広義には、日本において伝承され記録された神話のすべてをさすが、普通は8世紀初頭に編纂(へんさん)された『古事記』や『日本書紀』をはじめとする古典に記された神話をさす。日本の古典神話体系の中軸をなしているのは、『古事記』上巻、『日本書紀』第1巻、第2巻に記された神代(かみよ)の物語、および『古事記』中巻の初めと『日本書紀』第3巻に述べられた神武(じんむ)天皇の建国についての物語であり、日本における王権が高天原(たかまがはら)に由来し、天皇家が国土の正統な支配者であることを基礎づけている。そのほか古風土記(こふどき)には、たとえば『出雲国(いずものくに)風土記』に国引き神話があるなど、記紀にみられない地方神話が記録され、また9世紀に成立したと思われる『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』には、物部(もののべ)氏の先祖の天降(あまくだ)り神話が記されている。これらの古典に記録された日本古代神話は豊富な内容をもっているが、それでも古代日本に存在したすべての神話が収められているわけではなく、主として天皇家とそれを取り巻く有力な氏の伝承に基づいており、中央の神話、つまり支配者の神話であるものが中心となっている。これ以外にも、地方の神話や民間の神話が多数あったに違いないが、それらは風土記神話に一部記録されただけである。また民間神話のなかには、中世になって形が変化し、語り物や伝説として初めて記録されたものもあると思われる。
[大林太良]
世界の初めから神武天皇の建国に至るまでの『古事記』や『日本書紀』に記された日本神話は、大きく分けて四つの神話群から成り立っている。『古事記』と『日本書紀』では神話の大筋はだいたい同じであるが、小さい相違はあり、ことに『日本書紀』では、本文のほかに一書に曰(いわ)くとして数種の別伝を並載しており、神名の表記法も記紀では異なっている。
記紀神話体系における四つの神話群とは、「国生み神話」「高天原神話」「出雲神話」「日向(ひむか)神話」である。これらの神話に繰り返し現れる主題は、混沌(こんとん)のなかに秩序が設定されること、あるいは秩序による混沌の克服である。
[大林太良]
第一の国生み神話は、世界の始まりから天照大神(あまてらすおおみかみ)の誕生までを取り扱っており、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が国土を生んだ神話が中心になっている。つまり、『古事記』によれば、天地が初めて開けたとき、高天原に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かむむすひのかみ)の三神が生まれ、次に、国土がまだ十分に形成されず、水の上に浮いた脂(あぶら)のようで、海月(くらげ)のように漂っていたとき、葦(あし)の芽のように萌(も)えあがるものに基づいて宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)神と天常立(あめのとこたち)神が出現した。『日本書紀』本文は、これとは違って、天地が分離したのち、魚が水に浮かぶように国土が浮かび漂っていたが、天地の中間に葦の芽のようなものが生じ、これが国常立尊(くにのとこたちのみこと)であるという。次に、記紀ともに、このように国土が漂っている混沌状態のなかで伊弉諾・伊弉冉二神が、天神たちの命を受けて国土をつくることになったことを語っている。伊弉諾は父なる天を象徴し、伊弉冉は母なる大地を象徴していると思われる。この両神は、原初海洋中に最初にできた小さな淤能碁呂島(おのごろじま)に天降って結婚し、女神は大八洲(おおやしま)、つまり日本の国土をなす島々を生んだ(混沌中に秩序を設定)。両神は次いでさまざまの神を生んだが、火の神である軻遇突智(かぐつち)神を生んだために、女神は死んでしまった。男神は女神を連れ戻そうと黄泉(よみ)国(死者の国)に行ったが、結局果たせずに地上に帰り、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あわぎ)原で水浴して穢(けがれ)を祓(はら)った。そのとき男神の左の目からは太陽の女神の天照大神、右の目からは月神月読尊(つくよみのみこと)(月読命(つきよみのみこと))が、また鼻からは嵐(あらし)神と思われる素戔嗚尊(すさのおのみこと)の3貴子が生まれた。火神誕生から3貴子誕生までは『古事記』や『日本書紀』一書第六に出ている形式によったが、『日本書紀』本文では、天照大神をはじめとする3貴子は、蛭児(ひるこ)とともに、伊弉諾・伊弉冉両神が生んだことになっている。
