トンプソン(その他表記)Thompson, John Griggs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トンプソン」の意味・わかりやすい解説

トンプソン
Thompson, John Griggs

[生]1932.10.13. カンザス,オタワ
アメリカ合衆国の数学者。1955年にエール大学を卒業後,1959年にシカゴ大学で博士号を取得。1961~62年ハーバード大学,1962~68年シカゴ大学を経て,イギリスケンブリッジ大学チャーチル・カレッジで教授を務める。1970年,フランスのニースで開催された国際数学者会議で,群論に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。有限群の研究において,有限単純群は基本的な構成要素であり重要な役割を果たす。1963年にワルターファイトと共同で,巡回群ではない有限単純群は偶数個の要素をもつという定理を発表した。その後,極小有限単純群を完全に決定し,この研究がフィールズ賞の授賞理由になった。ここで有限単純群が極小であるとは,真に含まれるすべての部分群が可解群となることである。トンプソンの理論は,それまでは不可能と考えられていた有限単純群の分類に大きな役割を果たした。有限単純群の分類は,1981年に多くの数学者の業績を結びつけることにより達成された。ガロアの理論,表現論(→表現),符号理論などでも業績を上げた。2008年にジャック・ティッツとともにアーベル賞を受賞。

トンプソン
Thompson, William

[生]1775. コーク
[没]1833.3.28. マンスター,クロンキーン
リカード派社会主義を代表するアイルランドの経済学者。アイルランドの大地主の家に生れる。 J.ベンサム功利主義に接し,富の正当な分配による平等主義的な社会改良思想を展開した『富の分配論に関する研究』 An Inquiry into the principles of the Distribution of Wealth (1824) を執筆。 R.オーウェンらの協同組合運動に深く共鳴,実践したが,初めから大規模な共同社会の建設に主眼をおいたオーウェンと,小規模でも組合員自身の財力に頼るべきだとした彼との間には感情的な対立も生じたとされる。女性解放論者としても著名で,『人類の半数を占める女性の訴え』 Appeal of One Half the Human Race,Women,against the Pretensions of the Other Half,Men… (25) をウィーラー夫人の協力のもとに執筆した。ほかに T.ホジスキンの『労働擁護論』を批判的に検討した『労働報酬論』 Labour rewarded (27) を出版。

トンプソン
Thompson, David

[生]1770.4.30. ウェストミンスター
[没]1857.2.10. ロンゲイユ
カナダの探検家,地理学者。 1784年ハドソン湾会社に入り,97年まで主として事務に専念。 97年に北西会社に移って以来,イギリス領北アメリカ北西部地方の探検と測量を精力的に開始した。 1807年にはロッキー山脈を越えてコロンビア川に到達し,11年には白人として初めてコロンビア川を河口まで下った。 12年西部を離れ,ローワーカナダのテルボンヌに落ち着いて地図の作成に従事し,また 16~26年カナダ=アメリカ国境協議会の一員として測量にたずさわった。晩年は貴重な資料である探検記録を整理しながら貧困のうちに世を去った。

トンプソン
Thompson, Victor Alexander

[生]1912.9.23. ノースダコタ,ハンナ
アメリカの経営学者,組織理論家。ワシントン大学卒業後,1949年コロンビア大学で博士号取得。 50年以降イリノイ工科大学,シラキュース大学 (1962~66) ,イリノイ・アーバナ大学 (66~71) ,フロリダ大学 (71~ ) などで政治学,社会科学教授として活躍。 H.A.サイモン,D.W.スミスバーグとともに"Public Administration" (50) を著わしたが,のちサイモンと対立。特に行政体を含む組織一般の比較管理論を提唱している。主著"Modern Organizations" (61) ,"Bureaucracy and Innovation" (69) など。

