カースト(英語表記)caste

翻訳|caste

デジタル大辞泉 「カースト」の意味・読み・例文・類語

カースト(caste)

《〈ポルトガル〉casta(血統)に由来》インド社会で歴史的に形成された身分制度。インドに侵入したアーリア人が定住する過程で形成されたバルナ(四種姓)を起源とするが、社会の複雑化や階級の細分化につれて種々の副次的な階層が派生し、その数は2000種にも達するといわれる。各階層ごとに職業・交際・通婚・慣習などについて厳格な規制がある。1950年の憲法はカーストに基づく差別を否定したが、なお存続。インドではジャーティ(生まれの意)という。→バルナ
階級制度。社会的階級、地位。
社会性昆虫に見られる役割の階層。アリでは、繁殖を行う女王アリ・雄アリ、育児・採餌・巣の建設を担う働きアリなどに分かれる。→カースト分化

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精選版 日本国語大辞典 「カースト」の意味・読み・例文・類語

カースト

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] caste ポルトガル語の「血統」「生まれ」の意の casta に由来 )
  2. インド特有の社会身分。紀元前一〇〇〇年頃ガンジス川上流に定住したアーリア人が、司祭者をバラモン、王族をクシャトリヤ、庶民をバイシャ、征服された先住民をシュードラの四階級に区別したことに始まるが、現在は二千数百種に及ぶ。同一カーストに属する者は同じ信仰で結ばれ、部内結婚をし、同じ職業に従事し、食事などに一定の生活習慣を持って、内部的統制を行なった。種姓。姓。
    1. [初出の実例]「釈迦が彼カスト〈略〉の第一等なる波羅門の掌握せる幽顕二界の専権を非として」(出典:人権新説(1882)〈加藤弘之〉一)
  3. 社会的階級、地位。〔音引正解近代新用語辞典(1928)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「カースト」の意味・わかりやすい解説

カースト
caste

インドの社会集団。結婚,食事,職業などに関する厳格な規制のもとにおかれた排他的な社会集団で,カーストを経済的な相互依存関係と上下の身分関係で有機的に結合した制度をカースト制度という。

カーストとはポルトガル語で〈家柄〉〈血統〉を意味するカスタ(語源はラテン語のカストゥスcastus)に由来する語である。インドではカースト集団を〈生まれ(を同じくする者の集団)〉を意味するジャーティjātiという語で呼んでいる。

 一方,日本ではカーストというとインド古来の四種姓,すなわち司祭階級バラモン,王侯・武士階級クシャトリヤ,庶民(農牧商)階級バイシャ,隷属民シュードラの意味に理解されることが多い。インド人はこの種姓をバルナvarṇaと呼んできた。バルナとは本来〈色〉を意味する語である。アーリヤ人のインド侵入当時,肌の色がそのまま支配者である彼らと被支配者である先住民との区別を示していた。この語に〈身分〉〈階級〉の意味が加わり,混血が進み肌の色が身分を示す標識でなくなったあとにおいても,この語は依然として〈身分〉〈階級〉の意味に使われ続けたのである。4バルナのうち上位の3バルナは再生族(ドビジャdvija)と呼ばれ,これに属する男子は10歳前後に入門式(ウパナヤナupanayana(2度目の誕生))を挙げ,アーリヤ社会の一員としてベーダの祭式に参加する資格が与えられる。これに対しシュードラは入門式を挙げることのできない一生族(エーカジャekaja)とされ,再生族から宗教上,社会上,経済上のさまざまな差別を受けた。そして,シュードラのさらに下には,4バルナの枠組みの外におかれた不可触民(今日では指定カーストscheduled casteと呼ばれる)が存在した。彼らは〈第5のバルナに属する者(パンチャマpañcama)〉とも〈バルナを持たない者〉とも呼ばれる。なお,時代が下るとともに下位の両バルナと職業の関係に変化が生じ,バイシャは商人階級のみを,シュードラは農民,牧者,手工業者など生産に従事する大衆を意味するようになる。こうした変化にともないシュードラ差別は緩和されたが,不可触民への差別はむしろ強化された。

 以上の4バルナの区分が社会の大枠を示したものであるのに対し,ジャーティは地域社会の日常生活において独自の機能を果たしている集団であり(たとえば壺作りのジャーティ,洗濯屋のジャーティ),その数はインド全体で2000~3000にも及んでいる。

 ジャーティとバルナの間には共通した性格(内婚,職業との結合,上下貴賤の関係)が認められ,また不可触民のジャーティを除くすべてのジャーティが4バルナのいずれかに属している。このため,従来しばしばジャーティとバルナが混同され,そのいずれもが〈カースト〉と呼ばれてきた。しかしカースト制度を理解するためには,この両概念をひとまず切り離してみる必要がある。以下ではカーストという語をジャーティの意味に用い,バルナについてはこの呼称をそのまま用いた。ただしバラモンという呼称のみは,カースト,バルナいずれの範疇(はんちゆう)にも用いられる。

