地獄の世界のありさまを描いた絵巻。現在、いずれも国宝の奈良国立博物館蔵(旧原家本)の1巻、東京国立博物館蔵(旧安住院本)の1巻などが著名である。平安中期以降浄土教の発達とともに栄えた六道輪廻(ろくどうりんね)の思想に基づき、その末期から鎌倉時代にかけて盛んにつくられた六道絵の一つ。浄土教の布教を目的としたものと思われるが、平安末期の動乱の世相が現実的に表現されており、『餓鬼草紙(がきぞうし)』『病草紙(やまいのそうし)』などとともにこの種の絵画の貴重な遺品である。
奈良博本は詞(ことば)6段、絵7段からなり、屎糞(しふん)地獄、函量(かんりょう)地獄、鉄磑(てつがい)地獄、鶏(とり)地獄、黒雲沙(こくうんさ)地獄、膿血(のうけつ)地獄、狐狼(ころう)地獄の7図を、東博本は詞・絵ともに4段からなり、髪火流(はつかる)地獄、火末虫(ひまつむし)地獄、雲火霧処(うんかむしょ)地獄、雨炎石(うえんせき)地獄の4図を描いている。2巻とも詞・絵の形式・作風が似ているが、同筆とはいいがたい。平安末~鎌倉初期(12世紀末)の制作で、絵はのびのびとした筆線を主体とし、赤と暗灰色の対比を基調とした色彩が効果的である。醜い題材を描きながら、むしろ美的な印象を与え、その画致の高さを物語っている。なお、このほかの遺品としては五島美術館ほかの断簡(旧益田(ますだ)本)、および松永安左ヱ門旧蔵の断簡(1幅)が知られている。
[村重 寧]
『家永三郎編『新修日本絵巻物全集7 地獄草紙他』(1976・角川書店)』▽『小松茂美編『日本絵巻大成7 地獄草紙他』(1977・中央公論社)』
前世における悪業の報いとして,恐ろしい地獄の責苦を受ける罪人たちの苦悩や戦慄を仮借のない筆で描き出した絵巻。12世紀後半,動乱期の社会不安を背景として,《餓鬼草紙》などとともに仏教の六道輪廻の苦しみに満ちた世界観を強調し,欣求浄土へと人々を駆りたてた。現存する代表作として東京国立博物館本(原家旧蔵),奈良国立博物館本(安住院旧蔵)があげられる。前者は《正法念処経》から,この世で殺盗を働き,また邪淫の罪などを犯した者の堕ちる地獄とされる〈雲火霧処〉など4場面から成る。後者は《起世経》の説く地獄のうち,前世に動物をいじめた者が巨大な鶏についばまれる〈鶏地獄〉などを描く。各場面には経文を自由な和文の教説とした詞書が添えられている。原本としてはほかに益田家旧蔵の2巻があり,さらに模本として伝わる2巻もある。いずれも画面の縦幅はほぼ等しく,各段とも地獄で責めさいなまれる罪人のありさまを直視しリアルに描き出す表現法,詞書の文体,書風に共通点が少なくない。しかし画面空間,ことに背景の扱いや,線描を主体とした画風など絵画的には相互に違いが認められ,当初の浩瀚(こうかん)な作品群の存在が想定される。《餓鬼草紙》や《病草紙》などとともに大規模な〈六道絵〉をなしていた可能性も指摘されているが,確証はない。現存遺品では奈良国立博物館本が,背景を暗灰色に塗りつぶし,亡者たちとそれを責めさいなむ悪鬼や獰猛(どうもう)な鳥獣,あるいは火焰を強烈な色彩と鋭い筆致とで描き,地獄の不気味さの表出において優れた造形性を示している。
執筆者:田口 栄一
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前世の罪科によって地獄におちた人々がうける責苦のさまを,経典にもとづいて表した絵巻。12世紀後半の制作。わかりやすい和文の詞書(ことばがき)と短い絵で構成され,平安末期の世情不安におののく人々に地獄の恐怖を教え,欣求(ごんぐ)浄土の思いを喚起させた。「餓鬼草紙」「病(やまい)草紙」などとともに六道絵(ろくどうえ)と称される。「正法念処経」による東京国立博物館本と,「起世経」による奈良国立博物館本のほか,断簡数点がある。表現はリアルでおぞましく,地獄の暗闇と猛火の赤色の対比が鮮烈だが,奈良博本の獄卒の表情には諧謔味もみられる。東博本は縦26.1cm,横243.4cm。奈良博本は縦26.5cm,横453.9cm。ともに国宝。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…地獄の諸相と人道不浄相の表現はとりわけ生彩に富み,地獄の苛酷さや人道の無常感をみごとに描き出している。このほか同じく《往生要集》に依拠したと見られるものに,鎌倉初期に描かれた《地獄草紙》《餓鬼草紙》《病草紙》の一群の六道絵巻があり,記録の上からも鎌倉時代に六道を主題とする作品が少なからず制作されたことが知られる。浄土教美術【浜田 隆】。…
※「地獄草紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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