トリポリ(読み)とりぽり(英語表記)Tripoli

翻訳|Tripoli

デジタル大辞泉 「トリポリ」の意味・読み・例文・類語

トリポリ(Tripoli)

レバノン北西部、地中海に面する港湾都市。前7世紀からローマ時代にかけてフェニキアの都市として栄えた。イラクからの石油積み出し港。また精油業が盛ん。タラーブルストラブロストリポリス
リビアの首都。同国北西部、地中海南岸にある港湾都市。フェニキアの植民地オエアとして建設された。旧市街には古代ローマ時代のマルクスアウレリウス門オスマン帝国時代のトリポリ城グルジモスクなどの歴史的建造物が残る。人口、行政区150万(1990)。

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精選版 日本国語大辞典 「トリポリ」の意味・読み・例文・類語

トリポリ

  1. ( Tripoli )
  2. [ 一 ] レバノン北西部の港湾都市。地中海に面する。イラクのキルクークから延びる石油パイプラインの終点で、石油の積出港。前七世紀からローマ時代にかけて、フェニキアの都市として栄えた。古名トリポリス。アラビア語名タラーブルス。
  3. [ 二 ] リビアの首都。地中海に面する。前七〇〇年ごろフェニキア人の植民地として建設された。旧市街には古代ローマ、中世イスラムの遺跡がある。一九一二年イタリア領となり、四三年にはイギリス軍に占領された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トリポリ」の意味・わかりやすい解説

トリポリ
Tripoli

レバノン北西部にある港湾都市。アラビア語ではタラーブルス Ṭarābulus,またはタラーブルス・アシャーム Ṭarābulus ash-Shām(東のトリポリの意)。首都ベイルートの北北東約 65km,地中海に注ぐアブーアリー川河口およびその両岸に広がる。
前700年頃に建設され,アケメネス朝ペルシア時代の前300年頃にシドン(サイダ),テュロスアラドスからなるフェニキアの三都市同盟の主都となった。その後,セレウコス朝シリア,ローマ帝国,後638年頃からはイスラム勢力に支配された。12世紀初頭にはツールーズ伯サン=ジル(レイモン4世)率いる第1次十字軍に包囲され,一部が破壊にあったが,のちの十字軍によって再建され,司教座所在地として,交易・教育の中心地として栄えた。1289年,イスラム王朝のマムルーク朝に滅ぼされ,1516年にオスマン帝国に組み入れられた。その後,内陸部に向かって開拓が進み,港湾地区と広い街路で結ばれるようになった。1830年代にはイブラーヒーム・パシャエジプトに,第1次世界大戦中はイギリスに占領された。1920年,フランスの委任統治領大レバノン Grand Liban(Greater Lebanon)の一部となり,第2次世界大戦中はイギリスと自由フランス軍(→自由フランス運動)の占領下にあった。レバノン独立の 1946年に共和国の一部となった。1958年および 1975~76年にはイスラム教徒の多いトリポリはキリスト教徒が支配する中央政府に対する反乱の中心地となった(→レバノン内戦)。1982~83年にはパレスチナ解放機構 PLOの本部が置かれ,1985年にシリア兵に占領された。1980年代後半以降,都市の経済は回復し始めた。
レバノン第二の都市トリポリは商業,工業の中心地で,主要港や石油精製・貯蔵基地をもつ。また,石鹸や綿製品の製造,海綿採取,たばこや果物の加工が行なわれる。ベイルートとは沿岸鉄道で結ばれている。市内には 1294年建造の大モスク,1336年建造のタイナル・モスク,中世のサン=ジル城,15世紀末に建てられた監視塔「ライオンの塔」などの歴史建造物があるほか,歴史地区とアルミナ港の間の約 70haの敷地には 1962年にブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計され,2023年に世界遺産文化遺産に登録された「トリポリのラシッド・カラミ国際見本市」がある。人口 21万2900(2003推計)。

