ちょ‐くん【×儲君】
- デジタル大辞泉
- 1 皇太子。東宮とうぐう。儲王。もうけのきみ。2 貴族の世継ぎの子。
きょう‐し〔ケウ‐〕【×驕恣/×驕×肆】
- デジタル大辞泉
- [名・形動]おごりたかぶって、ほしいままに振る舞うこと。また、そのさま。「太子の寵を頼んで―であることまでが」〈中島敦・李陵〉
三長制 (さんちょうせい) Sān zhǎng zhì
- 改訂新版 世界大百科事典
- 中国,北魏の486年(太和10)警察・徴税機能の強化をめざす李沖の献策を文明太后らが取り上げ実施した隣保制度(隣保制)。5家を隣,5隣を里,5里(1…
五百城入彦皇子 (いおきいりひこのおうじ)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 記・紀にみえる景行天皇の皇子。母は八坂入媛(やさかいりひめ)。景行天皇の80人の子のうち,日本武尊(やまとたけるのみこと),稚足彦(わかたらしひこの…
こうりゅう‐じ〔クワウリユウ‐〕【広隆寺】
- デジタル大辞泉
- 京都市右京区太秦うずまさにある真言宗御室おむろ派の寺。山号は蜂岡山。推古天皇11年(603)秦河勝はたのかわかつが聖徳太子の命を奉じて創建したと…
コノピシュチェ‐じょう〔‐ジヤウ〕【コノピシュチェ城】
- デジタル大辞泉
- 《Zámek Konopiště》チェコの首都プラハ郊外にある城。プラハの南約30キロメートルの町ベネショフに位置する。元は13世紀に建てられた城塞だったが、…
高田寿 (たかた-ひさし)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1866-1921 明治-大正時代の医師。慶応2年8月生まれ。帝国大学医科大学卒業後,ただちに助手となり外科を専攻。札幌病院勤務などをへて明治39年ドイ…
たいしょう‐てんのう(タイシャウテンワウ)【大正天皇】
- 精選版 日本国語大辞典
- 第一二三代天皇。明治天皇第三皇子。名は嘉仁(よしひと)。母は柳原愛子(なるこ)。明治二二年(一八八九)立太子。明治天皇の崩御によって践祚し、元…
小野妹子【おののいもこ】
- 百科事典マイペディア
- 生没年不詳。飛鳥(あすか)時代の遣隋使。607年聖徳太子に選ばれて遣隋使となり,煬帝(ようだい)に国書を提出し,翌年隋使裴世清(はいせいせい)ととも…
燕 (えん) Yān
- 改訂新版 世界大百科事典
- 中国,漢人馮跋(ふうばつ)の立てた王朝。北燕ともいい,五胡十六国の一つ。後燕が北魏に敗れて瓦解すると,その勢力の一部は遼西に逃れて竜城(遼…
せいた‐りん【逝多林・誓多林】
- 精選版 日本国語大辞典
- ( [梵語] Jetavana 「逝多の林」の意 ) 祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)が建てられた園林。もと逝多(祇陀太子)の所有だったところからいう。
りょう‐そく(リャウ‥)【両足】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙① 二本の足。両方の足。双脚。両脚。両あし。[初出の実例]「葬二天皇於河内科長中尾山陵一。太子素服歩随。両足見レ血。挙レ輿強進」(出典…
広隆寺 こうりゅうじ
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 秦寺・太秦(うずまさ)寺とも。京都市右京区にある古寺。現在は真言宗。蜂岡山と号す。秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から授けられた仏像を安置す…
藤原葛野麻呂 (ふじわらのかどのまろ) 生没年:755-818(天平勝宝7-弘仁9)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 平安初期の官人。山背(山城)への遷都の中心人物の一人であった小黒麻呂の子で,母は山背の土豪秦島麻呂の娘であり,名前もその地名葛野郡に由来す…
きもせい【肝精】 を 煎((い))る
- 精選版 日本国語大辞典
- 気をもむ。やきもきする。骨を折る。[初出の実例]「ああそちは人にきもせいをいらする」(出典:歌舞伎・阿闍世太子倭姿(1694)二)
【翳滅】えいめつ
- 普及版 字通
