バルナ(読み)ばるな(英語表記)vara

デジタル大辞泉 「バルナ」の意味・読み・例文・類語

バルナ(Varna/Варна)

ブルガリア北東部、黒海に面する港湾都市。首都ソフィアブロブディフに次ぐ同国第3の都市。紀元前6世紀に古代ギリシャが植民都市オデッソスを建設。古代ローマ時代にユークセイソスと改称され、浴場や要塞が造られた。7世紀頃からスラブ語名でバルナと呼ばれ、8世紀末に第一次ブルガリア帝国領となった。オスマン帝国支配下において、黒海貿易の拠点として栄えた。1949年から1956年まで旧ソ連の最高指導者スターリンの名を冠した。同国有数の観光保養地として知られ、「夏の首都」や「海の首都」という通称をもつ。ワインの生産が盛ん。

バルナ(〈梵〉varṇa)

《色の意》古代インド社会で形成された4種の階層。バラモン(祭司)・クシャトリヤ(王侯・武士)・バイシャ(平民)・シュードラ(隷属民)から成り、のちのカーストの母体。四種姓。四姓。→カースト

バルナ(〈梵〉Varuṇa)

インド神話で、司法神。天則(リタ)の守護者で、人々を監視し背く者を罰する。のち、仏教にとり入れられて水神となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ(古代インドの四大階層)
ばるな
vara

古代インドで形成された社会階層概念で、バラモン(司祭階層)、クシャトリヤ(王族・武人階層)、バイシャ(庶民階層)、シュードラ(上の3バルナに奉仕する階層)の四つからなる。インド最古の文献『リグ・ベーダ』のなかの「原人の歌(プルシャ・スークタ)」では、原人(プルシャ)を犠牲として神々が祭祀(さいし)を行ったとき、原人の頭からバラモンが、腕からクシャトリヤが、腿(もも)からバイシャが、足からシュードラが生まれたとされている。この歌は、後から『リグ・ベーダ』に挿入されたものとみなされているが、それでも、紀元前800年ぐらいまではさかのぼるので、4バルナ社会理論がこのころまでには形成されていたことになる。この社会理論を生み出したのはバラモン階層であり、いち早く社会集団として形成され始めたバラモンが自己にとって望ましい、あるべき社会の姿をこれによって表現したものと考えられる。したがって、これが当時の社会の実態をどれほど反映しているかという点には疑問の余地がある。とくに、上位の3バルナを再生族(学問を始める儀式であるウパナヤナ=入門式を受けることによって二度生まれる者という意)、シュードラを一生族(ウパナヤナを受けないので一度しか生まれない者の意)として、バイシャとシュードラの間に大きな区分を設けているが、この両者の区分は実際には曖昧(あいまい)なものだったのではないかと考えられている。また、これら四つのバルナの下に、被差別民(賤民(せんみん))のさまざまな集団が存在した。その代表的なものは漢訳仏典に旃陀羅(せんだら)と音写されたチャンダーラである。しかし、もっとも有名な古典の法典である『マヌ法典』(紀元前後に今日の形をとった)は「第五のバルナは存在しない」として、これらの被差別民諸集団を社会の正規の構成員として扱っていない。ここにも、バルナ社会理論のもつ「理念性」をみることができる。

[小谷汪之]

『山崎元一著『古代インド社会の研究』(1987・刀水書房)』『小谷汪之著『不可触民とカースト制度の歴史』(1996・明石書店)』『渡瀬信之著『マヌ法典――ヒンドゥー教世界の原型』(中公新書)』


バルナ(ブルガリア)
ばるな
Varna

ブルガリア北東部、黒海沿岸の港湾・工業都市。バルナ県の県都。人口32万0668(2001)。

[寺島憲治]

地誌

1949年から57年まではスターリンStalinとよばれた。造船、機械、繊維、食品工業が盛んである。海運の中心地で、幹線鉄道ソフィア―バルナ線の終点。国際空港を備え、黒海の保養地の拠点である。市内には、ローマ時代の大浴場などの遺跡があり、劇場、歴史博物館、民俗博物館、大学も設置されている。バルナ湖の北岸にはバルナ遺跡がある。

[寺島憲治]

