の頂部、すなわち圏界面とよばれる高さ約10~15キロメートル近くまで達することによっておこる。夏季の雷の典型である。界雷は寒冷前線の突入によって暖気が急激に押し上げられた場合で、冬季の雷はこれに属する。冬季は地表面の温度がすでに氷点に近いので、雲頂高度は夏季雷より低くとも発雷する。

[三崎方郎]

雷の発生日数

年間雷雨日数の世界分布は、低緯度の陸地、とくに南アメリカとアフリカでもっとも多く、年間200日に近い地方がある。東南アジアがこれに次ぐ。日本では、1998(平成10)~2002年の5年間をみると、北海道地方各地では年間10日以下でもっとも少なく、関東、近畿、九州地方で10~30日、北陸地方では40~60日ともっとも多い。北陸で年間の雷日数が多いのは冬季の雷が多いためである。たとえば金沢では、冬季6か月間の雷日数は年間のそれの60%にも達している。

[三崎方郎]

雷雲の構造

雷雲を構成する対流構造の最小単位を雷雨細胞(セルcell)という。幼年期の細胞は直径も高さも5キロメートルほどで、上昇気流が全域を占める。細胞の側面からも空気が細胞に吸い込まれるので、上昇気流は雲頂に近いほど強くなる。最盛期になると細胞の直径は10~20キロメートルとなり、雲頂は圏界面に達し、上昇気流は毎秒10メートルを超える部分も出てくる。驟雨(しゅうう)が降り始めると、地面がぬれて冷えるので、対流作用は衰えてくる。消滅期には弱い下降気流が細胞の全域にわたり、地上では弱い雨が続く。

 最盛期の細胞が衰弱せずに持続するためには、高温多湿な空気を絶えず取り入れて、大気の不安定状態を持続する仕組みが必要である。前線に熱雷発生の条件が加わると、大形で激しく、かつ持続性のある細胞が生まれる。これを超大細胞(スーパーセルsuper cell)という。断面図(図Aの左)でみると、雲の進行側の底面から侵入し、斜め上後方に向かう湿った強い上昇流がある。その中では水蒸気が凝結して雨や雪になるので潜熱が放出され、それによって空気は暖められるため、さらに浮力を増す。こうして圏界面に達した雲は水平に流れ出て雷雲の鉄床(かなとこ)部を形成する。この高度では気温が零下50℃にもなるので、雲粒はすべて氷晶である。下降流は雲の背面の中層から侵入し、上昇流の下側を通って雲底に抜ける。上空から落ちてきた雪やあられがこの下降域を通過するとき、一部が蒸発するので空気を冷却し、その下降をいっそう助ける。雲底に抜けた下降流の一部は雲の進行方向に向かうが、これが雷雨の際によく経験される一陣の涼風である。最盛期の細胞の中では、このように凝結と蒸発のサイクルによって上昇流と下降流よりなる対流系がしばらくの間保持されるのである。

 通常の細胞の寿命は1時間に満たない。一つの雷雲ではこうした雷雨細胞が交互に発生するので、全体としての継続時間は平均2~3時間であるが、10時間を超えることもある。この間、界雷ならば前線の進行につれて移動する。熱雷であっても上層風や地形によって移動する。その速度は普通毎時数十キロメートルである。関東地方では北西の山岳部に発生した熱雷は平野部に出て南東に進行することが多い。

[三崎方郎]

雷雲内の電荷発生機構

雷雲内の電荷の分布を測定してみると、雲の上部には正電荷が分布し、雲の中部から下部にかけてほぼ同量の負の電荷が分布していることがわかる。これは、1930年代の終わりにイギリスのシンプソンG. C. Simpsonらが行った気球観測で知られたことであるが、その後、世界各地で行われた多くの観測によっても大筋では異論なく認められている。シンプソンはなお、雲底の近くに正電荷が蓄積されている小領域があることもみいだしているが、これをポケット電荷とよんでいる。雲の中で正負の電荷が蓄積される平均的な位置は、メートル高度で示すより、温度高度で示したほうが都合がよい。対流圏の中では気温はほぼ一定の減率で上空ほど低温になっているので、地上気温が決まればメートル高度と温度高度との間にはいちおうの対応がある。電荷の位置をメートル高度で示すと、観測点の緯度や季節によってまちまちの値になってしまうが、温度高度で示すとほぼ一定の値になるのである。2000年代当初までの結果をまとめると、おもな正電荷はおよそ零下30℃の高度より高いところに、負電荷はそれより下に分布していて、その中心は零下15℃あたりの高度に位置している(図Aの右)。そしてその電気量は正負それぞれほぼ等量で、10~40クーロンと推定されている。なお、零下30℃の高度といえば、中緯度の夏季であれば約9キロメートルに相当する。しかし冬季なら約3キロメートルとなる。たとえば冬の北陸の雷でも実際にそうなっていることが確かめられている。

 雷雲の中では正負の電荷が分離して、正は上部に、負は下部に分布しているということが観測によってわかったが、初め中性であった雲の中でどのようにしてこのような電荷の分離が行われるのかについては、いまだに確定した説がない。前にも述べたように、雷雲の中では激しい上昇気流があり、しかも電荷の分離はその領域で行われている。氷晶や雪片などの小さな降水粒子は吹き上げられ、あられなどの大粒な降水粒子で、上昇気流より大きい落下速度をもつものが落ちてくる。したがって、小さな降水粒子が正に、大きな降水粒子が負に帯電するような仕組みが解明されれば、雷雲の中でどうして電気が発生するのかが説明されるはずである。