(1)結婚 結婚に関する規制はカーストごとに多様であるが,原則的に言えば,カーストは外婚集団を内包する内婚集団である。すなわち,カーストの成員は自分と同じカーストに属する者と結婚する義務がある(内婚)と同時に,同一カースト内の特定の集団に属する者とは結婚できない(外婚)。内婚の範囲はカーストの大小や地理的条件によって多様であるが,大きなカーストの場合,その内部がさらに幾つかの内婚集団(サブ・カースト)に分かれていることが多い。ただし,上位カーストの男性と下位カーストの女性との結婚がおおめに見られることがあり,また南インドのケーララ地方に住むナンブードリ・バラモンと母系のナヤール・カーストの間に見られるような,異カーストの間の通婚関係が慣行として定着した例もある。

 カースト内部の外婚集団としては,まず近い親族がある。ヒンドゥー法典などではその範囲を父方7世代,母方5世代などと定めているが,現実にはもう少し狭い範囲とされる。この範囲内での通婚は原則として禁じられるのであるが,南インドでは交叉いとこ婚(母親の兄弟の娘との結婚)が望ましいとされるなど,例外もまた多い。外婚集団にはまた,伝説上の祖先とされる聖仙(リシṛṣi)を同じくする家(ゴートラを同じくする家)と,その聖仙に続く幾人かの家祖の一部を共通にもつ家(プラバラpravaraを同じくする家)がある。これらの家は互いに親族であるとみなされ,実際に血縁関係がない場合でも通婚が禁じられる。このゴートラ・プラバラ規制は,主としてバラモンの間で強く守られてきた。

 以上のように,カースト制度のもとで配偶者の選択の範囲はきわめて限られている。しかし,ヒンドゥー教徒の父親にとって,子どもをふさわしい家柄の異性と結婚させることは宗教的義務であった。かつてインド社会で広く行われていた幼児婚の風習の主たる原因はここにある。内婚制はカースト制度のなかでも最も強固な部分である。今日,都市においてこの壁が崩れる傾向が見えはじめているものの,社会的ランクの隔たったカーストの間の婚姻が成立することは,なお非常に少ない。

(2)食事 ヒンドゥー教徒にとって食事は一種の儀礼であり,穢(けが)れから食事を守るために細心の注意が払われる。原則的には,他カーストの者といっしょに食事すること,および下位カーストの者から飲み水や食べ物を受けることが禁じられる。しかし食事に関する規制はカーストによって,また地方によって多様であり,必ずしもこの原則が厳守されているわけではない。飲食物の種類について言えば,高いカーストほどタブーとされるものが増え,バラモンのなかには完全な菜食主義を守るサブ・カーストも多い。中位・下位のカーストは一般にヤギ,鳥,魚などの肉を食べるが,牛肉食は一部の不可触民カーストに限られている。近年,食事に関する規制は全般的に緩和されつつある。とくに都市においてこの傾向が著しい。

(3)職業 カーストはしばしば固有の職業をもち,成員はその職業を世襲する。したがってカースト名には職業に関係するものが多い。たとえば,鍛冶カーストのローハールは〈鉄〉を意味するローハ,陶工カーストのクンバールは〈陶器〉を意味するクンバを語源としている。ただしカーストと職業の結びつきは決して固定したものではなく,同一カーストに属する者が異なった職業に従事する場合も現実には多い。また農作業はほとんどのカーストに開かれている。

 近代になり伝統的な経済関係が崩れはじめると,カーストと職業の結びつきは緩んだ。今日のインドでは共和国憲法のもとで,原則的には職業の自由が保障されている。しかし,インドの人々がカースト固有の職業を離れても,カーストそのものから離脱したことにはならず,出身カーストへの帰属意識は依然として強い。

(4)自治機能 各カーストには,以上の結婚,食事,職業に関する諸慣行を含む独自の慣行が掟(おきて)として存在している。そして,それらの掟に違反した仲間に対しては,長老会議(カースト・パンチャーヤット)や成員の集会(サバー)によって,罰金支払を含むさまざまな制裁が加えられた。制裁の方法として,しばしば採用されるものにカースト外への追放がある。一時的追放の場合は贖罪行為や浄化儀礼(沐浴など)のあと復帰できたが,永久追放された者は,他カーストから受け入れられることもなく,また家族からも見放された。処罰の対象となる行為には食事や交際に関する違反などささいに見えるものも多い。しかしカーストの団結と地域社会内でのランク(地位)を守るためには,そうしたささいな掟の厳守が必要とされたのである。

 このようにカーストは,自治的機能をもった排他的な集団であり,インド人はカーストから追放されない限り,貧富や成功,失敗に関係なく,生涯自分のカーストから離れることができない。彼らは村落や都市の成員であると同時に,村落や都市を超えた地域社会のなかに住むカースト仲間と結ばれており,交際の親密度から言えば,カースト仲間との結びつきの方がはるかに強い。カースト制度のもとで個人の自由は厳しく制限されるのであるが,他方,カーストに属し,先祖伝来の職業に従事する限り,最低の生活は保障された。

(1)分業関係 旧来のインド社会は,排他的なカーストが経済的・社会的な相互依存関係によって結合されたものであった。人口の大多数を抱えてきた村落社会のなかに,その典型を見ることができる。

