日本歴史地名大系 「高徳寺」の解説 高徳寺こうとくじ 岐阜県:恵那郡蛭川村蛭川村高徳寺[現在地名]蛭川村 奥渡村域南端の恵那峡にあり、宝林山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊十一面観音。苗木藩領であった当村では、江戸時代ほぼ全村を檀家としていた宝林(ほうりん)寺は廃仏毀釈により廃寺となった。宝林寺の法灯を再びともすべく、浅野剛宗が中心となり、山県(やまがた)郡松尾(まつお)村(現伊自良村)の高徳寺の株を譲り受け、明治一一年(一八七八)許可を受け、もと普門庵のあった地に高徳寺を創設した。しかし檀家の少ない寺の運営は厳しく、大正二年(一九一三)全村帰宗運動が展開された。 高徳寺こうとくじ 岡山県:浅口郡船穂町上船尾村高徳寺[現在地名]船穂町船穂 橋本高野山真言宗で、高量山永寿院と号する。本尊は毘沙門天。由緒によると、もとは上船尾(かみふなお)村市場犬神(いちばいぬがみ)にあって日光山永寿院田中(たなか)坊と称していたが、寛永一五年(一六三八)中興の祖宥智が、現在地高量(たかく)大明神境内高量山に建立し現寺号に改めたという。元禄八年(一六九五)の上船尾村検地帳(船穂町役場蔵)に寺屋敷一反一畝六歩がみえる。 高徳寺こうとくじ 茨城県:久慈郡大子町上郷村高徳寺[現在地名]大子町上郷八溝(やみぞ)川の右岸に位置し、町付(まちつき)の宿を経て八溝登山への途次の上郷入口にある。曹洞宗で鳳林山阿弥陀院と号する。本尊は釈迦如来。寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)によると永正元年(一五〇四)の創建。禅宗耕山(こうざん)寺(現常陸太田市)末寺で、除地一〇石余、門徒四ヵ寺、檀那三七七人を有した。 高徳寺こうとくじ 佐賀県:唐津市唐津城下中町高徳寺[現在地名]唐津市中町中(なか)町の中央にある。真宗大谷派。本尊は木彫りの阿弥陀如来で春日作と伝える。開基とする奥村掃部介浄信は織田家の家臣で、本願寺教如の弟子となり、孫の小源太浄俊が天正一一年(一五八三)松浦の地に一宇を建てた。浄俊は朝鮮に渡り布教に努めたのち帰国、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際朝鮮へ渡って戦死者の菩提を弔い、帰国にあたり秀吉から「釜山海」の山号と五味の茶釜などを拝領した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「高徳寺」の解説 高徳寺 岐阜県中津川市にある寺院。臨済宗妙心寺派。本尊は十一面観世音菩薩。治病で信仰を集める。付近にカエルに似た形の巨石と薬師如来を祀る「蛙(かわず)薬師」がある。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by