レジャー(読み)れじゃー(英語表記)leisure

翻訳|leisure

精選版 日本国語大辞典 「レジャー」の意味・読み・例文・類語

レジャー

〘名〙 (leisure) 仕事や勉強などから解放された自由な時間。余暇。また、それを利用して行なう遊び。
※日本の思想(1961)〈丸山真男〉四「最近も『レジャーをいかに使うか』というアンケートをもらった事があります」

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デジタル大辞泉 「レジャー」の意味・読み・例文・類語

レジャー(leisure)

仕事などから解放された自由な時間。余暇。また、それを利用してする娯楽や行楽。「レジャー産業」「レジャー人口」
[類語]余暇遊び遊戯たわむすさ気晴らし慰み事娯楽遊技ゲームプレーレクリエーション

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レジャー」の意味・わかりやすい解説

レジャー
れじゃー
leisure

余暇と訳す。「許される」意のラテン語licēreに由来する。レジャーは、「時間」としてとらえると、生活時間のなかでの自由時間をいうが、さらに「活動」としてとらえると、この自由時間を人間的に使う活動を意味する。その語源はギリシア語のスコーレscholéである。スコーレは、第一に、余分な時間あるいは単に時間をさす。第二に、それは学ぶことを意味する。英語のスクール(学校)はスコーレから発している。スコーレは、人間がもっている時間、とくに自由時間を意味するとともに、この時間において行われる広い意味での学習(人生学習)という、人間の精神的な活動の側面をも意味していた。レジャーは、自由な人間が、自己の人間性を開発し、発展させるために、自由に使用できる時間であり、かつその時間において行われる活動のことである。

[藤竹 暁]

レジャーと時間意識

現代人のレジャーは、時間についての意識が発達したことによって生まれた。現代では、時間意識は社会生活の隅々にまで浸透しており、合理性、能率と効率、そして生産性が重要な社会的価値となってきたために、人間的時間は時計時間によって、正確に定められることになった。現代社会は、時間をむだなく使用することを理想とする考え方を基礎としている。こうした価値観は、また、労働と生産に社会的な重要性を与え、人間が生きていることの意味をみいだすのは労働ないしは仕事にあるという考え方を生み出した。しかし現代では、こうした労働と生産を中心とする時間意識によって人生を考えることに対して、人々は疑いの気持ちを抱くようになっている。自分らしく人生を過ごすという感覚の成長であり、それはまた社会が消費社会としての側面を色濃く示すようになったこととも関係している。

 資本主義社会の展開は、時計を原型とする機械(テクノロジー)の発達に支えられ、さらに科学的管理法による生産性の向上によって、大量生産と大量消費のもとに、豊かな社会実現の道を歩んだ。それは、労働を生活の中心に据える考え方をつくりだし、現実には、労働時間が人間の生活時間配分のなかで重要部分を占め、労働時間を基本軸として日常生活が展開する社会システムを確立した。

 こうした労働中心の価値観は、社会全体に時間的な規則正しさの感覚、つまりパンクチュアリティ(時間厳守)の感覚を育てた。社会の活動は、それぞれの人間が時間どおりに狂いなく行動することによって、初めて秩序を獲得することができるという感覚の支配である。時計の普及によって、一方では時間的な規則正しさの感覚が、他方では時間を分割し、時間を効率よく活用する習慣が、よりいっそう社会に浸透した。時間節約観念の成立である。こうしてレジャーについての考え方は、まず時間節約観念を基礎にしたレジャー活動の考え方を社会に定着させた。しかし生活が豊かになり、消費生活における便利さ、快適さについての感覚が浸透するにつれて、人々はしだいに、ゆとりのある生活が必要であることに気づくようになり、労働と生産を軸にした時間意識とは別の文脈で、ゆとりのあるレジャーを考えるようになってさえいる。ゆとりをもって生きるという価値観の成立である。

[藤竹 暁]