 村落は普通10~30のカーストから構成されている。村人はほぼカーストごとにまとまって住み,最良の地は上層の諸カースト,村の周縁部は不可触民の諸カーストの居住区となっている。こうした村落の内部におけるカースト間の分業関係を,社会学者のワイザーはジャジマーニーjajmānī制度と呼んだ。ジャジマーニーとは〈顧客〉〈得意先〉を意味するジャジマーンからの派生語で,特定のカーストに属する家(たとえば陶工や鍛冶などの家)が,先祖代々の得意先である家に対してもつ権利を意味する。すなわちジャジマーニー制度とは,職人カーストやサービス提供カースト(バラモンなど)に所属する個々の家が,農業カーストに所属する家や他カーストに属する家のために特定の仕事を世襲的に行い,その報酬として穀物やサービスを伝統的に定められた量だけ供給されるという制度である。村落内におけるカースト間の分業関係は,経済的・政治的な力をもつカーストに有利にしくまれていた。有力なカーストとは,村内で最も広い土地を所有するカースト(地主,土地所有農民の所属するカースト)で,人数のうえからも最大であることが多い。村落の自治組織であるパンチャーヤットを牛耳ってきたのもこのようなカーストであり,社会学者によって支配(ドミナント)カーストdominant casteと呼ばれている。

 一村内にすべての種類の職人が充足されていたわけではなく,近隣の村落との間で職人を補充しあう必要も生じたが,現物やサービスの交換関係で補われ,貨幣の媒介をほとんど必要としないジャジマーニー制度のもとで,自給自足性の強い村落の生産活動は維持されてきた。しかし,こうした分業関係は,インド社会の近代化とともに崩れてきている。村人のなかには世襲の職業を棄てて都市に出る者も多くなり,また伝統的な報酬に代わり貨幣の支払が求められるようになってきた。

(2)上下関係 カーストはまたバラモンを最上位とし不可触民のカーストを最下位とする儀礼的な上下関係によって結ばれている。職業の種類や食事,結婚をはじめとする諸慣行が,バラモン的な浄・不浄観から評価され,上下の関係が定められるのであるが,そうした上下関係には地域差もあり,また職人カーストなど中間カーストの上下関係はあいまいな場合も多い。

 儀礼的な見地から定められる上下関係と,政治的・経済的な階層差とは本来異なったものである。たとえばバラモンは必ずしも村落内で最も富裕であるわけではない。しかし村落の住民を経済的な視点から上・中・下の3階層に区分してみると,それはカースト・ランキングを3区分したものとかなり一致する。ランキングで最下位におかれた不可触民カーストの生活が,村内の住民の最低水準であることはいうまでもない。カーストの上下関係は,政治的・経済的・社会的な変化に応じて多少の流動性を示した。ランクを上昇させようとするカーストが一般的に試みる方法は,全構成員が一丸となって浄性が高いとみなされる慣行(たとえば菜食,禁酒,寡婦再婚禁止)を採用することである。社会学者シュリーニバスは,カースト内部のこうした動きを,バラモン文化の象徴である聖典語にちなみ〈サンスクリット化Sanskritization〉と呼んだ。伝統社会が崩れはじめた近代のインドでは,この種の動きが中位・下位のカーストの間で活発化し,カースト規制が強化されるという逆行現象も生じている。

 伝統的なインド社会は,カーストをこのように〈よこ〉(相互依存関係)と〈たて〉(上下関係)に有機的に結合したものである。こうしたカースト社会は必ずしも固定化したものではなかったが,きわめて強固であり,本来カースト的差別を認めないはずのイスラム教徒キリスト教徒も,カースト制度の枠のなかで生活している。

(1)浄・不浄思想 いずれの宗教においても浄・不浄の思想は存在するが,ヒンドゥー教のもとでこの思想は極度の発達をみた。カーストとの関係について言うならば,さきに記したように各カーストの職業や慣行が浄・不浄の観点から評価され,最清浄であるバラモンを最高位とし,不可触民のカーストを最下位とするランキングが定められている。各カーストがそれ自体としてもつ一定の不浄性は集団的なものであり,カースト所属者が一様に,また生涯にわたってもたざるをえないものである。一方,いずれのカーストも,それぞれにふさわしい浄性を保つ必要がある。各カーストがその成員に強制する結婚,食事などに関する煩瑣(はんさ)な規制も,結局は自己のカーストを穢れから守り,カースト・ランキングを維持するためのものと言える。以上のように,ヒンドゥー教の浄・不浄思想は,インド社会をカーストに分割する原理となっていると同時に,カーストの集合体から成る社会を秩序づける原理ともなっている。宗教的・儀礼的に定められた上下の秩序が,経済的な分業関係を支え,維持してきたのである。

(2)業・輪廻思想 ヒンドゥー教徒は,霊魂は前世になした行為(業(ごう))に縛られ,さまざまな姿をとって生まれ代わる(輪廻(りんね))と信じてきた。この業・輪廻思想のもとでヒンドゥー教徒は,〈人がそれぞれのカーストのなかに生まれることになったのは,前世の行為の結果であるから,彼はそのカーストの職業に専念せねばならない。そうすることによってのみ来世の幸福が得られる〉と教えられる。こうした徹底した宿命観が,カースト社会の維持のために果たした役割は大きかった。

