自然主義文学を代表するフランスの作家。イタリア人の土木技師を父として4月2日パリに生まれ、幼少年期を南仏エクスで過ごす。中学時代の友人に画家セザンヌがいる。ゾラ7歳のとき父が急死し一家は困窮、パリに出て高校に入るが、バカロレア(大学入学資格試験)に失敗し学業を放棄、詩人を夢みつつ裏町を転々とする。1862年よりアシェット書店に勤め、サント・ブーブ、テーヌらと面識を得る。このころから書評、美術評を手がけ、マネら印象派の画家たちを擁護して論陣を張る。また『ニノンに与えるコント』(1864)により小説家としての力量を認められた。続く『テレーズ・ラカン』(1867)で作風を固め、『ルーゴン・マッカール双書』(1871~93)、『三都市』(1894~96)、『四福音(ふくいん)書』(1899~1902)を生涯かけて精力的に書き続けた。
[工藤庸子]
「第二帝政下における一家族の自然的、社会的歴史」の副題がある『ルーゴン・マッカール双書』全20巻は、バルザックの『人間喜劇』の向こうを張る大作で、作者が育った町エクスとおぼしきプラッサンに住むアデライード・フークがルーゴンという農夫、ついで密輸業者マッカールとの間にもうけた子供たちとその子孫が、農民、労働者、商人、娼婦(しょうふ)、画家、司祭、実業家など、さまざまな職業につき、社会のあらゆる階層へ分岐してゆくさまが語られる。なかでも名作の定評があるのは、洗濯女ジェルベーズの不幸な生涯を語る『居酒屋』(1877)と、その娘アンナが高級娼婦となる物語『ナナ』(1880)。さらに炭鉱労働者エティエンヌがストライキを指揮する『ジェルミナール』(1885)、セザンヌがモデルといわれる画家クロードが己の才能に失望して自殺する『制作』(1886)、異常性格の機関士ジャックが衝動的に殺人を犯す『獣人』(1890)もよく知られる。これら三作の主人公たちもすべて、ジェルベーズの産んだ息子という設定である。
バルザックはもっぱら、強烈な情念につき動かされる人間の例外的人生を描いたが、ゾラは、向上の意欲をもちながら挫折(ざせつ)を繰り返し悲劇的な結末をたどる平凡な庶民、とくに下層階級の生活を赤裸々に描くとき、小説家としての真価を発揮した。19世紀後半ヨーロッパで頂点に達した科学主義、実証主義の申し子ともいえる作家で、人間は生理的、遺伝的素質と環境によって形成されると信じていた。バルザックは、個性的、典型的人物をひたすら創造したが、ゾラは、もって生まれた生理的特質、つまり体質(タンペラマン)に条件づけられた人間が、社会環境のなかでいかに行動するかを見極め、これを客観的に記述することが小説家の使命と考えた。クロード・ベルナールの実験生理学に学んだ『実験小説論』(1880)、ゾラが先駆者と仰ぐフロベールらを論じる『自然主義作家論』(1881)などの論著は、こうした小説理論の展開であり、理論自体は今日の文学に適用できないが、ゾラの芸術を生んだ時代を物語る資料として一読に値する。
小説を書き、評論活動に取り組むと同時に、メダンの別荘で若き作家たちと文学を語り合い、ユイスマンス、モーパッサンらの短編を集めた『メダンの夕べ』(1880)を出版、自然主義の黄金時代を築いた。しかしその間にも、ゾラの文学を猥雑(わいざつ)、露骨とする誹謗(ひぼう)中傷は絶えず、『大地』(1887)が刊行されると、「五人宣言」が出され、若手文学者たちまでがメダンのグループから離反した。
[工藤庸子]
その後ゾラ自身、しだいに理想主義的、人道主義的傾向を強め、ドレフュス事件では、ドレフュス無罪を主張する再審派知識人の代表として活躍。1898年、大統領にあてた公開状『われ弾劾す』を『オーロール』紙に掲載。さらに「ゾラ裁判」で政府高官、軍部を侮辱した罪に問われ、イギリス亡命を余儀なくされた。翌年帰国後は、小説執筆のかたわら、写真機に熱中し、またドレフュス事件関係の評論を集め『真実は前進する』(1901)と題して刊行。1902年9月29日、パリ、ブリュッセル街の自宅で一酸化炭素中毒のため死去。他殺説もある。19世紀最大のベストセラー作家ゾラは、評論家、知識人としても大きな発言力をもったが、真骨頂は、豊饒(ほうじょう)な想像力とほとばしるようなことばで構築する小説の世界にある。
