(読み)さ

精選版 日本国語大辞典 「坂」の意味・読み・例文・類語

さ【坂】

〘名〙 「さか(坂)」の略。
古事記(712)中・歌謡「櫟井(いちひゐ)和邇(わに)(サ)の土(に)を 端土(はつに)は 膚(はだ)赤らけみ
[補注]方角を意味する「さ」とする説もある。

さか【坂】

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デジタル大辞泉 「坂」の意味・読み・例文・類語

さか【坂/阪】

一方が高く他方が低く傾斜している道。また、その傾斜。さかみち。「―を上る」「下り―」
物事の区切りを、坂の頂上にたとえていう語。多く、年齢についていう。「六〇の―を越す」
[類語]坂道山坂急坂女坂男坂上り坂下り坂爪先上がり胸突き八丁スロープ

はん【坂】[漢字項目]

[音]ハン(漢) [訓]さか
学習漢字]3年
〈ハン〉さか。「急坂登坂
〈さか(ざか)〉「坂道男坂女坂
[難読]坂東ばんどう

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改訂新版 世界大百科事典 「坂」の意味・わかりやすい解説

坂 (さか)

傾斜地,上り下りする道をさす語であるところから,古来さまざまな意味合いで用いられてきた。語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路のをなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。〈遠つ国(とおつくに)〉で死者の住む世界である〈黄泉国(よみのくに)〉と〈この世〉とは,〈黄泉の界(さかい)〉で仕切られつつ,たがいに接した形で想念されていたし,その場所は〈黄泉の坂〉でもあった(《古事記》《万葉集》)。このように,あい異なる世界を区分するところとして坂が強く意識されたのは,坂の道を上りつめた峠と不可分だからであり,峠を越えると,すでに異郷(他国)なのであった。

 山中を通る坂は,しばしば異常な事態が顕現するところとして人々に畏怖された。旅人を脅かす山賊もそうであったが,鬼や天狗や化物たちも畏怖の対象であった。山中の坂が,そのように超日常的な事象の生じやすい世界の一つと観念されたのは,山中を〈他界の地〉とみたり,〈山神〉のいますところとみたりする信仰の力が働いていたからと推察され,それに,異郷へむかってすすむことへの不安や,異郷をわたりあるくことへの恐れが合わさって,坂の意味をいっそう深いものにしていたと考えられる。

 古代末期から中世をつうじて,奈良や京都を中心とした地方では,主要な街道の坂道に相当数の貧窮民・流浪民が集住し,荘園領主(大寺社)の管下に統轄され,〈坂者(さかのもの)〉とか〈坂非人(さかのひにん)〉などと呼ばれながら雑業・雑芸に従事していたことが知られている。奈良坂や京都清水坂(きよみずざか)はその好例といえる。戦国期の大名領国制では,山地が他大名の領国との境界をなすことが多く,甲斐国の例では,国外への追放処分に付することを〈坂を越さす〉と称していた(《甲陽軍鑑》)。

 坂の語は比喩としてもさかんに用いられてきた。〈胸つき坂〉といえば難局に直面するようすを意味するし,〈下り坂〉といえば辛苦が消えて楽になることや,命運の傾きをさす。〈坂に車〉は,車を引いていて上り坂で息を抜くと後戻りするし,下り坂で勢いづくと容易には止められないことから,万事につけて油断するなとの処世訓である。また人生を長い坂道に仮託してみることも古くから行われたようで,〈五十の坂を越す〉との表現はその好例であるが,宗教思想にもとづき,年齢によって生誕から死までをいくつかの段階に区切り,全過程を坂,もしくはそれに似た形状のもの(半円型の橋や階段状の橋)に乗せて図示して布教に資したのは,日本のみならずアジア・ヨーロッパの各地でもみられた。なお,盗人の隠語で坂といえば,大阪方面をさした。
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坂[町] (さか)

広島県南西部,安芸郡の町。人口1万3262(2010)。瀬戸内海に面し,広島市と呉市の間に位置する。標高400m前後の山地が海岸にせまり,平地はきわめて少ない。古くはイワシ漁やカキ養殖が盛んであったが,最近は海岸埋立てによる工場用地の造成で,造船所火力発電所,鋼材関係の企業が集中する。1974年現在の広島市南区との間に広島大橋が開通し,広島市と呉市をつなぐ産業道路になっている。耕地が少ないため,昔から海外移住や出稼ぎが多かった。JR呉線,国道31号線,広島県道路が通じる。
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日本歴史地名大系 「坂」の解説


くぐいざか

東海道が逢坂おうさか山にさしかかる手前にあったという。「山城名勝志」に「土人云大津路追分東也、今平地而無坂、只二町許道少高、神無杜北也」とあり、既に坂はなくなっている。平安京から東行した三条街道(東海道)に山科盆地を北上して東に曲がる大津街道が合流するあたりになり、交通上の要地である。

「源平盛衰記」巻一五は、三井寺を出て奈良に向かって落ちてゆく高倉宮の一行を描いて、

<資料は省略されています>

と記している。

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