(読み)トウゲ

デジタル大辞泉 「峠」の意味・読み・例文・類語

とうげ〔たうげ〕【峠】

《「たむ(手向)け」の音変化。頂上で通行者が道祖神手向けをしたことからいう》
山道をのぼりつめて、下りにかかる所。山の上り下りの境目。「道」
物事の勢いの最も盛んな時。絶頂。「病気は今夜がだ」「選挙戦にさしかかる」
[補説]「峠」は国字。
[類語](2頂上頂点絶頂最高潮山場クライマックスピーク

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精選版 日本国語大辞典 「峠」の意味・読み・例文・類語

とうげたうげ【峠】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「たむけ(手向)」の変化したもの。通行者がここで道祖神に手向をしてまつり、旅路の平安を祈ったところからいう。「峠」は国字 )
  2. 山の坂道を登りつめた最も高い所。山の上り下りの境目。転じて、山。
    1. [初出の実例]「足柄の山の峠に今日来てぞ富士の高嶺の程は知らるる〈河内〉」(出典:堀河院御時百首和歌(1105‐06頃)雑)
    2. 「瑞士国と意太利国との境にシントベルナルドという崚嶺(トウゲ)あり」(出典:万国奇談(1873)〈青木輔清訳〉一)
  3. 物事の勢いのもっとも盛んな時期や状態。最高点。
    1. [初出の実例]「よかろうぞ・そなたも貧が峠ぞな」(出典:雑俳・西国船(1702))
    2. 「明け方が峠だと言うことで病室につめていると」(出典:水(1972)〈古井由吉〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「峠」の意味・わかりやすい解説

峠 (とうげ)

山の鞍部を横切って山越えの道が通っているところをいう。

峠という字は日本で作られたもので,道が山嶺を越えて上り下りするところからできた。鞍部をタワと呼ぶところから,そこを越えるのでタワゴエが転じてトウゲとなったという説と,そのような場所には境界()が多く,境の神,塞(さい)の神あるいは道祖神などがまつられるので,その神に安全を祈って手向(たむ)けをするところから,タムケがトウゲになまったという説とがある。後者が行為であるのに対し前者は地形を指している点で,位置としての峠は前者から起こった名称らしく考えられる。しかし後者が説くように,そのような場所は霊地として神仏がまつられ,旅人が休む茶屋が設けられて他郷の人と交流する場でもあった。
執筆者:

山地で隔てられた地点の間の往来は,ふつう山の最も低い鞍部を越える。その道は本来,谷の奥まで入って稜線へ急登するものと,まず支稜を登って尾根伝いに鞍部に至るものとの2種類に大別される。これは峠路の成立事情とかかわり,前者は登りに開いた表口,後者は下りに開いた裏口といわれている。国土の70%が山地である日本では,古くから歩く人や牛馬が通行する山越えの峠路がいたるところに発達し,中央と地方,地域と地域,あるいは俗界と霊山などの間を,網の目のように結んでいた。名のある峠は,日本全国で1万近くあるだろうといわれる。古代以来の峠の名は,鈴鹿山,足柄の御坂(みさか),木津越のように山,坂,越の字を付けて呼ぶことが多く,タケ,タワの語を付けるものもある。同時に〈足柄の山のたうけ〉〈塔下〉など,トウゲの呼称も用いられているが,峠の文字は後に生まれたらしい。古代の旅人は要所の峠を〈御坂〉と呼び,峠を越えるときは,峠の頂上や坂の各所で神に幣(ぬさ)を奉って路次の平安を祈った。古代東山道の神坂(みさか)峠(飛驒と信濃の境),雨境(あまざかい)峠(信濃,蓼科山西北),碓日(碓氷)(うすい)坂(信濃と上野の境)では,その祭祀遺跡が発見されている。以後も往来の要所であり聖なる境界である峠には,神木の大樹や霊石,道祖神がまつられ,地蔵馬頭観音など石仏が造立され,供養碑や遥拝所の鳥居が建立されるなどのことが多く,また土地の境界標識である牓示(ぼうじ)も峠に立てられた。そのあとは古い峠の名称に残されている。おもな街道の峠路は,軍道,参勤交代路,駄送路,参詣路等として改修を重ねたが,近代の鉄道,車道の建設によって,その大部分は急速に変貌,衰退し廃絶していった。現代では古道の峠路が,歩く歴史と自然の道として再評価されつつある。
執筆者:

東海道の箱根越えは,古くは足柄峠(759m)を越えていたが,富士山の噴火(801)により火山砂礫の著しい堆積でこの峠路が使用できなくなり,現在の箱根峠(849m)の路(国道1号線)が用いられるようになった。箱根火山を越える峠は他に乙女峠(1005m),湯河原峠などいくつかあり,それぞれ東海道の裏街道(国道138号線)や間道が通過する。群馬県側から長野県の軽井沢へ越える中山道(国道18号線)の現在の碓氷峠(958m)は1885年に通じたが,古いものはその北にある峠集落の処(ところ)(1180m)と南の入山峠(1020m)とに通じていた。入山峠はその後一時廃れたが最近になって自動車専用の碓氷バイパスが通じて復活した。三国峠(1244m)は関東から新潟,佐渡をつなぐ三国街道の通路にあたり,とくに近世に往来が盛んであったが,1931年国鉄(現JR)上越線が全通して以来衰えていた。しかし59年峠の直下に三国トンネルが開通し,車道(国道17号線)が通じて再び活気を取り戻している。その北の清水峠(1448m)は明治初年に新道が開削され一時期利用されていたが,上・信越線開通の影響でまったく衰えてしまった。このように街道の通過する峠には歴史的に古いものが多く,重要なものについては峠道が併設されて複数の峠が隣接する。また近代に入ってからは峠付近にトンネルを伴う鉄道や車道が建設されるようになった。

 飛驒乗越(のつこし)(3000m),別山乗越(2740m),一ノ越(こし)(2680m),野呂川越(ごえ)(2220m)など〈乗越(のつこし)〉〈越(こし)/(こえ)〉と呼んでいるものも峠の一種で,特に高度の大きいことが多い。分水線をはさむ両側の斜面の沢沿いの登山路の出会う分水嶺上の鞍部にあたる。三伏(さんぷく)峠(2580m)は塩見岳の南西にある赤石山脈の主山稜にある日本の最高所の峠で,1875年に開かれた。針ノ木峠(2541m),ザラ峠(2353m)は,それぞれ後立山,立山山脈中の鞍部であり,1584年佐々成政の両峠越えで名高い。上高地西の中尾峠(2080m),東の徳本(とくごう)峠(2135m)は天保年間(1830-44)から飛驒街道が通っていたところであり,梓川沿いの道路が1933年開通するまでは上高地への入山者はたいていここを通った。

 近世にいたるまで連綿と旅人が往還した峠が観光地として生まれかわった例も数多い。松本平と飛驒高山を結ぶ野麦街道が通る野麦峠(1672m)は,飛驒から諏訪へ出稼ぎに行った女工の哀史を伝え,伊豆の天城峠(840m)を越える天城越えの旧道は《伊豆の踊り子》にあやかった〈踊り子ライン〉として人気を集める。また,二上山麓の竹内峠(289m)は河内と大和を結ぶ竹内街道の要地で,古代の丹比道(たじひみち)の面影をしのぶことができる。

 内外の著名な峠は,いずれも歴史的な意味をもつか眺望にすぐれているかであり,人文活動と山との目だった接点ともいえる。パキスタンアフガニスタンの間のハイバル峠(1027m)はインドへの軍隊の通過点として古くから名高く,ブレンナー峠(1370m)はイタリア・オーストリア国境にあり第2次大戦中ドイツ,イタリアの首脳会談の場所ともなった。

 峠となる山稜上の鞍部の地形的成因は一定していない。両側斜面の谷頭浸食が切り合った結果,山稜が部分的に高度を低下した場合,河川争奪の結果,もとの河床が山稜上に取り残されて風隙(ふうげき)wind gapをなしている場合,あるいは前輪廻の老年谷床が山地上部に残されている場合,または断層線谷にあたる場合などさまざまである。火山の裾合にあたる峠は中尾峠のほか籠坂峠(富士山),大門峠(蓼科山)などこれも枚挙にいとまがない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「峠」の意味・わかりやすい解説


とうげ

山地の尾根の峰と峰との間の低い鞍部(あんぶ)をいい、尾根越えの道路が通じている所を峠という。低い鞍部は古語で「タワ」「タオリ」「タル」「タオ」などとよばれ、トウゲはタムケ(手向)の転化ともいわれるが、むしろ「タワゴエ」や「トウゴエ」が詰まったものと考えられている。英語でパスpassというのは、通過できるpassableことからきており、山稜(さんりょう)の低所に道が通じているものをいう。