労働時間短縮とレジャー

現代におけるレジャーの考え方は、1919年のILO(国際労働機関)第1回総会で、ILO第1号条約として「工業的企業における労働時間を1日8時間かつ1週48時間に制限する条約」が採択され、8時間労働制の原則が国際的に確立して、世界的な労働運動のなかに組み込まれた。現代におけるレジャーは、まず、労働時間と対比されて、人間の生活時間のなかに位置づけられた。労働時間が短縮されると、それだけレジャー時間が増大するという関係の成立である。

 レジャーに関するその後のILOの動きを概観すると、1921年には、第14号条約として「工業的企業における週休の適用に関する条約」が定められ、「7日の期間ごとに1回少なくとも継続24時間の休暇」、すなわち週に1回の休日制度が確立した。1924年のILO第6回総会では、「労働者の余暇利用施設の発達に関する勧告」が出された。1930年には、ILO第30号条約として、商業および事務労働についても8時間労働制の原則が定められ、1935年には、第47号条約として「労働時間を1週40時間に短縮することに関する条約」が採択された。国際的には、すでに1910年代において、1日の労働時間の短縮という観点から、そして1920年代においては、人間の労働時間を1週間単位でとらえ、1週間に1日の休日を確保することで、レジャーが強く意識されていた点が重要である。

[藤竹 暁]

日本人のレジャー意識と週休2日制の定着

日本において、1日8時間、1週48時間の労働原則が制度的に確立したのは、1947年(昭和22)の労働基準法制定によってであった。実際にレジャーの意識が浸透し始めたのは、高度成長期を迎えてからである。職場においては、オートメーション化の進行によって、労働の形態が大きく変化し、さらに社会は豊かになり、基礎的で物質的な欲求充足から、派生的で各人の好みにあった欲求充足へと、消費のスタイルが変化した。家庭においては、とくに耐久消費財の目覚ましい普及によって、家事が合理化され、家事労働の負担が軽減された。

 日本社会の高度成長は、社会のすべての領域において、労働中心の価値観から消費と娯楽を重視する価値観への変化を生み出した。さらにテレビをはじめ視聴覚メディアの普及が、人々の代理体験の領域を拡大した点も見逃せない。こうして経済的豊かさと社会の情報化の進展は、日本社会全体に均質的な都市的生活様式を浸透させるとともに、日本人に物質的に、さらには精神的にゆとりのある生活を意識させるようになった。

 日本人の欲求充足のスタイルが、基礎的な段階から派生的な段階へと移行することによって、生活を楽しむことを重視する快楽原則が社会に定着することになる。日本では1980年代に入って完全週休2日制が採用され始め、1992年(平成4)5月からは国家公務員の完全週休2日制が実施され、2002年度(平成14)からは公立学校の完全週休2日制も実施されるようになった。また1985年の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の改正、さらに2005年の改正によって、いわゆるゴールデンウィーク大型連休化が進行するなど、日本人の生活のなかに余暇が制度化されるようになっている。また2003年の改正では敬老の日がハッピーマンデー対象となったことで、秋分の日とあわせて秋にも大型連休(シルバーウィーク)が生まれることとなり、さらに文化の日を中心にして大型連休をつくる動きもある。

[藤竹 暁]

レジャーと人生

レジャーは、自己実現の時間および活動として、現代人にとって重要な人生の側面であり、それが行われる時間的空間である平日、週末、休暇など、時間的ゆとりの長さによって、人間に対してもつ意味が異なることが認識されるようになった。人間は、これらの時間的空間を生活のなかにうまく位置づけることによって、その人間に独自の人生をデザインすることができる。時間は刻々と過ぎ去ってゆくが、その過ごし方いかんでは、人間は時間を貯蓄することができるからである。たとえば、1日に30分、かならず書道の稽古(けいこ)にあてる毎日を過ごすことで、10年後に得られる成果を考えればよい。

