主として,16世紀から17世紀前半にかけて,ベネチアのサン・マルコ大聖堂を中心に活躍した一群の音楽家のことをいう。
1527年にフランドル出身のウィラールトAdrian Willaert(1490ころ-1562)がサン・マルコの楽長に就任し,この大聖堂における音楽を豊かにすることに貢献した。サン・マルコ大聖堂は,いわゆるギリシア十字形に建てられていて,オルガンと聖歌隊が両袖廊にそれぞれ配置されていた。ウィラールトは,この構造を利用して,〈コーリ・スペッツァーティcori spezzati〉(分割楽団,複合唱,二重合唱)と呼ばれる書法を発展させた。コーリ・スペッツァーティでは,2群の楽団が相呼応しながら歌いかつ奏しつつ曲が進められ,最後に両楽団がいっしょになって壮大な盛上がりをみせる書法が好まれ,同時代の美術におけるベネチア派の絵画に対応する,華麗で色彩的な音楽が創り出されていった。ウィラールトはまた,ベネチアが初期のマドリガーレ(マドリガル)の創作に重要な役割を果たす素地もつくった。ウィラールトの没後,楽長の地位は,ウィラールトの2人の弟子が続いて継承した。宗教的声楽曲やマドリガーレにおける詞の情感の表出に意を用いて半音階的手法や大胆な不協和音の使用を推し進めたフランドル出身のチプリアノ・デ・ローレCipriano de Rore(1515ころ-65)と,宗教的声楽曲やマドリガーレを作曲し,とくに体系的な理論書《音楽論Le istitutioni harmoniche》(1558)で知られるツァルリーノである。また1613年にはルネサンス様式からバロック様式への転換に大きな役割りを果たしつつ聖俗の多くの分野で不朽の金字塔を打ち建て,初期のベネチア・オペラにも重要な貢献をしたモンテベルディが楽長になった。
また,サン・マルコのオルガン奏者としても,トッカータ,カンツォーナ(カンツォーネ),リチェルカーレなどのオルガン曲や合奏曲だけでなく,宗教曲やマドリガーレの作曲にも優れていたメルロClaudio Merulo(1533-1604),新しい様式のトッカータのほか宗教的楽曲にも優れた作品を残したアンニバレ・パドバノAnnibale Padovano(1527-75),さまざまな形式の宗教的声楽曲,マドリガーレ,オルガン曲,合奏曲を作曲したA.ガブリエリ,その甥でとくに全2巻の《サクレ・シンフォニア集》(1597,1615)の宗教的声楽曲や,ソナタやカンツォーナなどの合奏曲において,コーリ・スペッツァーティの手法を縦横に駆使して壮麗な音響の世界を展開したG.ガブリエリら,作曲家としても優れた人材が相次いだ。
ツァルリーノが楽長の頃,常設の合奏団が設けられ,大きな祭典には,30人の聖歌隊と20人の合奏団による音楽の饗宴が繰り広げられた。楽団が3~4群になることもしばしばで,同時代のローマ楽派の禁欲的な〈ア・カペラ〉様式の音楽とは対照的に,対位法的というよりは,音の塊をぶつけ合うような豊饒な響きがサン・マルコ大聖堂の丸天井にこだました。コーリ・スペッツァーティの宗教曲は,コンチェルト(協奏曲)とも呼ばれ,続くバロック時代の器楽のコンチェルト的発想の一つの母胎ともなった。
大聖堂ではまた,オルガンのトッカータやリチェルカーレ,合奏曲のソナタやカンツォーナなどが開拓され,バロック時代の器楽発展の一つの礎が築かれた。
1600年前後のベネチア楽派の様式は,ドイツの音楽家プレトリウスHieronymus Praetorius(1560-1629),A.ガブリエリの弟子ハスラーHans Leo Hassler(1564-1612),シュッツらによってドイツにも広められた。
ベネチア楽派の呼称は,ときに,17世紀のベネチア・オペラの代表的な作曲家たち(カバリFrancesco Cavalli(1602-76),チェスティAntonio Cesti(1623-69)ら),18世紀前半のコンチェルトの代表的な作曲家たち(アルビノーニ,B.マルチェロ,ビバルディら)に対して用いられることもある。カバリやチェスティらは,晩年のモンテベルディのベネチアの劇場におけるオペラを継承しながらも,オペラが宮廷から劇場に場を変えたことに対応して,劇よりも音楽を重んじる方向に傾いて名歌手を表に出すと同時に,機械じかけを行使して人々の目を楽しませる舞台作りなどにも力を入れることになっていった。
執筆者:戸口 幸策
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
16世紀に、ベネチアのサン・マルコ大聖堂を中心に活躍した音楽家たちの総称。1527年にフランドル出身の作曲家ウィラールトがベネチアのサン・マルコ大聖堂楽長に就任して以来、ここでは大聖堂の特殊な構造を利用したコーリ・スペッツァーティ(分割合唱)とよばれる独特の典礼音楽が開拓されたが、次の楽長のデ・ローレ、その次の楽長のツァルリーノ時代にそれが定着し、さらに、ここのオルガン奏者を務めたメルーロやアンドレア・ガブリエリらの手で、新しい器楽曲も生み出されていった。16世紀の終わりごろには、器楽伴奏付きの分割合唱による典礼音楽の演奏が一般的となり、オルガン奏者のジョバンニ・ガブリエリが作曲した音楽が盛んに演奏されて、ベネチア楽派の最盛期を迎えた。
[今谷和徳]
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