カーストの起源をめぐって19世紀以来さまざまな説が提唱されてきた。たとえば職業の分化,異人種(アーリヤ人と先住民)の接触と混血,アーリヤ人の家族制度,先住民の部族制度,原始信仰と宗教儀礼などにその起源が求められている。カースト制度は諸要因の複雑な結合によって成立したものであるが,それらの要因を統合して一つの制度へ導く力となったのは,バラモンと彼らの指導下に成立したバルナ制度である。

 バルナ制度は,アーリヤ人が農耕社会を完成させた後期ベーダ時代(前1000-前600ころ)に,ガンガー(ガンジス)川の上流域で成立した。この制度は,バラモンを最清浄,不可触民を最不浄とし,その間に職能を異にする排他的な内婚集団を配列したものであり,その性格にはカースト制度と共通する部分が大きく,カースト制度成立の基本になった制度と言える。バルナ制度の理論は,その後バラモンによってさらに発達させられ,《マヌ法典》(前200-後200ころの成立)に代表されるヒンドゥー法典のなかで完成された。またこの制度は,アーリヤ文化の伝播にともないインド亜大陸の全域に伝えられ,時代と地域によって強弱の差は認められるものの,今日に至るまで機能し続けてきた。バラモンの指導のもとに成立したバルナ制度は,いわば〈上からのカースト化〉と呼びうるものである。

 一方,古代インドの社会には,他の地域の古代社会と同様に職業や地縁・血縁で結ばれたさまざまな排他的集団が存在していた。これらの集団は,他の地域においては社会の発展とともに排他性を緩めていくのであるが,インドでは,それらは排他性を維持したまま社会的役割を固定化され,カーストとして存続することになった。また歴史の経過のなかで,地理的・職業的・宗教的な原因,あるいは征服や移住や混血,社会慣行の変化などによって,旧カーストが分裂し新カーストが生まれている。いわば〈下からのカースト化〉が進行したのである。この〈下からのカースト化〉を強く促したのが,バルナ的秩序化すなわち〈上からのカースト化〉であったと思われる。〈上からのカースト化〉が集団本来の諸規制をカースト規制に転化させるとともに,諸集団を上下の秩序のなかに位置づけたのである。

 史料が不足していることもあり,カースト間の分業関係に基礎をおく村落が,いつごろ,またいかにして成立したのかは明らかではない。おそらく,グプタ朝(4~6世紀)の衰退以後,都市経済が衰え地域的自給自足化が進行した時期に,徐々に成立したものと考えられる。

 カースト制度はインド社会を膠着化・停滞化させたと言われ,またカースト的独善主義や外部者に対する差別意識を育て,愛郷心・愛国心の成長を阻んだとも言われる。しかしこの制度は,経済発達の一定の段階においては生産を高めそれを維持するための有効な制度だったのであり,また特殊技術を高度に発達させる役も果たした。さらに,カーストを基礎とする社会は大きな安定性をもっていた。したがって,この制度は為政者にとって好都合なものであり,ヒンドゥー王国の支配者はもとより,イスラム教徒の支配者もまた,カースト社会を温存し,その上に君臨するという方法をとった。

イギリスの植民地とされていた時代のインドでは,新しい土地制度,教育制度,司法制度,官僚制度などが導入され,また交通・通信網の整備,産業の発達,貨幣経済の発達,都市工場の製品の農村への流入,都市への人口集中などが見られた。さらに西欧流の自由平等思想が都市の知識人層に受け入れられ,カースト的差別を批判する者も現れた。20世紀に入ると,選挙制度が導入されて下層民が政治に参加する道が開かれ,また独立運動を通じてカーストの枠を超えた連帯も生じた。このようなインド社会の変化にともない,身分秩序の最上層ではバラモンの権威が揺らぎ,カースト制度を支えてきたヒンドゥー教の思想も影響力を弱めた。一方,身分秩序の最下層では,不可触民の地位向上運動が活発に行われるようになった。また村落におけるカースト間の分業関係はしだいに崩れ,都市に住むエリート層の間には,カースト規制にとらわれず,カースト全体の向上よりも個人の地位上昇を求める者も増加した。独立後のインド憲法では,カースト差別を禁じ,不可触民や部族民の社会的・経済的向上を図るための特別の保護政策がとられるなど,立法と行政の力による社会改革が試みられている。

 カースト制度がこのように解体の方向に進んでいることは確かであるが,この制度を成り立たせている社会的・経済的・宗教的な諸要素が,すべての面で消滅しつつあるわけではない。たとえば内婚制は今日でもかなり厳守されているし,カースト差別の基盤ともなっている村落内におけるカースト別居住は今後も存続するであろう。村落生活者にとって所属カーストへの依存度はなお大きく,ジャジマーニー的分業関係も部分的にはなお機能し続けるものと思われる。またサンスクリット化や選挙制度導入の結果,カースト的結合がかえって強化されたという例も報告されている。カースト制度は往時のような機能を果たさなくなってはいるが,今日なお村落社会を中心に根強い影響力をもち続けているのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カースト」の意味・わかりやすい解説

カースト
かーすと
caste

インドの中世(紀元後8世紀以降)には、一般にカーストとよばれる、さまざまな社会集団が形成された。それらのカースト諸集団をなんらかの基準によって上下に序列化することによって形成されたのがカースト制度である。

[小谷汪之]