歴史

紀元前6世紀の古代ギリシアの植民市オデッソスOdēssosにさかのぼる。7世紀からバルナというスラブ語名でよばれる。8世紀末に第一次ブルガリア帝国の版図に入り、一時、ビザンティン帝国領になったが、13世紀初頭にふたたびブルガリア領となり、ベネチアジェノバの商船が来航して繁栄した。1444年に、オスマン軍はこの地でキリスト教徒連合軍を破り、バルナは最終的にオスマン帝国の支配下に入ったが、引き続き黒海貿易の拠点として栄えた。1828~29年のロシア・トルコ戦争で、バルナはロシア軍に3か月包囲されてオスマン帝国の敗北に終わり、この地のキリスト教徒住民の一部はベッサラビアと南ロシアに移住した。クリミア戦争(1853~56年)時には、ロシア軍と戦うフランス、イギリスの部隊の基地が置かれ、バルナはヨーロッパ列強の角逐にさらされた。1878年、ブルガリアがオスマン帝国から独立を果たすと、トルコ系住民が流出し一時的に人口が減少したが、1880年にはオスマン帝国領の東トラキア、84年にはバルカン山脈のコテル地方からブルガリア人が移住し、第一次世界大戦後には敗戦で失われたマケドニアから難民が移住した。社会主義時代には工業化と観光事業が推進されて人口は急速に増大し、ソフィア、プロブディフに次ぐブルガリア第三の都市に発展した。

[寺島憲治]


バルナ(古代インドの神)
ばるな
Varua

古代インドの神。インド最古の聖典『リグ・ベーダ』において、讃歌(さんか)の数こそ少ないが、インドラ(帝釈天(たいしゃくてん))とともに重要な神である。契約の神であるミトラと対(つい)でたたえられる場合が多い。バルナとミトラの名は、インドラ、ナーサティヤ(アシュビン双神)とともに、紀元前14世紀中葉のミタニ・ヒッタイト条約文にあげられているから、メソポタミアにおいても信仰の対象であったことがうかがわれる。インドラが代表的なデーバdeva(神)であるのに対して、バルナは典型的なアスラasura(阿修羅(あしゅら))である。アスラは、後代のインドにおいては悪魔とみなされたが、元来は至高の神で、古代イランにおいて、アフラ(アスラの古代イラン語形)の代表者アフラ・マズダーは、おそらくゾロアスターの宗教改革の結果、最高神となった。バルナの神性はアフラ・マズダーに対応するとされる説が一般的であるが、バルナとマズダーは別のアスラ(アフラ)であるとする説も有力である。また、ギリシア神話の天空の神ウラノスと語源的に関係があるとする説もあるが、疑わしい。バルナは宇宙の秩序と人倫の道を支配する司法神であった。彼は天則リタの守護者で、あらゆる場所で人々の行為を監視し、リタに背く者を罰する。彼は最初から水との関係が深かったが、後代、水との結び付きがますます強くなり、ついには単なる水の神、海上の神となった。方位神の一つとして西方を守護するとみなされる。仏教に取り入れられて「水天」と漢訳された。

上村勝彦


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改訂新版 世界大百科事典 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ
varṇa

インド社会の四大身分(階級)の呼称。種姓と訳され,四姓ともいうことから,その身分制度を四姓制度という。バルナとは本来〈色〉を意味する語であったが,アーリヤ人のインド進入当時,肌の色が支配者,被支配者の区別を示していたために〈身分〉〈階級〉の意味が加わり,その後〈種姓〉の意味に使われるようになった。

 《マヌ法典》をはじめとするインドの古典によると,各バルナの義務が次のように定められている。(1)バラモン 他人のための祭式執行,ベーダ聖典の教授,布施の受納。(2)クシャトリヤ 政治や戦闘による人民保護。(3)バイシャ 農業,牧畜,商業,金貸。(4)シュードラ 隷属的労働や手工芸による上位3バルナへの奉仕。以上の4バルナのうち上位3バルナは再生族(ドゥビジャdvija)と称され,自分のための祭式挙行,ベーダ聖典の学習,布施の三つを共通の義務としている。再生族に属する男子は10歳前後にウパナヤナupanayana(入門式,2度目の誕生)をあげ,アーリヤ社会の一員としてベーダの祭式に参加する資格が与えられる。これに対しシュードラは入門式をあげることができない一生族(エーカジャekaja,母胎から生まれるだけの者)とされ,再生族からさまざまな差別を受けた。またシュードラのさらに下には,4バルナの枠の外に置かれた〈バルナをもたない〉あるいは〈第5のバルナ〉の不可触民が存在した。後世,下位の両バルナと職業との関係に変化が生じ,バイシャは商人を,シュードラは農業,牧畜,手工業に従事する一般民をさすようになる。こうした変化に伴い,シュードラ差別は緩和された。

 各バルナに属する者には,同じバルナのなかから配偶者を得ることが義務づけられている。バルナ間の混血は避けるべきであるとされるが,上位バルナの男が下位バルナの女と結婚するアヌローマanuloma(順毛)婚は大目にみられた。ただし,その逆のプラティローマpratiloma(逆毛)婚は忌避されている。

