ライン川(読み)ラインガワ(英語表記)Rhein[ドイツ]
Rhin[フランス]
Rijn[オランダ]

デジタル大辞泉 「ライン川」の意味・読み・例文・類語

ライン‐がわ〔‐がは〕【ライン川】

ライン(Rhein)

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精選版 日本国語大辞典 「ライン川」の意味・読み・例文・類語

ライン‐がわ‥がは【ライン川】

  1. ( ラインはRhein ) 西ヨーロッパを流れる大河。スイスのサンゴタール峠付近に源を発し、リヒテンシュタインオーストリア・ドイツ・フランスの国境を流れてドイツ西部にはいり、オランダを横断して北海に注ぐ。支流や運河によって地中海・バルト海・黒海に通じ、ヨーロッパの大水路網を形成。沿岸に橋頭堡(きょうとうほ)から成立したボン、マインツ、ケルンなどの都市がある。全長一三二六キロメートル。

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改訂新版 世界大百科事典 「ライン川」の意味・わかりやすい解説

ライン[川]
Rhein[ドイツ]
Rhin[フランス]
Rijn[オランダ]

アルプスに源を発し,北海に注ぐ中部ヨーロッパの河川で,西部,中部ヨーロッパではドナウ川に次ぐ流量を誇る。ドイツでは〈母なるドナウ〉と対照的に〈父なるラインVater Rhein〉と呼ばれ,古来ヨーロッパの政治,経済,文化に多大な役割を果たしてきた。

ライン川の全長は1320km(2010年に1233kmに修正),流域面積は最下流域のデルタ地帯を別にすれば15万9610km2,これを含めれば22万4400km2となる。本流はスイス,リヒテンシュタイン,オーストリア,ドイツ,オランダを通り,スイスではラインの流域は全国土の68%をも占める。またアルプス内の流域面積6123km2のうち194km2は氷河が占める。流域には便宜的な区別がなされており,最上流部の主要な2流域を前ライン(フォルダーライン),後ライン(ヒンターライン),両者の合流点からボーデン湖まで(165km)をアルプスライン,ボーデン湖からバーゼルまで(140km)を高ライン(ホッホライン),バーゼルからビンゲンまで(330km)を上ライン(オーバーライン),ビンゲンからボンまで(100km)を中ライン(ミッテルライン),ボンから河口まで(370km)を下ライン(ニーダーライン)と呼んでいる。

 前ラインはオーバー・アルプ峠付近の氷河圏谷の湖,トーマ湖(標高2344m)から流れ出す。一方,後ラインはトーマ湖の南東方約40kmのアドゥーラ山群ラインワルトホルンRheinwaldhorn(3405m)の氷河を源とする。ライヘナウ(標高600m)付近で合流した両者は,アルプスラインとなって,スイスとリヒテンシュタイン,あるいはオーストリアとの国境をなして北流し,ドイツ最大の湖,ボーデン湖(コンスタンツ湖)に注ぐ。ボーデン湖は下流部の流量を調節する機能を有するとともに,湖岸地方に温和な気候を与えている。アルプスから運ばれた河床物質はここで堆積して三角州の成長をもたらす。アルプス・ラインの下流部が平坦かつ肥沃なのはこのためであり,現在の堆積が続けばボーデン湖全体が陸化するのは約1万2000年後と見積もられている。ボーデン湖から西流する高ラインはスイスとドイツ国境をなす。高ラインには幅115m,高さ23mのライン滝がかかり,多くの観光客を集めている。上ラインはバーゼルから始まり,オーバーライン地溝を北流する。バーゼルの標高はすでに252mまで下がり,マインツに至る上ライン約300km間の高度差はわずか170mにすぎない。バーゼルは北海に通ずるスイスの港でもあり,河口からここまでは2000トン級の船が航行する。ここでの貨物積替量は年間1000万トンにもなり,スイスの全輸出量の約半分がここを経由している。オーバーライン地溝は幅30~40kmに達し,かつて一連であった一大曲隆構造,シュワルツワルトボージュ山地の中央部が断層によって落ち込んで生じた。地溝底を流れるライン川は元来氾濫をくり返し,カールスルーエ付近までは網状流をなし,より下流では蛇行の激しい河川であった。このため,1800年ころから河川改修が計画され,蛇行をショートカットする工事は1817年から74年にまで及んだ。最大の支流マイン川は上ライン北端近くで合流し,フランクフルト・アム・マインはそのやや上流に位置する。

 ビンゲンからボンに至る中ラインはライン片岩山地を深くうがつ峡谷部であり,古城とブドウ畑とローレライをはじめとする岩壁の移り変わる風景を遊覧船から楽しむことができる。峡谷部であるため急流のイメージが強いが,ボン~マインツ間100余kmの航程で高度差は40mに満たない。中ライン入口の難所,ビンゲンの浅瀬はライン片岩山地をつくる岩石が河床付近に露出していたためであり,これを取り除く爆破作業は1830-32年に行われた。上記上ラインのショートカットとともにライン改修の二大事業とされる。上ライン下流部から中ライン,さらに支流モーゼル川にかけては,ドイツワインの主産地としても有名である。ボンより下流の下ラインはオランダ国境付近までは洪積台地の間を流れ,オランダ領内では広大な三角州上を分流する(おもなものはワール川とレク川)。

