ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トンプソン」の意味・わかりやすい解説
トンプソン
Thompson, John Griggs
アメリカ合衆国の数学者。1955年にエール大学を卒業後,1959年にシカゴ大学で博士号を取得。1961~62年ハーバード大学,1962~68年シカゴ大学を経て,イギリスのケンブリッジ大学チャーチル・カレッジで教授を務める。1970年,フランスのニースで開催された国際数学者会議で,群論に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。有限群の研究において,有限単純群は基本的な構成要素であり重要な役割を果たす。1963年にワルター・ファイトと共同で,巡回群ではない有限単純群は偶数個の要素をもつという定理を発表した。その後,極小有限単純群を完全に決定し,この研究がフィールズ賞の授賞理由になった。ここで有限単純群が極小であるとは,真に含まれるすべての部分群が可解群となることである。トンプソンの理論は,それまでは不可能と考えられていた有限単純群の分類に大きな役割を果たした。有限単純群の分類は,1981年に多くの数学者の業績を結びつけることにより達成された。ガロアの理論,表現論(→表現),符号理論などでも業績を上げた。2008年にジャック・ティッツとともにアーベル賞を受賞。
トンプソン
Thompson, William
[没]1833.3.28. マンスター,クロンキーン
リカード派社会主義を代表するアイルランドの経済学者。アイルランドの大地主の家に生れる。 J.ベンサムの功利主義に接し,富の正当な分配による平等主義的な社会改良思想を展開した『富の分配論に関する研究』 An Inquiry into the principles of the Distribution of Wealth (1824) を執筆。 R.オーウェンらの協同組合運動に深く共鳴,実践したが,初めから大規模な共同社会の建設に主眼をおいたオーウェンと,小規模でも組合員自身の財力に頼るべきだとした彼との間には感情的な対立も生じたとされる。女性解放論者としても著名で,『人類の半数を占める女性の訴え』 Appeal of One Half the Human Race,Women,against the Pretensions of the Other Half,Men… (25) をウィーラー夫人の協力のもとに執筆した。ほかに T.ホジスキンの『労働擁護論』を批判的に検討した『労働報酬論』 Labour rewarded (27) を出版。
トンプソン
Thompson, David
[没]1857.2.10. ロンゲイユ
カナダの探検家,地理学者。 1784年ハドソン湾会社に入り,97年まで主として事務に専念。 97年に北西会社に移って以来,イギリス領北アメリカ北西部地方の探検と測量を精力的に開始した。 1807年にはロッキー山脈を越えてコロンビア川に到達し,11年には白人として初めてコロンビア川を河口まで下った。 12年西部を離れ,ローワーカナダのテルボンヌに落ち着いて地図の作成に従事し,また 16~26年カナダ=アメリカ国境協議会の一員として測量にたずさわった。晩年は貴重な資料である探検記録を整理しながら貧困のうちに世を去った。
トンプソン
Thompson, Victor Alexander
アメリカの経営学者,組織理論家。ワシントン大学卒業後,1949年コロンビア大学で博士号取得。 50年以降イリノイ工科大学,シラキュース大学 (1962~66) ,イリノイ・アーバナ大学 (66~71) ,フロリダ大学 (71~ ) などで政治学,社会科学教授として活躍。 H.A.サイモン,D.W.スミスバーグとともに"Public Administration" (50) を著わしたが,のちサイモンと対立。特に行政体を含む組織一般の比較管理論を提唱している。主著"Modern Organizations" (61) ,"Bureaucracy and Innovation" (69) など。
トンプソン
Thompson, Francis
[没]1907.11.13. ロンドン
イギリスの詩人。カトリックの聖職者を志し,次に医者を志望したが挫折,1885年ロンドンに出て浮浪者の生活をおくり,貧困とアヘン中毒に苦しんだ。 88年『メリー・イングランド』誌の編集者 W.メネルに見出され,同誌に詩や散文を寄稿,93年『詩集』 Poemsを出版。神からの逃走とその再認を歌った「天の猟犬」 The Hound of Heavenはこの詩集中の白眉である。ほかに『シェリー論』 Essay on Shelley (1909) がある。
トンプソン
Thompson, Sir Henry
[没]1904.4.18. ロンドン
イギリスの外科医。特に結石の手術に秀で,1873年にはナポレオン3世,その他レオポルド2世の手術も行なった。また,淋疾の診断のために尿の2杯試験法も考案した。これは,起床時の尿を2杯に分けてとり,前部尿道炎の場合は第1杯が膿によって強濁するが,第2杯は澄明であり,後部に尿道炎があれば,前杯は強濁,後杯が弱濁となり,膀胱あるいは上位の尿路疾患では両杯とも強濁するという試験法で,「トンプソンテスト」ともいう。
トンプソン
Thompson, Daniel Pierce
[没]1868.6.6. バーモント,モントピリア
アメリカの小説家,法律家。幼いときバーモント州に移り,のち法曹界で活躍,W.スコットや J.F.クーパーの影響を受けた小説を書いた。おもな作品に,アメリカ独立戦争を背景にした『バーモントの男たち』 The Green Mountain Boys (1839) ,『学校教師ロック・アムスデン』 Locke Amsden,or the Schoolmaster (47) など。
トンプソン
Thompson, William Tappan
[没]1882.3.24. ジョージア,サバンナ
アメリカのユーモア作家。ジョーンズ少佐という筆名で,ジョージア州奥地に住む貧しい白人の生活をユーモラスに描いた。代表作は『ジョーンズ少佐の求婚』 Major Jones's Courtship (1843) や,その続編『ジョーンズ少佐の旅日記』 Major Jones's Sketches of Travel (48) 。
トンプソン
Thompson
トンプソン
Thompson, Lydia
[没]1908.11.17. ロンドン
イギリスの女優。初め踊り子としてデビュー,バーレスクで人気芸人となった。 1868年から6年間,自身の劇団「金髪娘」を率いてアメリカで興行,イギリス風のバーレスクを紹介。イギリス,アメリカで活躍。 86~88年ロンドンのストランド劇場の経営にあたった。
トンプソン
Thompson, Smith
[没]1843.12.18. ペキフシ
アメリカの法律家。ニューヨーク州最高裁判所判事,同長官,海軍長官を経て,連邦最高裁判所准判事 (1823~43) 。 J.マーシャルの連邦政府権限強化に反対し,しばしば少数意見を提出した。
トンプソン
Thompson, Sylvia Elizabeth
[没]1968
イギリスの女流作家。スコットランドに生れ,オックスフォード大学卒業。代表作は『春の猟犬』 The Hounds of Spring (1925) 。
トンプソン
「ランフォード」のページをご覧ください。
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