トリポリ
Tripoli

リビアの首都で,主要な港湾都市。アラビア語ではトラーブルス・アルガルブ Ṭarābulus al-Gharb (西のトリポリの意。レバノンのトリポリと区別する) 。リビア北西部,トリポリタニア地方北部,地中海に臨み,リビアの輸出入の4分の3以上を扱う。前7世紀にフェニキア人の植民都市オエアとして建設され,付近のレプチス・マグナサブラタとともに「三つの都市」と呼ばれた。サハラ砂漠横断交易の地中海側根拠地として,たびたび支配者が代わった。ラッカセイ (落花生) ,オリーブ油,マグロ,柑橘類などを輸出。食料品,衣料品,機械類を輸入する。石油化学,皮革,たばこ,絨毯などの工業がある。肥沃なオアシスに立地した美しい町で,港周辺の旧市街にはマルクス・アウレリウス帝の凱旋門 (163) ,カラマンリ・モスク (1740) などがあり,南東に広がる新市街には官庁,劇場など近代的なビルが立ち並び,リビア王国時代の王宮,総合大学などがある。南西 34kmのところに国際空港がある。人口 106万5405(2006)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トリポリ」の意味・わかりやすい解説

トリポリ(リビア)
とりぽり
Tripoli

北アフリカ、リビア北西部にある同国の首都。地中海岸の商工業・港湾都市で、リビアの政治、経済、文化、交通の中心地である。人口177万3000(1999推計)。市西部の半島に方形住居の密集した古いアラブ風市街があり、その周辺に植民地化以来建設されたヨーロッパ風市街が広がる。旧市街にはローマ時代の凱旋(がいせん)門、16世紀の城塞(じょうさい)、18世紀のモスクなどがある。工業として、後背地の農産物を加工する製粉、搾油、たばこ、缶詰、皮革、織物などがある。国内交通の起点で、南西34キロメートルに国際空港がありローマなどと結ぶ。

[藤井宏志]

歴史

紀元前4世紀、フェニキア人がリビア北西岸に建設したレプティス・マグナ、オエア、サブラタの三つの都市を総称してトリポリス(三都市の意)とよんだことに始まる。現在のトリポリは中央のオエアを継承しており、ほかの二つは遺跡として残るのみである。のちローマの支配を受け、内陸部のオアシスやサハラ以南地域とを結ぶ隊商路の始点として栄えた。7世紀以降アラブ人、スペイン人、ヨハネ騎士団の支配を受けたが、1551~1911年のオスマン帝国の支配下では、リビアを治めるパシャ(王)の首都として政治的中心地となった。1912年イタリアの領土となり、植民地行政の拠点として近代的都市、港湾、道路が建設された。第二次世界大戦では戦場となり、43年にはイギリス軍に占領された。戦後、1951年独立しベンガジとともにリビア連合王国の首都となり、63年の連邦制廃止により単独の首都となった。69年のリビア革命後も首都として発展し人口は増加している。

[藤井宏志]


トリポリ(レバノン)
とりぽり
Tripoli

レバノン北西部の商工業・港湾都市。アラビア語名トラブルース・エシュ・シャムTarābulus esh Shām。フランス語や英語ではトリポリという。首都ベイルートの北64キロメートル、地中海に面する。首都に次ぐ同国第二の都市で、人口21万2900(2003推計)。人口の大多数はスンニー派イスラム教徒で、ほかにアラウィー派マロン派、キリスト教徒などが住む。周辺にはパレスチナ人難民キャンプが複数存在している。紀元前8世紀にはすでにシドン人、ティロス人、アラド人が3か所に住み分かれ、「三つの都市」を意味するトリポリスTripolisとして栄えていた。紀元後7世紀にイスラムの征服を受け、12世紀に一時十字軍の占領を経験している。以降エジプトのマムルーク朝、さらにオスマン帝国の版図に入った。第一次世界大戦後レバノンの一部としてフランスの委任統治を受けた。これにより、歴史的な後背地であったシリア内陸部と切り離され、その港湾機能は大打撃を受けた。しかし、イラクからパイプラインが通じ、石油積出し港、精油業の中心として栄え、また軽工業も発展した。1975年以来のレバノン内戦では幾度も激しい戦闘の舞台となり、大きな損害を被った。十字軍の城やマムルーク朝時代の望楼「ライオンの塔」などが残り、周辺から先史時代の遺物も発見されている。

