七尾(市)(読み)ななお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「七尾(市)」の意味・わかりやすい解説

七尾(市)
ななお

石川県中北部にある市。1939年(昭和14)鹿島(かしま)郡七尾町と東湊(ひがしみなと)、矢田郷(やたごう)、徳田(とくだ)、西湊、石崎(いしざき)の5村が合併して市制施行。1954年(昭和29)同郡北大呑(きたおおのみ)、崎山(さきやま)、南大呑、高階(たかしな)の4村を合併。2004年(平成16)同郡の田鶴浜町(たつるはままち)、中島町(なかじままち)、能登島町(のとじままち)と合併。能登(のと)半島の基部に位置し、富山湾七尾湾の南湾・西湾・北湾に面する。丘陵地と邑知潟(おうちがた)地溝帯北部の平地からなる。JR七尾線、のと鉄道、国道159号、160号、249号が通じ、のと里山海道の徳田大津、横田インターチェンジ、能越自動車道(のうえつじどうしゃどう)の七尾、田鶴浜などのインターチェンジがある。また能登島とは1982年完成の能登島大橋(1050メートル)と1999年完成の中能登農道橋で結ばれる。七尾港は天然の良港で重要港湾に指定。熊木川下流に古墳が分布し、古代の熊来(くまき)郷の地。大伴家持(おおとものやかもち)の『万葉集』の歌に「熊来」の字がみえる。能登島の須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)は国の史跡。古代から能登の中心で能登国府、国分寺が置かれた。中世、七尾城は能登守護畠山(はたけやま)氏の居城で、上杉謙信(けんしん)に落とされた。1582年(天正10)前田利家(としいえ)が所口(ところのくち)小丸山に築城して城下町を形成したが、翌年の金沢入城後は所口奉行所(ぶぎょうしょ)が置かれた。所口は北前船(きたまえぶね)による交易で栄えた。幕末加賀藩は七尾軍艦所を置いた。

 七尾港は北洋材その他輸移入が多く、木工業が発達する。食料品、合繊織物、機械工業も盛んで、珪藻土(けいそうど)を原料に耐火れんが産出七尾仏壇や能登産のアテ(アスナロ)を用いた建具が特産である。七尾湾沿岸には水田が開け、メロン、カボチャ、中島菜などの野菜栽培が行われ、漁業は定置網漁業、カキ養殖などを行う。海岸は景勝地が多く、近年は観光開発も進んでいる。西湾岸の和倉温泉(わくらおんせん)は能登観光の基地。七尾城跡、能登国分寺跡は国指定史跡。江戸中期の農家座主家住宅(ざすけじゅうたく)、藤津比古神社(ふじつひこじんじゃ)本殿は国の重要文化財。朝鮮系の神を祀(まつ)る久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社(熊甲宮(くまかぶとぐう))があり、「熊甲二十日祭の枠旗(わくはた)行事」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。大地主神社(おおとこぬしじんじゃ)青柏(せいはく)祭の曳山(ひきやま)行事は国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産に山・鉾・屋台行事として登録されている。また「酒造習俗」は選択無形民俗文化財。1995年(平成7)石川県七尾美術館が開館した。面積318.29平方キロメートル、人口5万0300(2020)。

[矢ヶ崎孝雄]

『『七尾市史』全7冊(1968~1974・七尾市)』『『新修七尾市史』全17巻(1999~2013・七尾市)』


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