政治共同体の支配ないし統治の形態を指す語。西洋において,政治社会に関する自覚的な考察が行われるようになって以来,いかなる形態の政治社会が最も優れているかという価値判断を含んださまざまな政体論が展開され,現実にも大きな影響を及ぼしてきた。古代ギリシアにおけるポリスの自由の観念自体,オリエントの専制政治との対比によって意識されたといえよう。プラトンは《国家》において哲学者の支配する優秀者支配制を理想的政体とし,現実の諸政体をそれからの逸脱形態として描く。名誉支配制とは知ではなく勝利と名誉を重んじる体制であり,これがさらに堕落すると,少数の富者が支配する寡頭制になる。民主制は多数者が少数者を打倒して成立し,平等と放縦が原理となるが,その行過ぎが僭主制を生む。アリストテレスはプラトンのイデア論を批判し,百数十のポリスを比較検討して〈ポリス的動物〉にふさわしい政体を考察した。彼は《政治学》において,政体を支配者の数と支配の質的差異によって6種類に分ける。このうち王制は1人,貴族制は少数,〈国制〉は多数が,共通利益を目的に支配する正しい政体であるとする。これに対して,1人の君主が私的利益のみを目的として恣意的に支配する僭主制,少数の富者が支配する寡頭制,多数の貧者が支配する民主制がそれぞれの堕落形態とされる。アリストテレスはこれらの政体の原理と変化の要因を分析し,寡頭制と民主制の混合政体である〈国制〉が,現実に望みうる最善の政体であるとする。アリストテレスの政体論はこれ以後の政体論の範型をなすことになる。
紀元前2世紀のポリュビオスは,君主制が僭主制,貴族制,寡頭制,民主制,衆愚制を経て,再び君主制に戻るという政体循環論によってギリシアの歴史を描き,共和政ローマの安定と発展を,混合政体論によって説明した。伝統的政体論は,これ以後も,政治体制の批判または弁証の枠組みとして生きつづけるが,ローマの帝政化,キリスト教の成立,さらにゲルマン中世の発展と安定の過程で,体制構想と結びついたダイナミズムは失われていった。これが再び政治的意味をもちはじめるのは,中世後期,等族国家(身分制国家)の成立によってである。混合政体論は,等族国家体制の弁証にとどまらず,教会内部の公会議運動にも結びついていった。
伝統的政体論に対する正面からの挑戦はマキアベリによってなされる。彼が強力な君主の権力装置としての国家像を提示したことにより,今や,政治社会の構成員の幸福を左右する条件として,国家の存亡それ自体が問題であることが明らかとなった。宗教戦争の激化と絶対主義の進展,さらにボーダンによる主権概念の提示は,この傾向を推し進める。伝統的政体論は,ルネサンス期のユートピア論,宗教戦争期の抵抗権論のなかに生きつづけるが,現実の変動は,その基礎をなす秩序観を突き崩していったのである。政体論に原理的変化をもたらしたのは社会契約説である。ホッブズに典型的に見られるように,自然的個人の欲求の肯定から出発する社会契約説においては,人間の社会性は否定され,伝統的な正しい支配と不正な支配との区別は先験的な意味をもたなくなる。しかも,国家の成立が全員一致の社会契約によることから,主権の問題と統治の問題が分化する。
ルソーは《社会契約論》において,主権は不可分不可譲のものとして人民に帰属し,政体の区別は政府の形態の相違にすぎないとする。一方,伝統的政体論の組替えはモンテスキューによってもなされる。彼は政体を三つに分類し,民主制と貴族制とを共和制,王の権力が制度的制約の下にあるものを君主制として,専制政治から区別した。今日では,政体分類は学問上は形式的な区別としてしか用いられないが,君主制と共和制,専制政治と民主政治等の対立図式は,政治的言語として,なお意味を失っていない。
執筆者:吉岡 知哉
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一般には各国の政治形態、統治形態をさす。アリストテレスは、政体の種類を、君主制、貴族制、民主制の三つの形態に区分し、また上記3種の政体が堕落した政体をそれぞれに専制、寡頭制、衆愚制と名づけた。この区分法は、その後、政治形態の典型として今日まで用いられてきたが、20世紀に入って新たにファシズム諸国家、社会主義諸国家の政治形態や第三世界におけるさまざまな政治形態が現れるに及んで、アリストテレスの古典的区分法も、現代の政体を説明するのにはかならずしも十分なものとはいえなくなった。
ところで、戦前の日本では、この「政体」という語は、「国体」という語との関連で、政治上、特別な意味に用いられていた。すなわち、ここでは「国体」と「政体」とが厳密に区別され、日本の国体は万世一系の天皇が統治する万邦無比の政治共同体であり、天皇の地位は神聖・不可侵であるから国体は変更できない、これに対し、政体は国の政治のあり方が、立憲的か専制的かあるいは共和制的かによって異なり、したがって政体は自由に変更できる、というわけである。美濃部達吉(みのべたつきち)は、国体という概念は歴史的・倫理的概念ではあっても法学的概念ではないとして、国体と政体の区別を批判し、それによって、政党政治に基づく議院内閣制の確立を主張したが、官僚政治を基本とする当時の日本では少数意見にとどまった。そればかりか、政府は、国体と政体を区別する方法は国体の変革を目ざす危険な社会主義思想につながるものであり、また結局のところ、政治一般を批判することはとりもなおさず天皇政治を批判するものであるとして、自由主義者や民主主義者までをも厳しく取り締まることとなり、明治憲法下においては民主政治はほとんど発展しないという結果を招いた。
[田中 浩]
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