セネガル(英語表記)Sénégal

精選版 日本国語大辞典 「セネガル」の意味・読み・例文・類語

セネガル

  1. ( Sénégal ) アフリカ大陸の西端にある共和国。一九六〇年六月、フランスから独立したマリ連邦の解体により同年八月独立。セネガル川の左岸を占め、ラッカセイと燐鉱石が主な輸出品。住民の大部分はイスラム教徒。首都ダカール
    1. [初出の実例]「塞内牙(セネガル)より胡桃椰子、棉実の油〈略〉を出す」(出典:米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉三)

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改訂新版 世界大百科事典 「セネガル」の意味・わかりやすい解説

セネガル
Sénégal

基本情報
正式名称セネガル共和国République du Sénégal 
面積=19万6712km2 
人口(2010)=1251万人 
首都=ダカールDakar(日本との時差=-9時間) 
主要言語=フランス語,ウォロフ語 
通貨=CFAフランFranc de la Communauté Financière Africaine

西アフリカの西端に位置する共和国。西は大西洋に面し,北はセネガル川でモーリタニアと接し,東はその支流ファレメ川がほぼマリとの国境をなしている。南部のガンビア川に沿ったガンビア共和国を三方から包み込むように囲んでいる。首都ダカールはアフリカ最西端のベルデ岬にある。
執筆者:

地形はきわめて単調で,起伏に乏しい。国土のほとんどは標高100m以下の低地で,わずかに南東部のマリとの国境に近い地方に標高500mほどの丘陵地帯がみられる。ギニアのフータ・ジャロン山地に源を発するセネガル川は,ファレメ川と合流して北西方に流れ,モーリタニアとの国境をなしている。また,南部にはガンビア川が西流してガンビア国内に入り,大西洋に注いでいる。

 気候,植生はきわめて変化に富んでいる。北部のモーリタニア国境付近では,サハラ砂漠の南縁に連なる半砂漠状のサヘル地帯となり,乾燥は激しく,サハラ砂漠から吹き寄せる熱風ハルマッタンの影響が強い。南部のガンビア川の南のカザマンス地方では,年降水量も2000mmを超え,熱帯雨林が卓越する。こうしてセネガルの自然は砂漠から熱帯雨林まで変化するが,中央の大部分はサバンナである。なお首都ダカールの位置するベルデ岬は,沿岸流の運ぶ土砂の堆積によって形成された陸繫島である。
執筆者:

国民の1人当りGNP600ドル(1995)という数値は,サハラ以南のアフリカ諸国のなかでも高いほうにはいる。都市人口は総人口の約42%(1995)を占め,アフリカでも最も都市化の進んだ国の一つであり,首都ダカールをはじめ,ティエス,カオラク,サン・ルイなどの都市が発達している。住民ではウォロフ族が最も多く,総人口の3分の1以上を占める。次いでフルベ(フラニ,プール)族,セレル族,トゥクロール族,ディオラ族,マリンケ族などが有力な部族である。セネガル,ガンビアを含むこの地域(セネガンビア)は,サハラ以南のアフリカでも早くからイスラムが普及した地域で,西アフリカとくに西スーダン地域のイスラム化の中心となった。13世紀から14世紀にかけてウォロフ族はジョロフ(ウォロフ)王国を形成し,当時西スーダンを支配していたマリ帝国の属国となっていた。後,ジョロフ王国の支配はジョロフ,カヨール地方からワロ地方に及び,16世紀にはシヌ・サルーム地方のセレル王国まで及んだ。

 住民の4分の3は農業に従事し,伝統的な作物としてはミレットモロコシ,ゴマ,アブラヤシ,イネ(とくに南部のカザマンス地方)などを栽培し,羊,ヤギ,牛などの家畜を飼養した。ところが19世紀になると,この地域にラッカセイが商品作物として導入され,シヌ・サルーム地方やバオル地方から始まった栽培が急速にひろまり,今日では国の耕地の半分以上を占めるにいたっている。農民の伝統的社会は,貴族,平民,職業カースト(鍛冶師,機織職人,木工芸職人,靴職人など),奴隷からなる階層分化が明確であった。しかし,ラッカセイの栽培によって現金収入の増大した下層農民は,政治的・経済的な力を得て,19世紀後半のイスラムに基づく社会改革運動の社会的基盤となった。住民の大部分はイスラム教徒であるが,セレル族,ディオラ族にはカトリック教徒も多い。フランス語が公用語であるが,ウォロフ語も共通語として広く話されている。都市化とともに部族間の交流が進み,深刻な部族対立はみられない。
執筆者:

