翻訳|Amazonia
アマゾン川流域のアマゾニアは,西はアンデス山脈,北はギアナ高地,そして南はブラジル高原に囲まれた地域で,その面積は約650万km2の広大な地域を占める。
アマゾン河谷は上流へ漏斗状に大きく開き,第三紀層の堆積物でおおわれた平野である。この流域の形成過程をみると,石炭紀以後,海水が後退するにつれて陸地が現れ,そこに西方へ流れる川が形成された。ところが,7000万年ほど前にアンデス山脈が隆起し,この西方への流れはせき止められて,ここに広大な淡水湖ができた。そして,この湖底には第三紀の地質時代を通じて沈殿物が堆積し続け,その厚さは2000mにも達するほどになった。その後,洪積世に至ってギアナ高地とブラジル高原の間を湖からの水があふれ出て,大西洋に流れるようになり,流水は湖底をうがって河谷をつくった。この浸食作用は上流へと及びアマゾン水系を形成した。それゆえ,河川勾配はきわめてゆるやかであるし,水深が100mを超えるような深いところもある。この時の湖底が現在テラ・フィルメ(〈堅い土地〉の意)と呼ばれ,大洪水でも浸水しない台地となっている。このような平たんな台地に比べ,右岸から流入する支流の源流地方であるマト・グロッソ州では波状の高原や卓状地が広がっているし,北のギアナ地方には急峻な地形が広がり,そこからの支流には多くの滝がみられる。ギアナ地方の山地には,標高3014mでブラジルで最高峰のネブリーナ山や標高2800mのロライマ山などの高い山がある。他方,河谷上流部のペルーやボリビア東部では,アンデス山脈からの新しい氷河堆積物が古い地表をおおって分布している。
アマゾニアの気候は,この流域が低緯度に位置し,標高が低いため,一般に高温多雨である。特にアマゾナス州の州都マナウスより上流のネグロ川とソリモンエス川流域では,一年中雨が多い。しかし,どこでも一年中同じように多雨というわけではなく,割合に雨の少ない季節のあるところもある。例えば,河口に近いパラ州の州都ベレンでさえ8月から11月までの4ヵ月間は月降水量が100mm前後で,蒸発散量に比べて割合に雨の少ない季節になっているし,マナウスにおいても,7月から9月にかけての3ヵ月間は100mm以下で,特に8月には50mm以下になり,東京の最も少ない1月の降水量より小さな値である。このように,アマゾニアにおいても,短い乾季が現れ乾季と雨季の二つの季節が認められるし,これらの地域の植生も熱帯半常緑降雨林である。気温は,もちろん一年中高温で,ベレンとマナウスの年平均気温は,それぞれ25.9℃と26.7℃であるし,最暖月と最寒月の気温差は,それぞれ1.1℃と2.1℃で,ひじょうに小さく,一年を通じて日本の夏のような気候である。ところが,このように暑いアマゾニアでも,冬(インベルノ)と夏(ベロン)の区別がある。雨の多い1月から4月ころまでは,気温が他の季節よりやや低いので冬と呼ばれるのである。また,ブランコ川の上流ベネズエラ国境に近い地方では,雨が少なく乾季が5ヵ月にも及ぶので,広大な草原がみられる。
アマゾニアの典型的な植生は森林である。そして,この森林は熱帯常緑降雨林,熱帯半常緑降雨林に分かれ,さらに川沿いの土地では,常に水に浸っているイガポー林,増水期にのみ水をかぶるバルゼア(氾濫原)のバルゼア林などの降雨林があり,アマゾニアの植生も一様ではない。そのうえ,草地が森林内に点在したりしている。バルゼアは,年々上流から運ばれてくる肥沃な土壌で更新され,川沿いに住む人々にとっては農業や牧畜のためにきわめて重要な土地である。