トンプソン
Thompson, Francis

[生]1859.12.18. ランカシャー,プレストン
[没]1907.11.13. ロンドン
イギリスの詩人。カトリックの聖職者を志し,次に医者を志望したが挫折,1885年ロンドンに出て浮浪者の生活をおくり,貧困とアヘン中毒に苦しんだ。 88年『メリー・イングランド』誌の編集者 W.メネルに見出され,同誌に詩や散文を寄稿,93年『詩集』 Poemsを出版。神からの逃走とその再認を歌った「天の猟犬」 The Hound of Heavenはこの詩集中の白眉である。ほかに『シェリー論』 Essay on Shelley (1909) がある。

トンプソン
Thompson, Sir Henry

[生]1820.8.6. フラミンガム
[没]1904.4.18. ロンドン
イギリスの外科医。特に結石の手術に秀で,1873年にはナポレオン3世,その他レオポルド2世の手術も行なった。また,淋疾の診断のために尿の2杯試験法も考案した。これは,起床時の尿を2杯に分けてとり,前部尿道炎の場合は第1杯が膿によって強濁するが,第2杯は澄明であり,後部に尿道炎があれば,前杯は強濁,後杯が弱濁となり,膀胱あるいは上位の尿路疾患では両杯とも強濁するという試験法で,「トンプソンテスト」ともいう。

トンプソン
Thompson, Daniel Pierce

[生]1795.10.1. マサチューセッツチャールズタウン
[没]1868.6.6. バーモント,モントピリア
アメリカの小説家,法律家。幼いときバーモント州に移り,のち法曹界で活躍,W.スコットや J.F.クーパーの影響を受けた小説を書いた。おもな作品に,アメリカ独立戦争を背景にした『バーモントの男たち』 The Green Mountain Boys (1839) ,『学校教師ロック・アムスデン』 Locke Amsden,or the Schoolmaster (47) など。

トンプソン
Thompson, William Tappan

[生]1812.8.31. オハイオ,ラベナ
[没]1882.3.24. ジョージア,サバンナ
アメリカのユーモア作家。ジョーンズ少佐という筆名で,ジョージア州奥地に住む貧しい白人の生活をユーモラスに描いた。代表作は『ジョーンズ少佐の求婚』 Major Jones's Courtship (1843) や,その続編『ジョーンズ少佐の旅日記』 Major Jones's Sketches of Travel (48) 。

トンプソン
Thompson

カナダ,マニトバ州中北部の都市。ネルソン川水系のバーントウッド川沿いに,1956年からカナダインターナショナルニッケル会社により建設され,社長名がつけられたニッケル産業の都市。採鉱から精錬までの一貫工程は,ネルソン川のグランドラピッズ発電所 (1961完成) からの電力で行われる。カナダ国有鉄道の支線が通じるほか,ウィニペグとの間に航空便が毎日運航される。人口1万 4977 (1991) 。

トンプソン
Thompson, Lydia

[生]1836.2.19. ロンドン
[没]1908.11.17. ロンドン
イギリスの女優。初め踊り子としてデビュー,バーレスクで人気芸人となった。 1868年から6年間,自身の劇団「金髪娘」を率いてアメリカで興行,イギリス風のバーレスクを紹介。イギリス,アメリカで活躍。 86~88年ロンドンのストランド劇場の経営にあたった。

トンプソン
Thompson, Smith

[生]1768.1.17. アメニア
[没]1843.12.18. ペキフシ
アメリカの法律家。ニューヨーク州最高裁判所判事,同長官,海軍長官を経て,連邦最高裁判所准判事 (1823~43) 。 J.マーシャルの連邦政府権限強化に反対し,しばしば少数意見を提出した。

トンプソン
Thompson, Sylvia Elizabeth

[生]1902
[没]1968
イギリスの女流作家スコットランドに生れ,オックスフォード大学卒業。代表作は『春の猟犬』 The Hounds of Spring (1925) 。

