旅行者が、料金を払って食事・宿泊する施設。原則として、客室の構造および設備が和式のものを旅館、洋式のものをホテルとする。
[小川正光]
立地によって、市街地旅館と観光地旅館に大別され、利用目的によってさらに、市街地旅館は普通旅館と割烹(かっぽう)旅館に、観光地旅館は温泉旅館と観光旅館に区別される。普通旅館は、おもに商用や業務で宿泊する客を対象とし、食事サービスを受けず客室利用だけの客も多い。共用スペースは少なく、客室はコンパクトで、プライバシーについて留意した計画をし、利便性を図っている。割烹旅館は、市街地もしくはその近郊に立地し、宿泊客と同時に会食・小宴会の客を対象とする。客室の規模は大小さまざまで普通旅館より大きく設けられ、各室の意匠にも変化・くふうを凝らしている。調度、庭園なども、客の嗜好(しこう)性をひく演出がなされている。温泉旅館は、著名な温泉地に立地し、大浴場をもち、来訪客に温泉気分を満喫させることを目的とする。娯楽室を設けたり、団体客が大宴会もできる大広間も備えている。温泉治療や保養の客を主とする静かな客室を提供するものは、少数になってきている。観光旅館は、風光明媚(めいび)な名所旧跡の所在地に立地し、遊覧客を宿泊させる。娯楽室、大広間のほか、修学旅行の生徒・学生のための客室を有していることが多い。
[小川正光]
旅館の基準は、旅館業法と国際観光ホテル整備法によって定められている。旅館業法によると、旅館は和式の構造および設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業で、簡易宿泊営業および下宿営業以外のものをさしている。営業許可は、都道府県知事が与える。許可基準には、旅館の設置場所、構造、設備などの諸点が規定されているが、地方による差異がある。旅館業法施行令による旅館の基本的な構造設備基準では、客室の数は5室以上であり、和式の構造設備による客室の面積は7平方メートル以上となっている。また、洋式の客室を全体の3割までもつこともできるが、この場合、洋式の客室の面積は9平方メートル以上の規模がなければならない。設備として、原則的に洗面所、便所、浴室、防火、換気、採光、照明、防湿、排水などが整備される必要があるが、近接して公衆浴場がある場合には、入浴設備はなくてもよい。国際観光ホテル整備法による旅館とは、外国客の宿泊に適するようにつくられた施設であり、ホテル以外のものをさし、いっそう高度な規定をしている。旅館の施設はこのほかに、建築基準法、消防法、労働基準法、食品衛生法、公衆浴場法などの法規、ならびに各都道府県の定める規定の制約を受ける。火災に対する消防設備基準の厳守はとくに重要である。また、国立公園、国定公園などの自然公園内に建設するときは、景観維持のために自然公園法の規定を守らなければならない。
日本観光旅館連盟、国際観光旅館連盟などの団体の基準は、以上の旅館業法、国際観光ホテル整備法のいずれかに基づいて定められている。
[小川正光]
旅館の経営は、家族を中心とする段階にとどまるものが多く、業務組織は単純である。経営者のもとに、帳場、板前、女中の3部門による構成が基本的である。帳場は、元来は経営の立場にあって、客室の斡旋(あっせん)、宣伝、企画および板前・女中の指揮、その他の庶務的事項、会計、用度に至るまでの権限をもっていたが、業務の統制や能率の向上を図るため、専門的に分化した。さらに経営規模が増すと、客室の割当て、案内、玄関における下足の処理、客室との応対などの接客業務を分担する表帳場と、庶務、会計、購買、用度、営繕などの管理業務を分担する裏帳場とに区分されていく。板前は調理部門であり、料理長は、献立表の作成、賄い材料の選定、味つけ、食器類の指定などを行う。客室づきの女中は、旅館の特質である家族的ルームサービスの直接担当者である。来訪客の送り迎え、室内での客の食事から起居に至るまで細かなサービスを担当し、旅館の良否・風格を左右する重要な業務である。
[小川正光]