 尾根の両側に水系が発達して、両側から侵食が進むと、尾根の部分に低所をつくる。また、硬層と軟層とが互層している所では、軟層の部分が早く侵食されて鞍部をつくる。断層が尾根を横断する所では、岩石が破砕されているので侵食を受けやすく、鞍部をつくる。これをとくに英語でコルcolとよぶ。

 日本には1万を超える峠があるといわれ、古来交通体系にとっては重要な意義をもっていた。現在は、交通機関の発達によって峠のもつ交通上の意義は小さくなったが、登山の根拠地として、また鉄道の捷路(しょうろ)として利用されている。

 インド北西部カシミールのカラコルム峠(5574メートル)は世界最高の峠と称され、インドと中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区との連絡路となっている。ヨーロッパのアルプス山脈中には多数の有名な峠があり、ローマ帝国時代から利用され、ナポレオンのアルプス越えは有名である。最近では鉄道や高速自動車道も通じ、シンプロン峠(2005メートル)、サン・ゴタルド峠(2108メートル)などが有名で、現在はその下をトンネルによって鉄道を通している。北アメリカ大陸では、ロッキー山脈中のエバンス峠(2568メートル)をはじめとして、大陸横断鉄道が通じている峠が多い。南アメリカのアンデス山脈には、タコラ峠(4880メートル)があり、ボリビア鉄道が通じて、世界最高所の鉄道となっている。

 日本では、南アルプスの赤石山脈中の三伏峠(さんぷくとうげ)(2600メートル)が最高で、古い時代には静岡県の大井川地方と長野県の伊那(いな)盆地との交通路に利用されたが、現在は、塩見岳への登山基地となっている。そのほか飛騨(ひだ)山脈中の針ノ木峠(2541メートル)、関東山地の雁坂(かりさか)峠(2082メートル)などが高く、よく知られている。

[市川正巳]

民俗

山脈は自然のつくる地域の境界であるが、峠はこれを破って他国他郷に通じる人為の所産で、山脈の鞍部がおのずからその近道に選ばれた。日本列島は幾筋もの脊梁(せきりょう)山脈で表裏に分かたれ、内陸部には大小の盆地が幾多生成していたので、国内交通に占める峠の役割も大きかった。近江(おうみ)国の48峠はじめ諸国には古くから数多くの峠路が開かれ、他国他郷との接点となってもいた。とくに徒歩と牛馬だけによる旧時代の状況では、勾配(こうばい)の緩急より距離の長短が重くみられたので、山脈を横切る形の峠越しの近道は重要な交通運輸の動脈をなしてきた。また大小多数の藩領に分割されていた江戸時代では、山脈のかなたはほとんど異藩他郷であったから、峠下の番所、宿駅には特異な配慮が加えられ、また峠茶屋、助小屋など、その往還をめぐる習俗も多彩であり、こうした峠の風物は文芸の好題材にもなった。峠は国境、村境ゆえ、そこには境神(さかいがみ)、山の神の類が祀(まつ)られ、「柴立(しばたて)、柴折」など行旅の安全を祈る「手向(たむけ)」の習俗を伴い、また矢立峠、行逢(ゆきあい)峠など神々の「境さだめ」の伝説を伴うものも多い。鉄道開通に伴う国内の交通体系の一変で旧峠路の多くは廃道と化し、峠の麓(ふもと)集落も一挙に廃(すた)れ果てた所が少なくない。近年山越えの自動車道の整備で、古い峠筋の復活がかなりみられても、新道は多くはトンネルか遠い迂回(うかい)路で、古い峠路はほとんど廃道と化したままである。

[竹内利美]

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日本歴史地名大系 「峠」の解説


こしきとうげ

現鳥海村の最南端、山形県最上もがみ郡との境にそびえる甑岳(九八一・四メートル)の中腹にあり、藩政期には由利郡と最上郡を結ぶ最上街道の峠として重要な役割を果した。小式峠とも記す。

「奥羽永慶軍記」に天正一九年(一五九一)由利十二頭の一人、岩屋右兵衛が山形から帰る時「及位の宿より笹根子海道の難所を通り(中略)岩屋の城にぞ着にけり」とあるのは甑峠をさすものと思われる。



