床の間(読み)トコノマ

デジタル大辞泉 「床の間」の意味・読み・例文・類語

とこ‐の‐ま【床の間】

日本建築で、座敷の床を一段高くし、掛け軸・置物・花などを飾る所。中世書院造り発達とともに形成され、近世以後の重要な座敷飾りとなった。

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改訂新版 世界大百科事典 「床の間」の意味・わかりやすい解説

床の間 (とこのま)

近世以後の日本の住宅において,軸装の書画を飾る場所として作られた装置。(とこ)ともいう。幅約2mから4m,奥行約60cmの細長い空間で,下方に柱幅程度の横木(床框(とこがまち))を入れ,床(ゆか)を一段高くし,前面上部には内法長押(うちのりなげし)より少し高い位置に落掛(おとしがけ)と呼ばれる横木を渡す。奥壁の上部の天井廻縁(てんじようまわりぶち)に折釘(おれくぎ)を打ち,1幅から4,5幅が対になった軸装の書画を掛けられるようにする。床板の上には香炉花瓶,燭台からなる三具足(みつぐそく)を置き,床の間の両隣には書院違棚(ちがいだな)を設けるのが正式である。このような書院造の床の間に対して,茶室数寄屋にも書画を飾る床の間が設けられるが,この場合は形式はかなり自由に扱われ,樹皮のついた床柱や形の変わった床柱が使われ,内部を壁で塗りまわした室床(むろどこ)や洞床(ほらどこ),落掛から床の上部だけを釣った釣床(つりどこ),入込みにならず壁面の上部に軸掛けの幕板を張っただけの織部床(おりべどこ)など,多様な形式のものがある。江戸時代は庶民の住宅では床の間を作ることを禁じられていたが,18世紀の中ごろ以降になると,多くの家で座敷に数寄屋系の床の間を設けるようになる。特に床柱に銘木を用いるなど,当初の書画を飾る目的よりは,床の間の存在が格式的な意味合いを持つようになる。第2次大戦以後,床の間は日本住宅の封建的な構成を象徴するものとして,また生活上不合理な空間として糾弾を受けるが,畳敷きの部屋の空間秩序を保つうえで欠くことのできない性格のものであり,形式的には自由な創意を加えられながら,座敷飾の中心的な地位を保っている。

 歴史的には,床の間の起源は室町時代の上層階級の住宅に設けられた押板(おしいた)にあると考えられている。室町時代には中国宋から輸入した美術品で室内を飾り立てることが流行し,漆器や磁器を飾るための違棚や漢籍を飾る書院,軸装の書画を飾る押板が座敷回りに造り付けられるようになった。押板は柱間に奥行60cmくらいの板を机の高さに張った形式のもので,その祖形は,僧侶の住房で壁面に仏画を掛け,前に経机を置いて香炉,花瓶,燭台を飾ったのが固定したものと考えられている。押板の名称が床の間に移行した過程については,その時期が史料の乏しい室町末から桃山初期にあたるため,いくつかの推論がなされているが,次のような見方が最も妥当と思われる。室町後期の座敷飾としては東山殿,細川殿,あるいは1561年(永禄4)の三好第などのものが知られるが,それらの住宅の押板,棚,書院は主人の居間回りに多く集まり,相対的な位置にもきまりがなく,私的な美術品の陳列場所の性格が強い。しかし,16世紀の後半になり,新興の武家勢力が支配体制を固めると,押板,違棚,書院はそれ自体が極彩色の壁画や黄金金物で飾られ,大広間の上段の背景を構成する装置として固定されてくる。上段は部屋の中で框高だけ床が高くなっており,このような部分は日本では古代から〈とこ〉と呼んでいた。他方,初期の茶室の床の間は書画を飾る場所であると同時に,貴人の席としても使われた。この用法は日本の〈とこ〉の古来の用法とも合致している。すなわち,上段=〈とこ〉の中心装置としての押板の床への変化,および茶室の貴人座と床の間の形状的な一致,そして床の間自体が座敷の床面より一段高い床(ゆか)を持つこと,これらの要因が重なって,書画を飾る場としての押板が床の間と呼ばれるようになったものと考えられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「床の間」の意味・わかりやすい解説