施設全体の構成は、客の宿泊に利用するブロック、宴会場やホールなど共用スペースのブロック、管理や調理に関係するブロックの三つに区分される。客室と共用スペースは、周囲の地形を考えて眺望のよい位置に配置する必要がある。また、宿泊室には静かな環境を保つ必要があり、宴会場とは音響的に隔離する。客室と共同の浴場とは共用スペースを通らず、直接廊下、階段で連絡できる構成が望まれ、厨房(ちゅうぼう)と客室あるいは厨房と宴会場などを結ぶサービスの経路は、客の主要な動きと玄関、広間などで交差することは避けるべきである。
建築施設、設備、庭園、調度などの視覚的サービス、板前の腕による味覚的サービス、管理や客室づきの女中による家族的・精神的なサービスの三つがそろって、旅館の真価が発揮される。
[小川正光]
旅館設備の起源は、大化改新で確立した駅制により設置された各駅の駅舎、厩舎(きゅうしゃ)に始まるが、これは公用の官吏のための宿泊、給食施設であり、私用の旅行では庶民と同様、草行露宿のありさまであった。奈良時代、僧行基(ぎょうき)は慈善事業として交通路の要所に布施(ふせ)屋を設置し下層旅行者の無料休泊施設とした。平安時代には、旅中の病人、餓死者のために悲田処(ひでんしょ)、続命院(しょくめいいん)、救急院なども置かれたが数が少なく、草枕(くさまくら)の文字どおり苦しい旅であったことが『更級(さらしな)日記』『信貴山(しぎさん)縁起』などからうかがえる。院政時代には熊野参詣(さんけい)が盛行し、旅宿が発達した。鎌倉時代には熊野詣(もう)で、伊勢(いせ)詣ではさらに盛んになり、庶民のために宿坊・宿院などの休泊所が現れ、当主の御師(おし)は休泊、祈祷(きとう)にあたった。駅制は、荘園(しょうえん)や海運の発達により衰退していたが、源頼朝(よりとも)が宿駅の制を施し再度発達した。駅には館(やかた)が設置され、また商業の発達に伴い庶民の宿(しゅく)も営業された。これは木銭(きせん)を支払い携行食糧の炊事を自ら行うもので、江戸・明治に至っても木賃宿(きちんやど)として存続した。室町および戦国時代、軍事上の必要から駅制は発達し、商業の著しい発達や社寺参詣の流行により庶民の行旅も増え、宿はしだいに街村をなし旅籠(はたご)が発生した。
江戸時代、太平の世になり宿駅制が全国統一されると、交通の往来が盛んになり宿駅は繁栄し、本陣、旅籠などの宿場町が形成された。本陣は、特権者や外国人用の宿泊所で、室町時代に足利義詮(あしかがよしあきら)が上洛(じょうらく)の際「本陣」と宿札を掲げたことから始まるが、機能を発揮したのは参勤交代制度以後である。門、玄関、上段の間を備え、経営者には苗字(みょうじ)帯刀が与えられた。そのほか脇(わき)本陣、御小休本陣などもあり、目的により使い分けられた。しかし幕末に諸侯の財政破綻(はたん)、参勤交代制の緩めから衰微し、1870年(明治3)本陣廃止令により廃止された。
一方、庶民の宿舎として発達した旅籠は、「馬糧入れの籠(かご)」を意味したものが転じて旅館に用いられ、宿料は湯を沸かす木銭が基準となっていた。17世紀には、旅人が米を携帯する労苦を省き、木銭、米代、宿泊を宿料とするようになった。江戸文化が高度に発展した文化・文政(ぶんかぶんせい)時代(1804~30)には旅籠も急速に発達し、宿泊と食事を提供するようになり、飯盛(めしもり)(宿場女郎)を置くところも多かった。しかし明治以後、鉄道交通の発達により駅に繁華街が集中すると宿場町はしだいにさびれ、旅籠は旅館やホテルに変わっていった。
[佐々木日嘉里]
