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評論家、劇作家、小説家。本名木庭(こば)一郎。東京に生まれる。東京帝国大学仏文科卒業。1933年(昭和8)、小林秀雄らの推薦で『文学界』に連載した『ギイ・ド・モウパッサン』(1933~34)や、池谷(いけたに)信三郎賞を受けた『二葉亭論』(1936)などで、批評活動を始める。38年フランスに留学したが、翌年、戦争のため帰国。この間、山本健吉らと『批評』を創刊。第二次世界大戦後は雑誌『展望』の創刊にあずかるほか、次々と評論を発表、戦後批評界の中心となった。彼の立場は、近代リアリズムの正統論に立脚して、日本の近代文学の擬似性を批判するものであるが、『風俗小説論』(1950)はその代表的なものであり、さらに『谷崎潤一郎論』(1951~52)、『志賀直哉(しがなおや)論』(1953)、『佐藤春夫論』(1961)と進めて徹底した。ほかに戯曲に『人と狼(おおかみ)』(1957)、『パリ繁昌(はんじょう)記』(1960)、『汽笛一声』(1964)など、小説に『わが性の白書』(1963)、『ある愛』(1976)、『グロテスク』(1979)などがある。82年文化功労者。
[古木春哉]
『『中村光夫全集』全16巻(1971~73・筑摩書房)』
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…海外の文学にもその例は少なくないが,日本では坪内逍遥が《小説神髄》(1885‐86)に〈小説の主脳は人情なり,世態風俗これに次ぐ〉と唱えたことから風俗小説のあり方が問題とされる。なかでも中村光夫の《風俗小説論》(1950)は,その系統を小栗風葉の《青春》(1905‐06)あたりから探って,日本の近代小説のゆがみを指摘したものとして知られる。風俗小説が表面的なリアリズムに走って,そこに小説本来の虚構性,ひいては作者の思想性が欠如していることに言及してもいるからである。…
…明治中期の内田魯庵,石橋忍月による先駆的な仕事をうけつぐ形で,明治末から昭和にかけては,近松秋江,正宗白鳥,佐藤春夫,広津和郎その他が,この分野を拡大してきた。そして,1922年以来20年間にわたって文芸時評を続けた川端康成と,33年ごろから約30年間月評家をもって鳴らした十返肇(1914‐63)が文壇の生き証人,目撃者の立場をとった現場主義的な批評を代表し,1930年から文芸時評をはじめた小林秀雄や,35年から新鋭として認められた中村光夫(1911‐88)らが,原理的批評を代表することになる。なお,80‐82年に発表された吉本隆明(1924‐ )の文芸時評は,文学創造の本質を把握したものとして高く評価された。…
… このように私小説について特徴的なのは作品と論議とが同程度の重要さをもって発表されてきたことである。小林秀雄や後の中村光夫《風俗小説論》(1950)(風俗小説)の批判にもかかわらず私小説は盛んに書かれていたのである。その主なものは志賀直哉の系統では滝井孝作《無限抱擁》(1921‐24),尾崎一雄《二月の蜜蜂》(1926),《虫のいろいろ》(1948)など,葛西善蔵の系統では牧野信一《父を売る子》(1924),嘉村礒多(かむらいそた)《途上》(1932)などがある。…
※「中村光夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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