カーター(読み)かーたー(その他表記)Gary Edmund Carter

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カーター」の意味・わかりやすい解説

カーター(Gary Edmund Carter)
かーたー
Gary Edmund Carter
(1954― )

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)、ニューヨーク・メッツサンフランシスコ・ジャイアンツロサンゼルス・ドジャースで捕手としてプレー。強打とリーダーシップでチームを勝利に導いた名捕手である。

 4月8日、カリフォルニア州カルバー・シティで生まれる。サニーヒルズ高から1972年、ドラフト3巡目指名を受けてエクスポズに入団。1974年のシーズン終盤に9試合だけ出場し、大リーグ昇格を果たした。翌75年からレギュラーとなり、同年ホームラン17本を打ったが、76年は故障で低迷した。1977年に打率2割8分4厘、ホームラン31本、打点84をマークし、以降は強打で知られるようになった。捕手としての守備も高く評価され、1980年から82年までゴールドグラブ賞を受賞した。また、大舞台での勝負強さも目だち、1981年と84年のオールスター・ゲームで最優秀選手(MVP)に選ばれた。その1984年に打点王となったのを最後に、85年にはメッツへ移籍。翌86年のワールド・シリーズではホームラン2本、打点9をマークし、さらに第6戦では10回裏二死から奇跡の逆転劇の発端となる安打を打ち、「ミラクル」とよばれたワールド・シリーズ制覇に貢献した。捕手という過酷なポジションのために故障も多く、1988年から成績が急落。最後は古巣エクスポズに戻り、1992年限りで引退した。なお、殿堂入りの際はエクスポズの選手として入ることを選び、同球団初の殿堂プレーヤーとなった。

 19年間の通算成績は、出場試合2296、安打2092、打率2割6分2厘、本塁324本、打点1225。獲得したおもなタイトルは、打点王1回。ゴールドグラブ3回。2003年に野球殿堂入り。

[山下 健]


カーター(Jimmy Carter)
かーたー
Jimmy Carter
(1924― )

アメリカ合衆国第39代大統領(在任1977~1981)。10月1日ジョージア州プレーンズに生まれ、信仰心あつい両親のもと深南部(ディープサウス)の自然の中で育った。1943年メリーランド州アナポリスの海軍兵学校に入学、第二次世界大戦のあと少尉に任官し原子力潜水艦の開発に従事した。父の死により海軍を辞め、家業のピーナッツ栽培と倉庫業を継いで成功したあと政治に志す。1962年民主党からジョージア州上院議員、1970年には同州知事に当選。1974年の任期終了後(州法で再選は禁止)大統領選出馬を表明、ウォーターゲート事件後の政治不信の季節に、「政治の牧師」として国民のプライドに訴え、現職の大統領フォードを破って1976年当選を果たした。大統領職から無用な権威を取り去って「開かれた政治」を目ざし国民との交流を図ったが、国内政治の領域では議会操縦に未経験であったため、エネルギー法案はじめ多くの施策が難航した。エンジニア的計画性が先だって指導力に欠けると批判されたが、外交面ではパナマ運河条約の締結、さらに中東和平実現のためイスラエル首相ベギンとエジプト大統領サダトの説得に成功するなど功績があった。しかし政権末年にイランで起きたアメリカ大使館員人質事件を解決できず、1980年の大統領選で元カリフォルニア州知事レーガンに大敗した。退職後ジョージア州アトランタにカーター・センターをつくり、世界平和のために奔走し、1994年北朝鮮の核開発をめぐる国際危機を自ら訪朝して解決するなど、「最良の元大統領」といわれた。これらの業績が評価され、「国際紛争の解決に尽力し、民主主義と人権の発展に貢献した」として2002年ノーベル平和賞を受賞した。

袖井林二郎

『持田直武他訳、日高義樹監修『カーター回顧録』上下(1982・日本放送出版協会)』『ハワード・ノートン、ボブ・スロッサー著、笠原佳雄訳『ジミー・カーターの奇跡――新しいアメリカを創る男』(1976・徳間書店)』『村田晃嗣著『大統領の挫折――カーター政権の在韓米軍撤退政策』(1998・有斐閣)』『ジミー・カーター著、飼牛万里訳『少年時代』(2003・石風社)』



カーター(Howard Carter)
かーたー
Howard Carter
(1873―1939)

イギリスのエジプト学者。病弱であったため正規の学校教育は受けなかった。動物画家である父からとくに写生画法を学び、17歳のときエジプト学者ニューベリに写生画家として雇われ、エジプトに渡った。そのあとエジプト学を自ら学び、カイロ博物館に採用され、上エジプト遺跡監督官となった。テーベで6基の王墓を発見し、1907年、イギリスの貴族カーナーボン卿(きょう)の協力者となってテーベの発掘にあたった。22年、ツタンカーメン王墓をほとんど無傷の状態で発見し、エジプト学に輝かしい貢献をした。学術報告書を準備したが、それは果たさず、一般読書人向けの『ツタンカーメンの墓』3巻を残した。