[工藤庸子]
『田辺貞之助訳『世界文学大系46 ゾラ』(1974・筑摩書房)』▽『篠田浩一郎訳『テレーズ・ラカン』(講談社文庫)』▽『安士正夫訳『ジェルミナール』全3冊(岩波文庫)』
フランスの自然主義の小説家。イタリア人を父としてパリで生まれた。7歳で父を失い,ひとりっ子として母と祖母の手で育てられる。幼少期を南フランスのエクスで過ごし,そこの中学でポール・セザンヌと友人になった。18歳でパリへ出て,苦学しながら大学受験の勉強をするが,2度失敗し,大学をあきらめて就職する。22歳のときアシェット書店に勤め,そこでテーヌやサント・ブーブら文壇の著名人を知った。たいへんな自信家で,このころから小説や評論を書き始め,また美術批評の筆も執り,マネを擁護した。30歳で結婚,しかし子どもに恵まれず,その後48歳のとき女中のジャンヌと関係をもち,2児をもうけている。1871年,ライフワークたる〈ルーゴン・マッカール〉の第1巻《ルーゴン家の繁栄》を出し,その後精力的に書きつづける。自然主義文学の総帥として論陣を張り,《実験小説論》(1880)を書き,パリ郊外のメダンの別荘にユイスマンスら新進作家を集め,共同で作品集《メダンの夕べ》を出したりした。プルードン,マルクスらを読み,社会主義にも関心を示している。ドレフュス事件ではドレフュスを擁護し,〈われ弾劾す〉という公開状を発表,そのため,イギリスへの亡命を余儀なくされた(1898)。翌年6月帰国し,空想社会主義的な《豊穣》《労働》などを書いたが,1902年9月29日,ガス中毒により急死。遺骸は08年にパンテオン廟に葬られた。
ゾラはクロード・ベルナールの《実験医学序説》(1865)の強い影響を受け,小説家は主観を排し,試験管の中の物質の化学反応を見る科学者の眼で,社会環境という試験管の中に投げこまれた人間が,その遺伝素質に従ってどのように変化するかを観察すべきだ,と考えた。しかし実作においては彼の想像力は理論や法則をこえ,19世紀後半のフランス社会,とくに下層労働者の生活,群衆の姿,あるいは破壊的要素としての性衝動などをみごとに描き出している。
ゾラの文学が日本に紹介されたのは明治20年代で,30年代に入るとその影響を受けた小説が発表され始める。小杉天外の《はつ姿》(1900),《はやり唄》(1902)などがそうである。そのほか小栗風葉,永井荷風らもゾラの影響をうけ,荷風は1903年(明治36)に《女優ナナ》の翻訳を出している。しかし日本の自然主義文学はゾラのほかにモーパッサンやゴンクールの影響も幅広く受けており,とくにゾラの科学主義的方法から学んだとはいえない。
→居酒屋 →ナナ
執筆者:山田 稔
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1840~1902
フランスの自然主義の代表的作家。膨大な『ルーゴン・マッカール家』は実験小説の主張にもとづいて書かれたが,描写に生彩があり社会史の傑作である。「ナナ」「居酒屋」はそのなかの一作品。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…フランスの小説家ゾラが〈ルーゴン=マッカール〉シリーズの第7作目として発表した長編小説。1877年刊。ゾラの代表作の一つ。原題のアソモアールは労働者のたまり場の酒場の名。本来は〈棍棒〉の意味で,強い安酒の酔いの比喩でもある。題名からも想像がつくように,この小説は,パリの下層労働者が生活の悲惨さを忘れようとして酒に身を持ち崩し,破滅するさまを描いたものである。人間を獣性において描くゾラの自然主義はこの作品で頂点に達し,その描写のどぎつさは読者に反発をいだかせ,非難攻撃の声が上がった。…