[大林太良]
第二は高天原神話である。素戔嗚尊は妣(はは)の国である根の国に赴く前に、姉の天照大神に会いに高天原にやってきた。弟神は、国を奪おうとする邪心をもって天上にきたのではないことを示すために姉神と誓約(うけい)をする。そのとき姉は3女神、弟は5男神をそれぞれ生んだが、生まれた5男神は姉の天照大神の子とされ、そのうちの1人、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)は天照大神の跡継ぎに決められた。このあと素戔嗚尊が天上で乱暴を働いたことから、怒った女神は天岩屋(天岩戸)に隠れてしまい、世界は暗黒となるが、神々は相談して、女神を映す鏡をつくり、岩屋の外の榊(さかき)の木に掛けると、鏡に映った自分の姿を見て好奇心を抱いた女神は岩屋から現れて、光明がよみがえる。そして、素戔嗚尊は下界に追放された(混沌ののち、秩序の回復)。高天原神話は、天上での王権の危機が克服されたように、地上の王権の危機も克服されるだろうという神話的範型を提供するものであった。
[大林太良]
第三は出雲神話である。天降った素戔嗚尊は、出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、助けた奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)と結婚し、蛇(へび)の体内から出てきた神剣、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を天照大神に献上した。そして素戔嗚尊の子孫の大己貴(おおなむち)神(大国主命(おおくにぬしのみこと))が少彦名命(すくなひこなのみこと)と協力して国造りをした。他方、高天原では、天照大神の子孫が統治すべき国である地上の豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)が、ひどく乱れて騒然とした状態なのを見て、これを鎮めるため次々に地上に使者を派遣した。大己貴神は、結局高天原からの使者の要求に従って国土を天照大神の子孫に譲り、天照大神の孫である瓊瓊杵(ににぎ)尊が地上の支配者として天降ってきた。『古事記』によれば、そのとき瓊瓊杵尊は、天照大神の御霊代(みたましろ)の鏡(八咫鏡(やたのかがみ))、草薙剣、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)(八坂瓊勾玉)の三種の神器を持参したという。出雲の国譲りに続く天孫降臨ではあるが、天孫が天降った所は出雲ではなく、筑紫の日向の高千穂峰(たかちほのみね)であった。すなわち、天孫は幽(ゆう)の世界の出雲にではなく、顕(げん)の世界、つまり「朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照(ひて)る国」(古事記)に降ったのである。日本神話の体系からみると、天岩屋神話と天孫降臨神話の間に割り込んだのが出雲神話であると考えられる。出雲神話、ことに大国主命の活躍は、『古事記』において詳しく述べられている。
[大林太良]
第四は日向神話である。天降った瓊瓊杵尊は山神の大山祇(おおやまつみ)神の女(むすめ)、木花開耶姫(このはなのさくやひめ)と結婚し、姫は燃える火中に三児を生んだ。その1人の山幸彦(やまさちひこ)(彦火火出見(ひこほほでみ)尊)は、兄の海幸彦から借りたたいせつな釣り針を失ってしまったので、それを捜しに海神(わたつみ)の宮へ行き、やがて海神の娘の豊玉姫(とよたまひめ)と結婚する。そして釣り針を取り戻して地上に帰った山幸彦は、兄を懲らしめ、兄は以後弟に服従して隼人(はやと)の先祖となった。豊玉姫は出産のために地上にきたが、出産のとき夫に見ることを禁じたにもかかわらず、鰐(わに)の姿(『日本書紀』では竜)となっているのを夫に見られたため、怒った姫は子供を置いて海に帰ってしまう。以来、海陸の交通は途絶した。瓊瓊杵尊は支配者として天降ることによって、また彦火火出見尊は隼人の祖である兄を服従させることによって、それぞれ政治的秩序を確立した。瓊瓊杵尊の天降り以降、原則として天地間の交通が終わり、豊玉姫が海中に去ることによって海陸の交通が絶えたが、このことはともに宇宙領域における秩序設定であった。さらに彦火火出見尊の孫の神武天皇は、日向から大和(やまと)に入って土着の勢力を征服し、王朝を打ち立てた。こうして混沌から秩序への転回は、建国という実を結んだ。
[大林太良]
今日われわれが知っている日本古代神話の体系は、712年(和銅5)に太安麻呂(おおのやすまろ)が著した『古事記』と、720年(養老4)に舎人(とねり)親王が編纂した『日本書紀』に記されたものである。『古事記』や『日本書紀』の素材となった帝紀や旧辞は、6世紀ごろにつくられたと考えられており、それらの内容をなしている個々の伝承には、もっと古い時期にさかのぼるものが含まれているが、個々の神話の多くは、おそらく6世紀以前にすでに存在していたものであろう。
神話体系が記録され、かつ国の歴史の巻頭に掲げられたこと、そしてそれが8世紀初めという時点においてであったことは、一方では民族のアイデンティティを確認し、他方では高まった天皇権を基礎づける努力の表れでもあったことを物語っている。つまり、白村江(はくそんこう)の敗戦(663)、壬申(じんしん)の乱(672)の動揺を経て、天武(てんむ)天皇は天皇権の確立に努め、稗田阿礼(ひえだのあれ)に『帝皇日継(ていおうのひつぎ)』(帝紀)と『先代旧辞』(本辞)を誦(よ)み習わせて『古事記』編纂の基礎をつくった。また、同じ天武天皇のときに、皇室の祖神、天照大神を祀(まつ)る伊勢(いせ)神宮も制度的に整備されていった。そして記紀神話体系は、天照大神の子孫の天皇が国土の正統な支配者であることを強く主張しているのである。
[大林太良]
記紀神話体系を構成している個々の神話は、さまざまな時代に種々の系統のものが、いろいろな文化の流れによって日本列島に運び込まれ、それがのちに体系化されたものであろう。つまり、素材となった個々の神話の大部分は海外に類話をもち、外から入ってきたものでも、記紀神話の体系にまとめられたのは日本においてであった。古典神話には、採集狩猟民文化にさかのぼると思われる神話はほとんどない。焼畑耕作文化に属していたと思われるのは、大気都比売(おおげつひめ)神(古事記)または保食(うけもち)神(日本書紀)の死体から作物が発生したという神話(死体化生(したいけしょう)神話)である。粟(あわ)、稗(ひえ)、麦、豆類などの組合せは、華南から西日本にかけての雑穀栽培型の焼畑耕作を背景としていたことを表し、さらにこの型の神話が東南アジアに多くみられ、中国南部にも痕跡(こんせき)が多いことから、縄文時代晩期に焼畑耕作とともに日本に入ってきたものと考えられる。ただし、日本神話では焼畑作物のほかに、水稲や蚕も同じ死体から発生しているところに問題点がある。
水稲耕作は中国・江南からおそらく朝鮮半島南部を経由して日本に入り、ここから弥生(やよい)文化が始まったと思われる。この文化の流れによって入ったと思われるのは八岐大蛇退治の神話で、中国南部には古くから蛇退治の伝承があり、助けられた少女の名は奇稲田姫で、水稲耕作との結び付きを示している。伊弉諾・伊弉冉の国生み神話や海幸・山幸神話は海の世界との関連が深く、日本では海人(あま)がその担い手だったと考えられ、国生み神話は中国南部から東南アジアにかけての洪水神話と関係がある。つまり、洪水を生き残った兄妹が結婚して人類の祖となる形式の神話であるが、その一亜型として、洪水の発生を説かず、原初海洋に生まれた島に天から兄妹が天降って結婚し、人類の祖となる形式のものが、東南アジア島嶼(とうしょ)部に点々と分布している。その痕跡は中国・江南の民話にも認められる。また、海幸・山幸神話における失われた釣り針を海中へ求めに行く神話は、インドネシアから西部ミクロネシアにかけて類話が多く、中国にも異伝がある。おそらく江南の中心から海洋的な文化とともに西日本に入ったものであろう。
これに反し、天皇家を中心とする支配者文化の神話は、朝鮮半島を経由して内陸アジアの牧畜民文化に連なる傾向が著しい。その一つは天孫降臨神話で、王権の究極の根拠は天にあるという考え方は、古代朝鮮諸国の建国神話にもしばしば現れており、たとえば桓因(かんいん)が徒3000人を率い、天符印(てんぷいん)3個を持って太伯(たいはく)山上に天降った神話は、天孫瓊瓊杵尊が多くのお供を連れ、三種の神器を持って天降った神話に比することができる。さらに、神武天皇が兄の五瀬命(いつせのみこと)とともに東征した神話は、沸流・温祚(おんそ)の兄弟による百済(くだら)建国神話と関連しており、どちらも海の原理を表す兄が死に、陸の原理を表す弟が建国に成功する。
[大林太良]
日本神話は、世界の起源から王朝の創設までを体系的に述べている点において、東アジア諸国の神話のなかでも特異な地位を占めている。すなわち、中国においては体系的な古代神話は断片的な形で知られているばかりで、古代朝鮮諸国についても建国神話は知られているものの、日本の国生み神話に相当する創世神話の部分は現存の文献に載っていない。また神話の筋が系譜に従って展開し、神代から人代へ移行するという縦の神話体系が歴史の導入部をなしていることも、ギリシア神話がいわば同時代的に横への展開を著しく示しているのと比べてみても、日本神話の大きな特徴となっている。
日本神話にはさまざまな系統の要素が入っているが、全体として通観すれば、日本神話は高文化的、つまり古代文明的な色彩が強い。粟の焼畑耕作文化や海人の文化を背景としているのではないかといわれる伊弉諾・伊弉冉の神話にしても、天父地母の結婚とその別離、世界巨人(伊弉諾)の両眼からの日・月の誕生という壮大な宇宙論は、まさに世界の古代文明地帯とその周囲に特徴的に分布しているものの一環である。素戔嗚尊の八岐蛇退治の神話も、日本からヨーロッパまでの旧大陸の高文化地帯に広がる竜退治伝承の一環をなしている。そればかりでなく、この素戔嗚尊のように神々の波瀾万丈(はらんばんじょう)の生涯が神話体系のなかで大きな比重をもっていることも古代文明的である。また、高天原に住む天津(あまつ)神と葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む国津(くにつ)神という二大神族の並立、およびその背後にあるインド・ヨーロッパ諸族にみられるのと同じような神界の3機能体系(第一機能=王権・祭政、第二機能=戦士・軍事、第3機能=生産者・豊穣(ほうじょう))は、すでに古代日本の社会が機能ないし階層文化のかなり発達した社会であったことを前提としている。このように、『古事記』や『日本書紀』に記された日本神話全体は高文化的な性格をもち、大気都比売神話のような未開な要素は、この全体の一部として包摂されてその文脈のなかで新しく意味が与えられている。
[大林太良]
日本における日本神話の研究は、古典の本文校定や注釈という形で始まり、ことに江戸時代の国学者らの業績が大きいが、それらはあくまで神話の意味や系統の研究の萌芽(ほうが)であって、本格的な研究は1900年代に入ってからである。高山樗牛(ちょぎゅう)、姉崎正治(まさはる)(嘲風(ちょうふう))、高木敏雄(1876―1922)に続き、松村武雄(1884―1969)、松本信広(1897―1981)、三品彰英(みしなしょうえい)(1902―71)、岡正雄らがその後の神話研究の基礎をつくったが、1920年代には、松村がそれまでの日本神話研究の総合を試みている。
日本神話の研究においては、系統論や歴史への関心が強い民族学者、あるいは民族学的知識をもつ研究者の比重が伝統的に大きいが、1970年(昭和45)ごろからは構造分析への関心が強くなっており、一方、日本神話の比較研究の対象として、朝鮮や中国が以前にもまして重要視されるようになってきた。
[大林太良]
『大林太良著『日本神話の構造』(1975・弘文堂)』▽『伊藤清司・大林太良編『日本神話研究』全3巻(1977・学生社)』▽『伊藤清司著『日本神話と中国神話』(1979・学生社)』▽『河合隼雄著『中空構造――日本の深層』(1982・中央公論社)』▽『松本信広著『日本神話の研究』(1982・平凡社・東洋文庫)』▽『高木敏雄・大林太良著『日本神話伝説の研究』増訂版全2冊(1982、88・平凡社・東洋文庫)』▽『大林太良著『東アジアの王権神話』(1984・弘文堂)』▽『吉田敦彦著『日本神話の特色』(1985・青土社)』▽『宮井義雄著『日本神話の世界の形成』(1992・春秋社)』▽『河合隼雄著『日本神話の思想――スサノヲ論』(1996・ミネルヴァ書房)』▽『大林太良・松前健・水野祐・井上辰雄・井本英一・辰巳和弘・吉田敦彦・金井清一他著『古代史と日本神話』(1996・大和書房)』▽『大林太良・吉田敦彦監修、青木周平・神田典城・西条勉・佐佐木隆・寺田恵子編『日本神話事典』(1997・大和書房)』▽『吉田敦彦著『日本神話のなりたち』新装版(1998・青土社)』▽『飯田正孝著『日本神話解明と古代文明』(2004・門出版)』▽『上田正昭著『日本神話』(岩波新書)』▽『松前健著『日本の神々』(中公新書)』▽『松前健著『出雲神話』(講談社現代新書)』▽『吉田敦彦著『日本神話の源流』(講談社現代新書)』▽『森浩一著『日本神話の考古学』(朝日文庫)』
日本の神話は,宮廷貴族によって編纂された《古事記》《日本書紀》,地方の素朴な伝承を断片的に記す《風土記》《万葉集》,氏族伝承を記す《古語拾遺》,宮廷祭祀(さいし)に関する〈祝詞(のりと)〉等の資料によってそのあらましを知ることができる。ここでは比較的まとまりがあり,また古い伝承を残すと思われる《古事記》上・中巻に即してその概略を述べる。なお,神名は本事典では原則として《日本書紀》に即して立項しているので,表記に異同のあるものは括弧内にそれを示した。
天地が初めて開けたとき,高天原(たかまがはら)(高天原神話)に天御中主(あめのみなかぬし)神,高御産巣日(たかみむすひ)神(高皇産霊尊),神産巣日(かむむすひ)神(神皇産霊尊)の3神が出現して身を隠したあと,4柱の単独神と5組の兄妹神が出現する。その最後の組が伊邪那岐(いざなき)命・伊邪那美(いざなみ)命(伊弉諾尊・伊弉冉尊)の2神である。この兄妹神が淤能碁呂島(おのごろじま)に降り立ち〈天の御柱〉を見立ててその回りを巡り,夫婦となって淡路島をはじめとする〈大八島〉等の島々を生む。これが〈国生み神話〉である。
その後は海河山野等に関する神々を生み分けるが,最後に火神迦具土(かぐつち)神を生んだためイザナミはホト(陰部)を焼かれて死んでしまう。イザナキは〈黄泉国(よみのくに)〉に棲む妻に会いたくて追って行き地上に戻るように呼びかけた。これに対してイザナミは〈黄泉戸喫(よもつへぐい)(黄泉国での食事)をしたのですぐには帰れない。黄泉神と相談するからその間は私を見てはいけない〉と答える。しかし待ちきれなくなったイザナキが禁を犯して中に入って見ると,妻の肉体は腐乱し蛆(うじ)がたかっていた。おそれをなしたイザナキは,予母都志許売(よもつしこめ)に追われながらもやっとのことで地上に生還し,日向(ひむか)の阿波岐原(あわきはら)で死のけがれを清めた。
このミソギで,左の目を洗うとき天照大神(あまてらすおおかみ),右の目を洗うとき月読(つくよみ)命(月読尊),鼻を洗うときに須佐之男(すさのお)命(素戔嗚尊)が生まれる。イザナキは大いに喜び,アマテラスに高天原を,ツクヨミに夜の食国(おすくに)を,スサノオには海原を治めさせることにした。ところがスサノオは亡き妣(はは)の棲む〈根の堅州国(ねのかたすくに)〉に行きたいと言って泣きわめくばかりであった。たまりかねたイザナキは怒ってスサノオを追放するが,スサノオは姉のアマテラスにいとまを請うてから去ろうと言って天に昇って行った。そのとき山川ことごとく鳴りどよめき,国土はみな震えたという。アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来るものと疑って男装して武器をとり,雄たけびいさましく待ちかまえていた。しかしスサノオは姉の疑いを解くために〈うけい〉(誓約)によって子を生もうと申し出る。そこで生まれた神が多紀理毘売(たきりびめ)命(田霧姫命)以下の宗像(むなかた)三女神と天忍穂耳(あめのおしほみみ)命(天忍穂耳尊)等の神々である。かくして潔白を証明したスサノオはうけいに勝った勢いに乗じて荒れすさび,アマテラスの〈営田(つくだ)〉を荒らすなどの数々の悪業をつくす。恐れ怒ったアマテラスは天の岩屋戸(あまのいわやど)にさしこもり,そのため高天原は闇夜となってしまう。そこで八百万(やおよろず)の神々は天の安河原(やすのかわら)に集い,岩屋戸の前で祭りを行ったが,そのとき天宇受売(あめのうずめ)命(天鈿女命)は神がかりしてホトもあらわに踊り狂った。このようすを怪しんだアマテラスが岩屋戸を細目に開けたところを,手力雄(たぢからお)神が手を取って引き出し,混沌とした秩序は元通りに回復される。
かくてスサノオは高天原を追われて出雲の肥河(ひのかわ)の川上に降りて来た。この地で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して櫛名田比売(くしなだひめ)(奇稲田姫)を救い,オロチの尾から得た草薙剣(くさなぎのつるぎ)(三種の神器)をアマテラスに献上する。そして須賀の宮でクシナダヒメと結婚し多くの神々を生んだが,その6世の孫が大穴牟遅(おおなむち)神(大国主(おおくにぬし)神)である。オオナムチは因幡(いなば)の八上比売(やかみひめ)をめぐって兄弟神と妻争いをするが,因幡の白兎を助けてヤカミヒメを得ることになる。しかしそのためにかえって兄弟神の恨みを買い,だましうちにあって殺されるが,そのつど母神である御祖(みおや)命に助けられて再生する。そこで難をのがれるため紀伊国からスサノオの棲む根の国に逃げのびるが,ここでもさまざまの試練にあう。蛇やムカデや蜂のいる室(むろや)に入れられたり,野火をつけられたりするが,スサノオの娘須勢理毘売(すせりびめ)命らに助けられ,ついには生大刀(いくたち),生弓矢(いくゆみや)などの呪器をスサノオから奪ってスセリビメともども地上に生還する。試練にうちかったオオナムチは,かくして〈大国主〉としてあらたに誕生し,高志(こし)の国の沼河比売(ぬなかわひめ)やスセリビメとの間に歌謡のやりとりがあって後,少名毘古那(すくなびこな)神(少彦名命)や三輪の大物主(おおものぬし)神とともに〈国作り〉を始めるのである。以上の出雲を舞台にした神話を一般に〈出雲神話〉という。
一方,アマテラスは自分の子アメノオシホミミを国作り完成後の地上の支配者として降そうとするが,その前に葦原中国(あしはらのなかつくに)に蟠踞(ばんきよ)する荒らぶる国津神(くにつかみ)を平定しようとする。こうして天菩比(あめのほひ)神(天穂日命)や天若日子(あめわかひこ)(天稚彦)が遣わされるが,最後に派遣された建御雷(たけみかずち)神(武甕槌神)の力によって国津神事代主(ことしろぬし)神と建御名方(たけみなかた)神は服従させられ,その父であるオオクニヌシは国譲りを誓う。これを〈国譲り神話〉という。
かくしてアマテラスとタカミムスヒは,あらためてアメノオシホミミの子邇邇芸(ににぎ)命(瓊瓊杵尊)にアメノウズメらの〈五伴緒(いつとものお)〉を従わせ,〈八尺勾玉(やさかのまがたま)〉〈鏡〉〈草薙剣〉をそえて筑紫の日向の高千穂に天降らせた。このとき国津神猨田毘古(さるたびこ)神(猨田彦大神)は道案内をした。これを〈天孫降臨神話〉という。
天降ったニニギは大山津見(おおやまつみ)神(大山祇神)の娘木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)(木花開耶姫)と婚するが,ヒメは一夜にして孕み,火照(ほでり)命と火遠理(ほおり)命の兄弟を生む。あるとき弟のホオリは兄から借りた釣針をなくしてしまい,それを探して綿津見国(わたつみのくに)へとおもむき,海神の娘豊玉毘売(とよたまびめ)と婚して3年の時を過ごす。やがて釣針を得て帰り,海神からもらった玉の呪力によって兄を服従させるが,このホデリの子孫が九州の隼人(はやと)だという(海幸・山幸)。その後トヨタマビメが子を生むために地上に来るが,ヒメは本来のからだ,ワニの姿となって生むのであった。その子は産屋の屋根も葺いてしまわぬうちに生まれたために鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)命といわれ,母の妹玉依毘売(たまよりびめ)命(玉依姫)と婚して若御毛沼(わかみけぬ)命を生む。これが後の神武天皇であり,ここをもって〈神代〉の物語は終了する。
中巻は宮廷が大和の地に存して天下を治めることになったいわれを語る神武天皇の物語で始まり,8代の天皇の系譜に続いて崇神(すじん)天皇の物語となる。そこでは〈天神地祇(あまつかみくにつかみ)の社〉を定めて伊勢神宮と大物主神などの国津神を祭り,また賦役貢納の制を定めたことなどが記されている。崇神天皇は伊勢神宮を頂点とする神祇の体系と諸々の制度の創業を仮託された始祖としての王であり,その意味で〈初国知らしし〉天皇と称されたのである。次いで部民制の起源などを扱った〈垂仁記〉の後に〈景行記〉の倭建(やまとたける)命(日本武尊)の物語が記されている。景行天皇と皇子ヤマトタケルとの劇的な対立を発端とするこの物語は通過儀礼の試練が戦士の物語として表現されたもので,成年式を終えた若き勇者が荒らぶる自然の神々やまつろわぬ〈エミシ〉との運命的な闘いを繰り広げる,古代英雄の遍歴の物語でもあった。そして中巻の終末近くには神功(じんぐう)皇后の〈新羅征討〉の物語が記される。これは住吉大神の霊威を体現した皇后の胎中にあって〈新羅〉を〈征討〉した新王が筑紫で誕生するというもので,朝鮮半島に勢力を伸張する意図をもった新時代の大和王権の支配のいわれを神話的に物語っていた。大和国への〈神武東征〉で始まり〈新羅の服属〉で終わる《古事記》中巻の物語は,葦原中国の王たるべき者の神聖なる由来を語った〈神代〉の物語に対して,大和王権の政治的拡大という歴史的な経験を英雄が遂行した一回的な事件として神話的に典型化して表現したものである。かくして神々の世界を扱った上巻から英雄の物語を記した中巻を経て,その子孫としての天皇が登場する下巻の物語が続き,推古天皇の記事をもって《古事記》の神話は完了する。
太古の昔から,人々は自分たちがその地に定住するに至ったいきさつや祖神についての伝承をもち,山や川などの創造主やその命名のいわれについての物語を伝えてきた。〈いわれ〉は物語として語られることによって真実なものになると信じられていた。それらの代表的な例が,《風土記》に記された地名起源説話や,《万葉集》にみえるオオナムチとスクナビコナについての伝承であり,また〈三輪山伝説〉や〈賀茂伝説〉などの氏族伝承であった。人間とその他の動植物や山や川や自然の起源を,神々の奇跡の物語として伝えたものが神話なのである。
〈いわれ〉が人々の共有財産として生き生きと語り伝えられていた社会では,人々は自然と交感してそれを敬い,生あるものすべてと一体化して生活していた。生殖行為によって国が〈生まれ〉たり,体の各部から五穀が実ったり,動物と人が結婚したりするような神話的発想はここから生じるのである。そして自然と人々のこうした相互交渉を象徴的に演ずる場が〈祭り〉であり,その中でも季節の循環や収穫の周期を〈生・死・再生〉の人間的周期と結合させた成年式は最も大切な社会的行事なのであった。その成年式の典型が共同体の代表者である王の成年式=即位式(大嘗祭)であり,王たる資格は呪術的できびしい試練を通して獲得されるもので,これもまたさまざまの物語として伝承されていた。人々は祭りの中で,いろいろな衣装や身振りによって祖神の行いを模倣し,それについての物語を通して聖なる〈起源〉へと比喩的に復帰し,〈今〉がここにあることのいわれを確認しながら共同体としての結束を求めた。神話の時制は単なる過去ではなく,〈今〉がそこから流出してくる時間であり,その神話的過去と〈今〉とを媒介するものが〈系譜〉なのである。
したがって神話は本質的に〈今〉の秩序の永遠化を願う支配者(王)の権威と結びつき,祭祀や儀礼の詞章として形式化されてくる。〈童女(おとめ)の胸鉏(むなすき)取らして〉国を引いたという《出雲風土記》の〈国引き神話〉や〈五百津鉏(いおつすき)の鉏なお取り取らして〉天の下を造ったオオナムチの物語をはじめとする各地の〈国作り神話〉は,鉄製の農具と武器で大地を開拓し戦った地方的な王(族長層)の英雄的な行為を神話的に典型化して表現したものである。石母田正によれば,これらの英雄神話は労働用具が美意識の対象となりえた日本文学史上唯一の時期の産物であるという。そしてこれらの各地の王が大和王権の下に統合支配されるに従って,天皇家の系譜と事績や祭祀伝承を軸として,それらの地方神話が重層的に組み合わされて〈記紀神話〉が形成されたのである。それは天皇家の支配の根源と王権の正統性を主張する政治的要素の強い神話であるが,固有の神話祭式的構造の下に一つのまとまりのある〈世界〉が展開されてもいた。その世界は聖と俗,陽と陰,天と地,中心と周辺といった二元的に対立する範疇によって形成された宇宙観から成り,これに基づいて高天原と葦原中国・黄泉国,伊勢と出雲,天津神(あまつかみ)と国津神等々の対照的な分類構成が行われていた。この宇宙観は,王権と在地族長層の政治社会的関係と当時の人々の生活構造を,神話的な形式によって表現したものなのである。王権と族長層の支配関係は必ずしも一方的なものではなく,両者は〈父〉を同じくする系譜によって結合された擬制的同族関係を構成していた。記紀神話にはこの擬制を生きる歴史的社会に特有の経験がこめられており,そうした社会においてこそ神話は最も有効に機能したのである。