 下ラインは流程370kmに対しわずか46mの高度差しかなく,ケルンまでは4000トン級の船が航行する。下ラインに沿っては,ドイツではケルンやルール工業地帯のデュッセルドルフ,ヨーロッパ最大の内陸港を有するデュースブルクエッセンなどの諸都市が発展し,河口付近のロッテルダムはヨーロッパ最大の港である。ここから河口までの地域は1958年以来建設が続けられているユーロポートで,工業港や大規模な石油貯蔵基地や石油化学コンビナートが並ぶ。
執筆者:

ライン川の交通はローマ以前から行われていたが,ローマ時代にガリア遠征と統治の必要から盛んになった。カエサルはガリア総督時代の前55年コブレンツとアンデルナハの中間に,前53年その上流に橋を架け,これを渡ってゲルマン人を抑え,ガリア人の大反乱を鎮定した。帝政期にはアンデルナハより下流のライン川がゲルマン人地域との境界であった。ケルンのコンスタンティン橋など三つの橋が架けられ,流域にローマの屯営や兵站(へいたん)基地からシュトラスブルクストラスブール),マインツ,コブレンツ,ボン,ノイス,ケルンなどの都市が成長し,これらの都市を結ぶ船運も船運業者のギルドcollegia nautarumによって営まれていた。

 中世になると流域にはマインツ,ケルン,トリールの三大司教都市をはじめ多くの都市が栄えて,ドイツの政治,経済,文化の中心になり,ライン川はドイツの最も重要な交通路になった。13世紀にシャンパーニュの大市が衰退してからは,北イタリアや南ドイツと北西ヨーロッパとを結ぶ動脈の役割を果たした。南からはブドウ酒,木材,穀物,東方の奢侈品,手工業品が,北からは魚類,毛織物,毛皮,香料が運ばれた。シュトラスブルクの船はすでに早い時期にライン川の河口に達し,12世紀には北海航行の海船がケルンに着いている。しかし,船運が盛んになるにつれて,これまで自由だったライン川の航行が特権によって規制され,積荷はいたるところで課税されるようになった。この傾向は大空位時代(1256-73)以後著しく,ライン川の税関の数は12世紀末の19から13世紀に44,14世紀に62と増加した(1848年にも18の税関があった)。いたるところで関税を徴収されるため積荷の価格は2倍にもなったという。こうした規制は15世紀初めには都市の手に移り,有力な都市は特定区間の航行独占と指定市場権・積替強制権を獲得した。ドルトレヒト,ケルン,コブレンツ,マインツ,ウォルムス,シュパイヤー,シュトラスブルク,バーゼルはこれらの権利を持っていた。たとえばケルンの港に着いた船の積荷は,指定商品であればケルンで販売され,それ以外の商品はケルンの町の船に積み替えて次の港へ運ばれた。積荷をめあてに船を襲って略奪する盗賊騎士も13世紀には盛んであった。

 近代のライン川の歴史は航行制限を廃止し,流域諸国の共同管理のもとで航行の自由を実現する過程であった。流域の4選帝侯(ケルン,トリール,マインツの大司教とファルツ宮廷伯)は1557年ライン川共同管理の会議を開いて共同の関税財団を設けた。1648年の列国会議は航行自由化を議し,ミュンスター条約85条で通過船を拘留して貢租を徴収することを禁止したが,これは関係諸国の承認を得られなかった。フランス革命後1803年の帝国代表者会議で航行自由化問題が再燃し,翌04年これまでの領邦ごとの関税に代えて,積荷の重量に応じて計算された統一航行料Oktroiが導入され,これを管理する国際機関として監督局がマインツに設けられた。船運業者の許可や順航制の規制も監督局の仕事になった。15年ウィーン会議の結果バーゼルから北海までの航行の自由が流域諸国に認められたが,協定の解釈をめぐって河口を領有するオランダと上,中流域のドイツ諸国との間に争いが生じ,結局,ライン川の航行の自由が実現したのは30年のベルギー独立でオランダが打撃を受けた31年であった。同年バーデン,バイエルン,フランス,ヘッセン,ナッサウ,オランダ,プロイセンの流域諸国はマインツでライン川航行に関する協定(〈マインツ協定〉)を結び,指定市場権,積替権,船運業者ギルドの特権の廃止,航行の自由を宣言した。この協定は1868年の〈マンハイム協定〉によって補充され,1963年に再度修正されて現在までライン川航行自由の法的根拠となっている。こうしてバーゼルから公海までのライン川の航行はあらゆる国民の船舶に認められ,航行料の徴収は禁止され,流域諸国の共同の問題の解決に当たる国際管理機関として〈ライン川航行中央委員会Zentralkommission für die Rheinschiffahrt〉(ZKR)がストラスブールに設置された。中央委員会にはドイツ,ベルギー,フランス,オランダ,スイスが参加,各国の第一審航行裁判所の判決に対する控訴裁判所の機能を果たしている。