 平日の日常的レジャー、週末のレジャー、夏・冬の休暇など、その時間的空間の性質によって、人間とレジャーの関係は異なってくる。また、人間がライフ・サイクルのどの段階にいるかによっても、意味が異なる。たとえば、若者のレジャーと高齢者のレジャーとでは、時間の意味が違う。レジャーはただ単に自由な時間を各人の好みにあわせて過ごすだけではなくて、そのことを通して、人生をいかに生きるかを自分自身に問う行為である。人間はレジャーを生活のなかでうまく位置づけることで、時間を貯蓄できるとともに、自分独自の人生を設計できる。

[藤竹 暁]

レジャー重視型社会の成立

日本人の意識は着実にレジャー重視型へと動いている。また生活にゆとりを求める感覚や本当の豊かさを模索する動きが、人生におけるレジャーの重要性を気づかせている。日本人は日常生活のなかで、趣味や娯楽さらには学習活動などのレジャーを重視するようになった。人々のレジャー活動は景気の動向と密接に関係しており、レジャー業界の業績も景気に左右される傾向をもっているが、レジャー活動への人々の意欲は強くなっており、景気の動向によってレジャーに投下する金額は変動するものの、レジャー活動はますます多様化し、活発になっている。

 レジャー活動のなかで地道に増大している領域は、生涯学習への意欲である。趣味をはじめ、学習への欲求は着実に育っている。生涯学習に対するニーズは、日本人の人生設計に組み込まれつつある。

 依然として人気の高い活動は旅行で、海外旅行者数は年々増加している。旅行に対する感覚も変化しており、滞在型へのニーズが増加している。それはまた、リゾート型レジャー活動の人気を高めている。自然・健康志向も増加しており、スポーツやキャンプなど自然に親しみながらレジャーを楽しむ人口が増大している。オートキャンプが人気を集めているのも、各地のレジャー関連施設が整備され、車社会化が進展し、それが自然・健康志向の社会心理と結び付いたからである。

 こうした状況は、日本人の生活のなかでレジャーを重視する意識を育てる土壌となっている。しかしレジャーを支える制度的基盤にはまだ遅れが目だっており、有給休暇取得率、取得日数でも欧米先進諸国には遠く及ばない。このような制約はあるものの、レジャー意識の浸透は日本人に対して人生とは何か、豊かに生きるためには何をなすべきかを自問自答する機会を与えている。ただ遊ぶだけではなく、自分自身を精神的に豊かにするために学びたいという欲求を着実に育てている。

[藤竹 暁]

『R・カイヨワ著、清水幾太郎他訳『遊びと人間』(1970・岩波書店)』『J・デュマズディエ著、寿里茂監訳『レジャー社会学』(1981・社会思想社)』『ロジャー・C・マンネル、ダグラス・A・クリーバー著、速水敏彦訳『レジャーの社会心理学』(2004・世界思想社)』『NHK放送文化研究所編『日本人の生活時間・2010――NHK国民生活時間調査』(2011・NHK出版)』『日本生産性本部編・刊『レジャー白書 2012』(2012)』

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改訂新版 世界大百科事典 「レジャー」の意味・わかりやすい解説

レジャー
leisure

この言葉は,許可されるという意のラテン語licereに由来し,なんらかの権威によって認可されている行動,状態,意識という意味である。日本では〈余暇〉〈ひま〉と訳されていたが,1960年の〈安保〉のあと,池田勇人内閣が推進した高度成長政策の展開期に流行語(1961-62)となり,60年代には一種日本語化して,〈レジャー時代〉といったように,日常的に使われるようになった。70年前後には,週休2日制の一定程度の普及にあらわされるような産業構造,労働条件の変化,ジャーナリズムでの未来論ブーム,ヒッピー風俗に象徴される〈労働〉基軸の価値観の動揺,多様な新しい共同体(コミューン)づくりの模索等が相まって,〈余暇〉と人間の基本的な関係がまた新しく脚光を浴びてきた。そして80年代には,企業,国家,自治体などによる,なんらかの形の余暇管理システムが,ほぼ全面的に完成するにいたる。

