日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルトン」の意味・わかりやすい解説
ブルトン(André Breton)
ぶるとん
André Breton
(1896―1966)
フランスの詩人、作家。ノルマンディーのタンシュブレーに生まれ、ブルターニュで幼年期を過ごす。パリに移ってのち、医学生として学ぶかたわら、1913年ごろから詩作品を発表し始め、象徴派に連なる新人としてバレリーらに評価される。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともに動員され、看護兵、のち軍医補となって精神医学の実地訓練を受ける。1916年にナントでバシェと出会い、ランボーを初めて読み、またアポリネールらと交流するうちに、新しい文学・芸術の可能性に目覚める。1919年にパリでアラゴン、スーポーとともに『文学』誌を創刊、後者を誘って「自動記述」l'écriture automatiqueの実験を試み(『磁場』1920)、その成果が後のシュルレアリスム理論の基礎となる。1920年からダダ運動に参加し、指導者の一人となるが、やがてツァラと対立して離脱、エリュアール、ペレ、クルベルRené Crevel(1900―1935)、デスノス、エルンストらとともに別の集団を形成し始める。
[巖谷國士]
『シュルレアリスム宣言』
1924年に『シュルレアリスム宣言――溶ける魚』を刊行して、シュルレアリスム運動を正式に発足させ、想像力の復権、夢や狂気や超常現象の再検討、「自動記述」による言語の解放、等々に基づく芸術観・人生観の刷新を唱え、多くの参加者を得る。1927年、現実世界との対決の必要から共産党に入党するがまもなく離反。1928年には主著『ナジャ』および『シュルレアリスムと絵画』を刊行し、文学・芸術のみならず人生の諸問題にかかわる「超現実」le surréelの理念を具体化する。1929年『シュルレアリスム第二宣言』によって運動を新方向に導いたのち、1930年代にはトロツキーとの協調を推し進める一方、詩集『白髪の拳銃(けんじゅう)』(1932)、散文作品『通底器』(1932)、『狂気の愛』(1937)などを発表し、その白熱する言語によって影響力を維持する。第二次世界大戦中はニューヨークに亡命し、北米各地に同調者を得る。散文作品『秘法17』(1945)、長編詩『シャルル・フーリエへのオード』(1947)などを書いてのち、1946年に帰国、新世代の詩人・画家たちとともに運動を継続し、70歳でパリに没するまで、現代の文学・芸術の方向を左右する巨人の一人であり続けた。
[巖谷國士]
評価
その思想はかならずしも体系的ではないがきわめて広い視野をもち、心理学、民俗学、物理学、隠秘学などにわたる新しい「知」の領域を統合しつつ、いわゆる合理主義の制約を超えた全体的な人生観・世界観の構築を目ざす。夢と無意識、愛と狂気、自由と革命についてのその言説によって世界各地の芸術家たちを鼓舞し続けたばかりでなく、「自動記述」の延長にあるその暗示的かつ緊迫した詩的言語の諸相において、20世紀フランスのもっとも特異かつ重要な作家の一人とみなされうる。また『黒いユーモア選集』(増補版1950)や『魔術的芸術』(1957)にみられるような、旧来の文学史・芸術史を書き換える画期的な系譜研究の側面においても、一つの変革を体現しえた作家であるといえよう。
[巖谷國士]
『生田耕作・巖谷國士他訳『アンドレ・ブルトン集成』1、3~7巻(1970~1974・人文書院)』
ブルトン(動物)
ぶるとん
Breton
哺乳(ほにゅう)綱奇蹄(きてい)目ウマ科の動物。同科の1種ウマの1品種で、フランスのブルターニュ半島の原産。2型があり、トレーブルトンは体高1.6メートル、体重600キログラム、ポスチェブルトンはやや小格の軽輓馬(ばんば)であるが、両者の区別は不明確となった。
[加納康彦]