インドヨーロッパ語族(読み)インドヨーロッパごぞく

精選版 日本国語大辞典 「インドヨーロッパ語族」の意味・読み・例文・類語

インド‐ヨーロッパ‐ごぞく【インドヨーロッパ語族】

〘名〙 東はインド亜大陸や中央アジアのタリム盆地から、西はほぼヨーロッパ全域に分布する一大語族。現在、南北アメリカオーストラリアなどにも分布。インド・イラン、ギリシャイタリック、ケルト、ゲルマン、スラブ、バルト、アルメニアアルバニア、トカラ、ヒッタイトアナトリア)などの語派を含む。インド・ゲルマン語族。印欧語族ともいう。〔通俗言語学(1899)〕

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デジタル大辞泉 「インドヨーロッパ語族」の意味・読み・例文・類語

インドヨーロッパ‐ごぞく【インドヨーロッパ語族】

共通のインド‐ヨーロッパ祖語から分かれて発達し、古代よりインドからヨーロッパにかけて分布している大語族。近代以降、南北アメリカ・オーストラリアなどにも使用者が広まった。インド・イラン・バルトスラブ・ギリシャ・イタリックゲルマンケルトなどの語派に分かれる。印欧語族。インド‐ゲルマン語族。

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改訂新版 世界大百科事典 「インドヨーロッパ語族」の意味・わかりやすい解説

インド・ヨーロッパ語族 (インドヨーロッパごぞく)
Indo-European

印欧語族ともいう(以下便宜上この名称を用いる)。古くはアーリヤ語族Aryanという名称も用いられたが,これはインド・イラン語派の総称で,印欧語族については不適当である。インド・ゲルマン語族の名は,ドイツ語で今日もなお慣用となっているIndo-Germanischに由来する。この名称は,東のインド語派と西のゲルマン語派をこの大語族の代表とみる考え方に基づいてつくられたものであるが,ドイツ語以外では使用されない。

 この語族に属するおもな語派はインド,イラン,トカラ,ヒッタイト,ギリシア,イタリック,ケルト,ゲルマン,バルト,スラブ,アルメニア,アルバニアであるが,このほか古代の小アジアとその他の地域に少数の言語が印欧語として認められている。これらの語派の分布は,東は中央アジアのトカラ語からインド,イラン,小アジアを経て,ヨーロッパのほぼ全域に及んでいる。現在のヨーロッパではイベリア半島のバスク語,これとの関係が問題にされているカフカスコーカサス)の諸言語,それにフィンランドハンガリーなどフィン・ウゴル系の言語がこの語族から除外されるにすぎない。この広大な分布に加えて,その歴史をみると,前18世紀ごろから興隆した小アジアのヒッタイト帝国の残した楔形(くさびがた)文字による粘土板文書,驚くほど正確な伝承を誇るインド語派の《リグ・ベーダ》,そして戦後解読された前1400-前1200年ごろのものと推定される線文字で綴られたギリシア語派(〈ギリシア語〉参照)のミュケナイ文書など,前1000年をはるかに上回る資料から始まって,現在の英独仏露語などに至る,およそ3500年ほどの長い伝統をこの語族はもっている。これほど地理的・歴史的に豊かな,しかも変化に富む資料をもつ語族はない。この恵まれた条件のもとに初めて19世紀に言語の系統を決める方法論が確立され,語族という概念が成立した。印欧語族は,いわばその雛形である。

印欧諸語は理論的に再建される一つの印欧共通基語(印欧祖語ともいう)から分化したものであるから,現在では互いに別個の言語であるが,歴史的にみれば互いに親族の関係にあり,それらは一族をなすと考えられる。これは言語学的な仮定であり,その証明には一定の手続きが必要である。ではどのようにして一つの言語が先史時代にいくつもの語派に分化していったのか。その実際の過程を文献的に実証することはできない。資料的にみる限り,印欧語の各語派は歴史の始まりから,すでに歴史上にみられる位置についてしまっていて,それ以前の歴史への記憶はほとんど失われている。したがって共通基語から歴史の始まりに至る過程は,純粋に言語史的に推定する以外に再建の方法はない。

