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ライン川 ラインがわ Rhein

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ライン川
ラインがわ
Rhein

スイス東部のアルプスに源を発し,中部ヨーロッパをほぼ北流して北海に注ぐ川。オランダ語で Rijn,英語では Rhine,フランス語ではラン Rhin。Rheinはドイツ語。全長 1238.8km(うちドイツ領 695.5km),流域面積約 22万km2

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デジタル大辞泉の解説

ライン‐がわ〔‐がは〕【ライン川】

ライン(Rhein)

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世界遺産情報の解説

ライン川

父なるライン呼ばれる、ドイツ人の心の故郷がライン川です。スイスアルプスのトマーゼ湖に端を発し、ドイツ・フランスの国境を北に向かい、ドイツ国内を流れ、オランダ国内へと入ったあと、ロッテルダムから北海に注いでいます。全長約1,320km、そのうちドイツを流れるのは約698km。ライン川流域のマインツからコブレンツの間は「ロマンチック・ライン」と呼ばれ、多くの古城が点在しており、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。古城を眺めながらのクルーズは、時間を忘れさせるほどの魅力があります。

出典|KNT近畿日本ツーリスト(株)
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ライン川
らいんがわ
Rhein

ヨーロッパ中部を流れ、北海に注ぐ川。フランス語名ランRhin川、オランダ語名レインRijn川、英語名ラインRhine川。Rheinはドイツ語名。流長1320キロメートル、流域面積22万4000平方キロメートルで、ヨーロッパロシアを除く)ではドナウ川に次ぐ大河である。[浮田典良]

流路

源流はスイスのアルプスにあり、サン・ゴタルド山塊の東側に発する「前ライン」とアドゥラ山地に発する「後ライン」が合流して「アルペンライン」となり、ボーデン湖東端部に流れ込む。アルペンラインの下流部はほぼスイスとオーストリアの国境をなしている。ボーデン湖西端部から流れ出た「高ライン」は、スイスとドイツの国境をなしつつ西流して、バーゼルで北へ転じ、「上部ライン」となってライン地溝帯を北北東へ流れる。この地溝帯南半部ではライン川がドイツとフランスの国境をなすが、北半部では両岸ともドイツである。地溝帯北端のビンゲンからは「中部ライン」となってライン板岩山地に峡谷をうがちつつ北西へ流れ、ボンのすこし南で北ドイツ低地へ出て「下部ライン」となり、北西へ流れてオランダに入ったのち、ワール川とレック川に分かれ、西流して北海に注ぐ。おもな支流は、右岸ではネッカー川、マイン川、ラーン川、ジーク川、ルール川、左岸ではアーレ川、ナーエ川、モーゼル川などである。[浮田典良]

流量・水運

流れはきわめて緩やかで、河口のロッテルダムから370キロメートルさかのぼったボンで標高60メートル、そこからライン峡谷を125キロメートルさかのぼったマインツで80メートル、さらにライン地溝帯を360キロメートルさかのぼったバーゼルで245メートルにすぎない。また流量の季節的変動も比較的少なく、バーゼルでの河況係数(1年間の最大流量と最小流量の比)はわずか14である。そこで古来ライン川は、中部ヨーロッパにおける南北の重要な交通路として利用され、ローマ時代、ローマの勢力はこの川に沿って北上し、沿岸にウォルムス、マインツ、ケルンなどの都市が建設された。現在では河口部の分流の一つに沿うロッテルダムを起点として、ヨーロッパ内陸部へ向かう水上交通路として重要であり、「ヨーロッパ船」と称する内陸水運用の標準船(長さ80メートル、幅9.5メートル、喫水2.5メートル、積載1350トン)が、スイスのバーゼルまでさかのぼることができる。海運と内陸水運の中継地点であるロッテルダム港は、第二次世界大戦後、積み込み・積み下ろし貨物量において、ニューヨーク港を抜き世界第1位となった。さらに河口部には埋立てと掘込みによりユーロポートが建設され、港に接して石油精製所や石油化学工場などが立地している。沿岸の河港としてもっとも重要なのは、ルール地方の門戸であるデュースブルク港であり、そのほか工業の盛んなルートウィヒスハーフェンやマンハイムの港も重要である。
 支流のモーゼル川、マイン川、ネッカー川も、古くから水運に利用されている。いまでは「運河化」が進み、所々堰堤(えんてい)でせき止められて、静水の人造湖の連続のような状態になり、堰堤の一端に設けられた閘門(こうもん)を通じて船が上下している。モーゼル川ではコブレンツからフランスとの国境まで240キロメートルの河道に12の堰堤が設けられ、マイン川はバンベルク付近のレグニッツ川合流点まで384キロメートル(堰堤数35)、ネッカー川はシュトゥットガルト南東のプロヒンゲンまで201キロメートル(堰堤数21)が運河化されている。ライン川はまた他の河川と運河によって結ばれており、そのおもなものは、ライン・ローヌ運河(320キロメートル)、ライン・マルヌ運河(313キロメートル)、ライン・ヘルネ運河(46キロメートル)、ウェーゼル・ダッテルン運河(60キロメートル)、ダッテルン・ハム運河(47キロメートル)、ドルトムント・エムス運河(271キロメートル)、アムステルダム・ライン運河(72キロメートル)などである。また支流のマイン川はマイン・ドナウ運河によってドナウ川と接続しており、バンベルクからニュルンベルクを経てレーゲンスブルク南西でドナウ川に連絡している。[浮田典良]