 最も広い意味でのレジャーは,労働時間外の外的強制のない個人の自由な時間,そこで行われる諸活動およびその行為者の〈意識〉の状態という,相互に重なり合う三つの次元をひっくるめて使われている。しかし,ふつうに数量的な調査などでは,〈起きている時間〉から〈労働時間〉〈生活必要時間〉(洗面,食事など)をひいた残りの自由可処分時間をレジャーと,操作的,機械的に規定していることが多い。これを狭義の,あるいは単線的なレジャー規定といってよい。この場合の問題の核心は,家庭に帰って子どもと遊ぶとか,アメリカの事例をとれば隣近所,職場の仲間との半ば慣習化された交際,パーティを開くといったことを〈生活必要時間〉のなかに入れるのかどうか,にある。また,これは家族をも含めた個人の帰属集団の多少とも社会的,心理的強制力をともなった慣習様式,あるいはゆるい意味での集団の要請にしたがう行動をレジャーに入れるかどうか,という問題でもある。さらに行動の内容からいえば,勤務が終わってから自発的になんらかの政治活動に従事するといった活動については,余暇を自主的活動にあてている,といったいい方はできるわけだが,このような明確になんらかの具体的目標をもった行動系列をどうみるのか,という問題でもある。厳密に定義するならば,そうした行動,自由時間の使い方はすべてレジャーから除いておいたほうがよい。たとえ,それらが現在の日本社会でふつうにレジャー活動として通っているもの--観光地集団旅行,シーズンの子どもづれの海水浴等--の大部分をしめ出してしまうとしても。そうしても残る自由な,特定目標のない,一定の気分にみたされた,個的人間の時間,それがおそらく最狭義のレジャー規定の中核である。だが,歴史的にみるならば,レジャーは当然そのなかに包摂されるにはきまっていても,〈自由時間free time〉と区別されなければなるまい。自由時間ということなら奴隷にいっさいの労働をまかせていたギリシアの自由民や中世の貴族などは想像もつかない〈量〉のそれを享受していたし,労働時間外ということならヨーロッパ中世の農奴は,低い生産力にささえられて,多く宗教的なものからなる年間百数十日におよぶ〈休日〉をもっていた。労働はオートメーション機械にまかせてギリシア自由民の〈自由時間〉の再現を,労働と祈りが日常生活で融合していた〈中世〉の復活を,といった楽観的未来〈余暇〉構想の出てくるゆえんである。現代のレジャーがはらんでいる問題性は,レジャーを,人間が生活のなかで,〈労働〉とのリズムを喪失する産業革命期以降の産物,機械制大工業の進展とともに姿をあらわしてくるもの,と規定することで初めて明確にすることができる。レジャー論がすぐに体制論および基本的な人間像の問題に転化していく根拠はそこにあるといえよう。

 そうした意味で現在のレジャー論の直接の起点となるものは,マルクスの娘婿P.ラファルグパンフレット《怠ける権利Le Droit à la paresse》(1883),レジャーの配分様式を一つの軸に独特な経済・社会理論を築いたT.B.ベブレンの《有閑階級論The Theory of Leisure Class》(1899)あたりであろう。アメリカ,西ヨーロッパなどの資本主義先進諸国でだれの目にも明らかなレジャーの大衆化現象がおこるのは,ニューディール政策,人民戦線などの構造変化を画期とする1930年代以降のことである。それに対応してナチズムもKDF(歓喜力行団)をつくり,大衆組織・統制の一環としてレジャーの組織化に大きな比重をおいていたことはよく知られている。日本でも大正期後半には権田保之助(1887-1951)に代表されるようないくつかの〈大衆娯楽研究〉が顔をみせるし,1923年には大阪市社会部調査課編の《余暇生活の研究》(《労働調査報告》第19)といった先駆的な調査が行われるようになる。それは,日本でもずっとひよわいものではあれ,欧米の30年代に似た社会状況への胎動が始まっていることを示している。なお,日中戦争から第2次世界大戦中にかけて,〈娯楽〉の国家的統制の進展と並行して,たとえば〈勤労文化〉といった項目での,権力による上からのレジャー調査,分析がかなり数多く行われてきたことも見落としてはなるまい。それらは多かれ少なかれ,戦力増強といった単純明快な目標に奉仕するものであったが,そうした負の遺産は,レジャーをなにかの目標(資本の利益等)のために広い意味での組織化を企図する研究と置きかえれば,現在もけっしてなくなっているわけではない。社会主義国のレジャー研究では,労働者の〈時間予算〉を研究したストルミリンS.G.Strumilin(1877-1974)の《労働経済の諸問題》(1925)を先駆的な仕事としてあげておいてもよいだろう。