 しかし印欧語族のなかには,歴史時代に分化をとげた言語がある。それはラテン語である。ラテン語はイタリック語派に属する一言語であったが,ローマ帝国の繁栄とともにまず周辺に話されていたエトルリア語やオスク・ウンブリア語などを吸収した。そして政治勢力の拡大に伴って,ラテン語の話し手はヨーロッパ各地に侵入し,小アジアにも進出した。その結果,西はイベリア半島からガリア,東はダキアの地において彼らは土着の言語を征服し,住民たちは為政者の言葉であるラテン語を不完全ながらも徐々に習得しなければならなかった。こうして各地のそれぞれに異なる言語を話していた人々がラテン語を受け入れ,それを育てていった結果,今日ロマンス語と総称される諸言語,フランス,スペイン,ポルトガル,イタリア,ルーマニアの諸語が生成したのである。今日ではこれらの言語は互いにかなり違っている。それはおのおのの歴史的な過程の差の表れである。しかし一方では,ラテン語という一つの親をもつ姉妹であるから,類似も著しい。このように,一つの言語が広い地域にわたって他の言語を征服し,分化していくという事実をみると,印欧語の場合にも先史時代に小規模ながらラテン語に似た過程が各地で繰り返されて,歴史上に示されるような分布が実現したと考えられる。

この語族に属する言語をみると,現在の英語とドイツ語でもかなりの違いがある。この二つの言語はともにゲルマン語に属し,なかでもとりわけ近い関係にある。にもかかわらず差が目だつのは,一つは語彙の面であり,他は文法の面である。語彙の面の差の大きな原因は,英語が大量にフランス語を通じてラテン系の語彙を借り入れたためで,一見すると英独よりも英仏の関係のほうが密接に思われるほどである。この借用は,ノルマン・コンクエスト以降中世に長い間イギリスでも,フランス語が公に使われていたという歴史的事情によるものであるから,いわば言語外的な要因による違いといえよう。これに対して主として音韻,文法の面の違いは,それぞれの言語内の自然の変化の結果である。最も著しい違いは,英語には名詞,形容詞の性別も,格変化もほとんどみられないし,動詞も三人称単数現在形の-s以外は,とくに人称語尾というものがない。またその法にしても,ドイツ語の接続法という独立の範疇は英語にはみられない。英語のhorseという形は,文法的には単数を表すだけで,ドイツ語のPferdのように中性とか主格,与格,対格の単数という文法的機能を担っていない。I bringのbringは,ドイツ語のich bringeのbringeのもつ,一人称・単数・現在・直説法という規定のいくつかを欠いている。しかしそのことは,英語の表現のうえでなんら支障をきたさない。英語からみればむしろドイツ語のほうが,一つの形に余分な要素をつけている。たとえば,ich bringeでich=Iといえば,すでに一人称の表現であるから,bringeの-eは無用だともいえよう。しかし言語には常にこうした不合理な要素が存在していて,話し手がそれを人為的に切り捨てることはできない。英語もずっと歴史をさかのぼると,同じ表現にドイツ語と同じような多くの文法的な機能をもった形を使っていた。このように,名詞や動詞の一つの形のなかに,さまざまな文法的な働きがその意味とともに組み込まれていて,それらを切り離すことのできない型をもった言語,それが印欧語の古い姿であった。したがって現在の英語のような形は,他の言語と比較すれば明らかなように,印欧語のなかではむしろ特異な例であり,それだけ強い変化を受けてきたのである。またこうした文法面での形の一致がえられるところに,印欧語族の系統を確認する重要な鍵があったということができる。ラテン語のeō Romam,Romam eō〈わたしはローマに行く〉を英語のI go to Romeと比較すれば,英語が表現のうえでより分析的になっていることがわかる。そのかわり,英語のほうが語順が固定的である。ラテン語のように六つの格と動詞の人称変化とをもつ言語では,個々の形が文法的機能をはっきりと指示することができるから,語順にはより自由が許されている。

