ニュルンベルク裁判(読み)ニュルンベルクさいばん

デジタル大辞泉の解説

ニュルンベルク‐さいばん【ニュルンベルク裁判】

1945年11月から1946年10月、ニュルンベルクで開かれた、第二次大戦のドイツの主要戦争犯罪人22名に対する連合国国際軍事裁判。史上初めての戦争犯罪に対する裁判で、平和に対する罪および人道に対する罪が問われ、12名が絞首刑に処された。→極東国際軍事裁判

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百科事典マイペディアの解説

ニュルンベルク裁判【ニュルンベルクさいばん】

1945年8月8日の連合国協定に基づき設立された国際軍事裁判所がドイツの戦争指導者24人に対して行った裁判。原告は英・米・仏・ソのほか15ヵ国。同年11月20日ニュルンベルクで開廷。訴因を〈平和に対する罪〉〈戦時犯罪〉〈人道に対する罪〉〈共同謀議〉に分け,第2次大戦中のドイツの犯罪行為を追及。1946年10月1日判決。カイテルゲーリング,シュトライヒャー,ヨードル,リッベントロップら12名(うちボルマンは逃亡)が絞首刑,他に終身刑3名,有期刑4名,無罪3名。東京裁判と並ぶ二大国際軍事裁判とされる。
→関連項目クルップ軍事裁判国際軍事裁判戦争犯罪第2次世界大戦ニュルンベルクヘス

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世界大百科事典 第2版の解説

ニュルンベルクさいばん【ニュルンベルク裁判 Nürnberg trials】

第2次大戦とそれに関連する特定の行為に対し,ナチス・ドイツの指導者たちの責任を追及するために行われた裁判。裁判がドイツのニュルンベルクで行われたので,この名があるが,正式名称は国際軍事裁判という。日本の指導者たちの同種の責任を追及した東京裁判と並んで,国際法上いくつかの重要な問題を提起した。
[経過]
 第2次大戦の戦勝国となった連合国側はすでに大戦中から,ドイツ軍の占領地における残虐行為等の処罰を戦争目的の一つとする旨をしばしば声明し,とくに1943年11月のモスクワ宣言で,アメリカ,イギリスソ連の3国は〈地域的に限定し難い犯罪〉の主要な責任者の追及問題に触れていた。

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大辞林 第三版の解説

ニュルンベルクさいばん【ニュルンベルク裁判】

第二次大戦後の1945年11月から10か月間、ニュルンベルクで連合国が行なったナチス-ドイツの重要戦争犯罪人に対する国際軍事裁判。起訴された24名のうち、死刑12名を含む19名を有罪とした。

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精選版 日本国語大辞典の解説

ニュルンベルク‐さいばん【ニュルンベルク裁判】

第二次世界大戦に関するナチスドイツの主要戦争犯罪人に対する連合国側の国際軍事裁判。一九四五年から四六年にかけてニュルンベルクで開かれた。絞首刑一二名、終身刑三名、禁固刑四名、無罪三名の判決が下され、史上最初の戦争犯罪に対する裁判として知られる。

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世界大百科事典内のニュルンベルク裁判の言及

【東京裁判】より

…ロンドン協定により第2次大戦後の戦争犯罪処罰のあり方は画期的に変化した。同協定に付属した国際軍事裁判所憲章(条例)によりニュルンベルク裁判が開廷され,のちに同憲章に準拠して東京裁判が開かれるのである。この変化の特色は,第1に,連合国の一部の指導者が唱えた枢軸国指導者の即決処刑という方式が排されて,国際裁判方式が採択されたこと,第2に,従来の戦時国際法に規定された〈通例の戦争犯罪〉に加えて,侵略戦争の計画・準備・開始・遂行等を犯罪とする〈平和に対する罪〉,戦前または戦時中になされた殺害・虐待などの非人道的行為を犯罪とする〈人道に対する罪〉が新たに国際法上の犯罪と規定され,それらの犯罪についての戦争指導者と目された個人の刑事責任を認めた点にあった。…

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