シュメール美術(読み)シュメールびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「シュメール美術」の意味・わかりやすい解説

シュメール美術 (シュメールびじゅつ)

本項では歴史の流れを考慮し,アッカド美術をも記述に含める。

 シュメール美術の作品例は,ウルク期(前3800ころ-前3000ころ)のころからのものが知られている。この時期にメソポタミア南部の都市ウルクでは,聖域エアンナEannaに神殿複合体が造営された。なかでも注目されるのは〈モザイク神殿〉で,その壁や柱には一面に円錐形の陶製飾りが底面を壁の表面に残すようにして打ちこまれ,幾何学形パターンの組合せによるモザイク装飾の効果を上げていた。またウルク期には丸彫の人物小像が作られ,後期には円筒印章も使われるようになった。この時期の円筒印章はやや大型で,図柄には人物や動物が登場するさまざまな情景が好んでとり入れられた。
ウルク文化
 次のジャムダット・ナスル期(前3000ころ-前2800ころ)には,彫刻の分野に注目すべき展開がみられる。丸彫のほかに浮彫が発達し,小規模な記念碑や祭儀用の石製容器の表面を飾るようになった。なかでもアラバスター製の大型の筒形壺〈ワルカ(ウルク)の壺〉(ウルク出土)では,外面帯状に3段の低浮彫がほどこされている。ここに描写されているのは,女神イナンナInannaに関すると思われる祭りの場面である。円筒印章はこの時期に急に数がふえたが,図柄はウルク期のものよりむしろ粗雑になり,植物文様の変形である図式化された幾何学文様が流行した。これは円筒印章自体が小型になったこと,大量生産されるようになったことに関係していると見られる。ジャムダット・ナスル期の円筒印章はエジプトイラン,東地中海地方などからも出土しており,このころ広範囲にわたってシュメール世界と他の文化圏との交流があったことがわかる。
ジャムダット・ナスル文化
 前2800年ころから始まるシュメール初期王朝時代は,考古学的には3期に分けられる。第Ⅰ期(前2800ころ-前27世紀)に衰退の傾向を見せたメソポタミア南部の都市国家は,第Ⅱ期(前27世紀-前26世紀)に再び繁栄へと向かって動き出した。テル・アスマルTell Asmar,テル・アグラブTell Agrabなどから発見された第Ⅱ期相当の神殿址からは,多くの彫像,いわゆる礼拝者像が発見された。これらは一様に直立し胸の前で両手を組み合わせた姿勢をとった石像で,人体表現はやや堅苦しく丸味に乏しい。しかし,象嵌細工による目は大きく,印象的で,見る者に強い感銘を与える。テル・アスマルの方形神殿から発見された一群の彫像は,このような第Ⅱ期の彫刻を代表するものといえる。第Ⅲ期(前26世紀からアッカド王朝成立時まで)になると,彫刻では様式化にこだわらず人体の自然な特色を表現することに関心が向けられるようになった。彫像の体つきは丸味をおび,〈カウナケスkaunakes文様〉と呼ばれる手法を用いて頭髪やあごひげ,身にまとっている毛皮の柔らかい質感が表現された(マリ出土の〈エビー・イル像〉など)。またこの時期には,浮彫をほどこした壁面装飾用の石板が多く作られた。初期の浮彫は平面的で硬い作風を見せていたが,やがて人物,動物などの肉付きが立体感を持ち,図柄にも多様性が見られるようになっていく。その優れた作品例としてラガシュ出土の〈禿鷹の碑〉がある。表裏両面の図柄はそれぞれ興味深いが,とくに歩兵部隊の配列の表現方法に独特の工夫が見られる。また神殿址から発見される容器類や道具類の表面にも,人物,実在または空想の動物,抽象的な象徴などを組み合わせた,独自の意匠を持つ浮彫が見られる。建築は初期王朝時代から平たいかまぼこ状の形態を持つ日乾煉瓦(プラノ・コンベックス煉瓦)が主要な材料として用いられるようになった。また神殿のプランでは入口と祭壇とが直角に位置する〈ベント・アクシス様式〉が主流であった。ハファジャKhafajaの楕円形神殿,テル・アグラブのシャラ神殿などが代表例である。また円筒印章は,初期王朝時代にも盛んに製作された。第Ⅰ期には装飾的要素を画面全体に散らしたような図柄が主流であったが,第Ⅱ期に入ると意匠に変化と多様性が出てくる。〈英雄〉または半人半獣の主人公と,動物との戦いの場面が多く見られ,また銘文も刻まれるようになった。第Ⅲ期の円筒印章は彫りの技術が進み図柄の題材が多様になり,小規模の浮彫を思わせるような作品も出現する。一方20世紀に発見されたウルの王墓からは,副葬品として多くの貴重な工芸品が出土した。〈メスカラムドゥグMeskalamdugの黄金の兜〉,金製の装身具や刀剣類は,この時期に金属の打出し刻文技術が高度に発達していたことを物語る。また木製の土台の上にピッチをおき,貴石,貝殻,ラピスラズリなどをはめこんで意匠を表す象嵌技術が,多くの作品に応用された。〈ウルのスタンダード〉はこの技法を用い,横長の画面の表裏を図柄で飾ったパネルである。そこには帯状に仕切られた各段に,戦闘,勝利,祝宴などの場面を説話風に描出する,メソポタミア独特の表現様式が見られる。ほかにもウル王墓出土のゲーム盤や楽器の部分に象嵌技法の使用例が見られる。〈灌木にもたれかかるヤギ〉にも当時の工芸技術が駆使されている。