バルナ社会理論と不可触民概念

カースト制度の大枠となったのは、紀元前800年ごろまでに形成されたバルナvara社会理論である。バルナは一種の社会階層のことで、バラモンBrāhmaa(司祭階層)、クシャトリヤKatriya(王族・武人階層)、バイシャVaiśya(庶民階層)、シュードラŚūdra(上の3バルナに奉仕する者の階層)の4バルナからなる。これらの下には、被差別民(賤民(せんみん))のさまざまな集団が存在したが、代表的な古典の法典『マヌ法典』(紀元前後に今日の形をとった)は「第五のバルナは存在しない」として、これらの被差別民諸集団を社会の正規の成員とはみなしていない。したがって、『マヌ法典』には不可触民にあたる社会階層概念は存在しないのであるが、紀元後数世紀以降の法典類には不可触民(アスプリシュヤ)という社会階層概念がみられるようになってくる。さまざまな被差別民集団をひとくくりにして不可触民ととらえる社会理論がこのころから一般化したと考えられる。こうして、4バルナの下に、不可触民という社会階層が置かれることによって、インド中世カースト制度の大枠となる5バルナ制というべき社会理論が形成されたのである。これと関連したことと思われるが、バイシャとシュードラという社会階層の内容が変化してきた。玄奘(げんじょう)はバイシャは商人の階層であり、シュードラは農民の階層であるとしているのであるが、これは古典の規定とは異なり、後にインド中世カースト制度下で一般化した考え方である。

[小谷汪之]

カースト集団の形成

7、8世紀、インド亜大陸各地で中世的社会が形成されはじめたが、その重要な一環として、一般にインド諸語でジャーティ(生まれ)とよばれる社会集団すなわちカーストも形成されはじめた。インド中世において、クシャトリヤという社会階層を代表したのはラージプートとよばれる集団であった。ラージプートという呼称は「王の子(ラージャプトラ)」ということばから派生したもので、北インド各地に勢力を張った武人諸集団の総称というべきものである。ラージャプトラということばは8世紀ごろから碑文などに見られるので、このころにはある程度の集団的結集を遂げていたと考えられる。他方、シュードラという社会階層に属するとされるカーストのもっとも早い事例の一つは北インドのカーヤスタである。カーヤスタは、もともとは、書記という職業を表すことばであったが、それが固定的な社会集団を意味するようになってきたのである。10世紀ごろの『ベーダ・ビヤーサ法典』では、カーヤスタは大工、床屋、牛飼い、陶工、花菜栽培人(マーラカーラ)、農民(クトゥンビン)とともにシュードラの階層に属するとされている。このようにカースト集団形成の一つの大きな契機は職業の共通性であったと考えられる。これらの諸カーストがシュードラの社会階層に属するとされていることは玄奘の記述と一致し、当時の実体を表していると考えられる。中世南インド、タミル地方の石刻文にも、多くのカースト名が記載されているものがあり、その中にはチェッティ、ワーニヤといった商人カーストの名前や、パライヤルという被差別民(不可触民)の名前も見られる。これらは今日にまでつながるカーストである。

[小谷汪之]

カースト制度の成立

さまざまなカースト集団が形成されはじめた中世初期には、村落共同体も形成されはじめた。初期仏典に描かれた村落は農民村落、大工村落、鍛冶(かじ)工村落といったように、それぞれの職業集団が別々に住む村落であったが、中世になると、多数のカーストの者たちが一緒に住み、村落のなかで分業関係を取り結ぶ、すぐれて村落共同体とよぶべき村落が形成されてきた。さらに、これらの村落共同体を数十束ねた地域共同体も形成され、それが各カーストの一次的結集の単位となった。たとえば、一つの地域共同体内の村々の大工が集まって大工カーストを形成し、それが近隣の諸地域共同体の大工カーストと二次的な結び付きのネットワークを広げていったのである。このようにして、地域共同体を場として、多くのカーストが形成されると、それらの間に上下の序列関係が生み出されることになった。そのとき、カースト間序列の大枠となったのが、前述の5バルナ社会理論であった。その頂点には、地域社会の精神的指導者であったバラモンの諸カーストが位置したが、クシャトリヤに属すると認められたカーストは存在しない地域の方が多かった。バイシャに属するとされたのは商人の諸カーストであったが、その数は少なかった。したがって、大部分のカーストはシュードラか不可触民の階層に属するとされていたのである。同時に、それぞれのバルナ内部の諸カースト間の序列関係もバラモン階層と在地の支配的カーストによって支えられた在地の慣習法によって決まっていった。このように、カースト制度は在地社会においていわば自然発生的に形成されてきた身分制度(社会的身分制度)であったから、地域ごとに偏差も大きく、その形成には多大な時間差があったと考えられる。しかし、カースト制度が一度形成されると、中世インドの諸国家は自前の身分制度(国家的身分制度)を制定することなく、カースト制度をもってそのままそれに代位した。そのため、カースト制度は社会のみならず、国家によっても維持される身分制度となったのである。カースト制度がいちおう完成された後でも、多数の新たなカーストが形成された。そのダイナミズムの一つは階層分解で、主として農民層の上層が武装するようになり、母集団から分離して新しい武人カーストを形成した。これらのカーストはクシャトリヤの身分を主張することが多かったのであるが、容易にはそれを認められなかった。その代表的なものが、マラータ王国(1674~1818)を樹立したマラータ・カーストである。また、社会的分業の発達によって、新しい職業に専従する集団が形成され、カーストになっていくということもしばしばみられた(マラータについては現地の発音に近いマラーターと表すケースもあるが、本事典では前者で統一している)。さらに、新しい宗派の形成も新しいカーストの形成につながることが多かった。リンガーヤトはその顕著な一例である。このように、カースト制度の内部はきわめて流動的だったのであるが、大枠としての序列関係には大きな変化をきたさないまま、イギリス植民地支配期(18世紀後半以降)に入った。

