紀元前3世紀ごろの中国の思想家。高級官僚でもあった。名は況(きょう)。荀卿(じゅんけい)、孫卿(そんけい)ともよばれた。趙(ちょう)の国(現、河北省西部から山西省北部)の人。50歳ごろには斉(せい)の国(山東省)に遊説し、稷下(しょくか)に集まった学者たちの間で長老として優遇されることもあった。しかし、まもなく中傷されて楚(そ)の国に移り、春申君(しゅんしんくん)に取り立てられて蘭陵(らんりょう)(山東省南部)の知事となった。前238年に春申君が暗殺されたあとは官を追われ、そのまま任地の蘭陵で没している。
孔子(こうし)(孔丘)、孟子(もうし)(孟軻(もうか))の後輩で、儒家の系列に入る。『荀子』20巻32篇(へん)の著作が残っている。その中心思想は、たゆみない努力の持続の重視である。このいわば努力主義とでもよべる基本的な考え方から、孟子の性善説に対して有名な性悪説が生まれている。人間の本来の性質は悪であるが、後天的な作為、努力しだいでは聖人になれる、というのである。また、古代中国では、災害は天の意思表示とみなされていたが、人間の後天的努力を重視する荀子は、両者の相関関係を否定した。また、古代の神話的天子(先王)を君主の理想像とする伝統的考え方に対して、政治はいちばん近い時代において現実に努力した王、つまり「後王(こうおう)」の定めた政策や制度に従うべきだ、という後王思想をも主張している。ただし、現実と、現実を変える努力を重視する荀子の考え方は、現実よりも理想論をたてまえとする儒教では異端視され、彼の説が注目されるようになったのは、実に清(しん)朝も18世紀に入ってからのことであった。
[福井文雅 2015年12月14日]
中国,戦国時代の思想家。姓は荀,名は況,荀卿(じゆんけい),孫卿と尊称される。趙(山西省)の人。諸国を遊説しており,趙では侵略主義に反対して王道にもとづく戦略論を展開し,秦においては天下統一に儒教の理論が不可欠なことを強調している。50歳以後,斉,楚で学究生活を送り,晩年には楚の蘭陵県の県令となった。荀子の学問は,社会生活における人間行為の現実的動因をいかに把握するかということから出発した。そして,それに妥当する法則を打ち建てること,これが帰着点であった。空想的な要素は皆無に近く,現実から遊離した観念の追求は,一顧だに値しなかった。彼の学問と思想の特色である。礼を重んじて礼治主義を唱え,礼を君主の制作と考えて,君主中心の政治論を展開し,先王だけでなく〈後王〉すなわち現在の王者の尊重を説いた。また性悪説を述べ,天と人とを分離し,自然物としての天を利用せよ,と強調した。
執筆者:日原 利国
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生没年不詳
戦国時代末期の儒家。趙(ちょう)の人。名は況または卿。斉に仕え,のち楚(そ)の春申君(しゅんしんくん)に仕えた。その学は孔子を標準とし,「中庸」の説により,性悪説を主張し,礼法によって道徳を維持し混乱の社会再建を説き,『荀子』(現行本32編)をつくった。晩年は楚の蘭陵(らんりょう)に居住。法家の韓非(かんぴ),李斯(りし)らはその門人。漢代では孟子(もうし)よりも儒家の正統とされた。
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… これに対して東洋の人間観では,善と悪を神に結びつけず,人間性に内在する二つの心理的傾向とみる。孟子は性善説を唱え,荀子は性悪説を唱えたが,この二つの説は理論的には矛盾しない。孟子の考えるところでは,人間の本性には良心と放心という二つの傾向がある。…
…大規模化する公私の財政を運営するためにも有能な官吏が必要とされ,官吏は本人一代限りのものとして君主によって任命され,またその成績に応じる信賞必罰が説かれ,最近湖北省雲夢県で《官吏心得》も発見された。
[思想,芸術]
この《官吏心得》は,戦国末の秦で公布されたものであるが,その内容は上述の商鞅の著書とされる《商君書》(成立は戦国末)と共通する思想がみられ,また荀子の思想の影響がみられる。荀子は儒家といわれ,商鞅は法家といわれる。…
…中国,荀子の倫理説の中心概念。《荀子》の〈性悪篇〉には〈人の性は悪なり,その善なる者は偽なり〉と説く。…
…しかし墨子は《非楽》を著し,為政者が楽舞を行うのに,民を搾取して過剰な経費をかけるとの理由から,音楽活動には否定的態度をとった。これに対して,荀子は〈楽論〉(前3世紀)で反駁(はんばく)し,音楽は人間の自然の欲求だから,むしろこれを正しい方向に導くことが,為政者の役割だと主張した。孔子が周朝初期の為政者によって制定された音楽を理想とし,彼の時代(前6~前5世紀)の娯楽性に富んだものを排斥した言を荀子は受けて,古学あるいは先王の楽と雅楽の概念を鮮明にし,目前の民間音楽(俗楽)と対峙させた。…
…ここに中国哲学の達した頂点の一つが見られる。 そのあと現れた儒家の荀子(じゆんし)は道家の自然説に反対し,人間を自然のままに放任すれば必ず争闘に至るとして,人間の自然の性を悪として規定した。これは同じ儒家の孟子の性善説と正面から対立するものである。…
※「荀子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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