 正電荷や負電荷が蓄積される高度では、前にも述べたように気温が氷点よりかなり低いので、降水粒子は未凍結の雨滴の状態では存在しえない。したがってその帯電機構はいずれ氷晶とかあられに関係したものである。そこで、これまでに、雪の成長過程、氷晶とあられの間の摩擦、氷の中での温度勾配(こうばい)による分極作用など、さまざまな過程が考えられてきたが、そのなかで現在もっとも有力視されているのが高橋劭(つとむ)(1935― )が提唱した「着氷電荷発生説」である。この説によると、あられと氷晶とが衝突する際に電荷が生成され、周辺の気温が零下10℃以下のときにはあられが負に、氷晶が正に帯電し、零下10℃以上ではその極性が反転するという。この説にしても雷雲帯電機構のすべてを説明するまでには至っていない。

[三崎方郎]

電光放電機構

雷放電は瞬時に数キロメートルの長さにわたって大電流を流す放電である。このような長距離にわたる放電がいかにしておこりうるかが第一の疑問であった。落雷は雲と地面の間の電光放電であるので、雲の中の放電と違って放電路の写真観測ができる。そこで放電機構の詳細はまず落雷について明らかになった。この研究に用いられる特殊カメラは、考案者であるイギリスのボイスC. V. Boysの名をとってボイスカメラとよばれているが、このカメラではレンズがフィルムに対して一つの円周上を高速回転している。それでこのカメラで電光を撮影すると、ストリーマーstreamer(線状の閃光(せんこう))の影像が静止カメラのそれと比べて時間差によるずれを生ずるので、それを読み取ればストリーマーの形や位置ばかりでなく、それが延びる速度を求めることができる。図Bはこれをモデル化して描いたものである。肉眼では一瞬に見える落雷の間に、数個の雷撃が約0.05秒の間隔で繰り返されている。これを多重雷撃という。落雷のなかには1回の雷撃で終わるものもあるが、それは全体の4分の1にすぎず、普通は3回か4回の多重雷撃で、これらを含む全体の継続時間は約0.3秒である。ときには10回以上という多重雷撃もある。

 さらに細かくみると、各雷撃はそれぞれ雲から地面に向かう前駆と、その直後におこる帰還雷撃よりなっていることがわかる。前駆雷撃は雲の中の負電荷を導き、かつ電離された道筋を大気中につくりだすものと理解されている。とくに第1雷撃の前駆は図Bにみられるように特殊な構造をもっており、階段状前駆とよばれる。この前駆では、雲底から50マイクロ秒の時間間隔でストリーマーが次々と延び出して停止する。このとき、あとのストリーマーは直前のストリーマーの停止点よりさらに50メートル延長した点で停止する。これは空気の絶縁を破壊して放電路を開拓するために必要な過程なのである。階段状前駆が地面に近づくと、最後の数メートルから数十メートルは地面から放たれたストリーマーで結合し、その瞬間強い明るさのストリーマーが、前駆によって開拓された放電路をたどって大地から雲に向かう。これが帰還雷撃で、瞬間的には数万アンペアの大電流が流れている。こうして雲の下部の負電荷が中和される。第2雷撃以下の前駆は雲の中のさらに上部の負電荷を導いて地面に向かう。このときには第1雷撃の放電路の電離状態がまだ完全には消滅していないので、それとまったく同じ放電路をたどる。そしてこのときは第1雷撃の階段状前駆のように途中で停止することなく地面まで達する。これを矢形前駆という。自然の落雷では前駆はいま述べたように雲底から始まって地面に向かうが、超高層ビルのように著しく突出した構造物に対する落雷では、前駆はビルの先端から始まって雲底に向かう。このような雷撃をトリガード雷撃triggered lightning(触発された雷撃)とよぶが、このような構造物に落雷する確率が著しく高くなる理由として注意すべきである。

 帰還雷撃の継続時間は60マイクロ秒程度であるが、ときとしてその1000倍から1万倍も長い時間にわたることがある(図Bの第3雷撃に続く影線)。この間、100~1000アンペアの電流が連続して流れている。落雷で出火するのはこの種の雷撃であって、「熱い雷放電」とよばれ、落雷総数のうちの20~25%を占めている。これに対して、前記の連続電流を含まない雷撃では、機械的な破壊を伴うだけで、焼痕(しょうこん)を残すことがないので「冷たい雷放電」ともよばれる。

 以上は夏の雷の標準的な落雷特性であるが、冬の雷の特性はこれとかなり異なることが、1970年代後半から1980年代にかけて名古屋大学空電研究所(当時)の竹内利雄(1931― )らによって発見され、その後北欧の冬雷についても同じことが確かめられている。夏の落雷は雲の負電荷が地面に落ちるのに反して、冬の雷では多くの落雷で正電荷が雲から大地に落ちている。これは、冬の雷雲では雲頂近くの風速が下層と比べて相当に大きいため、正負の電荷の中心を連ねる軸が雷雲の進行方向に前傾していることに由来する。雷の上部の正電荷から始まった放電は、直下に負電荷がないために直接地面に到達して落雷になる。また連続電流を含む雷撃すなわち「熱い雷放電」が大多数を占める。さらに1回の放電で中和される電気量も電流も夏の雷に比べて大きい。冬の雷は前にも記したように、雲頂が低く一見して雷雲であると気づかないこともあるうえ、しばしば大きな被害をもたらすので、北陸では「一発雷」といわれて恐れられている。

