(本郷和人)
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鎌倉幕府第14代執権。貞時(さだとき)の子。日輪寺(にちりんじ)殿とよばれた。左馬権頭(さまごんのかみ)、相模守(さがみのかみ)を歴任。法名崇鑑(そうかん)。1316年(正和5)14歳で執権となる。まだ幼少で、執権としての器量にも欠けていたため、舅(しゅうと)秋田城介(あきたじょうのすけ)時顕(ときあき)と内管領(うちかんれい)長崎高綱(たかつな)(円喜)が幕政を握り、やがて高綱の子高資(たかすけ)の専横政治へと発展した。御家人(ごけにん)層の幕府への不信不満も募り、北条氏政権の危機を招き、公家(くげ)勢力に反撃の機会を与える結果となった。24年(正中1)後醍醐(ごだいご)天皇を中心とする討幕計画(正中(しょうちゅう)の変)が発覚したが、幕府は翌年日野資朝(すけとも)を佐渡に流しただけで、天皇への疑惑を追及しなかった。26年(嘉暦1)病により執権を辞して出家。しかし続く金沢貞顕(かねさわさだあき)、赤橋守時(もりとき)の執権時代を通じて、高時は得宗(とくそう)として幕府の実権を掌握していた。31年(元弘1)またも天皇による討幕計画(元弘(げんこう)の変)が伝えられ、高時は日野俊基(としもと)、文観(もんかん)らを捕らえ、9月には後醍醐天皇を廃し光厳(こうごん)天皇をたてるとともに、関東軍を上洛(じょうらく)させ京都警固にあたらせた。33年高時は、足利高氏(あしかがたかうじ)(のち尊氏)、名越高家(なごしたかいえ)を大将として後醍醐天皇討伐のため大軍を上京させた。しかし高氏の寝返りによって六波羅(ろくはら)が落ちた。まもなく新田義貞(にったよしさだ)、足利千寿王(せんじゅおう)(義詮(よしあきら))らに鎌倉を攻められ、5月22日一門、御内(みうち)の者とともに北条氏ゆかりの東勝(とうしょう)寺に入って自害、鎌倉幕府も滅亡した。彼が田楽(でんがく)を好んだことは有名。
[田辺久子]
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鎌倉時代,北条氏最後の得宗。貞時の子。室は安達時顕女。幼名成寿丸。1311年(応長1)1月小侍奉行,6月左馬権頭。同10月父の死により内管領長崎円喜と安達時顕に補佐され9歳で得宗の座につくが,頻々と執権が交代し政治不安は増大した。16年(正和5)14歳で執権となるが,実権は得宗の専制権力を背景とする内管領長崎高資(円喜の子)が掌握,失政が続いた。24年(正中1)幕府は後醍醐天皇の討幕計画を未然に抑えたが(正中の変),激化する海賊・悪党の跳梁,蝦夷の蜂起,さらに泥沼化する内紛は幕府を弱めた。26年(嘉暦1)高時は病により出家(法名崇鑑)。31年(元弘1)高資の専横を憎んでこれを誅殺しようとしたが失敗。内憂外患の中で高時は田楽や闘犬におぼれた。同年元弘の乱が勃発,討幕運動は全国に拡大し,33年5月新田義貞軍は鎌倉を攻撃,高時は一族・家臣とともに東勝寺で自刃した。
執筆者:青山 幹哉
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1303~33.5.22
鎌倉後期の幕府執権。父は貞時,母は安達泰宗の女。相模太郎と称する。1311年(応長元)貞時の死により鎌倉幕府最後の得宗の地位につく。16年(正和5)執権となる。「保暦間記(ほうりゃくかんき)」によると,幼少より病弱で頼りない存在だったが,外戚の安達時顕と被官の長崎高綱の補佐により政務は運営された。26年(嘉暦元)執権を退き出家。その後は田楽(でんがく)にふけった。33年(元弘3)の鎌倉幕府滅亡時に鎌倉の東勝寺で自刃。
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…北条泰時がその室の母の追善のため,墓のかたわらに一宇を建立し,退耕行勇(たいこうぎようゆう)を導師として供養し,のち行勇の門弟西勇を開山とする禅寺となったというが,行勇開山説など開山,開基については諸説ある。1333年(元弘3)鎌倉幕府滅亡に際し,北条高時以下一族郎党がこの寺で自害した。15世紀半ばごろ退転し,16世紀初めごろ足利政氏が中興したが,のち再び廃絶した。…
…鎌倉幕府執権北条氏の家督。徳宗,徳崇とも書く。鎌倉北条氏2代義時の法名に由来し,その嫡流の家督をさすようになり,さかのぼって初代時政のほか,夭折して家督を継がなかった時氏も含めて,いわゆる〈北条九代〉(時政,義時,泰時,時氏,経時,時頼,時宗,貞時,高時)を総称する語になった。初代時政は将軍源頼朝の外舅として一般御家人とは別格の地位を与えられていたが,頼朝没後,御家人の列に下り,1203年(建仁3)9月比企能員一族を攻め滅ぼして2代将軍頼家を追放し,政所別当に就任,幕政を執権した。…
※「北条高時」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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