シンプソン
- [ 一 ] ( Wallis Simpson ウォリス━ ) ウィンザー公(イギリス国王エドワード八世の退位後の名)の夫人。アメリカ出身。離婚歴があったためエドワード八世との結婚に反対の声が強く、国王は結婚のため退位した。シンプソン夫人。(一八九六━一九八六)
- [ 二 ] ( Sir James Young Simpson サー=ジェームズ=ヤング━ ) イギリスの産婦人科医。エジンバラ大学教授。麻酔を分娩に応用、また、産科鉗子(かんし)の考案など、産科医術の改良につとめた。(一八一一‐七〇)
- [ 三 ] ( Sir George Clarke Simpson サー=ジョージ=クラーク━ ) イギリスの気象学者。一九一〇~一二年スコットの南極探検に参加。ロンドン気象台長、王立気象学会会長を歴任。雷雲の電気現象を研究。(一八七八‐一九六五)
- [ 四 ] ( Thomas Simpson トーマス━ ) イギリスの数学者。数値積分法の「シンプソンの公式」で有名。著書に代数・幾何・三角法・微積分などの教科書があり、論文に「新流分論」がある。(一七一〇‐六一)
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シンプソン
Simpson, George Gaylord
[生]1902.6.16. イリノイ,シカゴ
[没]1984.10.6. アリゾナ,トゥーソン
アメリカ合衆国の古生物学者。1926年エール大学で,中生代の哺乳類に関する論文で学位を取得。エール大学と大英博物館の標本を資料に用いた。1927年にアメリカ自然史博物館館員となり,数々の業績を上げた。主として初期哺乳類に関するものが多い。モンゴルや北アメリカの白亜紀の哺乳類を研究。モンタナ州でフォート・ユニオン地層から古第三紀暁新世の哺乳類 50種を発見。1930年代の初め,3回にわたってパタゴニアに調査旅行を行ない,それまで空白であった新第三紀の南アメリカの哺乳類について豊富な知識をもたらした。第2次世界大戦後,自然史博物館の古生物部主任となり,コロンビア大学教授も兼ねた。この頃から新しい研究分野に進出し,動物が大陸から大陸へと分布域を移していく問題を取り上げたほか,哺乳類を分類するための基本原理を論じて『動物分類学の基礎』The Principles of Animal Taxonomy(1961)を著した。『進化の意味』The Meaning of Evolution(1949)では古生物学の立場から進化論に検討を加え,広く注目を集めた。1958年にハーバード大学比較動物学博物館の古生物学教授,1969年からアリゾナ大学教授を務めた。
シンプソン
Simpson, Sir James Young
[生]1811.6.7. スコットランド,バスゲート
[没]1870.5.6. ロンドン
イギリスの産科医。 14歳でエディンバラ大学に入り,1832年に学位を取った。 39年 29歳で母校の教授となり,47年モートン (アメリカ) の無痛抜歯の技法にならってエーテルを分娩に応用,成功を収めた。さらに,同年クロロホルムを分娩に使用することに成功したが,この麻酔薬使用は,医師だけでなく,民衆の一部や聖職者からきびしい抗議を受けた。しかし,彼がビクトリア女王の侍医になり,53年レオポルド王子誕生のとき,クロロホルムを使って無痛分娩に成功して以来,抗議の声はおさまった。 66年スコットランドの医師では最初の准男爵に叙せられた。なお,シンプソン鉗子のほか,産科器具を改良,また,手術患者の追跡調査も試みている。
シンプソン
Simpson, George
[生]1787? スコットランド,ロッホブルーム
[没]1860.9.7. ラシーヌ
イギリスの植民地行政官。ルーパーツランド総督 (在任 1839~60) 。初め西インド諸島との交易を扱う会社に勤めていたが,1820年ハドソン湾会社に入社。カナダに派遣され,21年の同社と北西会社の合併に尽力した。 39年ハドソン湾会社の所有地とみなされるカナダの北西部地方,通称ルーパーツランドの総督となり,みずから大陸を横断して太平洋岸にバンクーバー砦,ビクトリア砦を設けるなど,手堅い経営で知られた。
シンプソン
Simpson, N(orman) F(rederick)
[生]1919.1.29. ロンドン
イギリスの劇作家。ロンドン大学卒業。『チリリンリン』A Resounding Tinkle (1957) ,『穴』 The Hole (58,初演 64) ,『一方振子』 One Way Pendulum (59) など,不条理劇的作品が多い。テレビのシナリオも手がける。
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シンプソン(George Gaylord Simpson)
しんぷそん
George Gaylord Simpson
(1902―1984)
アメリカの古生物学者。1923年エール大学を卒業してヨーロッパへ留学。帰国後、1942年アメリカ自然史博物館で化石哺乳(ほにゅう)類の管理官となる。1944年コロンビア大学の地質古生物学部長、1945年同大学古生物学教授となり、1959~1969年ハーバード大学教授を務めた。北アメリカ、中央アメリカ、南アメリカの多数の資料について、化石哺乳類の研究をし貴重な貢献をなした。系統分類や生物進化について多くの著作を書き、進化速度や進化相関に関する考えを示した。
[小畠郁生]
シンプソン(Sir James Young Simpson)
しんぷそん
Sir James Young Simpson
(1811―1870)
イギリスの産科医。スコットランドのエジンバラに近いバスゲートに生まれる。1827年からエジンバラ大学で医学を学び、一時期田舎(いなか)で開業、1840年、29歳でエジンバラ大学産科学教授となった。男性的な力と女性的な繊細さとを兼ね備えた人柄により、人望を集めた。1843年、子宮ゾンデを考案、多数の論文を書いた。
シンプソンを有名にしたのは、産科麻酔の創始者としてである。1847年1月19日、エーテル麻酔を産婦に初めて行い、同年11月4日にはクロロホルム麻酔を初めて行った。これに対して宗教的非難がおこったが、聖書の典拠をあげて反論した。そして6年後ビクトリア女王のレオポルドLeopold(1853―1884)王子出産の際スノーJohn Snow(1813―1858)がこの麻酔を行った。1850年、今日も用いられるシンプソン産科鉗子(かんし)を考案、晩年には、患者に悪影響を与える病院の状態に抗議した。
