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パプア・ニューギニア パプアニューギニア

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百科事典マイペディアの解説

パプア・ニューギニア

◎正式名称−パプア・ニューギニアPapua New Guinea。◎面積−46万2840km2。◎人口−728万人(2011)。◎首都−ポート・モレスビーPort Moresby(36万人,2011)。
→関連項目ホイットラムメラネシア

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パプア・ニューギニア
ぱぷあにゅーぎにあ
Papua New Guinea

南太平洋、メラネシア西部の国。正称はパプアニューギニア独立国Independent State of Papua New Guinea。南緯1~12度、東経143~156度に位置し、ニューギニア島東半部、ニュー・ブリテン島ニューアイルランド島ブーゲンビル島などを領域とする。面積46万2840平方キロメートル、人口633万1000(2007推定)。首都はポート・モレスビー[谷内 達]

自然

ニューギニア島東半部は、地質・地形の特色から、南西部、中央高地、北岸の3地域に分けられる。南西部は、地質的にはオーストラリア大陸の延長にあたり、安定した古い基盤の上にフライ川などにより形成された沖積平野が広がっている。沿岸部および川沿いの低地では沼沢地となっている。中央高地は第三紀以降の造山・造陸運動およびそれに伴う火山活動によって形成された脊梁(せきりょう)山脈で、断層、褶曲(しゅうきょく)、火山地形、氷食地形、カルスト地形がみられ、複雑な地形となっている。この脊梁山脈は南東の半島部(オーエン・スタンリー山脈)に延びており、ダントルカストー諸島、ルイジアード諸島に至っている。同国最高峰のウィルヘルム山(4509メートル)をはじめ3000メートル以上の高山が連なるが、山間部にはかなり広い河谷平野が発達している。北岸では、セピク川流域およびラム川・マーカム川流域の地溝帯に沖積平野が発達し、セピク川の南側には広大な沼沢地が広がっている。その他の北岸の山地はおもに第三紀後半以降の火山活動により形成されたものである。ニュー・ブリテン島などその他の主要な島々も同様で、とくにニュー・ブリテン島では、火山活動が活発である。トロブリアンド諸島など若干の島はサンゴ島であるが、その数は少ない。
 気候は、高地を除いて国土の大部分が熱帯雨林気候である。国土の大半が森林に覆われ、パプア湾沿岸やセピク川河口付近はマングローブ地帯となっている。海岸部の主要都市の気温は年較差がきわめて小さく、年間を通じて日最高気温が30℃前後、日最低気温が23℃前後で、ほぼ日本の関東以西の真夏程度である。これに対して高地では温暖湿潤気候となり、森林のほかにかなりまとまった草原がみられる。高地の主要都市の気温も年較差が小さく、日最高気温が25℃前後、日最低気温が14℃前後で、ほぼ日本の軽井沢や札幌の真夏程度である。年降水量は、ポート・モレスビー付近など若干の地域を除いて国土の大部分では2000ミリメートル以上で、とくに中央高地の南北両斜面やニュー・ブリテン島の南岸では4000ミリメートル以上、一部では6000ミリメートル以上に達する。年降水量の地域差・季節差は、卓越風向と地形との関係により生ずる。たとえば南東貿易風の卓越する5~10月には、ニュー・ブリテン島南岸やラエは多雨期となるが、ポート・モレスビー、マダン、ラバウルなどは少雨期となる。マダンの年間平均気温は27℃で年降水量は3275.3ミリメートル、少雨期の8月には101.7ミリメートル、多雨期の12月には415.9ミリメートルの降水量がある。[谷内 達]

歴史

この地域に人が住み始めたのは5万年ほど前と推定されている。6000年ほど前から農耕やブタの飼育が始まり、16世紀ごろにサツマイモが導入されたといわれている。ヨーロッパ人の来航は16世紀に始まる。1526年にはポルトガル人メネセスJ. de Menesesがニューギニア島西部を訪れ「パプア」と命名し、1545年にはスペイン人レテスI. O. de Retesがニューギニア島北岸を航海して「ニューギニア」と命名した。その後19世紀末までにトレス、タスマン、ダンピア、ブーゲンビル、クック、デュルビルD. D'Urville、スタンリーOwen Stanley(1811―50)、モレスビーFairfax Moresby(1786―1877)らによって航海、探検、調査が進められた。
 1884年にドイツがニューギニア島北東部およびビスマーク諸島をドイツ領ニューギニアとして領有し、1899年にはブーゲンビル島などを編入した。ニューギニア島南東部は1884年にイギリス領ニューギニアとなったが1906年にオーストラリアに移管され、「パプア地区」と改称された。第一次世界大戦後、旧ドイツ領ニューギニア(北東部)はオーストラリアによる国際連盟の委任統治領「ニューギニア」となり、第二次世界大戦では日本軍と連合軍との激戦地となった。1946年「ニューギニア」(北東部)は国際連合の信託統治領として引き続きオーストラリアが統治することになったが、1949年にはパプア地区(南東部)と「ニューギニア」(北東部)両地域の行政が統合され、「パプアおよびニューギニア」と改称された。1964年の第1回選挙による議会発足以来、独立への道を歩み、1971年には現国名の「パプア・ニューギニア」に改称し、国旗と国章を制定した。1972年の選挙でパプア・ニューギニア人による政府が生まれ、1973年の内政自治移行を経て1975年9月に独立した。[谷内 達]

