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ポツダム宣言 ポツダムせんげん Potsdam Declaration

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポツダム宣言
ポツダムせんげん
Potsdam Declaration

1945年7月 26日にベルリン郊外のポツダムで発表された日本の戦争終結条件を示したアメリカイギリス,中国3ヵ国首脳の宣言。これはポツダム会談の結果,アメリカ,イギリス両国の合意ができ,それに同会談に参加しなかった中国も同意して発表されたもので,同会談参加のソ連はまだ日本と中立関係にあったためにこの宣言には加わらなかった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ポツダム宣言

第2次世界大戦末期の1945年7月26日、米英中が日本に対し、降伏を求めるポツダム宣言の文書を出した。当時の日本政府はすぐには受け入れず、広島・長崎への原爆投下、ソ連の宣戦布告の後、8月14日に受諾を決定。翌15日、昭和天皇の「玉音放送」が日本の敗戦を伝えた。 宣言は全13項。1~5項で、米英中は宣言の即時受け入れを迫る。後半は、連合国が敗戦後の日本を占領すること(7項)や、日本の軍隊が完全な武装解除をすること(9項)、基本的人権を確立すること(10項)などが列記されている。無条件降伏の要求は最後の13項にある。 今国会で焦点となったのは日本の戦争行為を「世界征服の挙に出つるの過誤」と断じた6項。現在も右派識者などから「世界征服のための戦争ではなかった」と異論が出るが、首相は「同項を含めて、政府はポツダム宣言を受諾した」と語った。

(2015-06-28 朝日新聞 朝刊 4総合)

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デジタル大辞泉の解説

ポツダム‐せんげん【ポツダム宣言】

1945年(昭和20年)7月26日、ポツダムで、米・英・中(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したもの。軍国主義の除去・領土の限定・武装解除・戦争犯罪人の処罰・日本の民主化・連合国による占領などを規定。日本政府ははじめ拒否したが、原子爆弾の投下、ソ連の参戦を経て8月14日これを受諾した。→太平洋戦争

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百科事典マイペディアの解説

ポツダム宣言【ポツダムせんげん】

第2次世界大戦末の1945年7月26日,米・英・中3ヵ国の首脳の名前で発せられた日本に無条件降伏を要求する共同宣言。7月17日ベルリン郊外のポツダムPotsdamで米・英・ソの首脳が会談し(ポツダム会談),ドイツ降伏後のヨーロッパ政策が検討され,米英代表によって対日宣言が協定され中国の同意を得た。
→関連項目梅津美治郎カイロ会談木戸幸一玉音放送グルー公職追放御前会議鈴木貫太郎鈴木貫太郎内閣太平洋戦争(日本)千島列島日中戦争日本日本降伏文書バーンズポツダム緊急勅令宮沢俊義領土問題歴史認識問題

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世界大百科事典 第2版の解説

ポツダムせんげん【ポツダム宣言】

アメリカ,イギリス,中国3国首脳により1945年7月26日に発表された日本に対する共同宣言。ベルリン郊外のポツダムで開かれたトルーマンアメリカ大統領チャーチル・イギリス首相,スターリン・ソ連首相による3国巨頭会談で決定されたのち,蔣介石中華民国総統の同意をえて米英中3国首脳の名で発表された。ソ連は日ソ中立条約有効期間中であったため署名せず,45年8月8日の対日宣戦布告ののちこの宣言に署名した。

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大辞林 第三版の解説

ポツダムせんげん【ポツダム宣言】

1945年7月26日、ポツダムにおいて、米・英・中三国の名で(のち、ソ連も対日参戦と同時に参加)発せられた日本に対する降伏勧告および戦後処理方針の宣言。日本の軍国主義の除去、軍事占領、主権の制限、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定している。日本は8月14日これを受諾した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ポツダム宣言
ぽつだむせんげん
Potsdam Declaration