[三崎方郎]

避雷の心得

落雷を避けるうえで確実に安全な場所は、接地した金属の板もしくは網ですきまなく囲まれた箱の内部である。これはファラデー・ケージといって、理論的にも完全な安全性が保証されるが、現実の生活では望めない。実際上これに近いものは、鉄筋の入ったコンクリートの建物、電車、自動車で、これらの中にいればまず安全である。避雷針は、その先端を頂点とし、鉛直軸に対して60度の開き(保護角という)をもつ円錐(えんすい)形の中をいちおうの安全領域としているが、この保証は絶対的なものではない。避雷針に近い場所ほど安全性は高まるので、油タンクなどの危険物に対する避雷針では、保護角を45度以下にとるように定められている。家屋の中にいる場合にも、電灯線、テレビ、電話機などに近づかないことや、木造の家であれば、窓ぎわや壁に寄りかからないようにすることが肝要である。落雷を直接に受けなくても、付近に落雷すれば身近にある電線にはかなり大きな誘導電流が流れるから、電気器具類はプラグを外しておいたほうがよい。

 野外で雷にあったときは問題が多い。近くに避難できる小屋がなければ、洞窟(どうくつ)や凹地で姿勢をできる限り低くすることが肝要である。首から上に傘などの金属製のものを差し出してはいけない。林の中も避難場所となるが、とりわけ大きな木の付近は避け、個々の木からも数メートルは離れたほうがよい。幹に寄りかかるのはもっとも危険である。

 山頂や尾根はきわめて危険な地形であるばかりでなく、岩場であることが多いので、特殊な注意が必要である。岩場は電気抵抗が高いので、雷撃電流が落雷点で吸収されず、付近一帯の岩の表面を掃いて流れる。このため集団登山者が1回の落雷で多数死傷したりする。沿面放電は岩の小さな割れ目などは飛び越えて流れるから、このような場所では凹地であっても上半身が露出していれば電流の通路にあたるので、かえって危険である。大きな岩を避雷針と見立てて、その頂上を仰角45度以上で見る範囲の中で姿勢を低くするのがよい。しかし岩に近づきすぎたり、岩に寄りかかってはいけない。とにかく山では襲雷を一刻も早く察知することが必要である。このためには雷雨予報に注意し、ラジオ受信機の雑音に注意する。雲に覆われ、雹(ひょう)が降りだしたら危険は間近だと考えるべきである。

 落雷による年間の平均死亡者数は、日本では1960年代には約35名であったが、その後漸減して1990年代には約5名になった(警察白書)。アメリカでは1959~1994年の平均で約90名が約50名に減少している。雷撃を受けた人の体には痛ましい火傷が目だつが、雷撃による火傷は短時日に治癒する性質のもので、死因とはならない。死因は、体内を流れる電流による呼吸器系と心臓の麻痺(まひ)によるものである。雷撃を受けると呼吸も心臓も止まるから、そのまま放置すればまもなく死亡する。一刻も早く人工呼吸と心臓マッサージを行うことによって、多くの場合蘇生(そせい)するといわれる。

[三崎方郎]

雷と諸民族の意味づけ

雷鳴、稲光、落雷などの諸現象は、地震、日食、月食、流星、虹(にじ)などの特異な自然現象とともに、世界各地の諸民族の間でさまざまな意味づけが行われている。これらの諸現象は、人間の力の及ぶ範囲をはるかに超えて生起するものであり、その出現を予測することはむずかしく、人間の日常的知識の枠組みのなかには、かならずしも収まりきれないものであった。とくに落雷や地震は、それ自体で人命を奪うことさえある圧倒的な力そのものであり、その点でとくに人間が関心を向けるものであった。これらの諸現象に対してなんらかの背景を与えることによって、各民族はこれらの現象を知識の枠組みに組み込もうと努力し、それを説明可能なものとすることによって、自然に対する恐れを取り除こうとしてきたのである。

 雷に対する各民族の意味づけには、さまざまな形態があり、各民族のもつ世界観・宇宙論のなかで雷が占める位置の相違によって、雷に関する信仰は民族ごとに異なった様相を示している。マレー半島ネグリト系の民族の間では、雷は神の不機嫌や怒りの表れとされている。神は、人間のある種の行為、たとえば人を殺すこと、近親相姦(そうかん)を犯すこと、動物をからかうこと、鏡のなかの自分の顔を見て笑うこと、神に捧(ささ)げるべき血を吸ったヒルを焼くこと、などに対して怒りを表すとされており、この怒りが雷という形で天から地上に届くのである。この神の怒りを鎮めるためには、神に血を捧げることが必要とされ、雷がとくに激しい場合には、落雷の危険を避けるために、神に対し雷がやむように祈りと血を捧げる。これを行わなければ、落雷によって木が倒され、その結果、洪水がおこり、人々は押し流されてしまうと信じられている。

