天寧寺
てんねいじ
[現在地名]尾道市東土堂町
千光寺山東南麓にあり、海雲山と号し曹洞宗。本尊釈迦如来。創立当初は臨済宗で、「芸藩通志」に普明国師(春屋妙葩)の開基とあり、貞和年間(一三四五―五〇)に足利尊氏が造営して七堂伽藍を備え、境内およそ三町と記す。「普明国師行業実録」に、貞治六年(一三六七)尾路の万代氏道円の発願により、海雲山天寧寺を建立、普明国師を請じて開山とし、永く門葉の継踵の道場とするとあり、京都天龍寺末であった。当寺の寺記には、貞治年間道円の発願で創立、嘉慶二年(一三八八)尾道人道慶が五重塔を建立とある。
天寧寺
てんねいじ
[現在地名]青梅市根ヶ布
東山にある。後背は霞の池。高峰山と号する。曹洞宗。本尊は釈迦如来。文亀年間(一五〇一―〇四)三田政定による創建と伝え、開山は甲斐広厳院(現山梨県一宮町)二世の一華文英という。文英は永正三年(一五〇六)神嶽通竜の禅師号および紫衣を贈られた(風土記稿)。大永元年(一五二一)一月一〇日三田政定が銅鐘を寄進、その銘に杣保小曾木郷高峰山天寧禅寺、開山一華、二世松潤、三世現住宗源とあるほか、大檀那は平氏朝臣将門之後胤三田弾正忠政定と記している。寺地はもと南の古屋敷にあったが、天正年間(一五七三―九二)兵火にかかり、七世源朔の代に現在地に移転したという。天正一九年朱印二〇石の地を付された。
天寧寺
てんねいじ
[現在地名]北区天寧寺門前町
万松山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。開基は祥山、もとは天台宗比叡山延暦寺末と伝える。安土桃山時代の武将直江兼続が再興し、のち板倉勝重・松平乗元が復興に力を尽したという(拾遺都名所図会・坊目誌)。観音堂には後水尾天皇念持仏と伝える聖観音像と、東福門院念持仏と伝える薬師如来像を安置し、絹本墨画馬祖
居士問答図(国指定重要文化財、京都国立博物館寄託)を蔵する。
天寧寺
てんねいじ
[現在地名]旭川市永山四条二〇丁目
浄土真宗本願寺派。香華院弓波山と号する。本尊阿弥陀如来。明治二六年(一八九三)創立。永山屯田入地の頃、大隊長らが民生安定のため永山・東旭川・当麻三ヵ村の共同墓地を設定、その北端の九丁目に香華院として説教場を創立したのが始まり。
天寧寺
てんねいじ
[現在地名]会津若松市東山町石山 天寧寺
天寧寺集落の東方山麓にあり、万松山と号し、曹洞宗。本尊聖観音。応永二八年(一四二一)蘆名盛信が南英に開山させた。南英は師の傑堂を開山とし、自らは二世となる。代々高徳の僧が絶えなかったが、七世のとき火災にあう。蘆名盛氏のときに再興され、盛氏は永楽一〇〇貫文を与えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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天寧寺 (てんねいじ)
Tiān níng sì
中国の仏寺。各地に同名のものがある。北京市宣武門広安門外の天寧寺は,北魏の孝文帝によって創建された。現存する天寧寺塔は遼代に建設され,明・清時代に修築された。全高57.8m,軒だけを13層重ねた密檐(みつえん)式の八角塼塔で,遼・金時代の仏塔の主流を占めたこの形式の代表的遺構。須弥座式基壇と初層塔身の部分がとくに高く,木造を模した斗栱(ときよう),欄干,格狭間,門窓,力士,菩薩,雲竜などの彫刻・装飾がすぐれる。
執筆者:田中 淡
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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天寧寺
広島県尾道市にある曹洞宗の寺院。1367年創建。三重塔は「天寧寺塔婆」として国の重要文化財に指定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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