アマゾニアが世界のスポットライトを浴びたのは,19世紀の中ごろから20世紀の初めにかけて,野生ゴムの採取で繁栄を誇った,いわゆるゴムのサイクルの時代であった。この時代には,多くの人々が一獲千金の夢を求めて,この地域に殺到し,ゴム景気もきわみに達するのであるが,東南アジアにおけるゴムのプランテーションが盛んになるにつれて,このゴムの繁栄も,その跡をベレンやマナウスの街並みあるいはマナウスのオペラ劇場にとどめて,約半世紀で終焉を迎えてしまうのである。その後,1927年に至って,ブラジル・フォード社が,ゴムのプランテーションを始め,病虫害や土壌浸食など,さまざまな困難に遭遇しながらも,サンタレン近くのベルテラに好適な土地を求めて,このプランテーションも成功したかに見えたのであるが,自社のゴム需要を満たすほど十分な生産をあげられぬまま,この土地をブラジル政府に返還してしまったのである。ところが,第2次世界大戦中,アメリカ合衆国は,東南アジアからのゴムの入手が困難になったので,ブラジル政府とともに,アマゾン信用銀行を設立するなどして,アマゾニアのゴムの再興を図った。そしてゴム景気も復活したのであるが,終戦とともに衰退し,アマゾニアは再びパラ栗(ブラジルナッツ)や木材の生産,わずかばかりのゴム生産など静かな採取産業の世界に戻ってしまうのである。
近代的なアマゾニアの幕あけは,53年バルガス大統領によるアマゾン経済評価庁(SPVEA)の設立に始まる。そして66年には,これに代わってアマゾン開発庁(SUDAM)が設立され,アマゾン信用銀行がアマゾン銀行に改組されるなど資金的な裏付けも行われた。アマゾン開発庁の重要な仕事は,道路網の整備拡充,農牧地の開発,天然資源の開発などである。
〈アマゾン大森林地帯のまっただ中,このシングー川のほとりで,わが国の大統領がアマゾン横断道路(トランスアマゾニカTransamazônica)建設を告げた。これは,この巨大な緑の世界を人類が征服し,入植地開発のための歴史的な戦いの開始である〉。70年10月9日パラ州アルタミラ市で開始されたアマゾン横断道路の建設開始を記念する碑に刻まれている言葉である。アマゾニアにおける道路の建設は,世界の人々に論議を引き起こすとともに,ブラジル人の期待とジレンマの中で進められた。道路はこの横断道路のほかに,南北を結ぶベレン~ブラジリア道路,クイアバ~サンタレン道路など,次々と建設された。さらに,ブラジル政府は74年にアマゾニア農鉱核開発計画(POLAMAZONIA)を策定し,15の特定地域を設けて集中的な開発を推進している。このほかにブラジル政府は,1968年8月マナウスとその西方全域を含む220万km2の地域を自由貿易地帯とし,この地帯内において無関税で買った輸入品などを,自由貿易地帯外に持ち出すときに,通常の輸入税を徴収し,その税金をこの地域の開発に役立てている。
執筆者:西沢 利栄
アマゾニアの伝統文化は,かつて〈熱帯雨林文化〉としてひとつのタイプにまとめて考えられていたが,その後,氾濫原(バルゼア)と高台(テラ・フィルメ)の区分が重要視されるのに伴って,そこに住む住民の社会・文化の差異が大きくクローズアップされるに至った。さらに最近ではアマゾニアの自然環境についての研究が進み,それにつれてアマゾニアの伝統社会・文化を均一なものと見る見方は少なくなっている。しかしアマゾニアの伝統社会・文化に大きな共通性が見られることは確かである。まず,人口密度がアジア・アフリカの熱帯雨林と比べても際立って低い。村落の規模は,1000人を超えることがあった海岸のトゥピナンバ族などを例外にすれば,通常50人から250人ほどである。人口密度が低く抑えられてきた要因としては,村落間の戦争,村の分裂,堕胎,性交にまつわる禁忌などがあげられる。アマゾニアの原住民の間では,同じ部族や他の部族の村を襲撃して男を殺し女を奪うことがしばしば行われ,ヒバロ族などでは首狩り,カリブ族などでは食人がそれに伴っていた。また村落内部の争いによって村はしばしば分裂した。大きな人口を抱える村を維持するだけの政治権力が確立していないためである。経済面では,ひとつの生業によっては生活を維持することができず,焼畑耕作,狩猟,漁労,採集を組み合わせている。氾濫原のように条件のよいところでは,焼畑耕作の生産性が高く,多くの人口を養うことができるが,サバンナなど条件が悪くなるに従って効率の悪い狩猟や採集の比重が高くなってくる。焼畑耕作において中心となる作物は苦いマニオクである。これには有毒な成分が含まれているため,すりおろし,搾り,乾燥するという精製法がアマゾニア全域で行われている。