ドゴール(英語表記)Gaulle, Charles André Joseph Marie de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドゴール
Gaulle, Charles André Joseph Marie de

[生]1890.11.22. リール
[没]1970.11.9. コロンベレドゥゼグリーズ
フランスの軍人,政治家。 1912年陸軍士官学校卒業。 13年陸軍少尉。 1930年代に近代戦略を説く数冊の著書によって頭角を現した。第2次世界大戦勃発時は陸軍次官,40年フランスの降伏後はロンドンに亡命して自由フランス運動の指導者となった。パリ解放後,臨時政府の首班に指名されたが,46年辞任。 47年にフランス国民連合 RPFを結成したが 53年解散し,政界を引退。 58年6月アルジェリア問題危機に際し政権の座に復帰,第五共和政を発足させ,12月 21日大統領となり,69年国民投票に敗れるまで在職。外交的には独自の核抑止政策,対米従属の拒否,主権を維持したヨーロッパ統合などのナショナリズム,民族独立運動への理解,独仏協調,共産圏との接触 (中国承認) などの現実主義,内政的には強力な執行権力,テクノクラット政治などがその特色であった。主著『大戦回顧録』 Mémoires de guerre (1954~59) ,"Mémoires d'espoir" (70) 。

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デジタル大辞泉の解説

ド‐ゴール(Charles André Joseph Marie de Gaulle)

[1890~1970]フランス軍人政治家。第18代大統領。1940年フランスの対ドイツ降伏後、ロンドン自由フランス政府を樹立してレジスタンスを指導。解放後、共和国臨時政府主席。一時引退したが、1958年アルジェリア問題で危機に陥った際、挙国一致内閣で首相となり、第五共和制を発足させ、初代大統領に就任。米ソの国際関係の中でフランス独自の外交路線を追求した。→ポンピドゥー

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大辞林 第三版の解説

ドゴール【Charles André Joseph Marie de Gaulle】

1890~1970) フランスの軍人・政治家。1940年対独降伏後、ロンドンに自由フランス政府をつくり、レジスタンス結集につとめた。パリ解放後、政府要職を歴任していったん下野。58年アルジェリアをめぐる危機打開のため首相に復帰、新憲法を制定して第五共和制を樹立し、自ら初代大統領(1958~1969)に就任。核保有・中国承認・ NATO 軍事機構離脱など、独自の外交路線強化に努めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドゴール
どごーる
Charles de Gaulle
(1890―1970)

フランスの軍人、政治家。1890年11月22日、北フランス、リールの由緒ある家系に生まれ、サン・シール陸軍士官学校を卒業。第一次世界大戦に従軍して何度か負傷し、ベルダン攻防戦では重傷を負って捕虜となり、ドイツに抑留された。大戦後ソビエト・ポーランド戦争に派遣され、赤軍と戦ったのち、帰国して陸軍大学で学んだ。1930年代初め最高国防軍事会議事務局長に任ぜられ、『職業的軍隊を目ざして』(1934)を著し、現代戦における機甲部隊の優位を説いて陸軍上層部や政治家に働きかけたが、前大戦における防衛側優位の教訓に固執するペタン、ウェーガンら陸軍首脳の迷妄を覚ますことはできなかった。
 第二次世界大戦の開幕に際して急造の機甲師団の指揮官に任ぜられ、臨時の准将に昇級させられた。1940年春のドイツ軍の侵攻に対し彼の戦車部隊は強力な反撃を加えたが大勢を覆すに至らず、その最中にレーノー内閣の陸軍次官に起用された。しかし政府内ではすでに即時休戦派が勢いを得、北アフリカでの抗戦継続を主張したドゴールは孤立、逮捕される危険を察知してロンドンに亡命。同年6月18日、BBC放送からフランスに向けて歴史的な対独レジスタンスの呼びかけを行いロンドンに自由フランス委員会を設立するが、イギリス政府があいまいな承認を与えただけで、米ソを先頭とする列国は本土のペタン政権を正統政府とみなしていた。ペタン政権は彼に欠席裁判で反逆罪のかどで死刑を宣告した。
 1944年、解放されたフランスに帰国し、フランス共和国臨時政府の首班となり戦後の難局に立ち向かうが、既成政党が中心となって議会優位の第四共和政憲法が制定されると、1946年突然下野し、第四共和政そのものに敵対する「フランス人民連合」(RPF)を結成したが、意に任せず一時政界を引退した。
 1958年5月、アルジェリア独立に反対する欧州人入植者と現地軍の反乱から始まった混乱のなかで、コティ大統領は反乱側の要求をいれてドゴールを首相に任命した。ドゴールは国民投票(9月28日)での圧倒的支持を背景に、宿願である大統領中心の第五共和政を発足させ、同年12月、初代大統領に選出された。右翼の抵抗を抑えてアルジェリア独立承認をはじめとする非植民地化を推進し、第三世界の共感を得る一方、戦費の重圧から解放されたフランス経済のいっそうの近代化を推し進めた。
 しかし、この時期の彼の本領は軍事と外交、とりわけ後者にある。共産圏への接近、核兵器の開発、NATO(ナトー)軍事機構からのフランス軍の引き揚げ、イギリスのEEC(ヨーロッパ経済共同体)加盟拒否、中国承認、アメリカのベトナム介入反対など、フランスの自主独立の外交路線を強力に追求した。これら新政策の底を流れるものはヤルタ体制すなわち米ソ両国による世界の共同支配体制の拒否であり、歴代のフランス政府の政策と方向において異なるものではないが、フランスの国力に余る大戦略は国民生活には重圧ともなり、1968年5月、学生・労働者を中心とする一大反抗運動いわゆる五月革命を生んだ。彼は国民の革命への恐怖を利用してこの危機を一度は乗り切るが、翌1969年4月の地方制度・上院の改革についての国民投票に敗北し引退に追い込まれた。1970年11月9日死去。[平瀬徹也]
『村上光彦・山崎庸一郎訳『ドゴール大戦回顧録』全6巻(1960~1966・みすず書房) ▽A・ワース著、内山敏訳『ドゴール』(1967・紀伊國屋書店)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

ド‐ゴール

(Charles de Gaulle シャルル━) フランスの軍人、政治家。第一次世界大戦に参加。第二次世界大戦下の一九四〇年国防兼陸軍次官となる。フランス降伏後、ロンドンで自由フランス委員会を組織し本国の対独レジスタンスを指導、フランスの解放をもたらす。戦後、フランス国民連合党首となり、五八年組閣して第五共和政を樹立。同年大統領となり、六二年アルジェリア戦争を終結させた。六五年大統領に再選され、六九年まで在任。(一八九〇‐一九七〇

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