落語家。本名出淵(いずぶち)次郎吉。2代三遊亭円生(えんしょう)門人の橘家(たちばなや)円太郎の子として天保(てんぽう)10年4月1日江戸・湯島に生まれる。父と同じ2代円生に師事し、7歳で小円太と名のって寄席(よせ)に出演したが、異父兄の臨済宗の僧玄昌の忠告で休席し、池の端の紙屋葛西(かさい)屋へ奉公したり、玄冶店(げんやだな)の一勇斎国芳(くによし)に浮世絵を学んだりした。また、玄昌の住む谷中(やなか)の長安寺に母と同居し、仏教の修学にも励んだ。これが後世における円朝の怪談噺(ばなし)創作に強く影響した。のち、やはり落語家で身をたてることにし、2代円生門に復帰、17歳のときに円朝と改名して場末回りの真打(しんうち)となった。くふうを重ねて道具入り芝居噺を演じ、自作自演でしだいに人気を獲得、1864年(元治1)26歳で両国垢離場(こりば)の昼席の真打となり、以後年とともに名声をあげ、三遊派の実力者となった。72年(明治5)弟子の円楽に3代円生を継がせ、道具噺の道具いっさいを譲り、自らは扇1本の素噺(すばなし)に転向した。
多数の円朝の創作のなかで代表的なものは、『真景累ヶ淵(かさねがふち)』『怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)』『怪談乳房榎(ちぶさえのき)』の長編怪談噺三部作をはじめ、芝居噺では『菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)』『緑林門松竹(みどりのはやしかどのまつたけ)』『双蝶々(ふたつちょうちょう)雪の子別れ』、伝記ものでは『後開榛名梅ヶ香(おくれざきはるなのうめがか)』(安中草三郎(あんなかそうざぶろう))、『塩原多助一代記』『月謡荻江一節(つきにうたうおぎえのひとふし)』、人情噺では『文七元結(ぶんしちもっとい)』『粟田口霑笛竹(あわたぐちしめすふえたけ)』『業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)』『敵討札所(かたきうちふだしょ)の霊験(れいげん)』『霧隠伊香保湯煙(きりがくれいかほのゆけむり)』『熱海土産温泉利書(あたみみやげいでゆのききがき)』『政談月の鏡』『闇夜(やみよ)の梅』『松と藤芸妓(げいしゃ)の替紋(かえもん)』『操競女学校(みさおくらべおんながっこう)』『梅若七兵衛』、翻案ものでは『名人くらべ』『西洋 人情噺英国孝子(えいこくこうし)ジョージスミス之伝(のでん)』『松操美人(まつのみさおびじん)の生埋(いきうめ)』『欧州小説黄薔薇(こうしょうび)』『名人長二』などであり、『福禄寿(ふくろくじゅ)』など北海道で取材したものもある。このほか『鰍沢(かじかざわ)』『大仏餅(もち)』『黄金(こがね)餅』『死神』『心眼』『士族の商法』『にゅう』『笑い茸(たけ)』など多くの落し噺も口演しているが、彼の高座にはすべて聴く者の胸を打つような技巧と手法が考案されているので、いずれも人情噺的な性格を具備している。
円朝は1891年(明治24)53歳のとき高座を退き、座敷専門の数年間を送った。98年に門弟支援のため高座に復帰したが、めぼしい寄席を巡回したのち発病し、明治33年8月11日下谷(したや)車坂町の自宅で没した。62歳。辞世として「目を閉ぢて聞き定めけり露の音」という句が伝えられているが、谷中の全生庵(ぜんしょうあん)にある墓碑には上五句が「聾(みみし)ひて」と改作されている。『累ヶ淵』『牡丹灯籠』などで描写した因果応報や輪廻(りんね)の思想を背景に、円朝が到達した解脱(げだつ)の境地がこの句に示されている。円朝は、怪談噺、芝居噺、人情噺、落し噺など江戸落語を集大成し、近代落語発展への道を開いたが、ことに人情噺という高度な話芸を完成して落語の次元を高めた功績は大きい。また、山岡鉄舟(てっしゅう)、井上馨(かおる)らとも親交し、落語家の社会的地位を向上させた。なお、2代目は1924年(大正13)に初代三遊亭円右(えんう)が襲名したが、高座に上らずまもなく病没した。
[関山和夫]
『『円朝全集』全13巻(1928・春陽堂)』▽『『三遊亭円朝全集』7巻・別巻1(1975~76・角川書店)』▽『永井啓夫著『三遊亭圓朝』(1962・青蛙房)』