 以上と同様な信仰はボルネオ島のプナン人やガジュ人の間にもみられるが、より一般化した形で雷を天上の神と結び付ける信仰は世界各地にみられる。たとえば、ギリシア神話の最高神であるゼウスも雷神の性格を備えており、その武器は雷霆(らいてい)と稲光であった。ギリシア神話と同じくインド・ヨーロッパ語族系であるインド神話のなかのインドラ神や北欧神話のなかのトール神も雷神であり、やはり雷霆を武器としていた。また、古代中国の最高神であった上帝も、その神性の表れは雷であった。メキシコインディオ諸族も雷神あるいは稲妻の神といった存在を信仰していた。

 特定の石や樹木をそれぞれ雷石、雷木として、聖なるものとみなす習慣も諸民族の間にみられる。また、雷を鳥と結び付けて考える信仰も広くみられる。北米先住民のトリンギト人の間では、雷は雷鳥の羽ばたきによっておこるとされている。雷鳥の背中には大きな湖があり、そのため、雷鳥の羽ばたきにより、雷に伴って多量の雨が降ると信じられている。同じく北米先住民のマンダン人やヒダツァ人も、雷は雷鳥の羽ばたきによっておこるとしており、ミウォク人は大カケスの一種をこの雷鳥としている。また、シベリアのオロチ人の間では、シャーマンの守護霊が雷鳥である。シャーマンは脱魂状態に入り、守護霊の雷鳥がシャーマンに化身して天空へ飛行するとされ、悪霊に奪われた病人の霊魂を霊界においてシャーマンが取り戻すことによって、病気が治癒すると信じられている。

 以上のように、雷というものに対し、世界各地の諸民族はさまざまな意味づけを行っており、その形態は民族ごとに異なっている。しかし、その根底には、雷という人間の力を超えた現象に対し、なんらかの形での説明を試みるという共通性がみられる。

[栗田博之]

雷と民俗

雷が自然現象とされなかった段階では、人々は雷は天にいる神の荒々しく動き回る姿と信じ、落雷すると雷獣というものになったとして捕らえようとして追い回したなどの記録がある。岡山県には、昔、雷の害があまりにひどいので、雷除(よ)けの祈祷(きとう)をしたところ、夕立なかばに松の木に落雷し、怪獣がうろついていた。それを僧が捕らえて、以後けっして害をせぬとの誓約をさせて放してやった。そのおかげでこの村は落雷などの被害がない、と伝えた所がある。古典の記載によると、古くは小童や蛇の形をとって現れると考えられ、その後菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る北野天神を中心とする御霊(ごりょう)信仰が広まると、これと結び付いて、雷神信仰天神信仰に吸収されていった観がある。しかし、雷はもともと農耕生活にいたって縁の深いもので、ことに、生育中の稲が雷の訪れによって穂ばらみするとの観念は全国的である。電光をイナズマとよぶのは、「稲の夫(つま)」の意であろう。年越(節分)のときの豆をとっておいて、初めて雷の鳴ったとき食べると、夏病(なつや)みしない、などというのもその類である。冬、雷が鳴るとその年は豊年と伝える地方もあり、雷の落ちた田には青竹を張って祀る地方もあった。茨城県下では、苗代のころ雷が鳴ると、割り竹をたたいて追い払う。これをカンダチオイ(神立ち追い)というが、神の示現の素朴な姿を思わせるものがある。

 豊作をもたらす反面、災いを及ぼすことの多いこうした霊威に対しては、人々の対応には矛盾したものがみられる。ある土地で「元日に雷が鳴ると米・黍(きび)熟す」と伝え、別の土地で「元日に雷あれば人災あり」と伝えたのも、その例といえる。雷を除ける呪(まじな)いとしては、蚊帳(かや)に入るとか、線香を立てるとか、草鞋(わらじ)を片足つくってそれを捨てるとか種々の法があったが、「桑原(くわばら)桑原」と唱えるのもその一つで、この呪文(じゅもん)はすでに謡曲『道成寺(どうじょうじ)』、狂言『神鳴(かみなり)』にみえている。このことばの由来は、菅原天神の領地のあった地名からきたとする江戸時代中期の小野高尚の『夏山雑談(なつやまざつだん)』の解説に従うことが多いが、確かなことはわかっていない。

[萩原龍夫]