[酒井傳六]

『酒井傳六・熊田亨訳『ツタンカーメン発掘記』(1966・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「カーター」の意味・わかりやすい解説

カーター

米国の作曲家。20世紀米国作曲界を代表する大家の一人。ニューヨークに生まれ,ハーバード大学ピストンらに学んだのち,1932年―1935年パリでN.ブーランジェに師事。また,10代でアイブズの知遇を得た。バレエ音楽《ポカホンタス》(1937年−1939年)などの新古典主義的作風から出発し,ポリリズムをはじめさまざまな書法を統合した独自の音楽様式を確立。40代までほとんど無名の作曲家としてすごした。その寡作ぶりや,1作ごとに完成度の高い新境地を刻む創作活動は,フランスのデュティユーとしばしば比較される。代表作として,《チェロ・ソナタ》(1948年),ハープシコード,ピアノと2つの室内管弦楽団のための《二重協奏曲》(1961年),ソプラノと小管弦楽のための《こだわりの境(見つめる鏡)》(1975年),《オーボエ協奏曲》(1986年―1987年),4つの弦楽四重奏曲(1950年−1951年,1959年,1971年,1986年)などが知られる。批評家,教師としても活動。

カーター

米国の政治家。1947年海軍士官学校を卒業したが,1953年退役し,ピーナッツ農園の経営に従事。1966年ジョージア州上院議員,1970年同州知事を経て1977年1月大統領に就任(民主党)。国内的にはエネルギー政策の推進,対外的には米中関係の正常化などに力を注ぐ。1980年の大統領選挙レーガンに敗れ,下野する。中東和平など国際紛争の平和的解決への貢献により2002年ノーベル平和賞を受賞。
→関連項目共和党西暦2000年の地球朝鮮半島非核化宣言フォード

カーター

英国の女性作家。マジック・リアリズムと評される手法で,現実と非現実,日常と夢とを交叉させ,社会の様々な差別・抑圧構造を,フェミニズムの視点から描く。性とサディズムを主題とした《魔法の玩具店》(1967年)や《ホフマン博士の忌まわしい欲望装置》(1967年),孤独をグロテスクな手法で描いた《サーカスの夜》(1984年),おとぎ話の書き換えをまとめた《血染めの部屋》(1977年)が代表作。ほかに小説《ラブ》(1971年),フェミニズム批評書《サド的女性》(1979年)など。日本に長期滞在経験あり。《ワイズ・チルドレン》(1991年)が遺作となった。

カーター

英国のエジプト学者。ピートリーの弟子。1916年以降カーナーボン卿の後援下に,王家の谷を調査,1922年ツタンカーメンの陵墓を発掘してそのミイラをはじめおびただしい財宝を発見。著書《ツタンカーメンの墓》。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カーター」の意味・わかりやすい解説

カーター
Carter, Elliott

[生]1908.12.11. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2012.11.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の作曲家。フルネーム Elliot Cook Carter, Jr.。メトリック・モジュレーションと呼ばれる斬新なポリリズム(複リズム)の原理で音楽に変革をもたらした。作曲家チャールズ・E.アイブズとの出会いを契機に音楽に興味をもつ。1926~32年ハーバード大学で学び,パリに渡ってナディア・ブーランジェに師事,1933年から本格的に作曲を始めた。初期の代表曲は『交響曲第1番』(1942)など。音楽作法の転換点となった『ピアノ・ソナタ』(1945~46)で複雑な対位法を用い,『チェロ・ソナタ』(1948)でメトリック・モジュレーションを確立した。この緻密に織り合わされた対位法は『弦楽四重奏第1番』(1951)で完成し,カーターを代表するスタイルとなった。『オーケストラのための変奏曲』(1954~55)は音程と強弱法への取り組みにつながっていった。ほかに,『オーボエ協奏曲』(1987),『チェロ協奏曲』(2001)など。100歳を過ぎても創作活動を続けた。1960年と 1973年にピュリッツァー賞を受賞,1985年に作曲家として初めてナショナル・メダル・オブ・アーツを授与された。

カーター
Carter, Benny

[生]1907.8.8. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2003.7.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン,作曲家。本名 Bennett Lester Carter。ジャズの巨匠として知られ,スイング時代に編曲者としてビッグ・バンドのスタイルを確立した先駆者。澄んだ音色と優雅な旋律と流麗な演奏が特徴のアルト・サクソフォーン奏者でもあった。作曲・編曲を行なうかたわら一流バンドでソリストを務め,1932~34年にはみずからのビッグ・バンドを率いた。1935~38年にヨーロッパのバンドに参加し,スイングの全盛期に帰国してビッグ・バンドを結成。1943年に初めて映画『ストーミー・ウェザー』の音楽を作曲した。その後,映画音楽,テレビ音楽の作曲を手がけ,たまにソロ演奏を行なうなどした。カウント・ベーシー楽団,ペギー・リー,エラ・フィッツジェラルドらにも曲を提供した。ハリウッドで活躍した初のアフリカ系アメリカ人作曲家の一人。2000年ナショナル・メダル・オブ・アーツを受けた。(→ビッグ・バンド・ジャズ

カーター
Carter, James Earl, Jr.