この地方は10世紀ころにガーナ王国の,14世紀にはマリ帝国の勢力圏に入るが,現在のセネガルの版図を統一した国家はなかった。セネガル川流域は北アフリカとの交易で栄え,1000年ころにテクルール王国が成立し,11世紀にはモロッコに強大な王朝を樹立したムラービト朝がテクルールの支配者をイスラム化した。13~14世紀にはセネガル中央部から沿岸にかけてジョロフ王国が,その南縁にはセレル族のシヌ・サルーム王国が成立した。ジョロフ王国は16世紀半ばに解体し,16~17世紀を通じて分かれた姉妹国家同士が相争った。16世紀後半にフルベ族とマリンケ族の連合軍が旧テクルール王国を倒してデニアンケ王国を建て,1776年まで続いた。一方,ヨーロッパからは1444年ころポルトガル人が来航して沿岸各地に商業拠点を設け,次いで16世紀にオランダ人がゴレ島に,イギリス人がガンビアに拠点を築き,フランス人は1659年サン・ルイに城塞を建設した。17~18世紀の間,イギリスとフランスがこの地を激しく奪い合った末,1814年フランスはサン・ルイ,ゴレ島などを最終的に獲得し,57年ガンビアを放棄した。

 フランスが本格的な植民地化を行ったのは総督フェデルブ(在任1854-65)の時代である。フェデルブは現地の小王国の抵抗を打ち破り,イスラムの聖戦を広げていたトゥクロール族のハジ・ウマルを撃退して,のちのフランス領西アフリカの基礎を築いた。しかし,その後もアフリカ人の抵抗は続き,南部のカザマンス地方をも平定したのは1903年にいたってであった。1890年南部河川地方(現,ギニア),スーダン(現,マリ)がセネガル植民地から分離され,現在のセネガルの版図が確定した。95年フランス領西アフリカ植民地がサン・ルイを主都に形成され,1902-04年にはその行政組織が最終的に確立した。1902年主都がダカールに移り,ダカールはフランス領西アフリカ全体の文化,政治,経済の中心として発展をとげることになった。1848年以来サン・ルイとゴレ,後にダカールとリュフィスクの4地区出身者のみがフランスの市民権,参政権を与えられていたが,1946年この権利は全セネガル人に拡張された。58年フランスの第五共和政憲法により,ギニアを除く他のフランス領西アフリカ諸国同様,フランス共同体内での自治共和国となった。59年同じ自治共和国のスーダン共和国(現,マリ)と合邦し,60年6月20日マリ連邦として独立した。しかし指導者間の意見の相違から連邦は2ヵ月で解体し,8月20日あらためてセネガル共和国として独立,初代大統領にサンゴールが選出された。

1950年代から独立以後も詩人にして学者の政治家サンゴールが,穏健な自由主義を基調にしながら諸勢力の懐柔,統合,弾圧によって巧みに政治をリードしてきた。セネガルはフランス領西アフリカの政治的中心であり,主要都市の住民は政治的権利を与えられていたため,近代的政治の基礎が発展した。50年代に諸政治勢力が台頭したが,サンゴールは保守派,イスラム教徒,社会主義者などを統合したり,あるいはその支持を取り付けてセネガル進歩同盟(UPS)を創立し,独立後はUPSが権力を握った。62年クーデタを企てたとして社会主義者のM.ディア首相を投獄し,63年には大統領権限を強化した改訂憲法を成立させて反対派の一部を非合法化,他をUPSに統合し,66年以降UPSの一党制支配に移行した。しかし68年の学生スト,ゼネストの広がりを前にサンゴールは大きく譲歩し,69年大統領権限の縮小を行ったが,73年の選挙でUPSが圧倒的支持を受けると,学生,教員組合への弾圧に転じた。他方でサンゴールは限定つきの自由化に踏み切り,74年ディアを釈放,76年には政党数を3党に制限した多党制に移行し,同時にUPSはセネガル社会党(PS)と名称を変更した。さらに78年政党数を4党にふやした。しかし左翼勢力の非合法活動はおさまらず,イスラム運動も政府を脅かした。80年12月31日,サンゴールは74歳の高齢を理由に引退し,首相のディウフAbdou Diouf(1935- )が大統領に昇格した。新大統領ディウフは81年に政党数の制限を撤廃した。同年7月,隣国ガンビアでクーデタが起こるとセネガルは軍事介入し,クーデタを制圧した。この事件を契機に同年11月セネガル,ガンビア両国大統領は両国の合邦に合意,82年2月1日セネガンビア連邦が発足した。同連邦は連邦議会を形成し,軍事・経済の統合,外交政策の調整などを行いつつ,互いに独立と主権を維持するものとされたが,89年9月30日,両国の合意のもとに解体された。

セネガルは低所得国に分類されており,1人当りGNPは600ドル(1995)である。独立後30年間に1人当り所得は減少した。また各種社会指標は同程度の低所得国と比較してもさらに低い。農業は雇用の76%(1990)を占めるが,GDP内の割合は農林水産畜産業全体で20%(1995)に低下している。ラッカセイは長く最大の輸出品目であった。しかしその生産は,1960年代末から干ばつ,土地の劣化と不足,国際市況悪化により最高時の半分以下の水準に低迷している。しかし現在もラッカセイは農民の現金収入の60%を占める。このため農産物の多様化(米,綿花,サトウキビなど)が図られているが,十分な成果はあがっていない。伝統的食糧はモロコシ,ミレット,キャッサバなどであるが,生産は人口増に追いつかず,輸入の29%(1995)を食糧輸入にあてている。なお,GDPの7%を占める畜産も重要な産業である。漁業はGDPに占める割合は小さいものの,水産物は総輸出の25%を占めている。

