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オニール オニールO'Neill, Conn, 1st Earl of Tyrone

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オニール
O'Neill, Conn, 1st Earl of Tyrone

[生]1480頃
[没]1559
アイルランドのアルスター地方ティローンの族長。「コン・バッカハ(跛行のコン)」と呼ばれた。初めマナス・オドンネルと争ったが,1539年和解し,協力してイングランドの支配に反抗した。1542年反抗に失敗してイングランド王に恭順を誓い,初代ティローン伯に叙せられた。(→オニール家

オニール
O'Neill, Eugene Gladstone

[生]1888.10.16. ニューヨーク
[没]1953.11.27. ボストン
アメリカの劇作家。 1936年度ノーベル文学賞受賞。俳優の子として生れ,プリンストン大学中退,長い彷徨の青春時代をおくったのち結核で入院中に劇作を志し,海を題材にした多くの一幕劇を書いた。最初の多幕劇『地平線の彼方』 Beyond the Horizon (1920) によって従来の娯楽本位のブロードウェー演劇に新風を送り,ピュリッツァー賞を受け,その後一作ごとにアメリカ演劇界の第一人者としての地位を築いていった。初めは写実的自然主義的傾向をみせていたが (『アンナクリスティ』 Anna Christie〈21〉,ピュリッツァー賞) ,次に表現主義的形式に移り (『皇帝ジョーンズ』 The Emperor Jones〈20〉,『毛猿』 The Hairy Ape〈22〉) ,さらにフロイト精神分析学の方法を積極的に取入れ,潜在意識無意識の問題を扱った作品を発表 (『奇妙な幕間狂言』 Strange Interlude〈28〉ピュリッツァー賞,『喪服の似合うエレクトラ』 Mourning Becomes Electra〈31〉) ,後年は観念的な神秘主義の色彩を濃くしていった (『限りなき日』 Days Without End〈34〉) 。晩年連作によって,1800年代から現代にいたるまでの典型的なアメリカ人の家庭を描く大構想をいだいていたが,完成せずに病に倒れた。その他代表作『楡の木陰の欲望』 Desire Under the Elms (24) ,『氷人来る』 The Iceman Cometh (39執筆,46初演) ,『夜への長い旅路』 Long Day's Journey into Night (41執筆,56初演,ピュリッツァー賞) 。

オニール
O'Neill, Hugh, 2nd Earl of Tyrone

[生]1540頃
[没]1616.7.20. イタリア,ローマ
アイルランドのアルスター地方ティローンの族長。コン・オニール(初代ティローン伯)の孫。ロンドンで教育を受け,1585年エリザベス1世から 2代ティローン伯を授けられた。1594年からヒュー・ロー・オドンネルとともにイングランドに反抗し(ティローンの反乱),1598年イエローフォードの戦いでイングランド軍を破った。次いで来島した 2代エセックス伯にも抵抗してその失脚を招いたが,1603年ついにマウントジョイ卿に屈した。その後もローリーオドンネルとイングランドへの反乱を画策し,1607年ともにアイルランドを脱出,フランスネーデルラントを経てローマで客死した。(→オニール家

オニール
O'Neill, John

[生]1834.3.8. モナハン
[没]1878.1.7.
アイルランドのナショナリスト組織フェニアン協会の指導者。アメリカへ移民し,カナダを攻撃して失敗した。 (→フェニアン蜂起 )

オニール
O'Neill, Maire (Allgood)

[生]1887.1.12. アイルランド,ダブリン
[没]1952.11.2. イギリス,ロンドン
アイルランドの女優。ダブリンのアビー劇場の初期,姉のサラ・オルグッドや夫のアーサー・シンクレアとともに活躍。1913年アビー劇場を去って,イギリスリバプールレパートリーシアターに移る。英米各地でアイルランド劇に出演。当たり役はジョン・M.シングの『西の国の人気者』The Playboy of the Western Worldのペギーン・マイク。

オニール
O'Neill, Owen Roe

[生]1590頃
[没]1649.11.6.
アイルランドの武将。 H.オニールの甥。約 30年間スペイン軍に入って戦術を学んだのち,1642年イングランドの清教徒革命に呼応してアルスターの反乱を指導。 46年6月ベンバーフの戦いで勝利を収め,イングランドからのアイルランドの独立を目指したが,失敗した。

