胃のなかには0.1規定の塩酸が存在するため、口から胃内へ入ってきた細菌は塩酸により殺菌されてしまいます。このように、胃の内部は細菌の生育には適さない環境がつくりあげられていることから、胃には細菌は生息できないと長い間考えられてきました。
このような概念を根本からくつがえしたのは、オーストラリアの若い消化器病医のマーシャルでした。1982年、彼によって初めてヒトの胃粘膜から、らせん状の細菌が分離培養されました。ピロリ菌は培養の難しい細菌で、培養期間も普通の細菌より長く行う必要がありました。その後、彼は病理医のワレンと精力的に仕事を推し進め、ピロリ菌感染と胃粘膜病変との関わりを次々と明らかにしていったのです。
ピロリ菌がヒトに胃炎を引き起こすことは、発見者のマーシャルが自ら、ピロリ菌を経口的に摂取し、自分の胃に胃炎を生じさせたことから明らかになりました。摂取後、1週間でピロリ菌は彼の胃粘膜に証明され、内視鏡的に胃炎の所見がみられました。上腹部痛が2日目より生じ、5~6日目にピークを迎えましたが、以後は急速に減っていき、2週後にはピロリ菌が持続陽性であるのにもかかわらず、胃部の痛みは完全に消えました。このようにマーシャルは自ら被験者となって、ピロリ菌がヒトに胃炎を起こすことを証明したのです。
ピロリ菌が、胃酸の存在する胃のなかで生きていけるのは、菌のなかにウレアーゼという酵素をたくさんもっており、この酵素が尿素からアンモニアを生成させ、アンモニアによって胃酸を中和させるからなのです。
ピロリ菌が、どのように胃の粘膜を障害していくのかについてはまだ十分わかっていません。ひとつには、ピロリ菌によって生じたアンモニアが胃の粘膜を障害することが明らかになっています。また、この菌がもっている蛋白分解酵素が粘液を分解し、胃の防御機構を低下させることによって酸の障害性を増強する機序(仕組み)も考えられています。
ピロリ菌は、感染すると白血球やリンパ球などの炎症細胞
健康な人におけるピロリ菌の感染率は、年齢が増すとともに上昇することが明らかになっていますが、国や地域で大きな差が認められます。一般に、衛生環境のよくない開発途上国では、若い年齢層から感染率が高く、年代別変化がほとんど認められないといわれています。欧米諸国では、若い年齢層ではピロリ菌の感染はほとんど認められず、年齢をへるごとに増加していく傾向を示します。
日本の場合は、欧米諸国と開発途上国の中間のパターンを示していることが明らかになってきました。日本の20歳までの若い人たちのピロリ菌の感染率は低く、20%以下の低い値を示しています。これに対して50歳以上の世代では、感染率が80%と極めて高い状態を示しています。
日本人では、
ピロリ菌の除菌により、胃・十二指腸潰瘍(かいよう)の再発が維持療法なしでも抑制されることが明らかになりました。日本では、十二指腸潰瘍の95%、胃潰瘍の90%以上がピロリ菌陽性です。保険が適応されていなかったため、除菌治療ができない時代が続いていましたが、2000年11月から、ようやく日本でも胃・十二指腸潰瘍に限って除菌治療を保険で行うことができるようになりました。
今、大きな注目を集めているのは、ピロリ菌感染と胃がんの関わりです。疫学的にはほぼ証明され、1994年に世界保健機関(WHO)は、ピロリ菌を確実な発がん物質に指定しています。また、動物にピロリ菌を長期感染させて、胃がんを発生させることに成功した報告が日本から発表されています。さらに研究が進んで、どの段階で除菌治療を行えば胃がんの発症を食い止められるかが明らかになることを期待しています。
ピロリ菌感染の診断法は、内視鏡検査を必要とするものと、しないものに分けることができます。内視鏡検査を必要とする診断法は、内視鏡を挿入し胃粘膜を観察しながら、
内視鏡を必要としない検査法としては、血清抗体を測定する方法や、呼気中の二酸化炭素を分析する
ピロリ菌は、胃粘膜表層や粘液中にすみついているので、単独の抗生剤での駆除が難しい細菌です。そのため、いくつかの薬剤を併用する方法が行われています。抗潰瘍薬のプロトンポンプ阻害薬(PPI)とアモキシシリン(合成ペニシリン系抗生剤)、クラリスロマイシン(マクロライド系抗生剤)の3者併用療法が日本で保険適応となっており、1週間で90%前後の高い除菌率が報告されています。
二次除菌法として、クラリスロマイシンの代わりにメトロニダゾール(抗原虫剤)を使用する療法も保険適用になりました。
副作用としては、軟便、下痢などが10%前後生じますが、ほとんどが軽度のものです。
ピロリ菌の感染者は、日本の総人口の約半数(6000万人)くらいと考えられています。1993年のデータでは、このうち2~3%前後が胃・十二指腸潰瘍を発症し、0.4%が胃がんを発症したといわれています。
日本から除菌により胃がんの発生が3分の1に抑制されるという結果が発表され、大きな反響を呼んでいます。日本ヘリコバクター学会は、改訂ガイドラインでピロリ菌陽性者の除菌を積極的にすすめています。
浅香 正博
出典 法研「六訂版 家庭医学大全科」六訂版 家庭医学大全科について 情報
「ピロリ菌」のページをご覧ください。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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