カーター(英語表記)Carter, Elizabeth

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カーター
Carter, Elizabeth

[生]1717.12.6. ケントディール
[没]1806.2.19. ロンドン
イギリスの文芸愛好家でいわゆる「ブルーストッキング」の一員。小説家 S.リチャードソンや S.ジョンソンの友人であった。

カーター
Carter, Howard

[生]1873.5.9. ノーフォーク
[没]1939.3.2. ロンドン
イギリスのエジプト考古学者。初め製図者としてエジプトに入り,いくつもの発掘に参加したのち,1899年エジプト古物局首席鑑査官となり,1908年テーベの王陵発掘を企画したカーナーボン卿に認められて,08~12年テーベ西方地帯を調査,19~21年王陵の谷を調査。 22年 11月4日ラムセス6世の墓の下方に未知の石壁を発見,11月 22日ついにトゥトアンクアメンの完璧に保存された岩窟墓を掘りあて,多くの財宝を発見して,斯界にセンセーショナルな話題を提供した。

カーター
Carter, James Earl, Jr.

[生]1924.10.1. ジョージア,プレーンズ
アメリカの政治家。第 39代大統領(在任 1977~81) 。ジョージアサウスウエスタン大学,ジョージア工科大学で学び,1946年海軍兵学校卒業。 46~53年海軍勤務ののち家業のピーナッツ農場を継いだが,62年ジョージア州議会上院議員として政界に入り,70年同州知事選挙に当選。しかし1期で知事を辞任,各州を遊説するなどの地道な選挙運動の結果,76年に民主党の大統領候補の指名を獲得,共和党の G.フォードを破って当選する。エネルギー対策や「人権外交」などの面で積極的な政策を打出した。 80年大統領選挙で再選をねらったが,在テヘラン・アメリカ大使館員等人質事件の不手際などで支持を失い,共和党の R.レーガン候補に大敗した。 82年に非政府組織「カーターセンター」を設立し,平和,自由,人権を掲げて国際的に活動を展開。 2002年国際紛争の平和的解決に尽力し民主主義と人権の発展に貢献したとの理由で,ノーベル平和賞を受賞した。

カーター
Carter, Leslie

[生]1862.6.10.
[没]1937.11.13.
アメリカの女優。本名 Caroline Louise Dudley。 D.ベラスコ演出の『メリーランドの心』 (1895) でスターとなり,長年彼の作品に出演。 A.W.ピネロの『第二のタンカレー夫人』でも好評を博した。

カーター
Carter, Benny

[生]1907.8.8. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2003.7.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン,作曲家。本名 Bennett Lester Carter。ジャズの巨匠として知られ,スイング時代に編曲者としてビッグ・バンドのスタイルを確立した先駆者。澄んだ音色と優雅な旋律と流麗な演奏が特徴のアルト・サクソフォーン奏者でもあった。作曲・編曲を行なうかたわら一流バンドでソリストを務め,1932~34年にはみずからのビッグ・バンドを率いた。1935~38年にヨーロッパのバンドに参加し,スイングの全盛期に帰国してビッグ・バンドを結成。1943年に初めて映画『ストーミー・ウェザー』の音楽を作曲した。その後,映画音楽,テレビ音楽の作曲を手がけ,たまにソロ演奏を行なうなどした。カウント・ベーシー楽団,ペギー・リー,エラ・フィッツジェラルドらにも曲を提供した。ハリウッドで活躍した初のアフリカ系アメリカ人作曲家の一人。2000年ナショナル・メダル・オブ・アーツを受けた。(→ビッグ・バンド・ジャズ