 今日ライン川は農業用水,工業用水,発電,水運などに利用されているが,とくに水運では全長1320kmのうち883kmが航行可能で,支流のネッカー川,マイン川,モーゼル川をはじめ運河網(ライン・マイン・ドナウ運河ミッテルラント運河など)によってドナウ川,北海地方,ベルリンとも接続し,ヨーロッパ内陸水路網の中心を占めている。19世紀の工業化過程でルール地方の石炭の積出しと製鉄業への鉱石供給に大きな役割を果たし,戦後はヨーロッパ経済共同体(現,ヨーロッパ連合)の成立によってその意義はますます増した。ラインフェルト~エメリッヒ間(西ドイツ領)の貨物輸送量は1974年約2億t(内およそ半分が外国船による)で,ドイツの内陸水路輸送の約80%に当たる。おもな貨物は砂利,土砂,石炭,石油,鉱石,粗鋼,圧延製品,穀物などである。ライン川諸港の荷扱高では河口のロッテルダムを除けばデュースブルクが断然多く,ストラスブール,ケルン,マンハイム,バーゼル,ルートウィヒスハーフェンが続いている。ライン川は貨物輸送ばかりでなく旅客(観光客)の多い川でもある。観光地としてのライン川は中流のビンゲン~コブレンツ間の両岸に並ぶ25の古城と特産のワインによって知られている。ドイツワインの11の特産地のうち,ライン中流,ラインガウ,ラインヘッセン,ファルツ,モーゼル・ザール(以上ラインワイン),アール,ナーヘ,ヘッセン地方ベルクシュトラーセ,バーデンの9ヵ所はライン川流域にある。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ライン川」の解説

ライン川(ラインがわ)
Rhein

スイスに源を発しドイツ西部を貫流して北海に注ぐ。全長1320km。ローマ帝国はこの川を国境として左岸の各地に要塞を築いた。民族移動以後ライン川はゲルマンの川となり,特に「父なるライン」としてドイツの民族感情と結びついた。遠隔地商業の発展とともにライン川は商業,交通の大動脈となり,流域の諸都市は繁栄をみせた。やがて国際貿易構造の変化,三十年戦争などによってライン諸都市も衰退するが,産業革命とともに豊富な鉱物資源を埋蔵する下ライン(ボンから下流)の流域は工業地帯として発展し,ドイツ経済の心臓部となった。

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世界遺産情報 「ライン川」の解説

ライン川

父なるラインと呼ばれる、ドイツ人の心の故郷がライン川です。スイスアルプスのトマーゼ湖に端を発し、ドイツ・フランスの国境を北に向かい、ドイツ国内を流れ、オランダ国内へと入ったあと、ロッテルダムから北海に注いでいます。全長約1,320km、そのうちドイツを流れるのは約698km。ライン川流域のマインツからコブレンツの間は「ロマンチック・ライン」と呼ばれ、多くの古城が点在しており、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。古城を眺めながらのクルーズは、時間を忘れさせるほどの魅力があります。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ライン川」の解説

ライン川
ラインがわ
der Rhein

アルプス山脈に源を発し,アルザス−ロレーヌの東を流れ,ラインラント工業地帯を貫流してオランダで北海に注ぐ川
全長1320㎞。ローマ帝国の対ゲルマン国境,中世ドイツの遠隔地商業の動脈,産業革命以後の国際河川として,その流域とともに多彩な歴史を展開した。ドイツ国内では峡谷美(ローレライの岩)をつくっていることでも有名。

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世界大百科事典(旧版)内のライン川の言及

【オランダ】より


【自然】

[地形]
 この国の地形の大部分は第四紀に形成されたが,東部の西ドイツ国境沿いに第三紀層がわずかにみられ,南東部に突出したリンブルフ州南部台地は白亜紀の岩石からなる標高90~300mの丘陵地(最高点は321mのファールセルベルフVaalserberg)を形成し,地表近くに石炭紀の地層をもつ。国土の骨格を形づくる地形は,オランダを東から西,北へ貫流するライン川,マース(ムーズ)川の新旧の堆積地形であり,その広い中央部はライン川の三角州で河成粘土からなる。ライン川はオランダに流入するとワールWaal川とネーデルライン川に分かれ,後者はアルンヘムの東方でエイセルIJssel川を分流し,さらに下流はレックLek川と呼ばれる。…

【橋】より

…1604年完成のパリ,セーヌ川のヌフ橋(ポン・ヌフPont Neuf)はその代表的な例である。棒状部材を組み立てたトラスは,このころイタリアのA.パラディオにより考案されたが,実際に初のトラス橋をつくったのは1757年,スイスの大工グルベンマン兄弟Hans Ulrick & Johannes Grubenmannで,彼らはその後もライン川に支間100mを超す木造トラス橋を架けている。 産業革命を契機として,橋の材料も人工の鉄が大量に使えるようになり,1779年イングランド,セバーン川の上流に世界初の鉄の橋コールブルックデール橋が建設された。…

※「ライン川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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