『金原淳著『空電』(1944・河出書房)』『「雷神信仰の変遷」(『定本柳田国男集9』所収・1962・筑摩書房)』『孫野長治著『雲と雷の科学』(1969・日本放送出版協会)』『畠山久尚著『雷の科学』(1970・河出書房新社)』『原田大六著『雷雲の神話』(1978・三一書房)』『佐尾和夫著『空電――雷の電波ふく射をめぐって』(1981・成山堂書店)』『高橋劭著『雲の物理――雲粒形成から雲運動まで』(1987・東京堂出版)』『竹内利雄著『雷放電現象』(1987・名古屋大学出版会)』『上之園親佐監修『雷――その被害と対策』(1988・教育社)』『饗庭貢著『雷の科学』(1990・コロナ社)』『橋本信雄著『雷とサージ――発生のしくみから被害防止まで』(1991・電気書院)』『速水敏幸著『謎だらけ・雷の科学――高電圧と放電の初歩の初歩』(1996・講談社)』『北川信一郎・河善一郎・三浦和彦・道本光一郎編著『大気電気学』(1996・東海大学出版会)』『道本光一郎著『冬季雷の科学』(1998・コロナ社)』『岡野大祐著『カミナリはここに落ちる――雷から身を守る新しい常識』(1998・オーム社)』『北川信一郎著『雷と雷雲の科学――雷から身を守るには』(2001・森北出版)』『李均洋著『雷神・龍神思想と信仰――日・中言語文化の比較研究』(2001・明石書店)』『北川信一郎監修、かこさとし作『天地のドラマ すごい雷大研究』(2001・小峰書店)』『日本大気電気学会編『大気電気学概論』(2003・コロナ社)』『ピーター・ハッセ、ヨハネス・ヴィジンガー著、加藤幸二郎・森春元訳『雷保護と接地マニュアル――IT社会のアキレス腱』(2003・東京電機大学出版局)』『中谷宇吉郎著『雷』(岩波新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「雷」の意味・わかりやすい解説

雷 (かみなり)

大気は導電率がきわめて低く,通常は絶縁体として扱われる。ところが大気に加わる電位差が1mあたり5×105Vをこえると,この絶縁が破壊され(大気の電離破壊が起こり),火花がとんで,瞬間的に電流が流れる。この種の放電を火花放電スパークと呼ぶ。自然が起こす火花放電が雷で,このとき放射される光が電光,稲妻,あるいは稲光lightningで,音が雷鳴thunderである。この火花放電は,雨,雪,ひょう等を降らせる対流雲の発電作用によって生じ,規模はきわめて大きく,放電路の長さは2~20km(代表値5km)で,中和する電荷は3~300C(代表値25C)である。

 また,火山の噴煙による電荷分離作用が火花放電を起こす場合があり,火山雷と呼ばれる。大火災,大気中の核爆発によっても大規模火花放電を生ずることがあり,前者は火事雷と呼ばれる。

雨,雪,あられ,ひょう等を降らせる対流雲は,程度の差はあるが,すべて正負電荷を分離する発電作用がある。この発電作用がとくに強く,大気の絶縁破壊,火花放電を起こす雲が雷雲である。

 雷雲の発生は夏が多いが,季節を問わず前線の通過に伴って雷が起こることがあり,日本海沿岸の地方では,冬季シベリアからの寒気の吹出しで生ずる雪雲の中でしばしば雷が起こる。夏の雷雲,あるいは熱帯地域の雷雲は,雲頂が地上8kmから16kmに達し,対流雲の中ではもっとも背が高いものに属する。これに対し,冬の日本海沿岸の対流雲は,雲頂高度3~6kmで雷を起こす。雷雲の高さを地表からの距離で表すと,緯度と季節でまちまちになるが,高さをそのレベルの気温で表すと,雷雲は共通して-20℃,あるいはさらに気温の低い上層まで発達している。

雷雲は雷雨細胞(雷雨セル)thunderstorm cellからなる雲の集団であり,単位となっている細胞は,上昇と下降の気流の対からなる直径3~5kmの対流雲で,幼年期,成年期,老年期という経過をたどる寿命45分程度のきわめて短命の気象現象である。幼年期の雲は,多量に水蒸気を含む下層大気の上昇でつくられ,成年期では上昇気流がいっそう強まり,雲の上部に大粒のひょうが形成され,その激しい落下運動にひきずられて下降気流が生じ,図1に示す上昇,下降の気流の対ができる。上昇気流がおとろえると雲の発達はやみ,下降気流だけからなる老年期に入り,雲は消滅する。長時間活動をつづける雷雲中では,つぎつぎと新しい細胞が発達し,広域にわたる雷雨では,多数の細胞が同時に活動する。夏の激しい雷雨は,前線とともに毎時20~40kmで移動するものが多く,このときは進行方向につぎつぎと新しい細胞が発生する。

雷雲を形成する上昇気流の成因によって,雷雨を界雷,熱雷,渦雷の三つに分けている。(1)界雷,前線雷 一般に雷雨は,寒暖気温の異なる二つの気団の境界面で発生することが多く,放電活動の激しい雷雨は寒冷前線上に発生することが多い。(2)熱雷,気団雷 同一気団内でも,高度による気温低下が標準状態より著しく大きくなると大気は不安定となり,雷雲を発生する。夏の午後に内陸や山岳地域で発生する雷雨,冬季に海上で発生する雷雨がこれに属する。(3)渦雷,低気圧性雷 低気圧によって生ずる雷雨で,ことに台風に伴ってしばしば発生する。実際の雷雨は複合した原因で形成されることが多く,夏の雷雨の大多数は熱的界雷に分類される。

雷の地域分布は,1年間の雷雨日数で示される。雷放電(電光,雷鳴)が観測される日は,その回数は問わず雷雨日として計上される。雷雨日数の等しい地点を結ぶ線を等雷雨日数線isokeraunic level(IKL)と呼び,雷雨の地域分布を表すのに用いられる。日本の年間の雷雨日数分布を図2に示す。日本の年間雷雨日数がもっとも多い地域では,年間35~40日であるが,世界の分布を見ると一般に熱帯の陸地がもっとも多く,アフリカあるいは中南米には3日に1日くらいの割合で雷雨が発生する地域がある。

