大塚山古墳(読み)おおつかやまこふん

精選版 日本国語大辞典 「大塚山古墳」の意味・読み・例文・類語

おおつかやま‐こふんおほつか‥【大塚山古墳】

  1. [ 一 ] 椿井(つばい)大塚山古墳。京都府相楽郡山城町横井にある前方後円墳。全長一八五メートル。多数の副葬品のうち中国製の三角縁神獣鏡三十二面は古墳研究上重視されている。
  2. [ 二 ] 百舌鳥(もず)大塚山古墳。大阪府堺市上野芝町にある前方後円墳。二〇〇口以上の刀剣をはじめ多数の副葬品が出土。昭和二四年(一九四九)採土工事によりほぼ消滅
  3. [ 三 ] 真土(しんど)大塚山古墳。神奈川県平塚市にあった円墳(前方後円墳との説もある)。副葬品のうち三角縁神獣鏡は椿井大塚山古墳の出土鏡中のものと同笵(どうはん)(=同じ鋳型)で、注目されている。昭和三五年(一九六〇)造成工事により消滅。

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改訂新版 世界大百科事典 「大塚山古墳」の意味・わかりやすい解説

大塚山古墳 (おおつかやまこふん)

大塚山と呼ぶ前方後円墳は各地にある。なかに古墳名は大塚(大塚古墳)と伝え,丘陵を大塚山と呼ぶものがあるのは,墳丘の範囲を厳密に考えずに名づけたばあいもあることを教える。会津(福島県),祇園(千葉県),真土(しんど)(神奈川県),椿井(つばい)(京都府),百舌鳥(もず)(大阪府)などの大塚山古墳は,特に重要である。

福島県会津若松市一箕(いつき)町八幡にある4世紀後半の前方後円墳。会津盆地の南東部にある比高約30mの独立丘陵の頂部に北面して位置し,全長90m,後円部径45m,前方部幅23mある。後円部と背後の丘頂との間を堀状に掘るが,周濠は作らず,葺石(ふきいし)および円筒埴輪を見ない。1964年の調査によって,後円部から木棺を用いた2個の埋葬施設を検出した。そのうち南棺からは鏡,玉類,櫛,刀剣,靫(ゆき),斧,鉇(やりがんな),刀子,砥石などが,北棺からは鏡,玉類,石製紡錘車,刀剣,靫,斧,刀子などが出土した。南棺の鏡は岡山県丸山古墳(鶴山)に同笵鏡のある仿製の三角縁神獣鏡であり,靫は植物質の編物に黒漆を塗って作り装飾を加えたもので,銅鏃・鉄鏃を装着した矢を収めていた。

千葉県木更津市祇園にあった5世紀後半の前方後円墳。小櫃川南岸の沖積地にある古墳群中の一基で,現存しない。1891年に発掘して,箱式石棺から画文帯四仏四獣鏡,銀製耳飾,金銅装眉庇(まびさし)付冑,金銅装挂甲(けいこう),刀剣,鏃など,大陸との交渉を顕著に示す副葬品を出土した。

神奈川県平塚市真土にある4世紀後半の古墳。相模川はんらん原の砂丘上に位置し,墳形については円墳,前方後円墳,前方後方墳など諸説がある。1935年,不用意に発掘して鏡,玉類,巴形銅器,刀剣,銅鏃,斧,鉇,刀子などを採集した。2面ある鏡のうち1面は中国製の三角縁神獣鏡で,椿井大塚山古墳などから同笵鏡の出土しているものである。

京都府木津川市の旧山城町椿井にある4世紀前半の前方後円墳。木津川東岸の丘陵末端に西面して位置する。後円部を国鉄奈良線が横断し,前方部は民家が立ち並んでいて,墳丘の規模を復元しにくいが,全長180m,後円部径80m,前方部幅60mをそれぞれ超えるものであろう。後円部と背後の丘陵との間を堀状に掘るが,周濠は作らず,円筒埴輪を見ない。1953年,崩壊した後円部の修復中に竪穴式石室が露出し,鏡,甲冑,刀剣,槍,銅鏃,鉄鏃,斧,鎌,鉇,刀子,錐,銛,釣針などの副葬品が出土した。石室は内法の長さ6.8m,幅1.2m,2.7mの高さに割石を積み,底部に粘土床を設けたものである。鏡36面はすべて中国製であって,内行花文鏡2面分,画文帯環状乳神獣鏡,方格規矩四神鏡各1面のほかは,三角縁神獣鏡および三角縁竜虎鏡が,あわせて32面の大量におよぶ。しかも,そのうち23種28面は同笵鏡の所在の明らかなものであって,大いに学界の注目を集めた。