床の間
とこのま

座敷の壁面に設けられた絵画やいけ花を観賞するための場所で、床(ゆか)を一段高くし、正面の壁に掛軸を掛け、床の上に花瓶・置物などを飾る。

 歴史的には、壁に仏画を掛け前に低い卓を置いて、その上に香炉・花瓶・燭台(しょくだい)から構成された三具足(みつぐそく)あるいは五具足(ごぐそく)(1個の香炉、1対の花瓶、1対の燭台)を並べたのが初めで、のちに、宋(そう)・元(げん)画を観賞する形式となり、その場所が固定化して造り付けになったときに、凹所として壁から部屋の外へ張り出す形式ができた。この形式の床の間は、押板(おしいた)あるいは押板床(どこ)とよばれている。押板床は初期の書院造の座敷や格式の高い正規の書院造の座敷に用いられ、奥行が1~2尺ほどで床(ゆか)板に厚いケヤキの一枚板を用い、落掛(おとしがけ)や床柱(とこばしら)をヒノキの柾目(まさめ)材とし、周囲の張付壁には障壁画を描くのが普通である。

 室町時代の上層階級の住宅では、座ったり寝るための場所として居室の隅の床(ゆか)を1~3畳分ほど一段高くして、床(とこ)とよんでいた。このような場所には押板床が設けられることが多かった。そのようなところでは、押板床の上だけでなく畳敷きの床(ゆか)の上にも飾ることがあり、また、床(とこ)のある座敷をしだいに縮小して四畳半以下の狭い茶室がつくられていく過程で床(とこ)と押板床が一体化されることもあって、押板床と同様に掛軸を飾り花をいける畳敷きの床の間ができあがったと考えられる。成立の経過から、畳敷きの床の間の奥行は畳の幅である半間(げん)が普通で、部屋の中へ張り出してつくられることが多かった。

 室町時代の押板床は、その前に主人と客が床の間を側面にして相対して座り、床の間の飾りを観賞する例が記録に現れるが、近世になると武家住宅では主人が床の間を背にして座るようになって、床の間の意味が変わってくる。床の間は成立の過程では単独であったが、座敷の装飾として同じころ成立した違い棚・付書院(つけしょいん)・帳台構(ちょうだいがまえ)と組み合わされて座敷飾りを形成した。床の間は座敷飾りの中心的な要素で、そのわきに違い棚が配置され、1600年(慶長5)ころには付書院・帳台構の位置にも標準的な形式ができあがった。それ以後、数寄屋(すきや)風の書院が広まるにつれて座敷飾りはいくつかの要素を省略して使うことが多くなるが、いずれの場合にも床の間はもっとも基本的な要素として中心的につくられるのが普通である。

 床の間は、書院造では押板床が普通であるが、数寄屋風の書院が広まるとともに床柱には丸太をはじめさまざまな姿のおもしろい柱が使われるようになる。床の間の上の天井から下がる小壁(こかべ)の下端を留める落掛も、正規の書院造では柾目のヒノキが使われていたが、数寄屋風の書院では自然の丸太や木目(もくめ)や色の変わった材が喜ばれるようになった。畳敷きの床の間では畳の前縁に床框(とこがまち)を用いるが、正規の書院造では通常黒く漆を塗った塗り框としている。数寄屋風の書院では床框にも変わった材を用いるなど意匠に凝るのが普通である。床の間の周囲の壁は、床の間が設けられている座敷の壁にあわせて張付壁または土壁とするが、通常、押板床は張付壁、数寄屋風書院の床の間は土壁とする。

 数寄屋風の書院が広まると、床の間にはいろいろな変形ができた。一段上がった畳敷きも板も設けず、下がり壁と天井から下がり短く切られた床柱だけの釣り床や、壁の上部に板を入れただけの織部床(おりべどこ)はその代表例である。

 床の間の造りは押板床のように形式化されたものでも、大工家ごとに落掛や床の板の寸法・位置などに木割があった。数寄屋風の書院に使われる床の間はさまざまであるが、雛形(ひながた)本にいくつかの形式が示されている。

[平井 聖]

『太田博太郎著『床の間』(岩波新書)』


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百科事典マイペディア 「床の間」の意味・わかりやすい解説

床の間【とこのま】

日本建築において,床(ゆか)を一段高くし,書画を掛け,器物等を飾るところ。両側に付書院(書院)と違棚(ちがいだな)を設けるのが正式で,左右の柱のうち違棚との間にある化粧柱を床柱,下の横木を床框(とこがまち)という。床框に板をはめた蹴込(けこみ)床,台を置いただけの置床,壁の上部に板を打ち,軸をかけられるようにしただけの織部(おりべ)床,釣床などがある。
→関連項目掛物銘木

