勝福寺(読み)しようふくじ

日本歴史地名大系 「勝福寺」の解説

勝福寺
しようふくじ

[現在地名]西区今津

毘沙門びしやもん山南西麓にある。龍起山と号し、臨済宗大徳寺派。本尊聖観音蘭渓道隆開基と伝える(筑陽記)。寛元三年(一二四五)六月一六日の僧永実名田畠譲状(橘中村文書/鎌倉遺文九)に「勝福寺同浦共」とみえ、当寺の供僧職一口と、それに付随する浦などが土与丸とよまる名名主永実から嫡男の阿波公に譲られている。建長三年(一二五一)には怡土いと万歳丸ばんざいまる名名主から荒野一町が寄進され(同年八月一三日「左馬允信宣奉書案」勝福寺文書、以下断らない限り同文書/鎌倉遺文一〇)、徳治元年(一三〇六)には祈祷所となり(同年九月一八日「中務丞宗兼書下」鎌三〇)、応長元年(一三一一)には当寺および末寺・別院内での殺生が禁止されている(同年六月一二日「宗兼奉禁制」鎌三二)


勝福寺
しようふくじ

[現在地名]小田原市飯泉 観音脇

飯泉いいずみ集落の中央にあり、西を酒匂さかわ川が流れる。飯泉山と号し、真言宗東寺派。本尊十一面観音は県指定文化財。飯泉観音堂とよばれ、坂東三十三観音の五番札所、東方から順礼道が通じる。「風土記稿」によれば、弓削道鏡が下野国へ下向する途中、千葉郷に堂を建て、孝謙天皇から賜った十一面観音を安置したことに始まるという。のちに現在の地に移転したが、その時期は不明。

天文一五年(一五四六)二月一八日の小笠原某寄進状(県史三)によれば「飯泉山別当坊」に「観音供僧分弐拾壱貫文」が寄進され、天正一七年(一五八九)正月二五日の北条家朱印状(同書)によれば「丑正月御神馬銭九貫文」が「飯泉之供僧別当坊」に渡されている。


勝福寺
しようふくじ

[現在地名]御所市大字西寺田

西寺田にしてらだの南西部にある。宝楼山と号し、真言律宗。寺伝によれば弘安四年(一二八一)に叡尊が創立したという。本尊阿弥陀如来(平安後期)のほかに十一面観音(平安後期)兜跋毘沙門天(平安後期)がある。境内には手水鉢に転用している五輪塔の地輪があり、銘文は「永仁七年己亥四月日 奉造立之願主 比丘乗遍 一結念仏衆」と刻む。西寺田地内に応永一四年(一四〇七)の愛宕山石灯籠(銘文からもと勝福寺金堂前に造立されたものと思われる)、永禄一〇年(一五六七)の大日石仏などが遺存する。


勝福寺
しようふくじ

[現在地名]川西市火打二丁目

宝塚山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。寺蔵の正長元年(一四二八)一〇月銘の梵鐘によれば、中山ちゆうざん寺の弟子善了開創の真言宗寺院が貞治年中(一三六二―六八)に本願寺存覚の教化により改宗したという。光遍こうへん寺とともに南北朝時代は仏光寺系の寺院であったが、のち本願寺蓮如の摂津開教の機縁となった(兵庫県史)。ただし慶長年間(一五九六―一六一五)に百姓又右衛門(二代了春)が村中を真言宗から改宗させたとも伝えており(「摂津国諸記」西本願寺蔵)真宗寺院としての体裁を整えたのは近世初頭と考えられる。


勝福寺
しようふくじ

[現在地名]羽合町長瀬

長瀬ながせ集落の西に位置する。安養山と号し,浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。もとは正永によって開かれた天台宗寺院であったと伝える。天正年中(一五七三―九二)真宗に改宗し、中興開山は無量院釈教正とされる。一四世若原観瑞・一六世麟昭によって記された若原家世代系図並びに由緒(寺蔵文書)などによると、古くは南谷みなみだに村にあったといい、同地の寺屋敷には五輪塔や宝篋印塔・石仏が残り、一字一石経の石片も出土するという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝福寺」の意味・わかりやすい解説

勝福寺
しょうふくじ

神奈川県小田原市飯泉(いいずみ)にある寺。真言(しんごん)宗東寺(とうじ)派に属する。山号は飯泉山で、一般には飯泉観音(かんのん)の名で親しまれている。本尊は十一面観音。坂東(ばんどう)三十三所第5番札所。日本へ戒律を伝えた鑑真(がんじん)が当寺の本尊十一面観音(インドの毘首羯摩(びしゅかつま)作と伝える)を753年(天平勝宝5)に孝謙(こうけん)天皇に献上し、天皇は弓削道鏡(ゆげのどうきょう)に下賜され、のち道鏡が東国に下向の途中ここに一堂を建てて安置したという。830年(天長7)に現在地へ移る。『吾妻鏡(あづまかがみ)』には弓削寺、『和漢三才図会』には飯泉寺の名で出ている。のち大森氏が小田原城を築いたときに当寺を鬼門(きもん)鎮護とし、現寺号に改めた。本尊十一面観音像は平安中期ころの作で国重要文化財。毎年12月17、18日のだるま市は多くの人でにぎわう。

[祖父江章子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル大辞泉プラス 「勝福寺」の解説

勝福寺

神奈川県小田原市にある寺院。真言宗東寺派。本尊は十一面観世音菩薩。飯泉観音とも呼ばれる。坂東三十三観音第5番札所。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「勝福寺」の解説

勝福寺(第5番)

(神奈川県小田原市)
板東三十三箇所」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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