古代エジプト、バビロニア時代には相当範囲の交易が行われており、バグダードとバビロンをつなぐ隊商路には早くから宿泊所が発達していた。ギリシア時代には、集会や宿泊のための公共施設レスケがあり、のちには外国人の宿泊所パンドケイオンも発生した。ローマ時代になると、アウグストゥスにより広範囲な領土統制のための道路網が建設され、駅逓制に従い道路沿いには宿駅が置かれた。これは官吏や軍人の宿泊、物資の輸送などにあてられたが、一般の旅行も頻繁になり民間営業の宿泊所も生じた。たとえば、厩(うまや)のついたスタブルム、内風呂(うちぶろ)をもつデウェルソリウム、下級階層者用のカウポナ、飲食店と酒場を兼ねたタベルナ、一品料理店を兼ねたポピナなどの宿屋がみられた。しかし中世に入ると、交通はほとんど途絶し、宿屋も衰退した。唯一、庶民の巡礼が旅行活動となり、僧院や修道院が無料宿泊所にあてられていた。十字軍遠征が始まると、大量の物資や行軍が往来し、営利的宿屋も発達し始めた。当時は、食物、燃料、寝床などは宿泊者自身が用意するのが一般的であったらしい。ルネサンス期に宿屋は興隆を迎え、インとよばれる酒場を兼ねたものが現れ現代のホテルの原型となった。17世紀なかばに駅馬車が現れると旅行者は増え、19世紀なかば、産業革命の結果、鉄道交通が発達すると新たな旅行動態が生まれ、これに伴い近代的施設をもつホテルが急速に発達し、現代の都市における大規模ホテルの起源となった。
[佐々木日嘉里]
『大島延次郎著『日本交通史概論』(1946・吉川弘文館)』
旅館とは旅行者のための宿泊施設であるが,この語をホテルと対比させて用いる場合は,ホテルが洋式であるのに対して,旅館は和式を意味する。日本では宿泊業を営む場合,〈旅館業法〉(1948制定)によってあらかじめ都道府県知事より営業許可を受けなければならない。その場合,営業の種類は,ホテル営業,旅館営業,簡易宿所営業,下宿営業の4種とされている。ホテル営業と旅館営業の区別は,施設の構造および設備が洋式であるか和式であるかによる。ただし,旅館業法による営業許可は各宿泊施設の実際の名称とは関係がなく,そのため観光地の旅館などでは営業上の配慮から〈○○ホテル〉と称していることも多い。
旅館という語は中国から伝来した言葉であるが,明治時代になってそれまでの宿泊施設よりもより高級な施設を意味する言葉として使われ始めた。ただし,この語が広く用いられるようになったのは昭和になってからで,明治における宿泊施設の一般的呼称は〈宿屋〉であり,法律上の用語としても宿屋が用いられた。明治時代には警察令による〈宿屋営業取締規則〉があり,同規則によれば,宿屋は,旅人宿,下宿,木賃宿の3種に分類されていた。こうした名称と分類は大正時代まで残っていたようで,昭和になってから宿屋という言葉がしだいに廃れ,代わって旅館が広く用いられるようになった。
江戸時代に五街道を中心として交通上の施設が整備されたが,各街道筋には宿場町が発達し,宿場には,本陣,旅籠(はたご),木賃宿の3種の宿泊施設があった。本陣とは,大名など身分の高い人々のための施設で,1635年(寛永12)に参勤交代の制度が施行されてから,江戸幕府によって駅制整備の一環として本格的に整備された。本陣とは,戦のときに大将が駐屯する陣所のことであるが,旅を行軍と考えたことから,大名の宿舎を本陣と呼んだのである。一宿一本陣が原則であったが,大名の往来がはげしい宿場では2軒以上あったり,また予備としての脇本陣や臨時の仮本陣が置かれることもあった。本陣は宿場の中央に位置し,特権として,門,玄関,上段の間を備えたりっぱなもので,本陣主は名主などその宿場を代表する名家がつとめた。本陣はこのように宿泊施設として本格的なものであったが,明治になって宿駅制度が廃止されたのに伴い,1870年(明治3),明治政府の布告によって廃止となった。
旅籠は本陣より歴史が古く,旅籠という語は宿泊施設を意味する言葉として古くより用いられていた。もともとの意味は馬の飼料容器のことであるが,馬を使っての旅の途中,馬のかいばを用意してくれる家がやがて人をも泊めるようになり,そのため旅籠という語が宿泊施設を意味するようになった。そして,旅籠の集まった場所が宿場となり,江戸時代には旅籠が庶民の宿として大いににぎわった。旅籠は17世紀半ば以降,泊り客に食事を出すようになった。これには,旅籠に遊女を置くことの禁止令が出たため,食事を提供するために飯盛女を置くという名目で遊女の存続を図ったという事情もあったようである。一方,食事の付かない宿もあって,それが木賃宿であった。木賃宿とは,自炊のための薪代つまり燃料代を木賃と呼んだことに由来するように最も廉価な施設であった。