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「床の間」の解説

床の間
とこのま

日本建築の建物で,書画の掛軸や生花・置物などを飾る場所。室町時代の書院造にともなった押板(おしいた)が原型といわれ,香炉・花瓶(けびょう)・燭台などの三具足(みつぐそく)をおいた場所。上層農民・町人の住居に床の間が設置されるようになるのは江戸時代からで,一般庶民の住居にまでとりいれられるようになるのは明治期以降である。座敷の上座に設けられ,間口は1間がふつうで,奥行は3尺ないしはその約半分,床板は畳の面より床框(とこがまち)の分だけ高くなっている。江戸時代の上層農民・町人の床の間は,違棚(ちがいだな)と対になって設置され,書院を併設する場合も多い。軸物や花を飾るなど,住居にあっては芸術空間であり,正月に年神(としがみ)を祭るなど神聖な空間でもある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「床の間」の意味・わかりやすい解説

床の間
とこのま

単に床ともいう。日本建築の座敷正面に設備され,美術品などを飾る重要な場所。基本形は畳より框 (かまち) の高さだけ1段高くして畳を敷き上部に落掛 (おとしがけ) を造って壁龕 (へきがん) 状にし,正面の壁に書画を掛け床畳の上に置物,花瓶などを置く。室町時代から武家の屋敷に取入れられた。初め壁面に仏画などを掛け,前に三具足を置いて礼拝していた風習が固定化し,のち押板という厚い板を座敷正面の壁ぎわに設け,さらには壁を奥へ引込めて作りつけるようになった。特に茶室では,さまざまな形式,手法が工夫され,床の間の発達に大きな影響を与えた。

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家とインテリアの用語がわかる辞典 「床の間」の解説

とこのま【床の間】

書画をかけたり、置物などを飾ったりするため、和室の床を一段高くしたところ。室町時代以降、僧房などで香炉や花瓶を飾った押し板が起源とされる。近世以降、床の間の存在が格式的な意味をもつようになり、本床(ほんどこ)と呼ばれる形式が成立。一方、それ以外にも自由な発想による多様な形式の床の間が、茶室や数寄屋造りの客間に作られるようになった。

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リフォーム用語集 「床の間」の解説

床の間

一般的には床柱、床框(とこがまち)、床板(または床畳)、落し掛け(おとしがけ)などから構成される。形態としては、本床(ほんどこ)、蹴込み床、踏込み床、琵琶床、袋床、洞床(ほらどこ)、室床(むろどこ)、織部床、釣り床、置床などがある。

出典 リフォーム ホームプロリフォーム用語集について 情報

世界大百科事典(旧版)内の床の間の言及

【室内装飾】より

…18世紀のロココ時代になると,大理石化粧を廃して,壁面を木の羽目板でおおい,その羽目板に軽雅な刳形(くりかた)と浮彫をほどこし,白,真珠灰,緑,黄,金などで清麗にいろどった。壁の一部分に設けられた壁炉は,中世以来,室内の重要な構成要素となり,日本の〈床の間〉と同じく上座の方向を意味するものとなった。したがって壁炉は室内の〈位〉を決定するものとして,時代時代の好みにしたがって意匠がこらされた。…

【住居】より

…屋根は板葺きで石を置いているが,長屋であっても隣家との間に茅の小屋根でつくった〈卯建(うだつ∥うだち)〉を置き,一戸ごとのくぎりを明確にしている。内部ははっきりしないが,片側が裏まで抜ける土間になり,それに沿って前後2室の床(ゆか)の間が並んでいるようである。表側の部屋の外面には四角の格子がはめられ,格子の外に見世棚を設け,商品を並べる。…

【禅宗美術】より

…従来の寝殿造は書院造となり,浄土を再現した回遊庭園は自然を象徴した観念的小庭園へと凝縮する。生活空間としては床の間(室町時代には押板と呼称),書院,飾棚が成立し,石庭へとつながっていく。それらは高度の精神的鑑賞空間であり,水墨画,詩画軸,墨跡(禅僧の書)は床の間で,詩文の創作享受は書院で,唐物の賞玩は飾棚で,そして自然との対話は枯山水との間で行われた。…

【茶道】より

…当時はまだ茶室という言葉はなく茶座敷とか囲いとか呼ばれていた茶の建物は,草庵のスタイルをとりつつ,書院の室礼をやつしたものであった。たとえば書院では貼付床という水墨画などを壁面に貼り付けた床の間を原則としていたが,村田珠光は絵を描いた壁紙のかわりに,ただの白紙を壁として書院の形式をくずした。ところが紹鷗はその白紙すらはずしてただの土壁を見せる床の間に直した。…

【床】より

…また人の座を下で支える部分という意味から,田の床,畳床などのように,下地にあって表装を支えるものも床と呼ばれることが多い。室町時代以降の上層住宅においては,貴人の座として床(ゆか)を柱幅ほど高くした上段や,帳台を意味したようであり,上段の押板が床の間に変化するのに伴って,床の間の略語としても使われている。【鈴木 充】。…

※「床の間」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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