カーター
Carter, Elliott

[生]1908.12.11. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2012.11.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の作曲家。フルネーム Elliot Cook Carter, Jr.。メトリック・モジュレーションと呼ばれる斬新なポリリズム(複リズム)の原理で音楽に変革をもたらした。作曲家チャールズ・E.アイブズとの出会いを契機に音楽に興味をもつ。1926~32年ハーバード大学で学び,パリに渡ってナディア・ブーランジェに師事,1933年から本格的に作曲を始めた。初期の代表曲は『交響曲第1番』(1942)など。音楽作法の転換点となった『ピアノ・ソナタ』(1945~46)で複雑な対位法を用い,『チェロ・ソナタ』(1948)でメトリック・モジュレーションを確立した。この緻密に織り合わされた対位法は『弦楽四重奏第1番』(1951)で完成し,カーターを代表するスタイルとなった。『オーケストラのための変奏曲』(1954~55)は音程と強弱法への取り組みにつながっていった。ほかに,『オーボエ協奏曲』(1987),『チェロ協奏曲』(2001)など。100歳を過ぎても創作活動を続けた。1960年と 1973年にピュリッツァー賞を受賞,1985年に作曲家として初めてナショナル・メダル・オブ・アーツを授与された。

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百科事典マイペディアの解説

カーター

英国の女性作家。マジック・リアリズムと評される手法で,現実と非現実,日常と夢とを交叉させ,社会の様々な差別・抑圧構造を,フェミニズムの視点から描く。性とサディズムを主題とした《魔法の玩具店》(1967年)や《ホフマン博士の忌まわしい欲望装置》(1967年),孤独をグロテスクな手法で描いた《サーカスの夜》(1984年),おとぎ話の書き換えをまとめた《血染めの部屋》(1977年)が代表作。ほかに小説《ラブ》(1971年),フェミニズム批評書《サド的女性》(1979年)など。日本に長期滞在経験あり。《ワイズ・チルドレン》(1991年)が遺作となった。

カーター

米国の作曲家。20世紀米国作曲界を代表する大家の一人。ニューヨークに生まれ,ハーバード大学でピストンらに学んだのち,1932年―1935年パリでN.ブーランジェに師事。また,10代でアイブズ知遇を得た。バレエ音楽《ポカホンタス》(1937年−1939年)などの新古典主義的作風から出発し,ポリリズムをはじめさまざまな書法を統合した独自の音楽様式を確立。40代までほとんど無名の作曲家としてすごした。その寡作ぶりや,1作ごとに完成度の高い新境地を刻む創作活動は,フランスのデュティユーとしばしば比較される。代表作として,《チェロ・ソナタ》(1948年),ハープシコード,ピアノと2つの室内管弦楽団のための《二重協奏曲》(1961年),ソプラノと小管弦楽のための《こだわりの境(見つめる鏡)》(1975年),《オーボエ協奏曲》(1986年―1987年),4つの弦楽四重奏曲(1950年−1951年,1959年,1971年,1986年)などが知られる。批評家,教師としても活動。

カーター

英国のエジプト学者。ピートリーの弟子。1916年以降カーナーボン卿の後援下に,王家の谷を調査,1922年ツタンカーメン陵墓を発掘してそのミイラをはじめおびただしい財宝を発見。著書《ツタンカーメンの墓》。

カーター

米国の政治家。1947年海軍士官学校を卒業したが,1953年退役し,ピーナッツ農園の経営に従事。1966年ジョージア州上院議員,1970年同州知事を経て1977年1月大統領に就任(民主党)。国内的にはエネルギー政策の推進,対外的には米中関係の正常化などに力を注ぐ。1980年の大統領選挙でレーガンに敗れ,下野する。中東和平など国際紛争の平和的解決への貢献により2002年ノーベル平和賞を受賞。
→関連項目共和党西暦2000年の地球朝鮮半島非核化宣言フォード

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世界大百科事典 第2版の解説

カーター【Elliott Cook Carter】

1908‐
アメリカの作曲家。ハーバード大学でピストンらに学んだ後,渡仏し,パリでブーランジェに師事する。作風は両大戦間の大勢である新古典主義を踏襲するもので,作品もバレエやオーケストラ作品が多い。評論や教育でもアメリカ音楽界としては重要な存在であり,技法的には,とくにリズムとテンポを多層的に重ねて表現を創ることにすぐれている。【武田 明倫】

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