- 人が死ぬこと。晋・陸機〔愍懐太子の誄〕我が惠后を傷(いた)む。寂焉として翳滅す。字通「翳」の項目を見る。
こっき【国記】[書名]
- デジタル大辞泉
- 日本最初の国史書。聖徳太子が蘇我馬子そがのうまこと共編したといわれるが、焼失して現存しない。くにつふみ。
え‐でん(ヱ‥)【絵伝】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 貴人・高僧などの伝記を、連続する絵と詞書(ことばがき)とによって示したもの。「聖徳太子絵伝」「一遍上人絵伝」など。
とうぐう‐しき【東宮▽職】
- デジタル大辞泉
- 平安中期以降、皇太子の道徳・学問の師である東宮傅ふと東宮学士の総称。
金剛正寺こんごうしようじ
- 日本歴史地名大系
- 和歌山県:海草郡下津町小畑村金剛正寺[現]下津町小畑小畑(こばた)川北岸に位置し、救世山上宮院と号する。西山浄土宗で本尊阿弥陀如来。「続風…
ぎょ‐えい【御影】
- デジタル大辞泉
- 天皇・三后さんこう・皇太子などの写真または肖像画。
うずまさ‐しょうりょうえ(うづまさシャウリャウヱ)【太秦聖霊会】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 京都市右京区太秦の広隆寺で陰暦八月二二日に行なう聖徳太子の聖霊会。舞楽が奏される。太秦会式(うずまさえしき)。
野中寺 やちゅうじ
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 大阪府羽曳野(はびきの)市にある高野山真言宗の寺。青竜山徳連院と号し,俗に中の太子とよぶ。聖徳太子の創建といい,蘇我馬子(うまこ)の建立とも伝…
か‐ち(クヮ‥)【花池】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 花の咲いている池。[初出の実例]「花池の最中に太子宝蓮華の上に座し」(出典:私聚百因縁集(1257)三)
し‐し【師資】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 「老子‐二三章」の「故善人、不善人之師、不善人、善人之資」による )① 師とたのむこと。また、その対象となる人。師匠。先生。〔春秋…
こく‐まい【黒米】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 籾(もみ)をとったままの、まだ精白していない米。玄米。くろごめ。〔庾肩吾‐奉和太子納凉梧下詩〕
か‐ひ(クヮ‥)【寡妃】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 皇太子妃、皇太孫妃、親王妃、王妃で、その配偶者を失った人。
東山天皇 (ひがしやまてんのう) 生没年:1675-1709(延宝3-宝永6)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 第113代に数えられる天皇。在位1687-1709年。名は朝仁。霊元天皇の第4皇子。1682年(天和2)父天皇の強い希望により儲君(ちよくん)に治定,翌年皇…
藤原百川 ふじわらのももかわ
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]天平4(732).奈良[没]宝亀10(779).7.9. 奈良奈良時代末期の廷臣。藤原式家の祖宇合の8男。天平宝字3 (759) 年従五位下,神護景雲3 (769) 年従四位…
サウジ人記者殺害事件
- 共同通信ニュース用語解説
- サウジアラビア人記者殺害事件 サウジ人著名記者ジャマル・カショギ氏が2018年10月、トルコ・イスタンブールのサウジ総領事館でサウジ当局者らに殺…
にほんおうじょうごくらくき〔ニホンワウジヤウゴクラクキ〕【日本往生極楽記】
- デジタル大辞泉
- 平安時代の往生伝。1巻。慶滋保胤よししげのやすたね著。寛和元~2年(985~86)ごろ成立。聖徳太子以下45人の往生伝をまとめたもの。
さい‐じゅ【再誦】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 ( 「じゅ」は「誦」の呉音 ) 同じ文句を再び読誦(どくじゅ)すること。繰り返して声を出して読むこと。さいしょう。〔新唐書‐章懐太子伝〕
あおり【障泥】 を 打((う))つ