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落語家。本名は出淵(いづぶち)次郎吉。2代三遊亭円生門下の音曲師,橘屋(たちばなや)円太郎こと出淵長蔵の子として,江戸湯島切通しに生まれた。父と同じく円生門下となり,7歳のとき小円太と名のって初高座をつとめ人気者になったが,母親と義兄に芸人になるのを反対され,紙商兼両替商の葛西屋へ奉公に出た。しかし,病気になって帰宅し,改めて玄冶店(げんやだな)(現在の日本橋人形町あたり)の歌川国芳のもとで画家としての修業を積んだ。このときの修業が,のちに円朝の売りものになった芝居噺の道具を作る際に大いに役立つことになるが,ここでも病を得て帰宅し,母親も義兄も落語家以外には向かぬものとあきらめたため,芸界に復帰できた。
17歳のとき,衰微する三遊派の再興を期して芸名を円朝に改め,真打に昇進した。1859年(安政6)の《累ヶ淵(かさねがふち)後日怪談(真景(しんけい)累ヶ淵)》の自作自演を手始めに,多くの創作噺で人気を得た。とくに天保の改革以後,芝居が江戸の中心から離れた浅草観音裏の猿若三座に限られ,一般大衆が手軽に見物に行けなくなったこともあって,派手な衣装や道具を使用して歌舞伎の雰囲気を持ちこんだ芝居噺は,いっそう人気を集めた。文久年間(1861-64)から山々亭有人(ありんど)(条野採菊(さいぎく)。1832-1901),仮名垣魯文などの戯作者,3世瀬川如皐(じよこう),2世河竹新七(河竹黙阿弥)などの狂言作者をはじめとする文人たちが〈粋狂連〉というグループをつくって三題噺を自作自演して流行させていたが,これに参加して落語の題材や演出法など多くのものを学んだ円朝は,落語界に新風を起こし,その地位を確立していった。1872年(明治5),新時勢にかんがみ,道具入り噺の道具を弟子円楽にゆずって3代三遊亭円生を襲名させ,みずからは扇子一本の素噺(すばなし)に転じた。実録物全盛となった当時の講談会の動向を見て円朝自身も新聞種を口演し,さらに実録人情噺の分野開拓をめざして実地調査を試み,《榛名(はるな)の梅ヶ香》《安中草三(あんなかそうざ)》や《塩原多助一代記》を自作自演した。また,モーパッサンの《親殺し》を翻案した《名人長二》,同じくサルドゥーの《トスカ》を翻案した《錦の舞衣(まいぎぬ)》なども手がけた。中年以降は山岡鉄舟のもとで禅に傾倒し,その話芸は迫真軽妙の極に達して朝野の名士に愛され,落語家の社会的地位を向上させた。門下には円喬,円右,円左,小円朝,円馬,円遊などの名手がそろい,明治の落語黄金時代を成した。《怪談牡丹灯籠(怪異談(かいだん)牡丹灯籠)》をはじめとして円朝の噺はおりから盛んになった速記術によって全国に普及し(速記本),それらは明治の新文学にも影響を与えたといわれる。円朝によって落し噺,人情噺,芝居噺,怪談噺などの江戸落語の各分野が集大成され,近代落語隆盛への道が開かれた。
円朝は無舌居士(むぜつこじ)と号し,〈閻王(えんおう)に舌を抜かれて是からは心のままにうそも云はるる〉の歌もある。この号は嵯峨天竜寺の滴水和尚に授与されたのだが,その由来はつぎの事情による。円朝は陸奥宗光の父,伊達千広(せんこう)に禅を学び,山岡鉄舟や高橋泥舟とも知り合った。80年9月,鉄舟の侍医,千葉立造の新宅披露宴に招かれ,同座の滴水和尚に〈舌を動かさずに口を結んで話を聞かせてほしい〉と言われ,〈とてもできませぬ〉と答えた。鉄舟は円朝を別室へ伴い〈禅の心得もあるのに無舌という公案ぐらい解けぬはずはない〉と2時間あまりも対座した。そこで円朝は師千広の講義を思い出してようやく悟ることができた。以後滴水和尚に参禅して開眼し,高座へ出ても客の多少や動作などに心を動かされることなく,心安らかに口演することができたという。
執筆者:興津 要
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(延広真治)
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落語家。幕末~大正期に2代を数える。初代(1839~1900)は江戸生れ,本名出淵(いずぶち)次郎吉。2代三遊亭円生の門人で小円太。一時廃業後,1855年(安政2)円朝と改め復帰し,真打となる。芝居噺(しばいばなし)で人気を博し,「真景累ケ淵(かさねがふち)」や「怪談牡丹灯籠」などを創作。二葉亭四迷の言文一致の創作活動にも影響を与えた。2代(1860~1924)は江戸生れ,本名沢木勘次郎。はじめ三遊亭円右(えんう)を名のり,1924年(大正13)2代円朝を襲名したが直後に没。
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…また昭和に入っては宇野信夫作《巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)》(1935年9月,6世菊五郎主演)などが好評を博した。【小池 章太郎】