[小谷汪之]

植民地支配下の変動

植民地支配下、カースト制度は大きな変動をみせた。1772年、時のベンガル知事、W・ヘースティングズはヒンドゥーにかかわる民事訴訟においては、「シャーストラの法」を適用するという原則をたて、それが植民地領全体に広まった。「シャーストラの法」というのは『マヌ法典』のような古典の法や中世におけるその註釈書をさす。実際にも、『マヌ法典』などに基づいて裁判が行われ、中世においてはまったく意味をもたなかった再生族(学問を始める儀式であるウパナヤナ=入門式を受けることによって二度生まれる者という意)と一生族(ウパナヤナを受けないので一度しか生まれない者の意)の区分が判決を左右したりすることとなった。こうして、理念性の強いバラモン的な規範が一般化するとともに、各カーストのバルナ帰属意識が強まることになった。また、植民地支配下、カーストに広範な自治権(caste autonomy)が付与され、カーストの規制力が強化された。こうしたなかで、サンスクリタイゼーションSanskritizationとよばれる動きが顕著になってきた。これは、上位のカースト、とくにバラモンの社会慣行を取り入れることによって、自らのカーストの地位を上昇させようとする動きであるが、一般的には、肉食・飲酒を禁じるカースト規則をつくって、メンバーに強制することが多かった。また、それまで寡婦が自由に再婚していたカーストで、寡婦の再婚を許さないというバラモン的規則をつくるということも広くみられた。このことは、女子の幼児婚の慣習と相まって、女性に対する差別を強化することとなった。1871年からは、10年ごとに国勢調査が英領インド全域で画一的に行われるようになり、その際には、各人のカーストとそのカーストが属するとされるバルナの調査も行われた(1931年まで)。このことは、さまざまなカーストによる地位上昇運動を誘発し、そのための運動体として広範な地域にまたがる大カースト連合体が形成されるようになっていった。北インドのカーヤスタ大連合はその顕著な一例である。植民地支配下、一定の地方自治体制がしかれ、そのために選挙制度が導入されると、これらのカースト大連合は集票マシンとしても機能するようになった。独立(1947)後のインド政治を特徴づける「カースト・ポリティックス」への動きはこの時期から始まったのである。

[小谷汪之]

独立インドにおけるカースト制度

独立インドの特徴的な政策は、留保制度(Reservation)である。植民地支配下においては、『マヌ法典』のような古典の法典に準拠してインド社会が理解されたため、はじめ不可触民という社会階層は存在しないものとされた。しかし、1919年のインド参事会法により「被抑圧諸階層」(Depressed Classes)という法的範疇(はんちゅう)が導入され、一定の優遇措置がとられるようになった。これには不可触民諸カーストだけではなく、部族民とされた人々も含まれた。1935年のインド統治法では、指定カースト(Scheduled Castes)という法的範疇が導入されたが、これはほぼ不可触民に対応する範疇であった。これらの延長上、独立インドの憲法においては、指定カーストとともに、指定部族(Scheduled Tribes)という集団範疇も導入され、広範な優遇措置がとられるようになった。それは、中央・州議会の議席、公職、高等教育機関入学の一定枠をこれら両範疇に属する人々に留保(reserve)するという形をとった。この制度は10年ごとに更新されて今日に至っているが、なお、これらの人々に対する差別の撤廃にはほど遠いようである。なお、いまよく問題となるのは「その他の後進諸階級」(Other Backward Classes)に対する留保である。この集団範疇も憲法にみられるものであるが、その内容が曖昧(あいまい)であるうえ、上位の諸カーストに与える影響が大きいということで物議をかもしている。この範疇への留保は各州政府がそれぞれに実施しているが、多くの場合、カーストを基準として受益者集団を決定している。このように、独立インドにおける留保制度は、カースト帰属によって、利益が得られるかどうかが決まるという面を強くもつ。今日のインドでは、上下の序列関係としてのカースト制度はあまり意味をもたなくなっているが、カースト帰属は依然として大きな意味をもっている。このことが、「カースト・ポリティックス」と相まって、今日のインド社会を「カースト制度なきカースト社会」にしているのである。

[小谷汪之]