政治

イギリス連邦内の立憲君主国で、エリザベス2世を元首とするが、事実上の元首は総督(パプア・ニューギニア人)である。普通選挙によって選出される議会(一院制、109議席で任期は5年。109議席のうち89議席は一般選挙区、20議席は州選挙区から選ばれる)と責任内閣制の政府をもつ議会民主制をとっている。国民同盟、人民行動党、人民向上党、パプア・ニューギニア国民党、人民進歩党、地方人民党、人民民主運動党など多くの政党があり、それぞれ議席をもつが、政党間に政策上の大きな差はなく、連立内閣になることが多いので、政権が交代しても政策の大幅な変更はない。地方行政では19の州と首都地区州の20に区分され、各州に地方政府がある。そのうち北ソロモンでは1988年にブーゲンビル革命軍が組織されて1990年には分離独立を宣言した。政府軍との軍事的対立に至って混乱が続いたが、1994年にようやく和平協定が結ばれた。対外関係では国連やESCAP(エスカップ)(アジア太平洋経済社会委員会)の一員であり、オーストラリアをはじめ南太平洋諸国、インドネシア、日本などとの関係を重視している。
 2007年の総選挙で国民同盟が第一党(28議席)となり、人民行動党などと連立を組み、初代首相を務めたマイケル・ソマレが5度目の首相についている。[谷内 達]

経済・産業

経済・産業の第一の特色は非市場部門(伝統的自給経済部門)の存在である。市場部門活動と非市場部門活動の双方に関与する者が多いので両者の分離は困難であるが、就業人口の多くが全面的または部分的に非市場部門活動に関与していると推定される。非市場部門の活動はおもにタロイモ、ヤムイモ、サツマイモ、バナナ、サゴヤシなどの伝統的な作物の自給的栽培、ブタの飼育、伝統的漁業などで、一部は国内販売される。また国内販売用の肉牛の飼育もみられる。
 第二の特色は鉱産資源の重要性である。1972年以来のブーゲンビル島での銅鉱石の採掘、輸出はこの国の国際収支や政府歳入に大きく寄与してきたが、同島での採掘は分離独立運動に伴う政治的、軍事的混乱により1989年に停止された。1980年代後半からは西部の国境に近いオク・テディOk Tediで金と銅鉱石が採掘され、輸出されている。
 2008年度の総貿易額(パプア・ニューギニア政府予算書)は、輸出49億5856万ドル、輸入26億2140万ドルとなっている。おもな輸出品目は鉱産物と農林水産物で、とくに金と銅鉱石などの鉱産物が輸出額の半分近くを占め、ついで原油、木材、パーム油(アブラヤシから採取する油)となっている。輸出農産物はコーヒー、ココア、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、パーム油、茶など、輸出林産物は丸太、製材など、輸出水産物はエビ、マグロなど、おもな輸入品目は機械類、石油製品、自動車、米、食肉類などである。おもな輸出先はオーストラリア、日本、中国、ドイツなど、おもな輸入先はオーストラリア、シンガポール、ニュージーランド、中国、日本などとなっている。同国経済を支える産業のうち、鉱業、林業、水産業はおもに外資系企業に依存しており、商品作物生産の3分の1以上も企業的農園に依存している。国内の資本、技術の向上、人材の育成を図ることが、経済政策の課題となっている。
 2002年ごろまで経済は低迷が続いたが、2003年以降は成長に転じている。2005年の経済成長率は2.4%、2007年の国内総生産(GDP)は62億6100万ドル、一人当り国民総所得(GNI)は850ドルとなっている。
 全国的な交通・通信網としては航空と電話が発達しており、主要都市および奥地の177(2003)の空港が定期航空路で結ばれ、24都市がダイヤル即時通話回線で結ばれている。道路はラエと高地地方とを東西に結ぶハイランド国道のほかは、各県内で中心都市と周辺とを結ぶ1万9600キロメートル(2002)で舗装率はわずか3.5%にとどまっているが、自動車の利用が急速に普及しつつある。主要港湾はポート・モレスビー、ラエ、マダン、ラバウル、キエタなどで、海運は島と島とを結ぶ重要な輸送手段である。[谷内 達]