 日本社会で大量のレジャー現象があらわになり,広く人々の関心をひくようになるのは1950年代後半のことである。この時期には農地改革など戦後〈民主〉改革の成果が社会表面にあらわれ,また戦前の生産力水準を回復した日本資本主義が朝鮮戦争を足がかりに発展期に突入し,勤労大衆の生活に一定の〈余裕〉(時間,収入)が生ずるようになる。それを基礎条件とし,社会構成の変化--〈新中間層〉と呼ばれるサラリーマン層の増大,いわゆる大企業だけにもせよ労働者の生活諸条件の外面的向上--さらにテレビに象徴されるマス・コミュニケーション(その経済的基盤となる広告産業の活性化)の巨大な発展,といった生活環境の大幅な変化がこれらの現象に加わり,めざましい〈マス・レジャー〉の現象を噴出させることになる。その過程と並行して価値観,生活意識も変化してくる。ふつうには,ヨーロッパ,アメリカでの清教徒倫理の弱化・崩壊がレジャー時代,大衆化現象の幕あきとなったように,日本でも戦前において支配的だった,労働を人生の第一義とする〈働き主義〉(〈二宮金次郎主義〉)がこの50年代あたりからくずれ,変容してくる,とされている。しかし,もっと正確にいうならば,江戸時代に禁欲的・儒教的な武士モラルと解放的・享楽的な町人モラルとが二重構造で共存していたように,戦前社会でも,たてまえは武士モラル,〈教育勅語〉的天皇制イデオロギーの支配下にあったが,一皮むけば,ほんねは意外と享楽的,〈遊び好き〉な底流が一貫してあった。大衆芸能の多様さ,マス・メディアの登場以後はそれと結合・相互利用しての,根強い生存力はそのことを物語っている。敗戦は,その他の価値転換とともに,たてまえを取り払い,裏側のほんねを一挙に噴出させた。しかし,大多数大衆の物的生活諸条件がほんとうに豊かになるという基本の大前提を別にしても,レジャー中心の,あるいはそれに比重をおいた生活観,人間観が,かつての〈労働〉基軸のそれに変わるほどの〈たてまえ〉にまで上昇しているわけではない。まだその長い過渡期は続いているといえよう。

 レジャーが本来個人の主体的,自発的活動であるとしても,それは現代社会では多かれ少なかれ一種の社会的〈公認〉による形態規定を受けないわけにはいかない。戦後の日本ではマス・コミュニケーション,あるいはジャーナリズムが,その〈公認〉機関,方向指示器となっており,新しい,もしくは新しいと思われるレジャー活動,風俗事象を敏感にとりこみ,活字・映像で拡散している。これは登山ブーム,釣りブーム,海外旅行ブームといった〈ブーム〉現象をみればよい。それに加えて,市民社会では時間・空間も,ほとんどの場合貨幣で買わなければならない以上,人々のレジャーへの欲求をひき出し,組織化して一定のチャンネルへ流しこんでいく過程の企業化が進行する。レジャーの形態が積極的なものから消極的なもの(〈やるスポーツ〉から〈見るスポーツ〉へ,また祭りすら観光客の見るものへ変質)へ多くの場合推移してきていること(若干の逆流もないではないが)も,この過程を容易にする。そうした企業を,ふつうレジャー産業と呼んでいる。狭い意味では旅館,レストラン,映画館,ボウリング場などのサービス・娯楽設備をさしているが,もっと広くはデパートなどもふくめた〈レジャー商品〉の製造・販売業,娯楽的〈情報〉のサービス・提供(マス・メディア,広告産業のある側面,ある機能)を総称するものとして考えてもよい。というより,こうした関連部門がそれぞれ大資本の網の目で連結・統合され,図式的にいえば,潜在的(場合によってはまったく人為的なものまで含めて)レジャー欲望の開発→その大量組織化→大量消費までレジャー活動の全体を規制しうる一貫工程が成立し,見えない手でレジャーが〈枠〉にはめられてきていることの漠然たる意識が,レジャー産業といった呼び方を可能にする最大の根拠である。

