「豊府志略」に「当社は人王五十六代清和天皇の御宇、貞観元己卯年釈行教和尚に勅して宇佐八幡宮を山城国男山の峰に勧請の時、当津旅泊の夜新なる神託有て瑞光四方を照す、行教和尚奇瑞に驚き里人を催し当所に於て行宮を建立し神託にまかせ勧請し奉る」とある。
赤間関の産土神として、民間の信仰はもちろん室町時代の遣明船も出発に際して太刀を奉納して航海の安全を祈願したり(入明諸要例)、また領主大内氏・毛利氏の崇敬も厚く、明応八年(一四九九)、大永七年(一五二七)、天文二〇年(一五五一)、天正三年(一五七五)と造営されている。
大内義興は永正三年(一五〇六)二月一〇日、安中正堂を朝鮮に派遣し、亀山八幡宮が朽廃しているので再興の修理費の援助を求めたこともある(続善隣国宝記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山口県下関(しものせき)市中之町(なかのちょう)に鎮座。祭神は応神(おうじん)天皇、神功(じんぐう)皇后、仲哀(ちゅうあい)天皇で、仁徳(にんとく)天皇、武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)を配祀(はいし)する。当宮は859年(貞観1)、宇佐神宮を山城(やましろ)国(京都府)男山(石清水(いわしみず))に勧請(かんじょう)する途次の行宮(あんぐう)跡地に八幡大神(はちまんおおかみ)を祀(まつ)ったのが創建とされる。以来、大内氏、毛利氏歴代領主の崇敬も厚く、下関の総鎮守として庶民の信仰を集めている。旧県社。例祭は10月中旬に行われ、亀山能とよばれる神事能が奉納される。7月30日には「関の提灯祭(ちょうちんまつり)」と称する神幸が行われる。
[阪本是丸]
長崎県佐世保(させぼ)市八幡町に鎮座。応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后、仁徳(にんとく)天皇、保食神(うけもちのかみ)を祀(まつ)る。旧平戸(ひらど)藩主松浦(まつら)家の旧記によれば、天武(てんむ)天皇の白鳳(はくほう)4年(675)8月15日、赤崎岳に宇佐八幡の神霊が西海鎮護のために顕(あらわ)れるという神託があったので、宇佐八幡宮に詣(もう)で分霊を奉斎したのが当社の創建という。1932年(昭和7)12月、県社に列した。1960年(昭和35)6月、亀山八幡神社を亀山八幡宮と改称。秋祭は11月1~3日。「佐世保くんち」として有名。
[落合偉洲]
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