フランス19世紀末の詩人。8月16日、南米ウルグアイの首都モンテビデオに生まれた。6歳のときフランスへ渡り、少年時代をタルブで送る。1876年、ウルグアイから帰郷の家族とともにパリに転居、翌春の母の死は彼の心に深い傷痕(きずあと)を残した。バカロレア(大学入学資格試験)に失敗して、進学を断念せざるを得ず画商エフリュシCharles Ephrussi(1849―1905)の秘書を務めるかたわら、文学カフェーにも出入りして、若い詩人たちと交わった。ブールジェの紹介で、1881年から5年間、ドイツにおいて皇后アウグスタの侍講(じこう)を務める。その間、精妙な反語精神に満ちた詩集『なげきうた』(1885)、『聖母なる月のまねび』(1886)を相次いで刊行、また1886年からは、友人カーンGustave Kahn(1859―1936)の主宰する雑誌『ラ・ボーグ』に詩や散文を発表して注目を集めた。1886年、イギリス人の妻を伴いあこがれのパリへ戻ったが、結核に冒され、1887年8月20日、27歳の若さで世を去った。
遺稿として、神話・伝説の「古いカンバス」に「新しい魂」を盛った小説集『伝説的教訓劇』(1887)、自由詩の成立史上重要な位置を占める『最後の詩』(1890)などが残された。近代の悲愁を破格の韻律に託し、多彩な言語遊戯を駆使しながら歌い上げた彼の作品は、ごく最近まで、本国でよりむしろ英米で高く評価され、アメリカの詩人E・W・L・パウンドやイギリスの詩人T・S・エリオット、また日本でも、三富朽葉(みとみくちは)、中原中也(ちゅうや)、梶井基次郎(かじいもとじろう)などがこれを愛読した。
[森茂太郎]
『吉田健一訳『ラフォルグ抄』(1977・小沢書店)』▽『広田正敏訳『ラフォルグ全集』全3巻(1981・創土社)』▽『広田正敏著『ラフォルグの肖像』(1984・JCA出版)』
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フランスの詩人。ウルグアイ生れ。たえず倦怠感に浸されながら,ささやかな事象への優しい愛を忘れず,不可能と知りつつ夢想へと身をささげた彼は,まさしく世紀末的感受性の一典型であった。詩集《嘆きぶしLes complaintes》(1885)は,伝統的詩法に言葉遊びや俗語や意識的破調を導入した自由詩のかたちで憂鬱な泣き笑いを平明な調子で歌ったものである。一種の短編集ともいえる《伝説的教訓劇Moralités légendaires》(1887)はハムレットやサロメなどの物語をラフォルグ独自の世界へと転生させた語り直しであり,とくに〈ハムレット〉は《最後の詩Les derniers vers》(1890)とともに世紀末的感受性と意識の結晶といえる。困窮のうちに死去した。フランスでは研究も愛読者も多くなく,むしろイギリスでT.S.エリオットに深い影響を及ぼし,日本では吉田健一の世界の基盤をつくったが,最近ようやくフランスでその重要性への注目が始まっている。
執筆者:清水 徹
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… 80年代後半から90年代にかけて,雑誌も数多く刊行され,若い詩人たちも競って新しい理論に基づく詩作を発表した。皮肉,諧謔,嘲笑をまじえて,衰頽と厭世の意識を歌ったラフォルグは特異な詩的世界をつくりだしたし,G.カーン,モリス,ビエレ・グリッファン,H.deレニエ等々が,象徴主義の担い手を自任して活躍した。ベルハーレン,メーテルリンク,ロデンバックら,ベルギーの詩人たちも象徴主義の文学の重要な一翼を形成した。…
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