輸送物資・観光

ライン川はいわゆる国際河川であって、本・支流沿岸のオランダ、ドイツ、ベルギー、フランス、スイスの船が自由に通航できる。川船による輸送物資は、重量が大で急を要しない物資が主であり、19世紀前半までは穀物がもっとも重要な輸送物資であったが、産業革命後、鉄鉱と石炭がそれにかわり、第二次世界大戦まではこの両者がもっとも重要であった。第二次世界大戦後は土木建設資材(自然石、砂利、セメント)が第1位を占め、また内陸水運用タンカーが急速に増えて石油が石炭をしのぎ、近年はコンテナ船も増えている。
 貨物船のほかに、数は少ないが観光客用の遊覧船も上下する。ことにライン峡谷の部分は、ハイネの詩で名高いローレライの岩や、多くの古城があり、沿岸斜面にはブドウ畑が広がるなど、美しい風光に恵まれ、多くの観光客が訪れる。マインツとケルンを結ぶ定期遊覧船は、下りは約10時間、上りは約14時間を要し、水中翼船は下り3時間40分、上り4時間10分である。[浮田典良]

歴史

すでにローマ時代以前から交通路として利用されていたが、カエサルのガリア征服(前58~前50)以降、ライン西岸までがローマの支配圏となったため、沿岸各地に置かれた軍隊駐屯基地から都市が発展し、ライン地方はローマ帝国のなかでももっとも経済的に繁栄した地域の一つとなり、ライン川の交易路としての重要性も飛躍的に増大した。民族大移動によりライン地方の繁栄は中断するが、11世紀以降の遠隔地商業の復活に伴い、かつてのローマ都市は中世都市として再生し、ライン川もその重要性を取り戻した。舟運を規制するため各地に税関が置かれたが、中世後期にはその数は著しく増加し(最盛期には60以上といわれる)、盗賊騎士たちの略奪と相まって、交易上の障害となった。大空位時代以降、ライン諸都市を中心に幾度か結成された都市同盟は、これに対抗するものであった。近代に入ると、ライン川を国際管理の下に置き、舟航の自由を保障する方向が模索された。共同管理の試みは、1557年のケルン、トリール、マインツ各大司教、ライン宮廷伯の4選帝侯協定に始まるが、自由航行を保障する国際管理が確立したのは1831年のマインツ協定で、現在(1963年以降)では、ドイツ、ベルギー、オランダ、フランス、スイスが参加する「ライン川航行中央委員会」が管理にあたっている。
 ライン川はしばしば政治上の国境線ともなった。その最初はローマ帝政時代で、ローマ領とゲルマン民族の定住地(自由ゲルマニア)とはライン川を境とした。また、一時はリーメス(堡塁(ほうるい))を築いて東方に拡大したこともある。ついでフランク王国の三分割に際し、ベルダン条約(843)により東フランク王国と中部フランク王国の国境となったが、その後メルセン条約(870)により中部フランク王国が東西両フランク王国(この両国がのちにドイツ、フランスに発展する)に分割された結果、国境は西方に移動した。三十年戦争によりフランスはアルザスを獲得、ライン上流がふたたびドイツとフランスの国境となり、ナポレオン時代にはフランスはライン左岸を併合したが、ウィーン会議ではアルザス・ロレーヌ地方のみの領有を認められた。プロイセン・フランス戦争によりドイツはこの両地方を奪回したが、第一次世界大戦の敗戦でふたたびこれを失い、第二次世界大戦以後も両地方はフランス領となったので、現在でもライン上流はドイツとフランスの国境となっている。[平城照介]
『小塩節著『ライン河の文化史』(1982・東洋経済新報社) ▽マーク・スモーリー著、岡本さゆり訳『ライン川』(1995・偕成社) ▽V・ユゴー著、榊原晃三編訳『ライン河幻想紀行』(岩波文庫)』

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