- 精選版 日本国語大辞典
- 馬を速く走らせるため、鐙(あぶみ)で、障泥を打つ。[初出の実例]「一鞭くれ、あをりをうてば」(出典:浄瑠璃・聖徳太子絵伝記(1717)四)
みこ‐の‐みや【東宮・春宮】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙① 皇太子のいる宮殿。② 転じて、皇太子。ひつぎのみや。ひつぎのみこ。[初出の実例]「直広壱当麻真人国見を以て、東宮(ミコノミヤの)大傅(…
仁明天皇 にんみょうてんのう
- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
- [生]弘仁1(810).京都[没]嘉祥3(850).3.21. 京都第 54代の天皇 (在位 833~850) 。名,正良。嵯峨天皇の皇子。母は橘嘉智子。弘仁 14 (823) 年淳和天…
用明天皇 (ようめいてんのう) 生没年:?-587
- 改訂新版 世界大百科事典
- 第31代に数えられる天皇。在位585-587年。欽明天皇の第4皇子,母は蘇我稲目の娘堅塩媛。大兄皇子といい,同母兄敏達天皇の死によって585年9月,磐余…
おう‐しきょう〔ワウシケウ〕【王子喬】
- デジタル大辞泉
- 中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙しょうを吹いて雲中を飛んだという。
ど‐ぞう(‥ザウ)【土像】
- 精選版 日本国語大辞典
- 〘 名詞 〙 粘土などをこねてつくった像。[初出の実例]「太子土像也」(出典:蔭凉軒日録‐文明一八年(1486)七月一四日)
み‐うた【▽御歌】
- デジタル大辞泉
- 1 人の歌を敬っていう語。2 天皇・皇后・皇太后・皇太子などが作った歌。
みくに‐ゆずり〔‐ゆづり〕【▽御国譲り】
- デジタル大辞泉
- 天皇が位を皇太子に譲ること。譲位。「―の節会せちゑ行はれて」〈徒然・二七〉
令旨 (りょうじ)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 皇太子の言詞あるいはその意を奉じた文書。三后(皇后,皇太后,太皇太后)のものもこれに準ずる。公式令の令旨式によると,令を受けた人が春宮坊(…
三条天皇 さんじょうてんのう
- 山川 日本史小辞典 改訂新版
- 976.1.3~1017.5.9在位1011.6.13~16.1.29冷泉天皇の第2皇子。名は居貞(おきさだ)。母は藤原兼家の女超子(ちょうし)。986年(寛和2)花山(かざん)天皇…
アレクセイ2世
- 367日誕生日大事典
- 生年月日:1690年2月19日ロシア皇太子1718年没
しゅめ‐しょ【主▽馬署】
- デジタル大辞泉
- 律令制で東宮坊に属し、皇太子の乗馬・乗具をつかさどった役所。うまのつかさ。
鵜飼村うかいむら
- 日本歴史地名大系
- 兵庫県:揖保郡太子町鵜飼村[現]太子町広坂(ひろさか)甚左衛門(じんざえもん)捌の北に位置する。大市(おおいち)郷に属する。元和三年(一六…
恒貞親王
- 朝日日本歴史人物事典
- 没年:元慶8.9.20(884.10.12) 生年:天長2(825) 平安前期の皇族。淳和天皇と皇后正子内親王(嵯峨天皇皇女)の子。亭子親王とも。天長10(833)年10月,嵯…
空頂黒幘 (くうちょうこくさく)
- 改訂新版 世界大百科事典
- 冠の一種。天皇および皇太子が元服のときに加冠前につける。《新撰字鏡》に〈比太比乃加加保利(ひたひのかかほり)〉とみえているように,前額部に…
吉福新村よしふくしんむら
- 日本歴史地名大系
- 兵庫県:揖保郡太子町吉福新村[現]太子町米田(よねだ)吉福出屋敷(よしふくでやしき)村の東に位置する。江戸時代初期に吉福出屋敷村から分村し…
皇太子妃雅子 (こうたいしひ-まさこ)
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 1963- 皇太子徳仁(なるひと)親王の妃。昭和38年12月9日生まれ。小和田恒(ひさし)の長女。外交官である父の関係で海外生活がながく,アメリカのハー…
三経義疏 さんぎょうぎしょ
- 日本大百科全書(ニッポニカ)
- 聖徳太子の著とされる『勝鬘経(しょうまんぎょう)義疏』『法華(ほっけ)義疏』『維摩経(ゆいまぎょう)義疏』の三疏を一括した呼び名。7世紀の初めにこ…