成年期の雷雨細胞の電荷分布を図3に示す。雲の上部に広く正電荷が分布し,ひょうの激しく降る領域に負電荷が濃密に分布する。雲底付近に局部的な正電荷が観測される例もしばしば見られる。正負相互に吸引する電気力に抗して電荷を引き離し図3のような電荷分布をつくる原動力は,雲粒を吹き上げる上昇気流と大粒のひょうを落下させる重力の働きであることは判明しているが,雲粒に正,ひょうに負という最初の電荷分離を起こす機構については,従来の学説はどれも不十分で,研究が続行されている。この電荷分離は-20~-40℃の低温域で行われているので,氷と氷の接触する界面現象に起因すると考えられている。

図3に示す雲中の負電荷と,地表に誘導される正電荷との間に起こる放電が,落雷であり,雲中の正負両電荷の間の放電は雲放電と呼ばれる。背の低い冬の雷雲では,上部の正電荷と地表との間で放電を起こす落雷もしばしば発生する。雲放電の場合は厚い雲にさえぎられて放電路を直視できない場合が多く,夜間では雲全体が明るく輝くのが見られ,これを幕電という(図5-a)。落雷の場合は雲底下に現れる放電路を直視することができる。通常の落雷では,大気の絶縁破壊が雲中の電荷から始まって,大地に向かって進む。この場合,図5-bに見るように雲と大地を結ぶ主放電路に加え下向きの枝分れが現れることが多く,樹枝状放電と呼ばれる。高い塔や山頂への落雷の場合,図5-cのように上向きの枝分れが見られることがあり,この場合は最初の大気の絶縁破壊は,塔,山頂から始まる。

 落雷,雲放電ともに放電の規模は同程度であり,長さは2~20km(代表値5km)で,0.1~1.0秒(代表値0.4秒)にわたって多数の火花放電をくりかえし,雷雲細胞に分布する電荷の大部分を中和しつくす。落雷の場合は雷撃strokeと呼ばれる雲と大地を結ぶ放電を1~14回くりかえす。図5-dは回転カメラで撮影した落雷で,四つの雷撃を含む例である。

多数の模擬雷撃実験や人体への落雷事故の精密な調査,研究により,従来流布している心得や考え方には根拠のないものが多いことが判明した。この研究により以下のような知見が得られている。(1)落雷に対しては,皮膚,衣服,帽子,靴等--雨合羽もゴム長靴も--すべて雷撃電流を阻止する絶縁効果はなく,直立する人体は頭から両足まで300Ωの電気の導体として作用する。(2)人体面に沿っては,空気の絶縁が非常に破壊されやすくなっていて,物体がなく空気だけのときにくらべ,約1/2の電位差で火花放電が進展する。その結果,体内を流れる電流(体内電流)だけでなく,体表に沿った空気中での放電,つまり沿面放電による電流が加わり,落雷にとって人体はきわめて通りやすい通路となっている(図4参照)。(3)沿面放電は,人体に火傷や電紋(赤灰色の細かい分枝をもつ樹枝状の模様)を生じさせるが,これは皮膚の軽度の熱傷で,容易に治癒する。(4)死因は呼吸停止,心臓停止で,体内電流によるエネルギー(電流×電圧×時間)が体重にくらべ一定量をこえるときに起こる。体内電流の割合が小さく致死レベルにいたらないときは,後遺症なしに回復する。雷撃直後の人工呼吸,心臓マッサージは有効な救急手段となる。(5)身体につけた金属製品があると,そのまわりに集中的に沿面放電が起こり火傷を生ずるが軽度のもので,致命的な体内電流はそれだけ減少する。(6)落雷を誘引するのは,人体の帯びる金属ではなく,人体そのものである。頭より上方に突出する物体があると,金属,非金属にかかわらず--釣竿でも木製バットでも--落雷を誘引する効果が増大する。雷にうたれないためには,姿勢を低くすることが大切で,金属をすてても少しも安全にはならない。(7)樹木,避雷針のないポール,煙突等の近くは二つの理由で平たん地より危険である。第1にこれらのものは人体より落雷を誘引しやすく,第2にこれに落雷すると雷撃電流の主流が人体に移行するからである。これを防ぐには,これらの物体,枝先,葉先等すべての突端から2m以上はなれている必要がある。
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雷の諸現象のうち,ことに落雷は古代人には神の怒りの表現として恐れられ,早くから雷は崇拝の対象とされていた。マレー半島のジャングルに住むセマン族と呼ばれる小人族(ネグリト)は,民族学者の一部によって最原始的民族の一つといわれるものであるが,彼らは〈カリ〉と呼ばれる雷神を最高神,創造主として仰いでいた。中国の上帝にしろ,ギリシアのゼウス,ローマのユピテルにしろ,いずれも天空の最高神として崇拝されているが,その神性を雷電をもって表していた。