社会

人口の99%がメラネシア系のパプア・ニューギニア人であるが、その人類学的特徴、言語、宗教的習俗、伝統的生活様式はきわめて多様である。土器、金属、機(はた)織りの技術や、文字をもたず、いわゆる新石器時代の段階にとどまっていたといわれる伝統的な生活様式は、貨幣経済の浸透や教育の普及によって急速に変容しつつある。固有の言語は800余りといわれるが、英語が公用語で、学校教育もすべて英語で行われる。また共通語(ピジン英語、ポリス・モツPolice Motu語)が広く通用する。各地に固有の宗教的習俗が受け継がれていると同時に、キリスト教が浸透しており、多くの人々は両者を実生活のうえで両立させている。
 年平均人口増加率は1980年代、1990~1994年に2~2.2%であったが、1995~2000年には4.6%と上昇し、2000~2003年には3.5%となっている。都市・村落間や地域間の経済的格差はきわめて大きく、貨幣経済の浸透により経済的動機が強まるにつれて、地域間の人口移動、とくに村落から都市への人口移動が多くなってきている。都市人口率は1966年の5%から1980年には13%、1990年には15%、2000年には13.2%となっている。ポート・モレスビーをはじめとする都市では人口流入に伴い住宅、雇用、治安などの面で問題が生じている。
 パプア・ニューギニアでは1994年から教育改革が進められており、旧制度の初等教育6年、中等教育4年、さらに全国試験を経て入学が認められる全国で6校のナショナルハイスクール2年間の六・四・二制から、初等教育の基礎学校elementary school3年(予備1年と1~2年生)、初等学校primary school6年(3~8年生)、中等教育secondary school4年(9~12年生)の三・六・四制の新しい教育制度へと移行している。ナショナルハイスクールはそのまま存続している。2001年の初等教育学校(elementary schoolおよびprimary school)数は3055校となっている。高等教育は大学(4年制)、初等教員養成大学(2年制)、技術短期大学(2年制)で、総合大学はパプア・ニューギニア大学、パプア・ニューギニア工科大学、ゴロカ大学など6校があり、単科大学は10校ある(2002)。識字率は57.3%(男63.4%、女50.9%。2003)である。医療施設は各州に基幹病院としての総合病院がある。1986年の保健所兼診療所は459、簡易医師による簡易診療所は2231を数え、1993年には人口1万人当りの病床数は34となっていた。2000年時点での医師数は275、歯科医師数90、看護師数2841である。[谷内 達]

日本との関係

第二次世界大戦(太平洋戦争)中の1942年(昭和17)には、ラバウルをはじめとするビスマーク諸島、ブーゲンビル島、およびニューギニア島北東部沿岸地域が日本軍の軍事的支配下に入った。1943年からは連合軍側が優勢となり、日本軍の勢力範囲はしだいに縮小してゆき、1945年(昭和20)8月の終戦を迎えた。
 日本との関係が強まったのは1970年代以降である。パプア・ニューギニアにとって日本は、銅鉱石輸出を中心に1970年代後半から1980年代末まで最大の輸出先であった。また1970年以来、林業、水産業を中心に日本企業が進出している。2007年の日本との貿易額は、日本への輸出917億円、日本からの輸入179億円と日本の大幅な輸入超過である。おもな輸出品目は銅鉱石(68%)、木材(18%)、魚貝類(7%)、コーヒー(3%)など、おもな輸入品目は自動車(トラック50%、乗用車10.5%)、一般機械類(6%)などとなっており、現在も日本は主要貿易相手国である。さらに日本は1975年1月に総領事館、同年12月に大使館を開設し、無償資金協力(教育施設)、有償資金協力(上下水道、水力発電、道路建設)、および技術協力などの援助を行っている。[谷内 達]
『A・M・キキ著、近森正訳『キキ自伝』(1978・学生社) ▽谷内達著『パプアニューギニアの社会と経済』(1982・アジア経済研究所) ▽東京農大パプアニューギニア100の素顔編集委員会編『パプアニューギニア100の素顔――もう一つのガイドブック』(2001・東京農業大学出版会)』

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