ぶなとうげ

北川きたがわ都幾川ときがわ椚平くぬぎだいらとの境にある標高七七五メートルの峠。をなぜブナと読ませるのかは明らかでない。明治四三年(一九一〇)発行の五万分の一の地形図にはブナの振仮名がついているが、現在の地形図ではマブナと振仮名している。ただし地元ではブナ峠で通っており、「風土記稿」にも「ブナ峠」と記されている。峠には安永三年(一七七四)造立の道標があり、角柱状の四面にはそれぞれ高山たかやま不動・ノ権現・慈光寺・秩父一番の文字が仮名まじりで彫込まれている。すなわちここは外秩父山地のなかに縦横に走る信仰の道が交差している場所で、峠を飯能側に下る途中にも寛政九年(一七九七)や文政一二年(一八二九)の道標が残り、慈光寺や子ノ権現へ旅人を導いている。



とうげ

[現在地名]松川町生田 峠

北は部那べな及び小渋こしぶ川を挟んで葛島かつらじま(現上伊那郡中川村)、東は大河原おおかわら(現大鹿おおしか村)、南は河野かわの(現豊丘とよおか村)、西は福与ふくよに接する。古くは福与部那村に属し江戸時代の中頃に部那村の分となったと推測される。弘化三年(一八四六)の阿部能登守伊那郡御領分村村高附覚には、一四〇石余峠分とある。

峠という地名のごとく、福与から大河原・鹿塩かしお(現大鹿村)への主要道で、天竜川から峠まで登り、峠から小渋川の渓谷におりて大河原へ通ずる。



とうげ

[現在地名]丸森町 峠

丸森の西南端の小集落で、幕府領になることの多かった山舟生やまふにゆう(現福島県伊達郡梁川町)と仙台藩領との境にある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)伊達だて郡のうちに「峠懸入 百八十九石一斗四升 喜内」とある。懸入は当地北東の欠入かけいりと思われる。当地が伊達氏領伊具郡となるのは関ヶ原の合戦前後、伊達政宗が「刈田筆甫など切取」った頃と思われる(寛文一一年「伊達筆甫相馬山境論書」庄司英吾家文書)。領境のため境番所が置かれ、「丸森村安永風土記」によれば政宗の代の設置と伝えるが、その年月不詳。

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普及版 字通 「峠」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 9画

[字訓] とうげ

[字形] 国字
山道の往還をわかつ登りつめたところ。そこに道祖神を祀り、手向けをして行路の安全を祈った。それで字は上下に従う。裃(かみしも)もこれと同じ造字法である。〔和名抄〕に「 太无介乃賀美(たむけのかみ)」、〔名義抄〕に「 タムケノカミ」とある「タムケ」の字。〔万葉集〕には「多牟氣・多武氣・手向・手祭・供」などの字を用いる。

[訓義]
1. とうげ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「峠」の意味・わかりやすい解説


とうげ

山の鞍部をいう。ここを通って多く道が開けている。語源上は「たむけ説」と「たわむ説」とがある。前者は,峠に神が祀ってあり,旅人はここで神にたむけをして通るからという。後者は山の稜線が鞍部となってたわんでいる意という。峠は多く村境になっており,村人は旅から帰った人をここで坂迎えする習俗があった。また峠には地蔵など村境の神を祀る例も多い (→境の神 ) 。峠を境にして気象などの自然現象を異にすると同時に民俗のうえでも差異をみせる例が多い。

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デジタル大辞泉プラス 「峠」の解説

司馬遼太郎の長編小説。1968年刊行。長岡藩家老、河井継之助を主人公に据えた歴史小説。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【坂】より

…語源については,〈サカシキ(嶮)〉〈サカヒ(堺,境)〉〈サカフ(逆)〉に発するとか,また,〈サキ(割)〉の原語のサとカ(処)とから成るとかいわれているが定かではない。しかし,坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路のをなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる。〈遠つ国(とおつくに)〉で死者の住む世界である〈黄泉国(よみのくに)〉と〈この世〉とは,〈黄泉の界(さかい)〉で仕切られつつ,たがいに接した形で想念されていたし,その場所は〈黄泉の坂〉でもあった(《古事記》《万葉集》)。…

【柴】より

…祭祀用には,おもに常緑の柴が神の依代(よりしろ)とされたり神に手向(たむけ)るのに使われた。峠や村境の路傍には〈柴立て〉〈柴折り〉という所があり,ここに柴を挿して旅や行路の安全を祈る風があった。高知県では〈柴折り様〉に柴を供えて通れば〈ひだる神〉に憑(つ)かれないという。…

※「峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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