方角を意味する「さ」とする説もある。
傾斜地,上り下りする道をさす語であるところから,古来さまざまな意味合いで用いられてきた。語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。〈遠つ国(とおつくに)〉で死者の住む世界である〈黄泉国(よみのくに)〉と〈この世〉とは,〈黄泉の界(さかい)〉で仕切られつつ,たがいに接した形で想念されていたし,その場所は〈黄泉の坂〉でもあった(《古事記》《万葉集》)。このように,あい異なる世界を区分するところとして坂が強く意識されたのは,坂の道を上りつめた峠と不可分だからであり,峠を越えると,すでに異郷(他国)なのであった。
山中を通る坂は,しばしば異常な事態が顕現するところとして人々に畏怖された。旅人を脅かす山賊もそうであったが,鬼や天狗や化物たちも畏怖の対象であった。山中の坂が,そのように超日常的な事象の生じやすい世界の一つと観念されたのは,山中を〈他界の地〉とみたり,〈山神〉のいますところとみたりする信仰の力が働いていたからと推察され,それに,異郷へむかってすすむことへの不安や,異郷をわたりあるくことへの恐れが合わさって,坂の意味をいっそう深いものにしていたと考えられる。
古代末期から中世をつうじて,奈良や京都を中心とした地方では,主要な街道の坂道に相当数の貧窮民・流浪民が集住し,荘園領主(大寺社)の管下に統轄され,〈坂者(さかのもの)〉とか〈坂非人(さかのひにん)〉などと呼ばれながら雑業・雑芸に従事していたことが知られている。奈良坂や京都清水坂(きよみずざか)はその好例といえる。戦国期の大名領国制では,山地が他大名の領国との境界をなすことが多く,甲斐国の例では,国外への追放処分に付することを〈坂を越さす〉と称していた(《甲陽軍鑑》)。
坂の語は比喩としてもさかんに用いられてきた。〈胸つき坂〉といえば難局に直面するようすを意味するし,〈下り坂〉といえば辛苦が消えて楽になることや,命運の傾きをさす。〈坂に車〉は,車を引いていて上り坂で息を抜くと後戻りするし,下り坂で勢いづくと容易には止められないことから,万事につけて油断するなとの処世訓である。また人生を長い坂道に仮託してみることも古くから行われたようで,〈五十の坂を越す〉との表現はその好例であるが,宗教思想にもとづき,年齢によって生誕から死までをいくつかの段階に区切り,全過程を坂,もしくはそれに似た形状のもの(半円型の橋や階段状の橋)に乗せて図示して布教に資したのは,日本のみならずアジア・ヨーロッパの各地でもみられた。なお,盗人の隠語で坂といえば,大阪方面をさした。
執筆者:横井 清
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広島県南西部、安芸(あき)郡の町。広島湾に臨む。1950年(昭和25)町制施行。広島湾沿いにJR呉(くれ)線、国道31号が走る。また、広島湾をまたいで広島市と、広島呉道路の広島大橋、広島南道路の海田大橋(ひろしまベイブリッジ)で結ばれている。古来漁業が盛んで、広島湾に突き出た陸繋(りくけい)島の横浜はイワシ網漁で知られた。現在もカキの養殖が行われる。昭和初年に火力発電所や木材防腐工場が立地し、現在は広島市と呉市の中間にあることから、両市への通勤者が多い。北西部の広島湾岸は埋立てにより広島市圏の東部流通団地の一部となっている。面積15.69平方キロメートル、人口1万2582(2020)。
[北川建次]
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