トンプソン

「ランフォード」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「トンプソン」の意味・わかりやすい解説

トンプソン
John Sparrow David Thompson
生没年:1844-94

カナダの政治家。保守党に属する。ノバ・スコシア州首相であったところを,J.A.マクドナルドに請われて1885年法務大臣として入閣。L.リエルの処刑やイエズス会財産補償法で動揺した19世紀末のカナダ政界を導いた。カトリック教徒であることが保守党の右派に嫌われたため,マクドナルドの死後すぐには首相に選ばれなかったが,病弱のJ.J.C.アボットの後を継いで1892年首相に就任,94年まで在職。敏腕を期待されたが,イギリスのウィンザー城へ植民地会議で赴いた際,客死した。
執筆者:


トンプソン
David Thompson
生没年:1770-1857

カナダの探検家,地理学者。イギリスに生まれ,ハドソン湾会社に雇われて1784年に北アメリカへ渡る。97年北西会社社員となり,以後1812年まで,毛皮交易のかたわら,北アメリカ西部の探検・調査に従事した。コロンビア川を水源から河口へ下った最初の白人であった。後半生はアメリカ,カナダ国境の測量に携わり,生涯を通じて膨大な量の地図と回顧録を残し,回顧録は死後の1916年,71年に刊行された。
執筆者:


トンプソン
John Eric Sidney Thompson
生没年:1898-1975

イギリスのマヤ考古学者。ロンドンに生まれ,ケンブリッジ大学に学び,1926年アメリカ大陸へ渡る。シカゴ自然史博物館,ワシントンのカーネギー研究所などに属し,多くのマヤ遺跡の調査を行う。その研究は,マヤ文化史,マヤ文字と天文暦法,マヤ民族誌などマヤ全般に及び,生涯をマヤ研究に捧げた。主著に《マヤ文明の盛衰》(1954),《マヤ象形文字》(1960)ほかがある。
執筆者:


トンプソン
Benjamin Thompson

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トンプソン」の意味・わかりやすい解説

トンプソン(James Burleigh Thompson Jr.)
とんぷそん
James Burleigh Thompson Jr.
(1921―2011)

アメリカの岩石学者。メーン州カライスに生まれ、ダートマス大学を卒業(1942)、マサチューセッツ工科大学(MIT)で学位をとった(1950)。ダートマス大学、MIT、ハーバード大学で教師を務め、1960年ハーバード大学の鉱物学の教授となった。ニュー・イングランドの地質、変成岩岩石学の研究を行うとともに、熱力学の理論と岩石・鉱物の観察結果をもとに明快な仮説をたて、実験岩石学の系の選択に重要な示唆を与えた。また黒雲母(うんも)、輝石、角閃(かくせん)石のポリゾマティズム(2種の結晶構造単位がいろいろに組み合わさって、数種の鉱物の骨組みとなっている現象)を明らかにした。ジムトンプソン石、斜ジムトンプソン石(三鎖構造をもつ含水珪酸塩鉱物)は彼の名前にちなんで命名された。

[千葉とき子]


トンプソン(カナダ)
とんぷそん
Thompson

カナダ、マニトバ州中央部北寄りの鉱山都市。人口1万3256(2001)。ハドソン湾に注ぐバーントウッド川右岸に位置する。1956年、周辺域で大規模なニッケル鉱床が発見され、開発が進んでいる。カナダ国有鉄道の支線駅ピクウィトネーまで約30キロメートルである。

[山下脩二]


トンプソン(William Thompson)
とんぷそん

トムソン


トンプソン(Stith Thompson)
とんぷそん

トムソン


トンプソン(Francis Thompson)
とんぷそん

トムソン

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「トンプソン」の意味・わかりやすい解説

トンプソン

米国の数学者。非可換な有限単純群は偶数位数を持つことを証明し,1970年フィールズ賞

トンプソン

ランフォードの本名。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「トンプソン」の解説

トンプソン

生年月日:1898年12月31日
アメリカの考古学者
1975年没

トンプソン

生年月日:1820年8月6日
イギリスの外科医
1904年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android