こうした江戸時代の宿泊施設は,江戸末期から明治初めにかけて,近世宿駅制度の崩壊とともに消滅したが,明治になってからは,本陣の廃止とともに,それまで本陣にしか許されていなかった,門,玄関,上段の間などが,一般の宿泊施設でも認められるようになった。また,客室についても,旅籠は大部屋で,客は相部屋であったが,部屋を壁で仕切って個室形式とし,床の間を付けるようなものが現れた。こうした新しい宿泊施設は,明治以降の鉄道の発達とともに,かつての街道筋の宿場に代わって,鉄道の駅周辺に建設され,それが駅前旅館となった。一方,温泉場が楽しみを目的とする旅行の目的地となるに従って,観光旅館が登場した。観光旅館は昭和になってから,とくに第2次大戦後,団体慰安旅行がかつての江戸時代の社寺参詣の旅のように,庶民にとっての大きな楽しみとなるにおよんで,各温泉観光地に林立するようになった。このように,旅館は庶民の宿であった旅籠の伝統を受け継ぎながら,施設の面では本陣でしか許されなかったようなぜいたくさを取り入れたものといえる。
昭和も40年代以降となると,東京オリンピックを契機に大規模なホテルが建設されるようになった影響を受けて,駅前旅館の多くはビジネス・ホテルとして生まれ変わった。観光地の旅館においても,靴のまま部屋まで行け,部屋の中には一部ベッドが入っていたり,洋室のバス・ルームが付いていたり,食事は客室でなく食堂で食べたりというように,洋風化が進んだ。いわば和洋折衷型の宿泊施設が登場した。ただし,洋風化が進む一方で,伝統的な生活様式である和風に対する見直し気運も起こり,そのため,昭和50年代になってから,純粋な和風旅館が利用者の高い評価を受けるようになった。
ホテルと旅館を比べると,ホテルはロビー,寝室としての客室,レストラン,バーのように,施設の空間が機能的に分化し,従業員の職務も分業が進み,お客は館内を動いて自由に欲求を充足させる仕組みとなっている。一方,旅館においては,客室が中心であり,空間や従業員の職務の機能分化が進んでいない。料理もあてがいぶちで,利用者の選択の余地が小さい。その意味では,現代的な合理性に欠けるうらみがある。しかし,日本庭園に囲まれた数寄屋造の建物に象徴される和風旅館の情緒性は,都市化が進行する現代社会で貴重な存在となっており,現代的なホテルとは異質の価値を感じさせる。
1995年末現在,日本の宿泊施設の数は旅館業法でいう旅館が約7万2600軒,それに対してホテルは7174軒を数えるにすぎない。ただし,ホテルは1軒当りの客室数が75室であるのに対し,旅館は14室と小規模である。なお,簡易宿所は約2万6000軒となっている。軒数の推移としてはホテルが順調に増加しているのに対し,旅館・簡易宿所は減少傾向にある。
→ホテル →宿屋
執筆者:岡本 伸之
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…〈どんな目的でやって来た者にでも〉家を開く能力が私人に失われるとともに,犯罪人や政治亡命者を含む緊急避難者を保護する機能も教会のものとなり,これには教会の世俗権力に対する独立性の主張が関連している(アジール)。都市では,金銭を受け取って食事と宿を提供する旅館料理業(宿屋)が発達するとともに,私人の寄付による病院も成立した。教会の,世俗の,また半世俗の各種団体が任意に組織され,行倒れの看護,死者の埋葬を無償で行った。…
…〈宿屋〉は単に宿泊所をさす場合もあったが,一般には旅人を宿泊させることを営業目的とする施設をいい,現在日本では旅館とほぼ同義語である。古代には駅伝制の施行で日本にも公用の宿泊施設として駅家(うまや)が設けられたが,これは営業を目的とするものではなかった。…
※「旅館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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