 日本では戦前から私鉄のターミナルにみられるように,交通資本を軸にして消費・娯楽設備を集中・配列し,人々のレジャーをまるごと包みこむ方式が発展していたが,戦後はその傾向が飛躍的に拡大・強化されてきたといってもよい。レジャー産業の網の目は細かく,規模は巨大化し,われわれの余暇活動の多くはその管理のベルトコンベヤにのって行われる。余暇の原理は個人であるから,進行にともない欲求・欲望が細分・多様化してくることは避けられない。しかし,徹底して各個ばらばら,独自にならないかぎり,どこかで資本のネットワークにからまれることになる。管理・編成された〈時間〉の消費ということになれば,それはかつて分離してきた古巣の〈労働〉のいとわしい側面へ,それもなにものも生まないだけになおいっそうみじめな,奇妙な里帰りを遂げることにもなりかねない。それは一つには,自分でほんとうにしたいことはなにか,という自己実現認識のむずかしさといったところにもあらわれている。

 古来,多くの思想家は,余暇を人間本来の創造力発動の時間として尊重していた。しかし,われわれは,最大限なにものにも奉仕しない,無目的の時間のなかで,なにをすればよいのか,あるいは連続した生活のなかでそうした無重力状態をもつ意味,を改めて問わねばなるまい。
休日 →消費社会
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レジャー」の意味・わかりやすい解説

レジャー
leisure

個人が職業活動や家事,その他の社会的拘束から解放されたときに休息や気晴らし,自己能力の開発,社会参加,創造性の発揮のために行う随意的,自発的な活動の総体。社会的に拘束された時間および睡眠,食事などの生理的必需時間の残りの自由な時間という意味で,時間的な概念として「余暇」という訳語があてられる。しかし,現代では自由な行動選択に基づく自己開発や自己実現あるいは社会的連帯の可能性をつくりだすものとしてレジャーの積極的意味が強調されている。またその自由時間に展開される活動の質は,その個人の社会的,文化的な背景によって規定されるという意味で,単なる時間概念をこえた意味をもつ。高度産業社会では,労働時間の減少とレジャー時間の増大があらゆる社会層に共通にみられる趨勢となっており,新しい社会問題として関心を集めている。

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世界大百科事典(旧版)内のレジャーの言及

【遊び】より

…すると逆に,〈ゆとり〉を失った社会になっているではないか。こうした逆説的事態から〈遊び〉についての,とくに社会学的興味が〈レジャー(余暇)〉の問題とともに人々の関心をひくようになった。このことは,現代社会における遊びそのものの豊かさを示しているのではなく,むしろ逆に,遊びの危機に関連しているが,それは,遊びというものを歴史的に考えてみたとき,明らかになってくる。…

【レクリエーション】より

…また日常生活を離れて気分転換を行う旅行のイメージも強く意識されている(観光レクリエーションなど)。余暇(レジャーleisure)を楽しむという点では〈レジャー〉と近いが,レジャーが高度成長期初頭(1960年代前半)のレジャー・ブームをきっかけに定着し,金のかかる個人的な余暇行動という色彩を強くもっているのに対して,レクリエーションは金銭消費的ではなく,また集団的に楽しむものという色彩が濃い。
[沿革]
 レクリエーションという概念は,近代的な学校制度のなかで,勉強の疲れをいやすための有用な休息として意味づけられ,また近代的な生産組織のなかで,密度が高くしかも他律的な労働に対して,人間性を回復するために必要な自由時間とその利用として認識されるようになった。…

※「レジャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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