大阪府堺市西区上野芝町にある5世紀中葉の前方後円墳。洪積台地上に群在する百舌鳥古墳群中の一基で,履中陵の南西方に西面して位置し,全長163m,後円部径98m,前方部幅113m,北側のくびれ部に造りだしをもち,狭い周濠をめぐらしていた。1949-52年のあいだに,土砂採掘のために壊滅した。後円部に粘土槨4基,前方部にも粘土槨4基があった。副葬品は後円部1号槨から鏡,玉類,櫛,甲冑,刀剣,矛,手斧,刀子,同2号槨から盾,甲冑,籠手,剣,手斧,筒形石製品,櫛,同3号槨から短甲,剣,櫛,同4号槨から刀剣約100口,手斧などが出土した。また前方部5号槨から刀剣,矛など100余,同6号槨から短甲,刀,矛,鏃,同7号槨から鏡,玉類,冑,剣,手斧,同8号槨から斧,鑿などが出土した。これらのうち,後円部1号槨と前方部7号槨とが埋葬用で,他は副葬品納置用かという。
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日本歴史地名大系 「大塚山古墳」の解説

大塚山古墳
おおつかやまこふん

[現在地名]芦辺町深江 栄触

幡鉾はたほこ川下流の深江田原の北端にある円墳。県指定史跡。標高七四メートルの山頂部にあり、昭和五七年(一九八二)・同六一年に墳丘・石室などの調査が行われている。規模は直径一四メートル、高さ二メートルほどで、ほぼ南西に開口する石室は全長三・九六メートルの竪穴系横口式石室となっている。


大塚山古墳
おおつかやまこふん

[現在地名]松原市西大塚一丁目、羽曳野市南恵我之荘七丁目

古市ふるいち古墳群中もっとも西に位置し、前方部を北に向けて築造された古墳。築造年代は五世紀末―六世紀初めと推定され、墳丘の全長二九七メートル、前方部幅二〇〇メートル、高さ六メートル。後円部の直径一八五メートル、高さ二〇メートル。一重の周濠をめぐらせている。後円部頂上には巨石が露出しており、横穴式石室の天井石と推定されている。


大塚山古墳
おおつかやまこふん

[現在地名]堺市上野芝町四丁

ミサンザイ古墳の南約三〇〇メートルにあった前方後円墳。全長一五九メートル、後円部径九三メートル、前方部幅一〇九メートル、墳丘高一四メートル。周濠をもち東南東に主軸を置く。墳丘は三段築成、くびれ部に造出しがあった。昭和二四年(一九四九)発掘調査が実施された。墳丘で葺石・埴輪列の存在を確認、主体部を検出した。主体部は後円部頂で三基、やや離れて一基、前方部で四基、計八基の粘土槨があり、多数合葬の古墳であることが明らかになった。

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事典・日本の観光資源 「大塚山古墳」の解説

大塚山古墳

(大阪府松原市ほか)
大阪みどりの百選」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の大塚山古墳の言及

【菟原処女】より

…結局は,三つ並んだ古墳丘のたたずまいに,古人が織り成した妻争い伝説である。神戸市東灘区御影町に処女塚古墳があり,東方1km住吉町の呉田塚(ごでんづか)を智弩壮士の墓,西方1.5km灘区味泥(みどろ)町の大塚山古墳をいちばん哀れな菟原壮士の墓だと言い伝えている。生田川説話【井村 哲夫】。…

【漆工芸】より

…古墳時代は黒漆の時代といってよい。土保山古墳(大阪),七廻鏡塚古墳(栃木),大塚山古墳(福島),松林山古墳(静岡)等,漆器を出土した古墳は多数ある。遺品は日用品のほかに武具が多く,弓矢とともに漆塗の短甲もみられる。…

※「大塚山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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