室町時代の武家の家格。三管領に次ぐ有力守護家のうち,侍所頭人(とうにん)を出した4家を指す。室町幕府の侍所は南北朝後期以降,主として山名,土岐,赤松,京極,畠山,一色の6家から交替で就任していたが,1398年(応永5)畠山氏が管領家に昇格した結果,残余の5家から頭人を出した。なお美濃守護土岐氏は1439年(永享11)以後侍所に補任された徴証がなく,また赤松氏も嘉吉の乱(1441)で没落したので,以後は京極,一色,山名の3家となり,実際に4家が恒常的に頭人を出した安定期間というのはなかった。したがって侍所家のことを俗に四職と称するのは,戦国期に至って実情を誤って回顧した結果であろうと思われ,同時代の史料・記録で四職と呼んだ例はない。なお侍所頭人(所司)と所司代の補任例は応仁の乱後の1485年(文明17),侍所頭人京極経秀,所司代多賀高忠が最後で,以後は細川氏が事実上その権限を吸収し,警察事務は幕府の開闔(かいこう)が担当した。
執筆者:今谷 明
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…とくに京極高氏(佐々木道誉)は足利尊氏を助けて室町幕府の創設に功績があり,京極氏は近江北部での強力な支配権を認められ,南部の六角氏と拮抗するようになった。高氏の子の秀綱,高秀はすでに南北朝時代に侍所頭人(所司)となっていたが,室町時代に入ると,頭人には京極氏のほか,赤松,一色,山名の諸氏が交代で就任することになり,四職といわれ,管領につぐ重職となった。京極氏が幕府の中枢に連なったのに対し,六角氏は幕府から警戒されていた。…
…その功により36年(延元1∥建武3)東近江の守護となったのを手はじめに,若狭,出雲,上総,飛驒,摂津の守護(比較的短期の場合が多い)となり,近江柏原,伊吹,甲良荘以下各地に所領を宛行あるいは安堵され,さらに2度にわたって幕府の政所執事をつとめた。京極氏がのち幕府四職家の一つとなる基礎は高氏によって築かれたといえる。とはいえ,その過程は容易ではなかった。…
…南北朝・室町時代の守護大名(図)。室町幕府の四職(ししき)家の一つ。上野国山名郷を名字の地とする新田氏一族(義重の子義範が祖)であるが,元弘の乱で山名政氏,山名時氏父子は足利高氏(尊氏)に従い活躍する。…
※「四職」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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