[怪談噺]
人情噺を得意とする落語家が,たとえば三遊亭円朝作《怪談牡丹灯籠》(《怪異談牡丹灯籠》)や《真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)》のような因果・因縁物語の途中や終りにおいて幽霊を出す噺をいう。怪談噺を口演する落語家は,高座に背景をかざって,すごい調子で噺をつづけ,いよいよ凄惨の気がクライマックスに達したところで,高座の明りを消し,細い竹の先につけた焼酎火(しようちゆうび)を,高く,低く動かして,いっそう凄味を増し,やがて,高座に青い照明を投げかけると,ドロドロの太鼓とともに,演者の肩のあたりに前座の扮した幽霊があらわれ,ざんばら髪で,両方の手を胸のあたりに七三に下げ,白装束のうすもののすそをひいて,あっちへふわり,こっちへふわり,すり足で歩き,しばらく女性や子どもをおびやかしたあげく,〈はて,おそろしき執念じゃなあ〉というせりふとともに,ぱっと高座をあかるくして,〈まず,今晩はこれぎり……〉と終演した。…
…中国呉山の宗吉(そうきつ)(瞿佑,1341‐1427)の小説《剪灯新話(せんとうしんわ)》を,1666年(寛文6)浅井了意が《御伽婢子(おとぎぼうこ)》として翻案。その中の《牡丹灯記》は,山東京伝,鶴屋南北も脚色しているが,明治の人情噺の名人三遊亭円朝が《怪談牡丹灯籠》として創作した。麴町の旗本飯島平左衛門の娘お露は,萩原新三郎に恋をしたが,父に許されず,こがれ死にして幽霊となり,毎夜牡丹灯籠をさげて新三郎のもとへ通った。…
…文化・文政期(1804‐30)には,鬼怒川での累殺しと怨霊のケレン的活躍を見せ場にして怪談の要素が強くなり《阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしようのすがたみ)》(1813),《慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)》(《伊達の十役》,1815),《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》(清元《累》を含む,1823)など多くの作品が登場。その後《新累女千種花嫁(しんかさねちぐさのはなよめ)》(1867),《雨夜伽累譚(あまよのとぎかさねものがたり)》(1879)は馬琴の伝奇小説趣味をなぞったもので,明治期の三遊亭円朝原作《真景累ヶ淵》で,怪奇を神経的なものからくるとみるなど,因果譚に発した累物の近代的到達を示している。伊達騒動【富田 鉄之助】。…
…これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。1887‐88年ころあいついだ二葉亭四迷の《浮雲》,山田美妙の《夏木立》などがこれである。…
…文久年間(1861‐64)には大いに流行し,多くの愛好家グループが生まれた。なかでも狂言作者の2世河竹新七(のちの河竹黙阿弥),戯作者の仮名垣魯文,初代三遊亭円朝らが加わった〈粋狂連〉は名高く,今日に伝わる作品を残した。三遊亭円朝作という《芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)》《鰍沢(かじかざわ)》《大仏餅》などは,こうした三題噺愛好の時勢のなかから生まれた名作である。…
…講談のものは講談本ともいう。1884年刊,三遊亭円朝口演《怪談牡丹灯籠》を嚆矢(こうし)とする。これは,田鎖(たくさり)綱紀の速記講習会を卒業した若林玵蔵(かんぞう)と酒井昇造との速記の効用宣伝を目的にした仕事だったが,この成功によって,《塩原多助一代記》《英国孝子之伝》など円朝の速記本をはじめ,落語,講談の速記本が相ついで刊行され,89年には東京金蘭社から落語・講談速記専門誌《百花園》も創刊され,速記本は,伝統的な話芸にとって欠かせない存在となった。…
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[幕末の江戸落語]
1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…
※「三遊亭円朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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