コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

パレオロゴス朝 パレオロゴスちょう Palaeologi; the Dynasty of Palaeologus

2件 の用語解説(パレオロゴス朝の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パレオロゴス朝
パレオロゴスちょう
Palaeologi; the Dynasty of Palaeologus

ビザンチン帝国最後の王朝 (1261~1453) 。パレオログス朝とも呼ばれる。 1261年8月ニカイア帝国ミカエル8世パレオロゴスがラテン帝国の首都となったコンスタンチノープルを奪回し,創始。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

パレオロゴス朝
ぱれおろごすちょう

ビザンティン帝国最後の王朝(1261~1453)。旧ビザンティン帝国の亡命政権であるニカイア帝国の皇帝ミハイル8世パレオロゴスPalaeologos(在位1259~82)が、旧首都コンスタンティノープルをラテン帝国から奪回して開き、以降9人の皇帝に受け継がれた。帝国とはいうものの、その領土は首都周辺とアテネペロポネソスなどのみであった。国内では、土地を媒体にした皇帝と臣下の独特の主従関係であるプロノイア制によって封建制度が浸透したが、皇帝権の低下と地方豪族の台頭による絶えざる内乱、ベネチアなどイタリア商業都市の経済的進出などにより、国力は衰微の一途をたどった。バルカン半島セルビア小アジアオスマン帝国に挟まれ、対外的にも苦戦を強いられた。ことに後者がバルカンを席巻(せっけん)し、アドリアノープル(現エディルネ)に首都を置くに至って、帝国の政治的独立は皆無に等しくなった。そして1370年には、ついにこれに進貢義務を負うに至った。諸皇帝は、東西両教会の再統一を条件に、ローマ教皇を通じて西欧諸国から軍事援助を引き出そうとしたが失敗した。1453年、最後の皇帝であるコンスタンティヌス11世はオスマン帝国のメフメト2世の総攻撃に敗れ、王朝は終息した。
 パレオロゴス朝は、政治的にはきわめて不振であったが、文化的には大いに栄え、のちに「パレオロゴス・ルネサンス」とよばれる一大文芸復興期を形成した。なかでも、ミストラにプラトン・アカデミアを樹立して多くの人文主義者を育てたゲミストス・プレトンの業績は高く評価される。[和田 廣]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

パレオロゴス朝の関連キーワード東ローマ帝国ビザンチン建築ビザンチン帝国ビザンチウムビザンチン教会ビザンチン様式ビザンツビザンチン式ビザンチン文化ビザンツ建築

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone