日本歴史地名大系 「天寧寺」の解説
天寧寺
てんねいじ
草創については不詳だが、中興開山は夢窓疎石の弟子愚中周及、当時の檀那は当地の地頭、大中臣那珂宗泰(法名宗吽)。那珂氏は鎌倉末に常陸国から当地
愚中は美濃国の人、夢窓疎石の教えを受け、のち天龍寺船で中国に渡り、揚子江鎮江の金山寺即休契了の門に入った。師の印可を得て衣鉢を継ぎ、即休の頂相(肖像画)を与えられたが、それは天寧寺に現存し、李竜眠の描いた十六羅漢像(一六幅)とともに重要文化財に指定されている。滞留一〇年ののち帰国した愚中は一時
なお当時天寧寺が那珂氏に手厚く保護を受けていたことは、康安二年(一三六二)二月三日付の宗吽
天寧寺
てんねいじ
天寧寺
てんねいじ
天寧寺
てんねいじ
天寧寺
てんねいじ
天寧寺
てんねいじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報