…明治・大正期の小説家。秋田県生れ。本名為蔵。青年時代政治家志望だったが,文学に転じ,斎藤緑雨(りよくう)の門に入って,1892年《改良若旦那》を発表,93年緑雨との合著《反古袋(ほごぶくろ)》を刊行,風刺的傾向がめだった。その後,尾崎紅葉に接近してその推挙により《改良若殿》などを発表,また後藤宙外らの丁酉(ていゆう)文社に加わってしだいに文名をあげ,1900年の《はつ姿》から02年の《はやり唄》が出るにおよんでゾライズムの大家と仰がれた。…
…一般には文芸用語として,19世紀後半,フランスにあらわれて各国にひろまった文学思想,およびその思想に立脚した流派の文学運動を指す。ナチュラリスムという原語は,古くは哲学用語として,いっさいをナチュールnature(自然)に帰し,これを超えるものの存在を認めない一種の唯物論的ないし汎神論的な立場を意味していたが,博物学者を意味するナチュラリストnaturalisteという表現や,自然の忠実な模写を重んずる態度をナチュラリスムと呼ぶ美術用語など,いくつかの言葉の意味が重なり合って影響し,文学における一主義を指す新しい意味を獲得するにいたった。…
…フランスのA.アントアーヌによって1887年に創設された劇場,およびそこを拠点とした演劇革新運動をさす。19世紀後半のフランスは,商業主義に基づいたスター中心主義,ウェルメード・プレー(いかにも〈お芝居〉らしく巧みに作られた作品)全盛の時代であったが,そのような演劇への根源的レベルでの反抗として,そしてまた,時代の有力な文学上の思潮であった自然主義の影響下に,アントアーヌを一人の媒介者として生まれ出たのがこの自由劇場であった。…
…フランスの画家。後期印象派を代表する一人。印象主義の決定的な影響を受けるが,そのあまりに感覚的で,しまりのない画面にあきたらず,〈印象主義を,美術館の美術のように堅固で持続性のあるものにする〉ことを目ざし,自然を前にした際の,刻々と変化する〈感覚sensation〉そのものを,厳密に構築的でありながらも晴朗な画面のうちに〈実現réalisation〉しようとした。また,〈自然を円筒,球,円錐によって処理する〉(エミール・ベルナールあての手紙。…
…生まれながらに備わった,平均をはるかに超える傑出した才能のこと。またそのような才能を持ち,それぞれの分野で比類ない創造性を発揮する人をいう。これにあたる英語のgenius,フランス語のgénieが,もともと〈守護神〉や〈守護霊〉を指すラテン語ゲニウスgeniusに由来することからもわかるように,古くはこういう神や霊が天賦の才をさずけてくれるものと考えられた。〈天才〉という漢語もまさに,〈天から分かち与えられた(すぐれた)才能〉を意味する言葉として使われており,初唐四傑の一人として華麗な詩風で詩壇を圧した王勃の例がよく知られる(《新唐書》)。…
…19世紀末から20世紀はじめにかけ,フランス世論を二分したスパイ冤罪(えんざい)事件。事件は,1894年12月,軍法会議が参謀本部付砲兵大尉アルフレッド・ドレフュスAlfred Dreyfus(1859‐1935)に対し,軍事機密漏洩罪で位階剝奪と流刑を宣告したことにはじまる。パリ駐在ドイツ武官シュワルツコッペンの屑籠から入手された売渡し機密の明細書の筆跡が,ドレフュスのものと判定されたのだが,有罪の根拠は,実はひそかに提出された秘密文書で与えられていた。…
…フランスの小説家ゾラの代表作《ナナ》(1880)の主人公。正式の名はアンナ・クーポーAnna Coupeau。《居酒屋》の女主人公ジェルベーズとクーポーの間に1852年に生まれた。ビロードのような全身赤茶の産毛におおわれた肉体には強烈な性的魅力があり,それを唯一の売物として,パリのバリエテ座で〈金髪のビーナス〉の主役としてデビューし,成功する。その後は銀行家や貴族たちをパトロンにして豪勢な生活を送る。…
※「ゾラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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