 ヒンドゥー教徒の間で古くから信じられてきた人類起源神話によれば,神々がプルシャ(原人)の体を切り分けたとき,その口からバラモン,両腕からクシャトリヤ,両腿からバイシャ,両足からシュードラが生み出されたという。つまり人類は出現当初から4バルナに区分されていたというのである。もちろんこの説は,バルナの区分を絶対視するバラモンの創作であり,史実ではない。バルナ制度が成立したのは,アーリヤ人がガンガー(ガンジス)川の上流域に進出し農耕社会を完成させた後期ベーダ時代(前1000ころ-前700から前600ころ)である。バルナ制度の理論は,つづく時代にダルマ・スートラ(律法経,前600ころ-前300ころ成立)のなかでさらに整えられ,《マヌ法典》(前200ころ-後200ころ成立)に代表されるヒンドゥー法典のなかで完成された。この間,バルナ制度はアーリヤ文化の伝播に伴ってインド亜大陸のほぼ全域に伝えられ,時代と地域によって強弱の差は認められるものの,今日にいたるまで機能し続けてきた。後世のカースト制度は,バルナという大きな枠組みの中で成立したものである。
カースト
執筆者:


バルナ
Varna

黒海に臨むブルガリア最大の港湾都市で,同名県の県都。人口31万1911(2005)。国際的保養地で,夏期には西欧から観光客が押し寄せ,ブルガリアの要人たちも集まり,〈夏の閣議はバルナで〉とさえいわれる。空港もあり,水陸の交通も便利である。年平均気温11.8℃。造船,電気機器,機械,製材,家具,窯業,繊維,肥料,製菓,印刷の諸工業がある。教育・文化施設としては,医大,機械技術大学,経済大学,海軍大学がある。古代遺跡が多い。

 前6世紀の前半にギリシア人たちがつくった植民市が町の始まりで,オデッソスOdēssosと呼ばれた。町は要塞でもあり,交易基地としても繁栄したが,その後マケドニア,ローマ,ビザンティンの支配を経て681年にブルガリア王国治下のバルナとなった。また14世紀末から1878年まで5世紀の間オスマン・トルコ支配の下にあった。第2次世界大戦後,1949年から57年までの8年間はスターリンStalinと呼ばれていた。
執筆者:

バルナの近郊で発見された金石併用時代カラノボKaranovoⅤ~Ⅵ期(前4000-前3500)の墓地をバルナ遺跡と呼ぶ。豊富な黄金製品の副葬で有名。墓はすべて土壙墓で,1980年までに200基以上が発掘され,人体を埋葬した墳墓と人体の埋葬を伴わない仮墓(ケノタフ)があり,後者が30%を占める。ケノタフには必ず金製品が埋納され,動物の頭部をかたどった金製品,骨偶,または金製の眼や口をはりつけた金製品が人体の代りに埋納されている。墳墓の中にも金製装身具,銅や石の武器を豊富に副葬したものがある。遺物として特に注目すべきものは大量の金製品で,装身具,衣類の飾板,王笏状金製品,金製の柄の銅斧や石斧など驚くべき量に達し,その他金彩文の土器,銅製の利器,石刃などがある。東欧の金石併用時代文化に関する既成の観念を完全に一変させ,東欧先史時代の研究に大きな問題を投げかけている。
執筆者:


バルナ
Varuṇa

ヒンドゥー教の神名。〈水天〉と漢訳される。インド最古の聖典《リグ・ベーダ》において,バルナに捧げられた讃歌数は多くはないが,インドラに次いで重要な神であった。インドラが代表的なデーバdeva(天)であるのに対し,バルナは典型的なアスラ(阿修羅)である。アスラはアベスター語のアフラahuraに対応するので,バルナの神性は,しばしばゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダに対応するとされるが,この対応説に対する反論も存する。バルナと不可分の関係にあるミトラはイランのミスラMithraに対応するが,バルナに対応するアフラはアフラ・マズダではないとする説も有力である。バルナは宇宙の秩序と人倫を支配する司法神であり,天則(リタṛta,アベスターのašaに対応)の守護者である。彼はスパイを用いて人々の行為を監視し,リタにそむく罪人を罰し,脱水病にかからせるが,悔い改める者には慈しみ深い。最初から水と関係が深いが,後代になると,単なる水の神,海上の神となり,西方を守護するとみなされた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ

インドの四大身分の呼称で,種姓または四姓とも。元来は〈色〉を意味する。社会的身分階級をバラモンクシャトリヤバイシャシュードラの4種に分けたもの。バラモンは祭祀をつかさどる司祭階級,クシャトリヤは王族・武士階級,バイシャは農・商工業に従事する庶民階級,シュードラは上の3バルナに奉仕する隷属民。さらにバルナの外に不可触民が位置づけられる。バルナ制度はアーリヤ人のインド進出に伴って形成され,先住の被征服民との肌の色の違いが階級を示していたことに由来する。カースト制度はバルナの枠組みに基づいている。
→関連項目ダウリーマヌ法典南アジア

