ヤシ(英語表記)palm

翻訳|palm

デジタル大辞泉 「ヤシ」の意味・読み・例文・類語

ヤシ(Iaşi)

ルーマニア北東部の都市。モルドバとの国境に近く、プルート川の支流バフルイ川沿いに位置する。同国第2の都市で、かつて16世紀から19世紀にかけてモルドバ公国の首都が置かれた。1860年に同国初の大学が設立され、文教都市としても知られる。聖ニコラエドムネスク教会三聖人教会、文化宮殿などの歴史的建造物のほか、国民的詩人ミハイ=エミネスク文学館がある。ヤーシ。

ヤシ(Yasi/Ясы)

カザフスタンの都市トゥルキスタンの旧称。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヤシ」の意味・わかりやすい解説

ヤシ (椰子)
palm

木本性の単子葉植物。日本では従来,ココヤシを単にヤシと呼んでいたが,近年ではヤシ科の植物を総称してヤシという。

木本性の単子葉植物として,イネ科のタケ類とともに特異的な存在であるヤシ科の植物は,ほとんどの場合,幹は分枝せず二次肥大生長もしないうえに,大きな葉を幹の頂端部に群がりつけ,熱帯の景観を特徴づける。いわゆるヤシ形の生活形になる。約220属2500種を有し,それらの大部分は熱帯や亜熱帯に分布し,シュロのようなごく少数の種が暖温帯に生育する。また,この多数の属や種の多くは限定された狭い地域にのみ分布するという,固有性の強い植物群でもある。

 幹(茎)は単一で直立するものが多いが,シュロチクのように株立ちになるもの,トウのようにつる性のもの,あるいはニッパヤシのように地表を横走するものもある。葉は葉鞘(ようしよう),葉柄,葉身の三つの部分に分化しており,しばしば大型となり,ニッパヤシのように10mをこえることもある。葉鞘基部はしっかりと茎を抱き,新葉と芽を包む。この葉鞘部の維管束が残ったのが,シュロのシュロ毛である。葉身は扇状の単葉から扇状あるいは羽状に切れ込んだ複葉まで,さまざまである。各小葉は,発生のときに単一の折りたたまれた葉身の折目の部分が切り離されるというヤシ科に特有の形態形成過程を経て,つくられる。またこの折りたたまれた下側の折目で切れるか,上側の折目で切れるかで,ヤシ科は大きく2群に分けられる。花は単性あるいは両性で小さく,黄色から黄緑色で目だたないが,多数が花軸の上に密集して肉穂花序を作り,それが大きな苞(仏焰苞(ぶつえんほう))に包まれ,基本的には虫媒花である。開花期には多数のハナバチ類や甲虫などが集まる。葉腋(ようえき)あるいは茎頂から出る肉穂花序は,単純な棒状からシュロのように多数分枝するもの,あるいは短縮して球形(ニッパヤシ)になるものとさまざまである。花被は内・外それぞれ3枚の花被片からなり,両者にそれほど違いはない。おしべは通常6本,めしべの子房は1室または3室で,各室に1個の胚珠がある。果実は液果,核果あるいは堅果などで,大きさはさまざまであるが,比較的大型のものが多い。種子はよく発達した胚乳を有するが,その胚乳は油脂あるいはヘミセルロースであることが多い。前者の場合は油料植物として重要になるし,後者の場合は硬質で,ゾウゲヤシのように細工物に利用されることがある。

 ヤシ科は肉穂花序を有する点からサトイモ科に近縁と考えられたり,木質の幹や花序の形からタコノキ科に近いとされたりするが,すでに中生代から化石の出る古い植物群で,単子葉植物のなかでは独自に進化した系統群であろう。