日本神話の研究は,すでに江戸時代に本居宣長や鈴木重胤らによって記紀の〈注釈〉という形で行われていたが,西欧の学説と方法を移入した近代的な〈神話研究〉は高木敏雄の《比較神話学》(1924)によって開始された。これは世界の神話・民族との比較検討により日本神話の普遍性とその系統を探るもので,この方法は松本信広,岡正雄,三品彰英らによって継承され,松村武雄の《日本神話の研究》(1954-58)において大成された。この分野は吉田敦彦,大林太良らによってさらに推進されている。
一方,文献史学の立場から厳密な史料批判を行って記紀神話の政治性と虚構性を暴いたのが津田左右吉であり,その成果は《日本古典の研究》(1948,1950)としてまとめられた。津田の研究は神話を歴史的事実であるかのごとくに主張する天皇制イデオロギーや,《古事記》を神典として聖化する神道主義に対する有力な批判であった。歴史的基盤との関連で神話を理解しようとする方法は津田の合理主義的な限界を克服する方向で展開された。その代表が石母田正の〈英雄神〉をめぐる諸論考である(《日本古代国家論》第2部,1973)。それらは柳田国男の民俗学や西欧の人類学的方法をも吸収しながらマルクス主義歴史学の分野から提出された業績であった。こうした歴史的研究は青木和夫,岡田精司,上田正昭ら多くの古代史家によって積み重ねられている。
国文学関係では《古事記》等の文献の内部分析が武田祐吉や高木市之助らによって進められ,倉野憲司,西宮一民の注解や土橋寛,益田勝実らの研究,小林芳規らの国語学的成果となって現れている。さらに折口信夫の《古代研究》3巻(1929-30)は詩的直観力によって古代的世界とじかに交感しようとするものであった。また西郷信綱は人類学等の隣接諸科学の成果を取り入れて,〈作品〉としての《古事記》の文脈を尊重しながら,神話を構造的に読み解いて《古事記の世界》(1967),《古事記研究》(1973),《古事記注釈》(1975-89)を著した。
→古事記 →神話 →日本書紀
執筆者:武藤 武美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
一般に「古事記」「日本書紀」など日本の古典にみえる神々の物語。本来,日本の原始・古代の社会においては神話は一元的なものではなく,さまざまなかたちで生きていたと考えられる。しかし,現在目にすることができるのは,記紀といった,天皇の正統性を根拠づけるために,天皇とそれをめぐる狭い範囲の氏々の,神世からのつながりを語るところで成立した神話が大部分である。これらは元来の神話が体系化・政治化されてまとめられたものというより,記紀それぞれの固有の論理をもって成立したものであることを認識する必要がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…殺されたハイヌウェレの身体にほかならぬ作物を食べて生きることが,人間の運命となったと物語ることによって,この神話は,人間が人間であり続けるために殺害と食人が不可避であるという世界観を表明し,それによって,これも〈古栽培民〉に特徴的な習俗である首狩りや食人の儀礼の由来にも説明を与えている。 このハイヌウェレ型神話の類型に明らかに当てはまる話は,日本神話の中にも見いだされる。《古事記》によれば,素戔嗚(すさのお)尊によって殺害された大気津比売(おおげつひめ)神の身体の頭からは蚕が,両目からは稲が,両耳からはアワが,鼻からは小豆が,陰部からは麦が,尻からは大豆が発生し,神産巣日御祖(かみむすひのみおや)命がそれらを天上に取り寄せて,高天原で農業と養蚕を創始した。…
※「日本神話」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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