オニール
O'Neill, Shane

[生]1530頃
[没]1567.6.2. カシェンダン近郊
アイルランドのアルスター地方ティローンの族長。コン・オニールの長男。カルバー・オドンネルを捕虜にするなど,オドンネル家との対立を続ける一方,1559年からティローン伯の称号をめぐってイングランドに反抗し,1562年表面上はエリザベス1世に恭順を表明したが,裏ではスペインやフランスと画策を続けた。1565年アントリムにあったスコットランド系のマクドナルド族の植民地を襲撃し,族長を捕虜にした。1566年再びイングランドに対して反乱。翌 1567年敗北し,マクドナルド族長を釈放して同族に救いを求めたが斬首された。(→オニール家

オニール
O'Neal, Shaquille

[生]1972.3.6. ニュージャージー,ニューアーク
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 Shaquille Rashaun O'Neal。テキサス州サンアントニオの高校在学中,チームを州優勝に導き,大学バスケットボールのスカウトの目にとまる。ルイジアナ州立大学 LSUに在籍し,1991年に年間最優秀大学選手に選ばれた。翌 1992年大学を離れ,北アメリカのプロバスケットボールリーグ,NBAオーランド・マジックに入団。 2000年になって LSUを卒業した。 1992-93年シーズンマジックは前シーズンより 20勝多い過去最高の 41勝 41敗を記録し,オニールは最優秀新人賞を獲得した。2年後には得点王に輝き,チーム初の NBAファイナル進出に貢献した。 1996年アトランタオリンピック競技大会にドリームチームのメンバーとして出場し金メダルを獲得,同 1996年ロサンゼルス・レイカーズに移籍した。 1999-2000年シーズン,NBA最優秀選手 MVPに選出。 2000,2001,2002年のチーム3連覇に貢献したが,2004年マイアミ・ヒートに移籍した。 1996年 NBAの「50人の偉大な選手」の一人に選ばれた。

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百科事典マイペディアの解説

オニール

米国の劇作家。旅役者を両親として生まれ,プリンストン大学に1年学んだ後,各地を転々,結核にもなった。1913年ごろから劇作に励み,ブロードウェーで上演された長編《地平のかなた》(1920年)は自然主義性格描写にすぐれ高く評価された。
→関連項目ベーカーメンケン

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世界大百科事典 第2版の解説

オニール【Eugene Gladstone O’Neill】

1888‐1953
アメリカの劇作家。アメリカ演劇の芸術性を高め,ヨーロッパ演劇の水準に近づけることにもっとも貢献した。アイルランド系の有名な俳優で吝嗇家の父,麻薬中毒の母,放蕩に身をもち崩して若死にした兄などを含む複雑な家庭に育った。1907年プリンストン大学を1年で中退後,船乗りとしてラテン・アメリカなどを転々とする。12年ころ結核におかされ療養生活をおくり,劇作家をこころざす。14‐15年ハーバード大学ベーカー教授のもとに演劇を研究したのち,16年スーザン・グラスペルらと〈プロビンスタウン劇団〉を組織し,船乗りの経験をいかした《東方カーディフをめざして》(1916初演)などの一幕物によって劇作生活に入った。

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大辞林 第三版の解説

オニール【Eugene Gladstone O'Neill】

1888~1953) アメリカの劇作家。実験心理劇や表現主義演劇などの分野でアメリカ近代劇の先駆者となった。代表作「楡にれの木陰の欲情」「奇妙な幕間狂言」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オニール
おにーる
Eugene Gladstone O'Neill
(1888―1953)