『山崎元一著『インド社会と新仏教』(1979・刀水書房)』『山崎元一著『古代インド社会の研究』(1987・刀水書房)』『臼田雅之・押川文子・小谷汪之編『もっと知りたいインド(2)』(1989・弘文堂)』『小谷汪之著『インドの中世社会――村・カースト・領主』(1989・岩波書店)』『押川文子編『インドの社会経済発展とカースト』(1990・アジア経済研究所)』『プラフルラ・モハンティ著、小西正捷訳『わがふるさとのインド』(1990・平凡社)』『B・R・アンベードカル著、山崎元一・吉村玲子訳『インド――解放の思想と文学5 カーストの絶滅』(1994・明石書店)』『M・K・ガンディー著、森本達雄ほか訳『インド――解放の思想と文学6 不可触民解放の悲願』(1994・明石書店)』『押川文子・小谷汪之・内藤雅雄・柳沢悠・山崎元一編『叢書 カースト制度と被差別民』全5巻(1994~95・明石書店)』『篠田隆著『インドの清掃人カースト研究』(1995・春秋社)』『小谷汪之著『不可触民とカースト制度の歴史』(1996・明石書店)』『小谷汪之編『インドの不可触民――その歴史と現在』(1997・明石書店)』『粟屋利江著『イギリス支配とインド社会』(1998・山川出版社)』『ルイ・デュモン著、田中雅一・渡辺公三訳『ホモ・ヒエラルキクス――カースト体系とその意味』(2001・みすず書房)』『堀本武功・広瀬崇子編『叢書 現代南アジア(3) 民主主義へのとりくみ』(2002・東京大学出版会)』『渡瀬信之著『マヌ法典――ヒンドゥー教世界の原型』(中公新書)』

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百科事典マイペディア 「カースト」の意味・わかりやすい解説

カースト

インドの閉鎖的な社会集団の呼称。これを社会関係に位置づけた制度をカースト制度という。ポルトガル語カスタcasta(家系,血統)が英語に借用された言葉で,インドではカースト集団をジャーティjati(生れ)と呼ぶ。アーリヤ人がインドに侵入し,先住民との間に身分差別をつくり出したことに由来する。まずバラモン(司祭),クシャトリヤ(王族),バイシャ(庶民),シュードラ(隷民)の基本的な四大バルナ(種姓)が確立した。さらに社会生活の複雑化に伴い,バルナ制度を社会の大枠として地域文化ごとにさまざまなカーストが発生した。今日では2000〜3000のカーストがあるといわれる。各カーストにおいて職業を世襲化する場合もある。カースト内での団結も強いが,反面異なったカーストとの間では結婚や食事等の交流を禁じたり,さらにはバルナ外の不可触民があるなど,カースト制度はインド社会の近代化をはばむ大きな障害となっている。→指定カースト留保制度
→関連項目階級賤民ダウリー内婚制バラモン教南アジア身分

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カースト」の意味・わかりやすい解説

カースト
caste

インド社会に独特な身分制度。その起源は前 1500年頃ガンジス川流域にアーリア人が進出し,先住民を征服して彼らを隷属階級として支配した時代にまでさかのぼるといわれる。その後,支配層の間にも職能の分化が生じ,人間を4つの貴賤に順序づける,バラモン (司祭者) ,クシャトリヤ (王侯,武士) ,バイシャ (庶民) ,シュードラ (隷属民) の種姓制度が成立した。これはやがてインド全域をおおうようになり,バラモンを最上位としてその宗教的権威と社会的特権を認め,社会秩序を組織化するものであった。とりわけ4世紀のグプタ朝以後の諸王朝では,この理念を支持して社会秩序の保持にあたり,10~14世紀には村落共同体の展開に伴い,各地域では土地保有階級を中核としてカーストの固定化が進行し,16~17世紀には頂点に達した。さらに社会における職能の分化が進むにつれて,主としてバイシャ,シュードラに属する人々の間に複雑なカースト集団の細分化が生じた。カースト集団,下位カースト集団の数は近年では 2000から 3000にも及ぶといわれる。各カーストは閉鎖的,排他的であり,その成員は共通の習慣,祭式,さらに世襲の職業に従事する義務をもち,他のカーストとの通婚および飲食は厳重に禁止されていた。このような生来の身分をインド人自身はジャーティ (生れ) と呼んでいたが,ポルトガル人が家系,血統を意味するカスタという語をジャーティをさすのに用いたことから「カースト」という語が生れた。今日では憲法で否定されているが,なおインド社会に根強く残っている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カースト」の解説

カースト
caste

血縁・姻戚関係を紐帯とするインドに特徴的な社会集団。内婚と共食の単位であり,特定の職業および身分と結びつけられる。社会学的概念として,インド以外の身分制的社会集団にこの語が適用されることもある。カースト間の政治的・経済的な相互依存関係(分業と資源分配を基礎とする)と社会儀礼的な序列関係が結びついた中世インドに特徴的な身分制的社会関係をカースト制度と呼ぶ。カーストはポルトガル語で血統を意味するカスタを語源とするが,インド諸語ではカースト集団をジャーティと呼ぶ。4ヴァルナ(種姓)の概念は前8世紀頃に成立し,4~7世紀には不可触民が付け加えられ5ヴァルナの理念が形成された。実体的な社会集団であるジャーティが成立し,ヴァルナ概念と結びついてカースト制度が形成されたのは10世紀頃からのことである。カースト制度は,基本的には中世地域社会を基盤とする身分秩序であったが,中世後期にはその維持についてある程度国家権力に依存するようになった。19世紀のイギリス植民地支配下においては,カーストを単位とした行政,司法が行われた影響などから,地域社会を超えた広域でのカーストの結集と政治的・社会的活動の活発化がみられた。独立以降,1950年施行のインド憲法により,不可触制は禁止された。また指定カーストおよび指定部族に対する優遇措置をとるべきことが定められた。カーストは歴史的に変遷しながら,現代インドにおいても政治的・社会的に重要な要素をなしている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カースト」の解説