[生]1924.10.1. ジョージア,プレーンズ
アメリカの政治家。第 39代大統領(在任 1977~81) 。ジョージアサウスウエスタン大学,ジョージア工科大学で学び,1946年海軍兵学校卒業。 46~53年海軍勤務ののち家業のピーナッツ農場を継いだが,62年ジョージア州議会上院議員として政界に入り,70年同州知事選挙に当選。しかし1期で知事を辞任,各州を遊説するなどの地道な選挙運動の結果,76年に民主党の大統領候補の指名を獲得,共和党の G.フォードを破って当選する。エネルギー対策や「人権外交」などの面で積極的な政策を打出した。 80年大統領選挙で再選をねらったが,在テヘラン・アメリカ大使館員等人質事件の不手際などで支持を失い,共和党の R.レーガン候補に大敗した。 82年に非政府組織「カーターセンター」を設立し,平和,自由,人権を掲げて国際的に活動を展開。 2002年国際紛争の平和的解決に尽力し民主主義と人権の発展に貢献したとの理由で,ノーベル平和賞を受賞した。

カーター
Carter, Howard

[生]1873.5.9. ノーフォーク
[没]1939.3.2. ロンドン
イギリスのエジプト考古学者。初め製図者としてエジプトに入り,いくつもの発掘に参加したのち,1899年エジプト古物局首席鑑査官となり,1908年テーベの王陵発掘を企画したカーナーボン卿に認められて,08~12年テーベ西方地帯を調査,19~21年王陵の谷を調査。 22年 11月4日ラムセス6世の墓の下方に未知の石壁を発見,11月 22日ついにトゥトアンクアメンの完璧に保存された岩窟墓を掘りあて,多くの財宝を発見して,斯界にセンセーショナルな話題を提供した。

カーター
Carter, Leslie

[生]1862.6.10.
[没]1937.11.13.
アメリカの女優。本名 Caroline Louise Dudley。 D.ベラスコ演出の『メリーランドの心』 (1895) でスターとなり,長年彼の作品に出演。 A.W.ピネロの『第二のタンカレー夫人』でも好評を博した。

カーター
Carter, Elizabeth

[生]1717.12.6. ケント,ディール
[没]1806.2.19. ロンドン
イギリスの文芸愛好家でいわゆる「ブルーストッキング」の一員。小説家 S.リチャードソンや S.ジョンソンの友人であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「カーター」の意味・わかりやすい解説

カーター
Elliott Cook Carter
生没年:1908-

アメリカの作曲家。ハーバード大学でピストンらに学んだ後,渡仏し,パリでブーランジェに師事する。作風は両大戦間の大勢である新古典主義を踏襲するもので,作品もバレエやオーケストラ作品が多い。評論や教育でもアメリカ音楽界としては重要な存在であり,技法的には,とくにリズムとテンポを多層的に重ねて表現を創ることにすぐれている。
執筆者:

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カーター」の解説

カーター
James Earl Carter

1924~

アメリカ第39代大統領(在任1977~81)。民主党員。ジョージア州出身の無名の政治家であったが,1976年一躍大統領に当選。外交では人権外交を唱えて特色を出し,新パナマ運河条約米中国交正常化,中東和平などの実績をあげたが,政権末期にはソ連のアフガニスタン侵攻とテヘラン米大使館員人質事件への対応に追われ,また原油高騰の影響でインフレと雇用の悪化に直面し,再選されなかった。大統領退任後の国際平和活動を評価され,2002年にノーベル平和賞受賞。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「カーター」の解説

カーター
James Carter

1924〜  
アメリカの第39代大統領(在任1977〜81)
ジョージア州の農家に生まれ,工科大学をへて海軍士官学校を卒業。1962年上院議員となり,70年州知事に当選。1976年11月の大統領選挙では,民主党の候補として共和党のフォード大統領を破り当選した。“人権外交”を提唱。1979年に中東和平を仲介,中国との国交を実現したが,一方でイランのアメリカ大使館占拠事件の解決に失敗。またソ連のアフガニスタン侵攻に強硬策をとるが,国民の信頼を失い,1980年の大統領選挙で共和党のレーガンに敗北。

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