[高橋和夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「トリポリ」の意味・わかりやすい解説

トリポリ
Tripoli

リビア西部,地中海に面する港湾都市で,リビアの首都。トリポリタニアの主都。都市域人口201万(2003)。アラビア語ではタラーブルス・アルガルブṬalāburs al-Gharb。前10世紀ころフェニキア人により建設され,前6世紀にはカルタゴの,また前146年から後439年まではローマ帝国の支配を受けた。古代においては,ヨーロッパ向け穀物の集散地として,またスーダンなどアフリカ内陸部へのキャラバン・ルートの起点として栄えた。7世紀半ばアラブの侵入によりアラブ・イスラム世界に入り,市内の多くの初期イスラム時代の遺跡は,この地にイスラム文化が栄えたことを物語っている。1912年リビアのイタリア植民地化とともに,トリポリは,流入するイタリア植民者やユダヤ教徒が支配する食品加工業,流通・金融業の中心地となり,また第2次世界大戦後は,リビアの外国軍事基地化と石油ブームを背景に,外国資本と結ぶ土着商人層や王族の繁栄に彩られた植民地都市の景観を強めた。69年の革命後は,リビアの産業,貿易,文化の中枢をなしている。
執筆者:


トリポリ
Tripoli

レバノン北部の中心都市。人口21万2900(2003)。港湾都市として紀元前から知られる。アラビア語ではタラーブルス・アッシャームTarāburs al-Shām。〈三つの都市〉を意味するギリシア風のトリポリという名称の由来はシドン人,テュロス人,アラドス人が3ヵ所に住み分かれていたからで,フェニキア名は不明。イスラム時代に商業・手工業都市として栄え,十字軍時代には一時十字軍によって占拠された。現在はオスマン・トルコ時代の市街区と港湾区とに二分されているが,人口のほとんどがスンナ派のイスラム教徒で,1958年の第1次内戦では反政府派の拠点であった。1934年,イラクのキルクーク油田から送油管が通じ,発電所も近郊にあり,紡績,織布,セッケン,食品加工など軽工業の中心地となっている。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「トリポリ」の解説

トリポリ
Ṭarābulus[アラビア],Tripoli[英]

地中海に面し,リビアの首都。前10世紀頃フェニキア人により建設され,その後カルタゴやローマの支配を受けた。アラブ時代になってアラブ・イスラーム都市として栄えた。オスマン帝国期,さらにイタリア植民地期をへたのち,リビアが独立すると行政の中心として,さらに石油資源に支えられた経済活動の拠点として発展した。

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岩石学辞典 「トリポリ」の解説

トリポリ

(1) 珪藻土のこと.(2) 非常に多孔質で軽い珪質岩で,風化したチャートまたは珪酸質石灰岩の炭酸塩が溶脱して形成されたものをいう.非結晶質のものが多い[Wallerius : 1747, Pettijohn : 1975].米国ミズーリ州のセネカ(Seneca)付近で発見されたものに命名されたものである.北アフリカのtripoliで発見された珪藻土をtripliteといい,tripoliteとtripoliとは異なったものである[渡辺編 : 1935, 片山ほか : 1970].

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旺文社世界史事典 三訂版 「トリポリ」の解説

トリポリ
Tripoli

リビア北西部,地中海に面する港湾都市で,同国の首都
前10世紀にフェニキアの植民市として建設された,オエア・レプティスマグナ・サブラータの3つの都市(Polis)をさしてトリポリの名で呼んだ。イスラーム勢力の支配下にはいり,アラブ化した。1835年トルコ領となり,1911年イタリア−トルコ戦争によってイタリアに奪われた。第二次世界大戦中に連合軍に占領されたが,1952年に独立したリビア王国(1969年9月,共和政に移行)の首都となった。

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世界大百科事典(旧版)内のトリポリの言及

【リビア】より

…正式名称=リビア・アラブ社会主義人民共和国Jamāhīrīya al‐‘Arabīya al‐Lībiyā al‐Ishtirākīya al‐Sa‘biya∥Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya面積=175万7000km2人口(1996)=544万人首都=トリポリTripoli(日本との時差=-7時間)主要言語=アラビア語通貨=リビア・ディーナールLibyan Dīnārアフリカ北部,地中海のシドラ湾周辺からサハラ砂漠にかけて広がる共和国。アラビア語ではリービヤーLībiyā。…

※「トリポリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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