女行商人の一種。平安中期、11世紀ころから、京へ近郊から日常の食品や雑貨を行商にくる女性、つまり販婦(ひさぎめ)(販女(ひさめ))が多くなってきた。その一つに京の北部の大原(おおはら)(京都市左京区)から炭、薪(たきぎ)、柴(しば)などを頭にのせて売りにくる者があった。これを大原女(小原女)とよぶようになったのは13世紀からのことである。近世では黒木(くろき)売りともいった。黒木は、生木(なまき)を1尺(約30センチメートル)ばかりの長さに切って竈(かま)で蒸して黒くしたもので、薪として使った。売り歩く品は、古代では炭、中世からは薪、柴となり、近代では家庭燃料の変化によって、山菜、野菜、花などとなったが、山村での貨幣取得の手段であった。その服装は、基本的には村の労働着であるが、しだいに装飾性が加えられてきた。中世では紺の筒袖(つつそで)に前結びの帯であったが、近世では両肩に白手拭(しろてぬぐい)を垂らしたり、のちには島田髷(まげ)、色糸で刺しゅうした手拭をかぶり、鉄漿(かね)をつけ、紺木綿の黒衿(くろえり)の筒袖に三幅(みの)の前垂れ、白の腰巻、脚絆(はばき)、足袋(たび)で二本鼻緒の草鞋(わらじ)を履いていた。その伝統は近年まで、前垂れは、二幅(ふたの)半の下を三つに割って三幅前垂れになるなど多少の変化はあるものの、京の風物詩として今日でもわずかながら残っている。
[遠藤元男]
『瀬川清子著『販女』(1943・三国書房/1971・未来社)』▽『中村太郎著『近畿の衣と食』(1974・明玄書房)』
大原(おおはら)(現,京都市左京区)から来て京の街に薪,柴,炭などを売り歩いた行商の女。大原は八瀬以北の高野川上流を指し,四面山に囲まれた狭小な大原盆地が一小天地をなしている。八瀬,白川などと同様に古代より薪,柴,炭などを産物とし,京の街に産物を売り歩く大原女の独特な姿は早くから知られ,藤原定家の和歌にも詠まれ,《洛中洛外図》にもよく描かれている。応保・長寛(1161-65)ごろ成立の《本朝無題詩》に,炭を売り歩く彼女たちの声が,都人の心をとらえていた様子が記されている。鎌倉初期(1213-19)の《東北院職人尽歌合》では髷の上に割木をのせ,紺の筒袖に帯を前結とし白の脛布を付けているが,後には島田の髪に縫紋様の手拭をかぶり,藍染の着物に御所染の帯,腰に前垂れ,手には白い甲掛けと足に脚絆,二本鼻緒の草鞋(わらじ)をはくといういでたちとなった。この姿は,かつて建礼門院に近侍した阿波内侍(あわのないし)が山に柴などを刈りにいく姿をまねたものと口承されている。
執筆者:野田 只夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
薪などを頭にのせて京の町で行商した京都北郊愛宕(おたぎ)郡大原・八瀬(やせ)などの女性。販女(ひさぎめ)の一種。「東北院職人尽歌合」「七十一番職人歌合」には筒袖に帯を前結びとし,髷(まげ)のうえに薪をのせた姿が描かれる。古くから京の風物詩とされ,和歌をはじめ狂言や舞踊などに登場する。販女としてはほかに鮎・飴を行商した桂女が有名。
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…中世末から近世初頭にかけて流行した踊歌(おどりうた)。中世小歌にもよまれている京都八瀬の大原女の姿をうたったもので,中世後期からの風流(ふりゆう)踊の盛行とともに諸国に広まった。歌舞伎踊を創始する以前の,出雲のお国も踊っている。…
※「大原女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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