 セム人がメソポタミアの政治的な支配権を握ったアッカド王朝(前2350ころ-前2170ころ)時代の美術は,シュメール初期王朝時代に形成された美術の伝統を継承しながらも,新しい傾向を加え発展させたものであった。彫刻の分野では,現存している作品の数こそ少ないが,技術的にも芸術的にも高い水準に達していたことがわかる。ニネベ出土のブロンズ製の男の頭部は,アッカドのサルゴン王の肖像とも考えられているが,頭髪,あごひげの表現にシュメール初期王朝時代の手法を残しながらも,顔の表情にはそれまでに見られなかった自然な特色が現れている。この像はまた,当時ブロンズの鋳造技術が高度に発達していたことを証明する貴重な存在である。浮彫では〈ナラムシン王の碑〉(スーサ出土)がよく知られる。ナラムシン王の戦勝を記念するこの石碑は,縦長の石碑面をいっぱいに使いながら斜め上方への動きを出している巧みな構図,人物の肉体表現に見られる自然主義的傾向など,シュメール初期王朝時代の浮彫には見られない新しい感覚を示している。円筒印章でもアッカド王朝時代には大きな発展が見られ,図柄の面では印章一回転で一つの完結した場面を表そうとする傾向が見られる。神話伝説に題材を求めたと思われる説話風の場面や,神の前に立つ礼拝者像を表した場面など図柄が多様になり,登場する神,英雄,人物,動物の組合せは巧みで,描写はより自然主義的になっていった。

 アッカド王朝がグティ人の圧迫により滅亡したころ,メソポタミア南部において唯一独立を維持していたシュメール人の都市国家ラガシュからは,グデアとその子ウルニンギルスUr-Ningirsuを表した石彫像が数多く発見された。これらはすべて神に祈りをささげている姿勢をとる直立像または座像で,硬質の玄武岩の持つ質感を巧みに生かした量感あふれるものである。像は静かでしかも力強く,荘重な気分を漂わせている。

 グティ人をメソポタミアから追い払ってウル第3王朝がシュメールの覇権を握った時代,すなわち新シュメール時代に,首都ウルは整備され,数多くの建築物が造営された。聖域テメノスTemenosにはジッグラトのほか,数多くの神殿が建設された。このジッグラトは3段の基壇を積み上げ,階段を巧みに配置し,最上段に神殿をもうけた壮大なもので,新シュメール時代の建築のもっとも優れた例といえよう。また墳墓建築として,ウル第3王朝の創立者ウルナンムUr-Nammuのものと思われる地下の墓室が発見されている。彫刻では少数の浮彫作品が現存しているのみである。ウルナンムの碑は当初は高さ3mにも及ぶ大作であったが,現在は部分的にしか残っていない。画面を水平に何段にも区切りおのおのの段に図柄を配する伝統的構図が,ここに復活している。題材は神々の象徴と王が神の前で儀式を行っている場面などを組み合わせたもので,宗教的色彩を強く帯び,アッカド王朝時代の浮彫とは異なる題材が選ばれている。また画面全体のシンメトリーが重視されている点が目だつ。登場人物に動きが少なく画面が静的で,衣服の扱いなどに初期王朝時代以来の伝統的な要素が見いだされる。同様のことは,ウル第3王朝時代の円筒印章についても言える。一般にこの時期の美術には,意匠,題材,表現などに,伝統的な要素が濃厚であった。ウル第3王朝の滅亡とともに,シュメール人は歴史の表舞台から姿を消し,その美術も再び華やかに栄えることはなかった。
メソポタミア美術
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュメール美術」の意味・わかりやすい解説

シュメール美術
シュメールびじゅつ
Sumerian art

前 3000年頃から前 2000年頃まで,主として南メソポタミアを支配したシュメール人の美術。初期王朝時代,アッカド時代 (→サルゴン ) ,ウル第3王朝時代の3期に分ける。第1期はウルクウルエリドゥラガシュニップールキシュなどの都市を建設し,建築,絵画,彫刻,工芸など各分野に空前の進歩をみせた。彫刻にはテル・アスマル,マリ,アッシュール,アル,ウバイドなどから出土した多数の小像などがある。ウル王墓出土の『ウルのスタンダード』と呼ばれるモザイク板はシュメール前期絵画の代表例。同所出土の竪琴の胴に象眼されたモザイク画には動物格闘文やギルガメシュ伝説などが描かれ,動物表現に優れていたことを示している。ほかに鋳銅雄牛像や獅子頭の鳥イムドグドが2頭のシカを捕えている図のフリーズなど,鋳金技術に高い水準をみせている。また貴金属装身具,日常食器,武器などにも金工技術の粋をみせている。アッカド期に入るとテル・ブラク出土の『ナラム=シンの戦勝碑』 (ルーブル美術館) の浮彫にみられるように,表現が自由で,勝利の瞬間をみごとにとらえ,芸術性が増す。『サルゴン大王像』 (イラク博物館) の青銅頭部像はその代表例で,やや様式化されたなかにも写実的な力強い表現がみられる。シュメール人とハム人との民族的相違を表出しているといえよう。シュメール末期は異民族グティ人の支配に抵抗して立ったラガシュのグデア王の閃緑岩による多数の『グデア像』がその代表例で,古式の硬いシュメール式表現を復活させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュメール美術」の意味・わかりやすい解説

シュメール美術
しゅめーるびじゅつ

メソポタミア美術

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