伊吹山地の南端にある主峰で、山頂部は滋賀県伊吹町と岐阜県
「古事記」景行天皇段・「日本書紀」景行天皇四〇年条などに、伊吹山の「荒神」によって倭建命(日本武尊)が命を落す山として登場する。奈良時代以前から荒ぶる神が支配する山として中央にも知られていたのであろう。山名の「伊吹」は「息吹」を意味し、山気や霊気を吐き息づく山神がいるという古代人の山岳観を表している。山に霊が宿るという考えはのちにも受継がれ、鎌倉時代、悪業の数々を働いたことで知られた
「近江国風土記」逸文によれば、夷服岳の
すでに「古事記」や「日本書紀」あるいは鎌足・武智麻呂の伝記「藤氏家伝」に、伊吹山の「荒神」によって倭建命(日本武尊)が命を落す山として登場し、奈良時代以前の頃から荒ぶる神が支配する山として中央にも知られていた。このことは「伊吹」という名前からもうかがえ、「古事記」「日本書紀」「延喜式」「三代実録」などで伊服岐・胆服・伊夫伎・伊富伎・伊吹と記されるのは「息吹き」を意味し、当山には山気や霊気を吐き息づく山神がいるという古代人の山岳観を表す名称である。このような伊吹山に対する山岳観から神が祀られるところとなり、仁寿二年(八五二)に美濃国伊吹神(現不破郡垂井町)が官社に指定され(「文徳実録」同年一二月二日条)、貞観七年(八六五)に従四位下、元慶元年(八七七)には従四位上を授けられ(「三代実録」貞観七年五月八日条など)、また近江国伊吹神(現伊吹町)には嘉祥三年(八五〇)一〇月に従五位下(文徳実録)、元慶元年一二月には従三位が授けられ(三代実録)、中央に知られた名神として平安時代の記録にみられるようになる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったものであることがわかった。伊吹山の西側と南側には敦賀湾-伊勢湾構造線の一部である柳ヶ瀬断層が通って,地塁山地をなし,西側を姉川の谷が刻み,南側は関ヶ原地峡部に対して伊吹山断層崖が臨んでいる。西側の山地斜面には崩壊地形が著しい。山頂付近にはカルスト地形であるカレンフェルト(石塔原)がみられる。伊吹山地の北には金糞岳,横山岳,土蔵山などの標高1000mをこえる峰が連なる。伊吹山の石灰岩はセメント工業用に2億tの埋蔵量があるといわれ,南西の山麓で採掘され,南麓の大阪セメントの工場に運ばれている。伊吹山は山麓に針葉樹林がみられるほかは,全山が草原をなし,雨量や日照の関係で伊吹もぐさなどの薬草や高山植物,昆虫の種類が豊富で,生物学上貴重な地域である。織田信長がポルトガル人宣教師に命じて植えさせたと伝えられるもぐさは,かつて中山道の柏原宿(現米原市,旧山東町)の客に売られた。山頂には伊吹山測候所があり,冬季は雪が多くスキー場としてにぎわう。南麓から三合目までリフトが通じ,また岐阜県の関ヶ原町からドライブウェーも通じ登山者が多いが,夏は直射日光を避けるため夜間登山が一般的である。
執筆者:水山 高幸
伊吹山は中央にも古くから知られており,伊吹山の山の神は《延喜式》にあるように,近江国坂田郡伊夫岐神と美濃国不破郡伊福岐神の2座に分かれており,877年(元慶1)にはそれぞれ従三位,従四位上に叙せられている。また毎年春秋に各49日の間天下の五穀豊穣を祈願して薬師悔過を修する七高山の一つともなり,沙門三修を開祖とする伊吹山護国寺が定額寺となっている。中世期には弥高,大平,観音,長尾の伊吹山四護国寺を中心として修験道の山として栄えた。しかし伊吹山の信仰は,その古い歴史と修験者たちの活躍にもかかわらず,必ずしも広範囲の信仰圏を形成するに至らず,むしろこの山に伝わる伝説のほうがよく知られている。その一つは記紀にみえるもので,伊吹山中に白猪(大蛇)が現れて日本武尊の正気を失わせたという伝説である。伊吹山の神が荒振(あらぶる)神として意識されていたことがわかる。もう一つは,〈近江国風土記逸文〉にある夷服岳と浅井岳の丈競べの伝説で,浅井岳が一夜にして高さを増したため,怒った夷服岳が浅井岳の頭を切り落とし,琵琶湖の竹生島ができたというものである。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
滋賀県米原市(まいばらし)と岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町との境界にある山。膽吹山、伊富貴山、伊服(夫)岐山、夷服岐山などとも書く。伊吹山地の主峰。標高1377メートル。古くから信仰を集めた霊峰で、奈良時代に役行者(えんのぎょうじゃ)によって山岳仏教の聖地として開かれたという。平安時代には七高山の一つに数えられた。周辺に伊吹山寺、式内社伊夫岐神社などがある。古来、歌枕(うたまくら)としても有名で、藤原実方(さねかた)の「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」(『後拾遺集』『小倉百人一首』)はよく知られる。また日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説もある。山麓(さんろく)は針葉樹林や広葉樹林で覆われるが、三合目以上は草地で1700種類もの植物がみられる。織田信長はポルトガルの宣教師に薬草園を開かせたという。実方の詠んだ「さしも草」も薬草で、江戸時代には山麓の中山道(なかせんどう)柏原(かしわばら)宿で「伊吹もぐさ」を売り、全国的に知られた。植物だけでなく動物や先史遺跡など学術上の価値も高い。琵琶湖国定公園(びわここくていこうえん)に属す。JR東海道本線近江(おうみ)長岡駅から登山口までバスが通じ、また関ヶ原から山頂までのドライブウェーを利用して訪れる人は多い。大垣駅、関ヶ原駅から山頂までの直行バスも運行している。山頂部にはみろく石像、日本武尊石像がある。山麓には石灰岩を原料とするセメント工場があり、中腹の上野には民宿が多い。
[高橋誠一]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…【井戸 庄三】
[信仰]
竹生島の生成には次のような話がある。昔,伊吹山に多多美彦(たたみひこ)命(夷服岳(いぶきのたけ)神),久恵(くえ)の峰に姉の比佐志姫(ひさしひめ)命,浅井の岡に姪の浅井姫命がいた。あるとき夷服岳と浅井の岡が背くらべをし,浅井の岡が一夜のうちに高くなったので,夷服岳神が立腹し浅井姫を切り殺してしまった。…
※「伊吹山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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