1945年(昭和20)7月に開かれたポツダム会談で協議されたうえ、同年7月26日、米英中三国政府首脳の連名で日本に対して発せられた降伏勧告の宣言。この宣言は全部で13項からなり、日本がこのまま戦争を継続すれば日本の国土は完全に荒廃してしまうこと(3項)、いまや日本は壊滅への道を続けるかそれとも理性の道を歩むかを決定すべきであること(4項)を述べ、連合国が要求する戦争終結の条件として次のものを掲げている。(1)軍国主義の除去、(2)日本国領土の占領、(3)カイロ宣言の条項の履行、および本州、北海道、九州、四国および連合国が決定する諸小島への日本の主権の制限、(4)日本国軍隊の完全な武装解除、(5)戦争犯罪人に対する厳重な処罰、ならびに民主主義の確立、(6)賠償の実施と平和産業の確保。またこの宣言は、以上の諸目的が達成され、日本国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向をもった責任ある政府が樹立された場合には、ただちに占領軍を撤収することを明らかにしている(12項)。
 ポツダム宣言が発せられるや、日本政府および軍の首脳の間では、それを受諾すべきか否かにつき深刻な討論が闘わされた。日本政府はいったんは拒否を通告したものの、広島や長崎への原爆投下(8月6日、8月9日)、ソ連の対日参戦(8月8日)とますます絶望的な状況へ追いやられたため、ついに受諾するに至った。8月14日、日本政府は宣言の受諾を決定し、同日夜、終戦の詔勅が発せられた。[深谷満雄]

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世界大百科事典内のポツダム宣言の言及

【昭和天皇】より

…しかしこの不介入の態度はけっして絶対的なものでなく,輔弼機関そのものが破壊されたり輔弼機関が決定をなしえない場合には天皇がみずから判断を下すとされた。二・二六事件に際し岡田啓介首相の生死不明のとき,終始叛乱軍の討伐を主張したのは前者の例であり,太平洋戦争終結へ向けて45年8月のポツダム宣言受諾に積極的にイニシアティブを発揮したのは後者の例である,と天皇みずからは説明している。こうした立憲君主制観はしかし,明治憲法体系下の独特のものであり,そこでは例えば,国務についての国務大臣の輔弼と軍事についての参謀部の輔翼とは同列のものと考えられていた。…

【ソビエト連邦】より

…ドイツに対する勝利ののち,アメリカの求めで,ソ連はヤルタ協定(ヤルタ会談)に基づいて,ヨーロッパから軍を東へ送り,8月8日日本に宣戦布告し,満州(中国東北)の関東軍を攻撃した。これによって日本をポツダム宣言受諾に追い込んだのである。
[戦後スターリン期]
 戦後には,領土を拡大し,かつ東ヨーロッパ諸国と北朝鮮を自らの勢力圏に収めたソ連は,アメリカと並ぶ強国として,国際政治に重きをなした。…

【ドイツ民主共和国】より


【ドイツ民主共和国の成立】
 1945年5月ドイツの敗北によってナチス独裁体制が崩壊したのち,ソ連占領地区では,ドイツ社会民主党と,新たに生まれたキリスト教民主同盟,ドイツ自由民主党の諸党が,ドイツ共産党の主導下に同年7月反ファッショ・民主ブロックを結成し,当面,ファシズム,軍国主義および帝国主義を根絶するための反ファッショ・民主主義的変革をめざした。同年7~8月に開かれた米英ソ3大国首脳によるポツダム会談は,ドイツの非軍国主義化,非ナチ化および民主化を骨子とする連合国の対ドイツ政策の大綱を決定した(ポツダム宣言)。この決定をよりどころとして,ソ連占領軍当局の積極的な支援のもと反ファッショ・民主ブロックの諸党は,同年秋,大地主や戦争犯罪人,ナチ積極分子の土地所有を解体し,土地を貧農・農業労働者に分配する土地改革を実施した。…

【法制史】より

…(6)日本近代法史は,敗戦によってその幕を閉じた。1945年8月14日のポツダム宣言の受諾から,52年4月28日の対日講和条約,日米安全保障条約の発効に至る時期は,近代法体制から現代法体制へと移行する過渡期である。この時期は,連合国による占領と,対日占領政策により戦前の法体制を変革するいわゆる戦後改革とによって特色づけられる。…

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