 製造業は独立時には比較的発達していた。しかし1970年代をピークに生産は低迷しGDPの12%(1995)に落ちこんだ。タバコ,繊維,セメント,肥料,石油精製などの輸入代替産業,ラッカセイ搾油,魚加工などの輸出用加工場がある。リン鉱石を中心とした鉱業はGDPの2%を生産するにすぎないが,総輸出額の17%を占める。1988年をピークに生産は頭打ちとなっている。1970年代に発展をみた観光業は重要な外貨獲得源である。運輸部門は比較的整備されており,良港のダカールを中心に航空,鉄道(延長約900km),道路が延びている。

 1985年以降,構造調整プログラムを導入し,経済の自由化,対外開放と財政再建を図った。しかし構造調整の不徹底な実施のため経済状況はかえって悪化した。94年1月のCFAフラン切下げ以降,1人当り成長率はようやくプラスに転じた。貿易収支は大幅な赤字が続いている。最大の貿易相手はフランスである(輸入の37%,輸出の22%,1992)。1980年代後半より対フランス輸入依存度は増加しつつあるが,逆に対フランス輸出は低下傾向にある。通貨面でもフラン圏に属する。ECとのロメ協定,西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA),西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS),セネガル川開発機構(OMVS)に参加している。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「セネガル」の意味・わかりやすい解説

セネガル

◎正式名称−セネガル共和国Republic of Senegal。◎面積−19万6712km2。◎人口−1351万人(2013)。◎首都−ダカールDakar(240万人,2010)。◎住民−ウォロフ人30%,フルベ(フラニ,プール)人17%,セレル人16%,トゥクロール人9%など。◎宗教−イスラム(スンナ派)が大部分,ほかにカトリック。◎言語−公用語はフランス語であるが,多数はウォロフ語,トゥクロール語などの民族語。◎通貨−CFA(アフリカ金融共同体)フラン。◎元首−大統領,サルMacky Sall(1961年生れ,2012年3月就任,任期5年)。◎首相−ジョヌMohammed Boun Abdallah Dionne。◎憲法−1963年3月制定。2001年1月国民投票で新憲法を承認。◎国会−二院制。上院(定員100),下院(定員150,任期5年)。最近の選挙は2012年7月。◎GDP−132億ドル(2008)。◎1人当りGNP−750ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−75%(1997)。◎平均寿命−男53.9歳,女56.9歳(2007)。◎乳児死亡率−50‰(2010)。◎識字率−42%(2006)。    *    *アフリカ西端の共和国。国土の大部分が標高100m以下の低地で,北部のモーリタニアとの国境をセネガル川が流れ,南部はガンビア川下流域の独立国ガンビアを囲む。北緯12°〜16°,サハラ南西縁のサバンナ地帯に属する。農業が主で,ラッカセイの産は世界有数。リン鉱石の産があり,牧畜も行われる。工業はダカールを中心に食品加工,食用油脂など。 9世紀にトゥクロール人がセネガル川流域に定住してテクルール王国を興し,11世紀にイスラムを受容した。13−14世紀にはウォロフ王国が成立した。15世紀半ばにポルトガル人が来航し,16世紀にはフランスが進出,17−18世紀イギリスと激しい争奪戦を行った末,19世紀半ばまでに支配権を確立した。その後,フランス領西アフリカに編入され,その主都が置かれた。1958年フランス共同体内の自治共和国となり,1960年6月旧フランス領スーダン(現マリ)とともにマリ連邦として独立,同年8月分離して単独の共和国となった。初代大統領サンゴール(在任1960年―1980年)は,ネグリチュード概念を基礎にしたアフリカ的社会主義のリーダーとして,また詩人として知られた。1980年代初めから南部カザマンス地方の分離独立をめざす〈カザマンス民主勢力運動〉(MFDC)が武装闘争を続けており,1999年12月停戦合意をみたものの,その後も武装集団による襲撃事件などが多発している。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セネガル」の解説

セネガル
Sénégal

西アフリカ,セネガル川南側地域を主領域とする共和国。19世紀後半,フランスはセネガル内陸部に進出し,1886年カヨール王国の王を倒し本格的なフランス植民地時代に入った。サン・ルイ,ダカールなどの都市化が進み,都市民にはフランス市民権が与えられた。1950年代以降,サンゴールのもとで政治的統合がなされ,60年共和国として独立した。サンゴールの穏健な思想が独自の政治風土をつくり,イスラームを主な基盤にした開かれた民主政治が続いている。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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