カースト
caste

インド特有の宗教的観念と結合した身分階層制度
家系・血統を意味するポルトガル語のcastaに由来。インドでは「生まれ」を意味する「ジャーティ」と呼ばれる。原型はアーリア人のインド侵入の過程で先住民を征服・差別したことにある。バラモン(司祭者)を頂点とし,クシャトリヤ(王族・士族)・バイシャ(庶民)・シュードラ(隷属民)の4種姓(ヴァルナ)を基本とし,上位3種を再生族(ドビジャ)と呼んだ。その後,混血や職業の分化に伴って複雑に分岐し,多くのカーストが生じた。今日では2000〜3000のカーストが存在する。各カーストは閉鎖的・排他的で職業を世襲し,異種カースト間での結婚・飲食は禁止される。ヒンドゥー教とも結合してインドの近代化を妨げた。独立後のインド憲法では禁止されているが,なお根強い影響力を残している。このほか不可触賤民(パリア)と呼ばれる最下層民が存在し,深刻な社会差別を受けている。

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世界大百科事典(旧版)内のカーストの言及

【社会性昆虫】より

…語感から一般に〈集団生活をしている昆虫〉ととられがちだが,実際はおもにアリ,シロアリおよび一部の集団性ハチ類(カリバチ類waspsのアシナガバチ,スズメバチやハナバチ類beesのミツバチ,ハリナシバチ,マルハナバチ,一部のコハナバチなど)に対して用いられるもので,以下この意味で解説する。これらの昆虫の特性は,集団(コロニー)がカースト制によって維持されている点にある(ヒトにおけるカースト制とは,表面的類似はあっても無関係)。コロニーはおもに繁殖を担当する個体(女王。…

【インド[国]】より

…このことは普通選挙制が実現した独立後の時期にはさらに重要となった。 ネルー時代の国民会議派の選挙における確固とした支持基盤は,彼自身の出身カーストであり知識階層の多くの人々のそれでもあるバラモン,分割後もインドに取り残されて社会的に不安定な立場にあるムスリム,ヒンドゥー社会の底辺を形づくる指定カースト(不可触民)の三つであったといわれる。この3者だけで全人口の30%をこえると推定される。…

【インド】より

…この意味で,ヒンドゥー教は言語,人種などを異にする多様な社会集団の文化にひとつの特色ある統一性を付与している。 ヒンドゥー教と不可分に結びつくのが社会制度としてのカースト制である。独自の伝統文化を保持する,部族諸社会を除いて,亜大陸のほとんどすべての社会は,程度の差はあれ,カースト制の原理のもとにあるといってよい。…

【スリランカ】より

…イギリスの植民地経営は当初,オランダ同様にニッケイ貿易の独占を目的としていたが,1830年代からプランテーション農業の開発へと転換した。湿潤地帯の山地にコーヒーを栽植し,南インドの下層カーストの労働力を移植した。こうしてプランテーション的生産様式の基本的な経営形態が,19世紀中葉に成立したのである。…

【ネパール】より

…このほか,わずか数家族という言語集団も見られる。 宗教は(1)の人々(および仏教徒(2-a)中のネワールも含む)は多くヒンドゥー的で,カースト社会を成す。ただし,(1-a)の人々の間では中間の地位の諸カーストが欠落している。…

【バラモン教】より

…バラモンはさらに,みずからの優位性を堅牢なものにするために,バラモンを至上とする理念的な階級制度を打ち立てた。これをバルナ制(カースト制)といい,インド社会はバラモン,クシャトリヤ,バイシャ,シュードラの四つのバルナに区分され,この区分を侵すことはかたく禁じられた。またバラモン教では,バルナの成員が一生の間に踏むべき段階(生活期,アーシュラマ)が規定されている。…

【ヒンドゥー教】より

…したがってヒンドゥー教は,ピラミッドの頂点に立つ極度に発達した哲学体系からその底辺にある最も原始的な信仰や呪術をもその中に取り込んでいる。ヒンドゥー教は高度の神学や倫理の体系を包括しているばかりではなく,カースト制度やアーシュラマ(生活期)制度をはじめ,人間生活の全般を規定する制度,法制,習俗などを内包している。ヒンドゥー教は宗教というよりもむしろ生活法a way of lifeであるといわれるのも,以上のような性格に由来している。…

【村】より

…むらには耕作者にサービスを提供する各種の職人がおり,不足した場合は近隣の職人部落からサービスを仰ぎ,またそこで生産された物が商人によってむらにもたらされた。むらの近くの被征服民(アウト・カースト)や未開の種族民(ときには外敵となる)からは,耕作その他の肉体労働を得ていた。むらには,むらのさまざまな問題を処理するむら人の集会があり,むら人の上には氏族や血縁集団の首長の系譜を引くむら長や長老たちがいた。…

※「カースト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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