 ヤシはそのエキゾチックな樹形からフェニックスシュロ,カンノンチク,シュロチクビロウなど暖地で観賞用に栽植されるものも多いが,熱帯ではその他に多数のヤシ類が街路,庭園,公園の植栽に利用されている。木質化した幹は硬質で割裂しやすく,耐腐性があるものは建築材をはじめ細工物に,またトウのように柔軟なつる性のものではかごやマットあるいは結束料に多用される。大きな葉も,ニッパハウス(ニッパヤシの葉を編んで屋根や壁にした家)で代表されるように,屋根ふきや壁に利用される。シュロの葉鞘やココヤシの果実の殻のように,繊維を取り出して利用することも多い。

 食用植物としてのヤシの利用も多面的である。葉鞘につつまれた新芽は柔らかく,東南アジア・マレーシア地域には野菜として利用される種が多数ある。若い花序を切ると糖液を分泌する種(サトウヤシが代表的)では,糖みつを採取したり,アルコール飲料を作るのに用いられる。果実が食用あるいは油脂源とされるものは多いが,なかでもココヤシ,アブラヤシナツメヤシの3種が有名で,熱帯の重要な栽培作物となっている。サゴヤシは幹からデンプンが採取され,サラッカは果実が果物になることで有名である。またつや出しワックスで有名なカルナウバ蠟(ろう)carnauba waxは南アメリカ産のカルナウバヤシCopernicia ceriferaの葉から採取される。アレカヤシビンロウ)のように果実にアルカロイドを含有し,興奮性の嗜好料に使われるものもある。ヤシ類は工業社会の影響を受ける前の熱帯域では,それぞれの地方に特産するさまざまな種類が,その地域の人間の生活に深く結びついて利用されていた。現在でもアブラヤシやココヤシのように,工業原料としての油脂源植物として大規模なプランテーション栽培が行われている重要な作物を含む植物群である。
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ヤシ
Iaşi

ルーマニア東部の主要都市。旧モルドバ公国の首都。現在は同名県の県都で,人口30万7783(2005)。プルート川の支流バフルイBahlui川のほとりにあり,現在モルドバ共和国との国境をなしているプルート川までは8kmの位置にある。英語,ドイツ語風にヤッシーと記されることもある。鉄道分岐点としても重要で,一つはキエフを経由してモスクワへ,他はブコビナを経てリボフへ至る。

 ヤシの地名が初めて文献に現れるのはロシアの史料で,1387-92年にここに市が立っていたという。国内史料ではアレクサンドル善公の治世の1408年である。当時モルドバ公国の中心は北部にあり,スチャバが首都であった。公国を隆盛に導いたシュテファン大公の治世(1457-1504)には公の館と付属教会も建てられたが,その後1565年アレクサンドル・ラプシュネヤヌ公の治世に公国の首都となった。絶えず外敵の脅威にさらされ,市は1538年オスマン帝国のスルタン,スレイマン1世の軍勢によって灰燼に帰したのをはじめ,1577年,1616年,50年,86年,1821年に,オスマン軍,クリム・ハーン国軍,ポーランド軍,コサック軍によって破壊された。市が整備され始めたのは1827年の大火以後である。また18世紀後半からいわゆる東方問題の舞台となり,1792年には,ここで露土戦争の講和条約が結ばれたが,その後も1828年,53年にはロシア軍に,54年にはオーストリア軍に占領された。このような政治的悪条件にもかかわらず,中世以降モルドバ文化は独自の性格を強めていくが,それは16世紀後半にペトル跛公の建立したガラタ修道院やとくに1639年にバシレ・ルプ公が建立し教会建築におけるモルドバ様式の傑作といわれているトレイ・イエラルヒ教会によく表されている。バシレ・ルプ公は1640年ころスラブ語とギリシア語による学校を創設し,モルドバで最初の印刷所も設立した。18世紀から19世紀初めのギリシア人ファナリオットがモルドバを支配する時代になると,ギリシア文化が優勢になり,ギリシア・アカデミーが開かれるが,このような文化的伝統の中からG.ウレケ,コスティンのような年代記作者やD.カンテミールのような文人が輩出した。1821年ヤシはエテリア蜂起の根拠地となり,そのためにイエニチェリ軍による報復的破壊を被ったが,それ以後始まるモルドバの近代化の運動の指導的人物もこの地で活躍した。教育者アサキ,1840年国民劇場の創立に貢献したV.アレクサンドリ,1848年の革命的運動と59年のワラキアとの統一の指導的人物コガルニチャーヌと,クザらである。62年ブカレストが統一ドナウ公国の首都となってからヤシの政治的重要性は減退したが,なお19世紀末まではブカレストをしのぐ文化運動の中心地であった。1860年ブカレストに先立ってヤシ大学が創立され,また文学協会〈ジュニメヤ〉の活動には評論家T.マヨレスク,国民詩人エミネスク,作家クリヤンガらが加わっていた。いまでも市内のコポウ公園はその菩提樹の下でエミネスクが詩作にふけったところとして市民に親しまれている。