マニオクの精製・調理が女の仕事であるのに対して,狩猟は男の仕事である。道具は弓矢または吹矢で,クラーレなどの毒を使うこともある。狩猟には,さまざまな儀礼や信仰が伴っている。狩猟動物の霊や,野生動物の保護主に対する信仰はアマゾニアの広い地域で見られ,狩りの前に特別の儀礼を行ったり,性交を慎むなどの掟を課せられたりする場合も多い。漁労や採集は狩りよりもずっと確実な食物獲得手段であり,男女双方とも行う。これらの大きな共通性のうえにアマゾニアの諸原住民はおのおの独自の社会・文化を打ちたててきた。そのうち,氾濫原や海岸沿いのように恵まれた環境条件の下にいた部族は,白人と接触するのも早く,滅亡や文化解体の淵に追い込まれた。アマゾニアの原住民文化は,いずれも周囲の環境に対する正確な知識に裏打ちされており,その中には文明人にも有用なものが少なくない。例えばマラリアの治療薬キニーネもアマゾニア原住民の用いる薬草であった。アマゾニア原住民はこれらの知識のうえに豊富な神話,儀礼,宇宙論の体系をつくりあげてきたのである。
執筆者:木村 秀雄
アマゾン流域に広がる熱帯降雨林の特色は,まっすぐに伸びた大木が林立し,樹高は数層に分かれ,枝は高いところにあって葉は花を容易に見つけられないこと,しかも下生えが貧弱なので林床部は透け,驚くほど歩きやすいことである。もうひとつの特徴は,樹種がきわめて豊富で,特定の樹種の単純林が見られないことである。樹高が50mもの巨大高木になる樹種にはマメ科やクワ科の植物が多い。また板根(ばんこん)を発達させたり,幹に鋭いとげをもったり,幹に直接花を咲かせる樹木も多い。だが大河沿いの氾濫原(バルゼア)の森林には,パラゴムノキやセクロピア(クワ科の木),カポックなど軟材の樹木が生育し,つる植物や下生えもよく繁茂するため,林床部はふさがり,通り抜けるのに困難をきわめる。アマゾンのこのような植物相は,そこにすむ動物たちに特異な生態的地位を提供している。
アマゾン流域の哺乳類には,一見奇妙な感じを与えるものが多い。驚かされると死んだふりをする有袋類のオポッサム。一生木にぶらさがって暮らすナマケモノや歯がなくアリを専門に食べるアリクイ,よろいをまとった穴掘りの名人アルマジロなどの貧歯類。尾が自由に使えるホエザル,クモザルや,手のひらにのるほど小さいマーモセットやタマリンなどの霊長類。水辺を好むブタほどに大きいカピバラや肉の美味なパカやアグーチ,木登りの得意なキノボリネズミといった齧歯(げつし)類。樹上で生活する食肉類のキンカジューやオリンゴ。吸血鬼バンパイア(チスイコウモリ)や飛びながら花蜜を吸うシロコウモリなどの翼手類。沼で水草をはむマナティーや大河にすむカワイルカなどである。これらのほかにネコ科のジャガーやオセロット,アマゾンの地上生活者では最大のバク,イノシシに似たペッカリー,小型のマザマジカ,数種のリス,オオカワウソなど,アマゾンの哺乳類相は変化に富んでいるが,他地域と比べ,大型のものは種数も個体数も少ないという特色をもっている。
鳥類はきわめて多い。森林内ではオウム類,ハチドリ類,オオハシ類,ホウカンチョウ類が目だち,種数も豊富で,多くが鮮やかな色彩の羽毛をもつ。水辺では,始祖鳥を思わせる原始的な鳥ツメバケイや,コウノトリ類やガンカモ類やチドリ類の水鳥がごく普通に見られる。爬虫類では,ワニの一種カイマンや,大蛇アナコンダ,巨大なトカゲのイグアナなどが有名だが,個体数では卵が食用にされるカワガメが一番である。魚類では,猛魚ピラニアや世界最大の淡水魚ピラルク,強力な電気を発するデンキウナギ,ネオンテトラをはじめとする美しい各種の熱帯魚などより,むしろ大きさや形や生活形の変化に富んだ500種を超すナマズ類が興味深い。
昆虫は,いまだに新種が次々と発見されている状態である。おびただしい種類の華麗なチョウや甲虫が目を楽しませてくれる一方で,カやダニの多さは想像を絶するし,人の皮膚に卵を産みつけるハエやノミもいる。
執筆者:伊沢 紘生
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