印欧諸語の分布は歴史とともにかなり変動している。先史時代から現在までえんえんと受け継がれてきた言語も多いが,すでに死滅してしまったものもある。前2000年代の小アジアでは,今日のトルコの地にヒッタイト帝国が栄え,多量の粘土板文書を残したが,その言語は南のルビア語とともに死滅した。その後も小アジアには,リュキア,リュディア,フリュギアとよばれる地からギリシア系の文字を使った前1000年代の中ごろの碑文が出土し,互いに異なる言語だが印欧語として認められている。フリュギア語だけは,別に紀元後の碑文をももっている。またギリシア北部からブルガリアに属する古代のトラキアの地にも僅少の資料があるが,固有名詞以外にはその言語の内容は明らかでない。またイタリア半島にも,かつてはラテン語に代表されるイタリック語派の言語以外に,アドリア海岸沿いには別個の言語が話されていた。なかでも南部のメッサピア語碑文は,地名などの固有名詞とともにイタリック語派とは認められず,かつてはここにイリュリア語派Illyrianの名でよばれる一語派が想定されていた。しかし現在ではこの語派の独立性は積極的には認められない。このほか死滅した言語としては,シルクロードのトゥルファンからクチャの地域で出土した資料をもつトカラ語,バルト語派に属する古代プロイセン語,ゲルマン語のなかで最も古い資料であるゴート語などがある。ケルト語派は現在ではアイルランド,ウェールズ,それにフランスのブルターニュ地方に散在するにすぎず,その話し手も多くは英語,フランス語との二重言語使用者であるから,ゲルマン,ラテン系の言語に比べると,その分布は非常に限られている。しかし前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布する有力な言語であったことは,古代史家の伝えるところである。

 これらの変動に伴ってどの言語も多くの変化を受け,その語彙も借用などによって入替えが行われた。ヒッタイト語のように古い資料でも,その言語の語彙の2割ほどしか他の印欧語に対応が求められず,大幅な交替を示している。にもかかわらず現在の英語でも,基本的な数詞(表)以外に変化を受けつつも共通基語からの形の伝承と思われる語彙も少なくない。father,mother,brother,sister,son,daughter,nephew,nieceという親族名称,cow,wolf,swine,mouseなどの動物名,arm,heart,tooth,knee,footという身体の部分名のほかhorn,night,snow,milk,動詞ではis,was,knowなどはその典型である。
比較言語学
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世界の主要言語がわかる事典 「インドヨーロッパ語族」の解説

インドヨーロッパごぞく【インドヨーロッパ語族】

印欧祖語として想定される共通基語から分化した諸言語。この語族には、バルト語派(リトアニア語など)、スラブ語派ロシア語など)、ゲルマン語派英語ドイツ語など)、ケルト語派(アイルランド語など)、イタリック語派ラテン語イタリア語フランス語など)、インド語派サンスクリットヒンディー語など)、イラン語派ペルシア語など)などの語派、およびギリシア語、トカラ語などの語派に準ずる言語、さらに小アジアの諸言語(ヒッタイト語など)が含まれ、なかには死語になった語派や言語もある。分布はインドからヨーロッパの大半の地域に及ぶ。このうち紀元前の資料として残るのは、ヒッタイト語の楔形(くさびがた)文字で書かれた粘土板文書、インド語派の『リグベーダ』、ギリシア語のホメロス叙事詩、ラテン語文献、イラン語派の『アベスタ』などで、なかでもサンスクリットとギリシア語の類似への着目が、19世紀にインドヨーロッパ語族の概念が証明されるきっかけとなった。典型的な屈折語で、名詞は性・数・格をもち、動詞は人称・数・時制・態・法の5要素がさまざまに変化する。ただし、歴史を経るに従い、その特徴をとどめつつ、語順や前置詞などが文法的機能をになう分析型に移行してきている。◇印欧語族ともいう。またドイツ語圏ではインドゲルマン語族と呼ぶ。英語でIndo-European。

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世界大百科事典(旧版)内のインドヨーロッパ語族の言及

【主語・述語】より

…特定の言語を超えてただ〈AはBである〉という形の命題だけを扱う形式論理学では,主語・述語を上のように約束すればよいにしても,各言語のさまざまの文型を対象とする文法においては,はたして文法上の主語・述語とは何かをあらためて問う必要がある。
[ヨーロッパ諸言語の主語・述語]
 実際には,ヨーロッパ諸言語(厳密にはインド・ヨーロッパ語族の言語。以下同様)の伝統的な文法では,そのような吟味を十分行わぬまま,いわば形式論理学の主語・述語の延長のような趣で文法における主語・述語もとらえてきたふしがある。…

【性】より

…自然性sexと明確に区別するために文法性とも呼ばれる。 たとえばインド・ヨーロッパ語族では,男性―女性の2性に区別されるタイプ(フランス語,イタリア語,スペイン語など)と,男性―女性―中性の三つを区別するタイプ(ギリシア語,ラテン語,ドイツ語,ロシア語など)が広くみられ,セム語族には前者のタイプのみが存在する。文法性の区別がその起源において,生物―無生物,また自然性の区別と結びついていたことは確かであろうが,現今みられる組織においては,そこに必ずしも一致しない例が多くみられる。…

※「インドヨーロッパ語族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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