[石原 力]
シンプソン(Thomas Simpson)
しんぷそん
Thomas Simpson
(1710―1761)
イギリスの数学者。イングランド中部レスターシャーの生まれ。独学で数学を修め、1743年ウーリッジの陸軍大学教授となる。業績としては、関数f(x)の区間[a, b]での定積分を近似的に求めるための次の「シンプソンの公式」が有名である。
いま、区間[a, b]を2n等分し、その分点をa=x0, x1, x2,……, x2n=b、間隔をhとし、
yi=f(x) (i=0, 1, 2,……, 2n)
とすれば、
となる。
[矢野健太郎]
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シンプソン
James Young Simpson
生没年:1811-70
イギリスの産科医。エジンバラ大学で医学を学び,1835年に卒業。その後同大学産科学課外教授を経て,40年産科学教授となった。エーテル麻酔が外科手術に応用されたのは,46年10月16日マサチューセッツ総合病院でW.T.G.モートンが考案した器具を用いて行われた例が最初とされているが,産科領域でエーテル麻酔が用いられた第1例は,翌47年1月19日にエジンバラでシンプソンが難産に立ち会った際実施したものとされる。しかしエーテルのにおいは産婦に耐え難いため,揮発性のガスをいろいろ試みているうちに,化学者D.ウェルディの示唆を受けてクロロホルムを使用することを思いつき,同年11月発表した。これに対して,当時教会を中心に猛反対があったが,53年にビクトリア女王の出産に際して,J.スノーがクロロホルム麻酔を応用して成功したことから認められるようになった。
執筆者:秋元 寿恵夫
シンプソン
George Gaylord Simpson
生没年:1902-84
アメリカの進化学者,古生物学者。シカゴ生れ。語学に堪能で,初め文学を志すが,コロラド大学在学中に古生物学に関心を転じ,イェール大学に移る。3年で博士号を取り,1927年から59年までアメリカ自然史博物館で研究に従事(45年からはコロンビア大学教授を兼任)。55年に南アメリカを調査中に倒木の下になり重傷を負い,3年間病床に伏し,これを機に博物館を退職。59年よりハーバード大学教授となる。40年代から50年代にかけて現代進化学説(総合学説)の構築に大きく寄与。哺乳類を中心にした化石の証拠に基づいて進化の様式を明らかにし,遺伝学と分類学による進化学説でそれが説明できることを論じた。主著に《進化の速さと様式》(1944),《進化の意味》(1949),《馬と進化》(1951),《動物分類学の基礎》(1974)などがある。
執筆者:浦本 昌紀
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世界大百科事典(旧版)内のシンプソンの言及
【手術】より
…一方それまで医学において遅れていたドイツのベルリンにもCollegium medicochirurgicumが設立され,ようやく医学の一分野としての外科の立場が認められるようになった。 19世紀に入って,アメリカのロングCrawford Williamson Long(1842),ウェルズHorace Wells(1844),W.T.G.モートン(1846)やイギリスのシンプソンJames Young Simpson(1847)らによる全身麻酔法,L.パスツール(1861)の腐敗現象は空気中の微生物によるという報告に基づいたI.P.ゼンメルワイス(1847),J.リスター(1867)らによる制腐消毒法,ベルクマンErnst von Bergmann(1886)やシンメルブッシュCurt Schimmelbusch(1889)による無菌法,エスマルヒJohann Friedrich August von Esmarch(1823‐1908)による駆血帯の使用は,その後の外科手術を飛躍的に進歩させることとなった。すなわち,ランゲンベックBernhard Rudolf Conrad von Langenbeck(1810‐87)の子宮全摘出術,ティールシュCarl Thiersch(1822‐95)の植皮術,フォルクマンRichard von Volkmann(1830‐89)の直腸癌手術,ビルロートTheodor Billroth(1829‐94)の胃切除術の成功例が報告されるようになった。…
【手術】より
…一方それまで医学において遅れていたドイツのベルリンにもCollegium medicochirurgicumが設立され,ようやく医学の一分野としての外科の立場が認められるようになった。 19世紀に入って,アメリカのロングCrawford Williamson Long(1842),ウェルズHorace Wells(1844),W.T.G.モートン(1846)やイギリスのシンプソンJames Young Simpson(1847)らによる全身麻酔法,L.パスツール(1861)の腐敗現象は空気中の微生物によるという報告に基づいたI.P.ゼンメルワイス(1847),J.リスター(1867)らによる制腐消毒法,ベルクマンErnst von Bergmann(1886)やシンメルブッシュCurt Schimmelbusch(1889)による無菌法,エスマルヒJohann Friedrich August von Esmarch(1823‐1908)による駆血帯の使用は,その後の外科手術を飛躍的に進歩させることとなった。すなわち,ランゲンベックBernhard Rudolf Conrad von Langenbeck(1810‐87)の子宮全摘出術,ティールシュCarl Thiersch(1822‐95)の植皮術,フォルクマンRichard von Volkmann(1830‐89)の直腸癌手術,ビルロートTheodor Billroth(1829‐94)の胃切除術の成功例が報告されるようになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」