 日本においても出雲系の神には雷神の性質をもったものが多く,そのほか記紀には八雷神をはじめ,火神軻遇突智(かぐつち)が切られたとき生まれた雷神などが知られている。《万葉集》巻三に〈伊加土(いかづち)〉という用語例があり,イカは〈厳〉を意味する形容詞の語根で,ツチは〈ミヅチ(蛟)〉のツチと同じく蛇の連想を有する精霊の名であったらしい。方言にカンダチといっているが,これは神の示現という意味であり,落雷をアマルというのも〈アモル(天降る)〉の意味だとされている。これらはいずれも雷を神とする考えを示すもので,かつては神が紫電金線の光をもってこの世に下るものと考えられていたのである。雷が蛇の形をもって出現することは,《古事記》雄略天皇条の小子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)が雷をとらえた話によっても明らかであるが,雷はまた稲との関連が深かった。それはイナズマ,イナビカリ,イナツルミなどという語が中世以後見えることによっても知られるが,いまなお農村では稲田に落雷すると青竹を立て注連(しめ)を張って祭る習俗が各地に残っている。雷が雨を伴うので雷神は古くから水神の属性をもっていた。《日本霊異記》の道場法師の伝説では,雷をとらえた話と水を得た話とがなんの関連もなく記されているが,《今昔物語集》の越後の神融聖人の話では,とらえられた雷が水を与えることを約束して天に帰ることを得ている。各地に伝えられる雷石,雷松の伝説中には雨乞いと関連したものがある。雷が小童の形で出現することは《日本霊異記》《今昔物語集》の前記の話に見られるが,道場法師が力くらべをした際には深さ3寸の足跡が残ったといわれ,巨人伝説との関連が考えられ,別雷神(わけいかずちのかみ)の伝承や《常陸国風土記》の晡時臥山の伝説などと関連して,この世に降臨した神が異常に成長をとげる話に発展していく経路を示している。平安朝にはいって急速に広まった御霊(ごりよう)信仰によって雷神信仰は天神信仰に統一され,北野天神の眷族(けんぞく)神として低い位置にとどまるようになった。同時に御霊信仰は,人間にとって恐るべき神の存在を強く押し出したものであるため,これによって雷の性格が決定されることになった。

 中国においても雷はと連想されており,水の乏しい時期から雨の多い季節に移り変わる6月のころに雷鳴や稲妻を伴う降雨が大旋風の後に乾ききった大地の上におとずれるありさまが深い印象を古代人に与え,竜が地中から天に上るというような考えを生み出したといわれている。華北では雷神は太鼓と連想され,また車に乗って遊行すると考えられている。華南では雷神は羽のはえた猪とか猿とかに似たものと考えられ,汚物に触れると通力を失ってとらえられやすくなると考えられている。武器として石斧を利用しているが,この雷斧の信仰は世界各国に共通である。夕立の際に平素見なれぬ動物がまぎれ出ることが雷獣とか雷鳥とかいう考えを生み出したらしいが,アメリカ・インディアンの間では巨大な鳥が雷鳥として考えられ,そのはばたきによって雷鳴や電光が生ずると信ぜられている。

 日本の雷神に関する絵や彫刻は古くから非常に多く残されている。絵では,平泉の中尊寺にある《最勝王経十界曼荼羅》に雷が描かれているところから,平安時代にすでに雷を絵に表現することが行われていたことがわかる。また京都の建仁寺にある俵屋宗達の描いたものや,元禄時代(1688-1704)の尾形光琳の筆になるものもある。彫刻では日光の東照宮にあるものや,京都の三十三間堂にあるものが有名である。雷神とは別に,雷の正体は獣であるとも考えられた。雷獣の絵として現代に伝わっているものがかなりあるが,形は描く人によってまちまちである。これらの雷獣の絵に共通のことは,いずれもそれらが割合小さなものと考えられていること,爪が鋭いことなどである。雷獣などを考えたのはもちろん中国からはいった思想をそのまま信じた結果と見て間違いない。落雷した木の皮の裂けているのが,ちょうど爪で引っかいたように見えることから,爪をもった獣を想像したものと考えられる。

 また雷に関する説話としては《耳袋》に,陣笠をかぶり馬に乗った雷公を見た話がある。話の筋は,一人の武士が雷雨の激しい夜,自宅に急ぐ途中,近雷に驚いた乗馬がある家の戸を蹴破って乱入した。これをその家の人は落雷と思いこんで,雷公は馬に乗り陣笠のようなものをかぶり,落ちてしばらくしてから馬を引き返し,雲の中に沓音がしたが,だんだんそれが遠くなっていったと伝えたものである。菅原道真にまつわる伝説も雷とは大いに関係がある。《菅原伝授手習鑑》の〈天拝山の場〉では,菅公が無実の罪をうらんで天に祈り,やがて公の霊が雷となって京都に落ち,都の人々をふるえあがらせることになっている。同じ話が謡曲では《雷電》の一番となっている。雷のときに〈くわばら,くわばら〉と唱えごとをすると落雷が避けられるという言い伝えがあるが,これも菅公に関係がある。京都の桑原という所はむかし菅公の邸のあった所で,ほうぼうに落雷があったのに,この桑原には一度も落ちず,雷の災を受けなかったということである。それで雷の鳴るときには〈くわばら,くわばら〉と唱えてまじないをしたのが始まりとされている。しかしこの唱えごとについては桑のもつ神聖な力に保護を依頼する信仰がはたらいていただろうともいわれる。