 19世紀後半のヤシには43のギリシア正教会の教会に対し,58のユダヤ教教会があったといわれるほど多数のユダヤ人が居住していた。彼らの多くはウクライナから18世紀以後に移住した者であったが,彼らに文化的刺激を与えたのは1876年に当地でヨーロッパ最初の常設的なユダヤ劇場(イディッシュ語)の旗上げをしたゴールドファデンAvram Goldfaden(1840-1907)であった。彼とその一座はモスクワ,ワルシャワ,オデッサなどへも巡業して成功を収めた。20世紀初め以降,ユダヤ人の間で経済的困難からアメリカをはじめとする移住が盛んになり,彼らもまたそこで活躍することになる。第1次大戦中,一時,首都がヤシに移されたが,ヤシが近代的な都市の外観を備え,薬品,化学,機械,繊維をはじめとする工業化が促進されるようになったのは第2次大戦以後である。
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百科事典マイペディア 「ヤシ」の意味・わかりやすい解説

ヤシ

ルーマニア北東部の都市。ブドウ栽培地帯の中心で,鉄道の要地。薬品・繊維・機械・食品加工業が行われる。大学(1860年創立)がある文化都市で,宗教的建築物が多い。1565年―1861年はモルドバ公国の首都であった。第1次大戦中一時的にルーマニアの首都。18世紀以降ユダヤ人が多数移住したが,20世紀初めからの迫害により,多くはアメリカに移住。29万人(2011)。

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世界大百科事典(旧版)内のヤシの言及

【手】より

…手根と中手とは骨格でははっきり区別されるが,外形的には続いていて境界はない。両者合わせて軽くへこんだ皿状をなし,その凹面(前面)を〈手掌(しゆしよう)palm〉〈手のひら〉または〈たなごころ〉といい,凸面を〈手背back of the hand〉または〈手の甲〉という。指は5本あって,これを橈骨の側から尺骨の側へ順次に〈第1指,母指,親指〉〈第2指,示指,人差指〉〈第3指,中指(ちゆうし∥なかゆび)〉〈第4指,薬指(やくし∥くすりゆび)〉〈第5指,小指(しようし∥こゆび)〉と呼ぶ。…

【度量衡】より

…ただしこの単位の実体もあいまいであって,尺についていえばおよそ20~32cmにわたっていた(一般に時代が下るにつれ実長はのびた)。 (イ)の系統に属するものは,以上のほかにもいろいろあり,4本の指を並べた幅(日本のつか,イギリスのパームpalmなど),親指の幅(中国の寸,ドイツのダウメンDaumen,オランダのドイムduimなど),人差指または中指の幅(イギリスのディジットdigit,フィンガーfingerなど),げんこつの大きさ(ドイツのファウストFaust)その他,実例はきわめて多い。ただしそれらすべてが独立に基準として採用されたわけではなく,〈パームはディジットの4倍〉のように,いわゆる倍量または分量として間接的に定められた場合もあった。…

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