アメリカの劇作家。1888年10月16日ニューヨーク市に生まれる。両親ともアイルランド系。父が旅回りの人気俳優であったため、一家には夏の別荘以外、定住する家がなく、幼時から寄宿学校に入学。10代なかばで最愛の母がモルヒネ中毒であることを知り、放蕩児(ほうとうじ)の兄からの影響もあって、既成宗教に反発し、スウィンバーンやニーチェなどを愛読する孤独な青春時代を送る。1907年、プリンストン大学を1年で退学後、雑多な仕事につき、船員として南アメリカに渡ったり、ニューヨークの安酒場で酒浸りの日々を送るなど、無頼な放浪を続け、自殺を図ったこともあった。12年、結核治療のため療養所生活を経験、過去を精算し劇作家になる決意を固める。14年、ハーバード大学のベーカー教授のもとで劇作を学び、16年、ヨーロッパ近代劇運動に刺激され、既成商業演劇を排し演劇革新を目ざすプロビンスタウン劇団に参加、『カージフ指して東へ』を発表し注目される。『地平の彼方(かなた)』(1920)でブロードウェーに進出後、ヨーロッパのさまざまな表現形式を応用した問題作を次々と発表、黎明(れいめい)期にあったアメリカ近代劇の確立と発展に貢献する。そのなかには写実心理劇的な『アンナ・クリスティ』(1921)、『楡(にれ)の木陰の欲望』(1924)、表現主義的な『皇帝ジョーンズ』(1920)、『毛猿』(1922)、『すべて神の子には翼がある』(1924)などがある。また微妙な人間心理に分け入るため、写実を超えた「超自然主義」を唱え、仮面の使用、「語られる思考」と名づけられた傍白、分身の登場など、独自の技法を編み出した。題材はストリンドベリの影響もあり、自伝的で、夫婦・親子間の愛憎を好んで取り上げたが、主眼は、神を見失い内的に分裂した現代人が、安住の場を求めて運命と闘い苦悩する姿を描くことにあった。そして、『偉大なる神ブラウン』(1926)では大地の母、『ラザロ笑いき』(1928)ではニーチェ的超人、フロイト心理学の影響が色濃い『奇妙な幕間(まくあい)狂言』(1928)とギリシア悲劇を現代によみがえらせようとした『喪服の似合うエレクトラ』(1931)では諦念(ていねん)、『終わりなき日々』(1934)では愛と許しの信仰に、人間の救済をみいだそうとした。しかし唯一の喜劇『ああ荒野』(1933)以後体力的に衰え、アメリカの歴史を問い直そうとする膨大な連作を構想したが、未完に終わった。
 晩年は過去に題材を求めて写実的な作品を手がけ、『氷人来たる』(1946)ではカオスとしての人間世界を同情をもって見つめ、死後発表された自伝劇『夜への長い旅路』(1956)では、親兄弟の絶望的な葛藤(かっとう)のなかに、現代世界における悲痛な人間状況への深い洞察をうかがわせた。遺作『日陰者に照る月』(1947)では、ロマンス劇的雰囲気のなかで過去への和解と故郷アイルランドの魂への愛惜をのぞかせている。1936年にノーベル文学賞を受賞。53年11月27日ボストンで没した。[一ノ瀬和夫]
『喜志哲雄他訳『オニール名作集』(1975・白水社) ▽喜志哲雄訳「日陰者に照る月」(『今日の英米演劇 1』所収・1968・白水社)』

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世界大百科事典内のオニールの言及

【アメリカ演劇】より

… 建国当時から20世紀初めまでのアメリカで演じられたものには,イギリスを中心とするヨーロッパの作品と,それらを手本とした類型的なメロドラマや笑劇が多かった。文学的価値をもった戯曲がアメリカで生まれるのを見るためには,1910年代に始まるユージーン・オニールの活動を待たねばならない。彼は伝統のないアメリカ演劇にリアリズムというかたちで正統を打ちたて,次いでヨーロッパの前衛的傾向を意欲的に採り入れ,リアリズムを破壊する前衛作家の役割をも演じた。…

【オニール家】より

…オドンネル家とともにノルマン人の侵略に,あるいはチューダー朝期イギリスの侵略に抵抗した。16世紀の指導者コン・オニールConn O’Neill(1484ころ‐1559)は,イギリス軍と戦った後,渡英してヘンリー8世に所領を献じ,再授封されてティロン伯となった。息子のシェーン・オニールShane O’Neill(1530‐67)は,コンの庶子でエリザベス1世が相続人と認めたマシューを滅ぼし,イギリス軍との戦いを続け,しだいにアルスター全域を支配,完全な独立を目指したが,アルスターの支配をめぐって長く対立していたオドンネル家の軍隊に敗れ,味方だったマックドンネル家に殺された。…

【楡の木陰の欲情】より

…アメリカの劇作家E.G.オニールの戯曲。1924年初演。…

※「オニール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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