 〈雷にへそをとられる〉というのは,裸でいることをいましめたものと思われる。雷はふつう夏に起こる現象で,午後になって雷雨が起こるような日は,朝からむしむしと暑いものである。ところが雷雨が起こるとその雨滴が高い所にある冷たい空気を降ろしてくることにより急に涼しくなるので,裸のままでいるのはからだのためによくないからである。それで雷はへそをとるといって,遠雷が鳴りだすとすぐ子どもに腹がけをさせたりする習慣をつくり出したものと思われる。雷雨の際に雷の斧とか雷の玉,雷の槌とかが降ったといわれることもある。よく調べてみると,その多くは石器時代の遺物で,石斧類のものが多い。雷雨のあとではこれらの石器の類が雨水に洗われて地上に露出することが多く,人の目につきやすくなるので雷雨と関係づけて考えられるようになったと思われる。こういう石器類のほかに,実際に落雷の電流によって砂が溶けて塊になった雷石(フルグライトfulgurite)と,筒状になったライトニング・チューブlightning tubeがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雷」の意味・わかりやすい解説


かみなり

発達した積乱雲(雷雲)の中で発生する電光(雷放電),雷鳴,強いなどを伴った気象現象。雷雨ともいわれる。おもに夏季に積乱雲を伴う激しい上昇気流のあるところに発生する熱雷のほか,寒冷前線に沿って四季を通じて発生する界雷や,低気圧域内や台風内で発生する渦雷などに大別される。雷の発生は,積乱雲の中の氷晶の激しい昇降による荷電現象が原因とされており,一般的に-10~-20℃層に負電荷,その上層に正電荷が分布し,負電荷の下に局所的に正電荷があるという三極構造の場合が多い。中層の負電荷と下層の正電荷は強い降水域と対応し,上層の正電荷は氷晶により起こると考えられている。雷雲内の電荷の分離機構については,今日も研究が続けられている。日本における年平均雷日数(雷鳴,電光を観測した日数)は,日本海側の金沢で 42.4日,新潟 34.8日,宇都宮 24.8日,鹿児島 25.1日などであり,太平洋側と内陸部では夏,日本海側では冬の雷が多い。被害は落雷によるものが主であるが,同時に降りやすいひょう(雹)による農作物の被害も少なくない(→気象災害)。雷は太古から人間の恐怖の的であったが,農耕文化とともに,天地神の交接として信仰の対象ともなった。

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百科事典マイペディア 「雷」の意味・わかりやすい解説

雷【かみなり】

電光雷鳴など激しい放電を伴う大気中の電気現象。積乱雲,火山大噴火や大規模の火災,砂漠のあらしなどの強い上昇気流によって発生する。発生環境によって熱雷界雷渦(うず)雷に分類。一つに見える雷雲は直径5〜10kmの柱状セルが幾つか集合したもので,幼年期のセルは毎秒2〜3mの上昇気流が支配する。成年期のセルは雷雨活動の中心で雲頂は1万m以上に達し,上部は氷晶雲であり,上昇気流は強く毎秒30mにもなる。降雨により冷たい下降気流も存在する。老年期のセルは下降気流が支配する。雷雲内の電荷分布は,幼年期セルは雲頂が正,雲底が負,成年期は雲頂が正,中層部に大きな負電荷,雲底が正,老年期は雲頂が正,雲底が負に帯電している。雷雲内の−5〜−40℃くらいの温度の層で電荷が発生する。正と負の電気が発生する機構は,水滴分裂や氷粒の摩擦分裂による帯電,水と氷が接した層で帯電,塩化ナトリウムなど電解質溶液の凍結・融解に伴う帯電など諸説があるが,温度の異なる2種の氷(霧氷とそれより低温の氷晶)の接触・分離による帯電説が最も確からしい。この場合温度の高いほうが負,低いほうが正に帯電する。正電荷と負電荷は重力の作用,雷雲内の上昇・下降気流による氷晶や水滴の移動によってそれぞれ特定の部分に集積する。

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知恵蔵 「雷」の解説

雷電(雷鳴及び電光)がある状態。大気中で多量の正負の電荷が分離し放電する時に起こる。雷雲(積乱雲)の発生原因により、熱雷(強い日射による)、界雷(寒冷前線付近で発生)、熱界雷(熱雷と界雷が複合し強雷となる)、火山雷(火山爆発のとき発生)、冬季雷(冬期日本海上で発生)などに分類。気象庁では、全国約30カ所の空港に雷放電などの検知局を設置、雷監視システムLIDEN(ライデン:Lightning Detection Network System)を使って、発雷情報を提供する。雷雲が近づいた時、船のマストや塔などのとがった物体の先端に起こるコロナ放電を、セントエルモの火という。

(饒村曜 和歌山気象台長 / 宮澤清治 NHK放送用語委員会専門委員 / 2007年)

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「雷」の解説


かみなり

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
文化12.3(江戸・市村座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【道場法師】より

…《日本霊異記》にみえる雷より授かった子で,元興寺の僧。尾張国阿育知(あゆち)郡片蕝(かたわ)里の農夫が田に水を引くときに童形の雷が落ちて来た。…

【雷神】より

…雷を神格化した神。雷電様(らいでんさま),鳴神(なるかみ),ドンド神,ハタ神,イナズマ様,イカヅチ,カミナリなど雷鳴や雷光にもとづく名称が多い。…

※「雷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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