バルナ

ブルガリア北東部,黒海沿岸の港湾都市。同国を代表する商業港。造船・機械・繊維・食品工業も盛ん。医科大学(1961年創立),海軍兵学校,考古学博物館がある。付近は観光・保養地としても知られる。近郊に金石併用時代のバルナ遺跡がある。前6世紀のギリシアの植民市が起源。1949年―1956年はスターリンと呼ばれていた。33万4870人(2011)。
→関連項目ブルガス

バルナ

ヒンドゥー教の神。アスラ(阿修羅)の典型で,水の神とされるが,自然現象との結びつきはうすく,司法神として人格化される。天則(リタ)の守護者であり,人倫と宇宙の秩序の維持者。仏教の〈水天〉。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルナ」の意味・わかりやすい解説

バルナ
Varna

ブルガリア北東部,バルナ州の州都。黒海西岸のバルナ湾北岸に位置する。前6世紀ギリシア人により建設されてオデッソスと呼ばれ,第1次ブルガリア帝国時代 (681~1018) に現在名となった。 1389年オスマン帝国領となったが,露土戦争の結果,1878年再びブルガリア領となった。ソフィアと鉄道で結ばれ (1888) ,近代的な港湾が建設された (1906) のち急速に発展。ブルガリアの水運の半分近くを扱う。造船,製粉などの工業も立地。ブドウ栽培の中心で,ワインを産する。広い並木道,海岸公園,近代的施設のある海水浴場があり,北にはバルナ湖があって,一帯は観光保養地。第2次世界大戦後,一時 (49~56) 市名をスターリンと変えた。人口 31万 4913 (1991推計) 。

バルナ
Varuṇa

インド神話における天空の神,水を支配する神。やがて律法の維持者とされ,仏教に取入れられて十二天または八方天の一つとして,西方を守護する水の神 (水天) と考えられている。普通は五竜冠を戴いて亀に乗り,水中に住む竜王の形で表わされ,左手に竜索,右手には剣を持つ。密教では金剛界曼荼羅の四大神,または外金剛部の二十天の一つ。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院に位置する。

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世界大百科事典(旧版)内のバルナの言及

【オスマン帝国】より

…61年ころ,アドリアノープル(トルコ名エディルネ)を征服して,ここへ首都を移した。その後,コソボの戦(1389),ニコポリスNicopolisの戦(1396),バルナVarnaの戦(1444)などで,あいついでバルカン諸民族を破り,ブルガリア,北部ギリシア,セルビアを支配下におさめた。この間,アイドゥン侯国カラマン侯国などアナトリアの諸侯国の併合を進めたが,1402年にティムールとのアンカラの戦に敗北し,王朝は一時断絶の危機にさらされたが,すぐにバルカンとアナトリアの領土を回復し,53年にコンスタンティノープルを攻略してビザンティン帝国を滅亡させ,ここをイスタンブールと改めて首都と定めた。…

【オスマン帝国】より

…61年ころ,アドリアノープル(トルコ名エディルネ)を征服して,ここへ首都を移した。その後,コソボの戦(1389),ニコポリスNicopolisの戦(1396),バルナVarnaの戦(1444)などで,あいついでバルカン諸民族を破り,ブルガリア,北部ギリシア,セルビアを支配下におさめた。この間,アイドゥン侯国カラマン侯国などアナトリアの諸侯国の併合を進めたが,1402年にティムールとのアンカラの戦に敗北し,王朝は一時断絶の危機にさらされたが,すぐにバルカンとアナトリアの領土を回復し,53年にコンスタンティノープルを攻略してビザンティン帝国を滅亡させ,ここをイスタンブールと改めて首都と定めた。…

【インド神話】より

…しかるに,イランにおいては,アスラに対応するアフラがゾロアスター教の最高神(アフラ・マズダ)となり,デーバに対応するダエーバが悪魔の地位に落とされた。 インドラに次いで重要な神はバルナ(水天)である。バルナは典型的なアスラであり,その神性はアベスターの最高神アフラ・マズダに対応するとされる。…

【天則】より

…天則は,規則であると同時に,実現すべき真実であるとされる。《リグ・ベーダ》によれば,天則を守護する司法神はバルナである。バルナは,天則が守られているか否かを,多数のスパイを通じて細大もらさず把握するという。…

【ヒンドゥー教】より

…また時代によっても変遷がある。たとえば,《リグ・ベーダ》の時代に有力であり,人々に最も愛好された武勇神インドラ(仏教に入って帝釈天となる)や人々に恐れられた司法神バルナ(仏教に入って水天となる)などは,次の時代には勢力を失った。今日のヒンドゥー教で,インド全域にわたって崇拝されている神はビシュヌシバとである。…

※「バルナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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