日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
シュタイン(Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein)
しゅたいん
Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein
(1757―1831)
ドイツの政治家。プロイセン改革の指導者。ナッサウの帝国騎士の家柄に生まれ、ゲッティンゲン大学でイギリス自由主義の影響を受け、1780年以後のプロイセン官吏の経験から絶対主義への批判を強めた。1804年大臣となったが、固陋(ころう)な官房政治を批判してその改革を献言したため罷免された。隠棲(いんせい)中に『ナッサウ覚書』を起草し、国民と政府の協力による近代国家建設の理念を説き、1807年ティルジット条約後ふたたび首相に起用されると、その理念に従って農民解放、都市条例、国家機構の改革などを断行して「プロイセン改革」の口火を切ったが、オーストリアに対する対フランス戦参戦工作が露見してナポレオンに忌避され、1808年オーストリアに逃れた。のちロシアに赴いて同志とともにナポレオン打倒のため奔走し、1813年プロイセン・ロシア同盟を成立させてプロイセンを解放戦争に引き戻すことに成功した。ウィーン会議にはロシア政府顧問として出席し統一ドイツ実現のため活動したが、メッテルニヒに阻止された。以後政界から退いてドイツ歴史資料収集に取り組み、『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』(ドイツ中世史料集)の基礎を築いた。
[岡崎勝世]
『石川澄雄著『シュタインと市民社会』(1972・御茶の水書房)』